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第20話 没落令嬢の死闘

剣の舞グラディウス・クールス』――


 その刹那、まるで何者かが囁いたかのように、ララの頭の中でひとつの言葉が浮かび上がる。


 ――今のは……もしかして


 ララは深呼吸をし、


「『剣の舞グラディウス・クールス』!!」


 迫り来る黒い影に向けて謎の言葉を詠唱する。


 すると、ララから見て右上方の虚空に亀甲形をした大きな『聖痕スティグマ』が浮かび上がり、そこから一振りの剣がまるでそこから生えてきたかのように生じる。


 そしてその虚空から生まれた剣は、ララの意思に追従するように漆黒の男目掛けて飛翔する。


 キイィィィィィンッ!!


 空中を舞う剣は男の大剣に弾かれる。


「これならいかがですの!!」


 ララは次々と虚空から剣を生み出し、それは雨のように一斉に男の元へ降り注ぐ。


 キィン! キィィンッ!!


 男は飛翔してくる剣をその都度払いのけるが、何度も何度も空中で不規則な乱舞を繰り広げる剣は次第に男を追い詰めてゆく。


 ガァンッ!!


 その時、一振りの剣が男の背中に到達する。


「ッ!!」


 甲冑に護られて体に傷をつけるまでには至らなかったが、初めて刃先が触れたことによって男に動揺が走る。


 そのわずかに生じた隙を見逃さず、ララは一瞬の内に男との間合いを詰める。


 ブンッ!!


 それに気づいた男が大剣を振り回す。


「『鋼鉄の壁フェッロ・オビチェ』!!」


 ララが正面に壁を築くと、大剣がそれを一閃して破壊する。


 男が剣を振り切ったことにより、その懐に潜りこむことが出来たララは、


ァァァァァッ!!」


 かつてヤンが示した手本通り、腰の捻りを加えて右手の掌底を前に突き出す。


 トンッ


 と、それは漆黒の男の胸を衝く。

 いや、衝くというより触れたという方が正しいかも知れない。


 ドゴオォォォォォッッッ!!!


 しかし、それにも関わらず漆黒の男の体は後ろに弾け飛び、宙を舞って背中から石畳の上に叩きつけられる。


 ――今の感触……まさか


 ララは違和感を感じ、自らの手のひらを見つめる。


「……そうですわ!」


 しかし、それよりも倒れている男を捕縛する方が先だと思い、そちらに歩み出す。


「ッ!?」


 その刹那、ララは突然重度の疲労感と倦怠感に襲われ、ガクン、と膝を崩してしまう。


「くっ、こんな時に……」


 それは以前にも――初めて力を行使した時にも経験したことのある現象だった。


 恐らく力を使いすぎたのだろう。ララの体力と精神は限界まで達して体と脳が悲鳴を上げているのだ。


「――ら」

「――ら様」


 ――あぁ……誰かが……呼んで……


 風の囁きのような声を耳にしながら、ララの意識は完全に途切れてその場に倒れ伏すのだった。




『まだ、思い出せないか』


 白い――白一色に染められた世界の中で無機質な声が問う。それは男のものか女のものかも判別がつかない、冷たく低調な音。


「また……あの夢ですの?」


 久しぶりに見るその夢の中で、ララは憂鬱そうにつぶやいた。


『まだ、不完全だ』

「ええ、その通りですわ。わたくしはまだまだ不完全。力もまだ使いこなせないし、アナタの真名を思い出すことも出来ませんわ」


 自嘲と共にララが愚痴を漏らす。


『……待っている』

「え?」


 その時、謎の声から初めて感情めいた言葉が発せられると、ララは思わず驚きの声を上げる。


「ちょっと! さっき何ておっしゃいましたの? ちょっとーッ!!」


 何度も呼びかけるが、やがて夢は醒めて現実へと引き戻される。


「ッ!!」


 ハッと覚醒するララ。


「わ、びっくりした! 急に目を覚ましたよ!!」


 ミレーヌが目を大きくして見下ろしている。


「おはようございます、ララ様」

「さすがララ殿。素晴らしい回復力ですな」


 そこへ、レンとヤンの顔がフェードインする。


「……わたくしは、どうしてましたの」


 ゆっくりと上半身を起こし、ゆっくりかぶりを振りながらララが問う。


「アタシたちが駆けつけた時には倒れてたからさ、宿まで運んだんだよ。あれからずっと眠ったままだったから心配したよ」


 ミレーヌの言葉を受けて周りを見回すと、そこはたしかに常宿の部屋だった。


「……そうでしたわ、あの後わたくしは倒れて――」


 その時、ララはハッと大事なことを思い出した。


「近くでわたくしの他に倒れている方がいませんでしたか?」

「え? いや、あの辺りじゃあ紫紺騎士団の死体があったくらいで、他には誰もいなかったけど」

「そう……ですの」


 ミレーヌの言葉に、ララは力なくうなだれる。


 ――あの方は逃げたのかしら?


 ララは自らの右手のひらに目を落とす。


 あの時――


 発勁を打ちこむために漆黒の甲冑の胸部に手を触れた時、ララは気づいてしまった。


 ――あの方、女性でしたのね……


 硬い甲冑越しからでもたしかに感じた特有の感触。それは今でも彼女の手の中にハッキリと残っていた。


 女でありながら重厚な甲冑をまとい、ララをも凌駕するスピードと力を誇る強敵だった。

 しかし、『聖痕スティグマ』の力を行使した形跡を感じなかったことから、恐らく彼女は『吸血者ドラキュリアン』なのかも知れない、とララは思った。


「あら? そういえば戦はどうなりましたの?」


 もうひとつ大事なことを思い出して問うと、


「ララ様の奮戦のおかげで、大ブリタニア軍は退却しました。コリンヴェルトは護られたのです」

「そう……良かったですわ」


 レンの言葉に、ララは安堵のため息を吐く。


 ぐうぅぅぅぅぅ


 不意に、ララのお腹が悲しそうな音色を奏でる。


「あら、わたくしとしたことが……」


 恥ずかしそうにお腹を押さえるララ。


「丸々一日寝てたんだからしょうがないよ」

「一日も寝てたんですの? どうりで背中が痛い訳ですわ」


 ララはベッドから降りて軽く体をほぐす。

 もう疲れはすっかり解消され、むしろ体を思い切り動かしたいとさえ感じる。


「それでは、ララ殿の快気祝いと戦勝祝いに酒場で祝杯といきますか?」


 ヤンが言うと、


「まだ昼間ですよ? それって、ただヤン殿が飲みたいだけなのではありませんか?」


 レンがツっこむ。


「まあイイんじゃないかい? 最初にこの町に着いた時以来飲んでなかったし」

「さすがミレーヌ殿。話がわかりますな」

「本当にしょうがない方たちですね……」


 意気投合するヤンとミレーヌに、やれやれとため息を吐くレン。


「……フフフ」


 そんなやりとりを見て思わず笑いが込み上げるララは、


「いいですわよ。参りましょう」


 久しぶりの酒場を心から満喫しようと思った。



 翌日――


 ララとミレーヌ、そしてヤンとレンは、コリンヴェルト北部にあるガレヌ川と海が合流する河口へとやって来た。


 そこは以前、海嘯かいしょうという自然現象を目の当たりにした場所であり、またヤンが発勁の手本を示した場所でもあった。


 川を見下ろせる高台にある崩壊した四阿ガゼボ

 そこには以前にヤンが破壊したもの以外にも石柱が残っていた。


「ちょうどおあつらえ向きに、石柱が二本ありますね」


  ヤンが石柱に手を添えながら、ララたちの方に目を向け、


「それでは、お二人の修行の成果を見せていただきましょうか」


 武術の師としての顔になり、涼やかな声で告げる。


「「はい!!」」


 ララとミレーヌは返答し、それぞれ石柱の前に立つ。


 海嘯の衝撃によって、下からニメートルほどを残して破壊された石柱だが、直径三十センチ以上はあろうかと思われる堅硬なそれは、近くで向き合ってみるとより大きく、より強固なものに感じられた。


「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ……」


 二人は大きく深呼吸して脱力し、これまでに培った無心の境地へと至る。


 ピン、と空気が張り詰める。


 心は内に。意識は外に。

 彼女たちの精神は研ぎ澄まされてゆく。


 ヤンもレンも、そして周囲に集った観衆たちも、二人の挙動を固唾かたずを飲んで見守る。


「「ぁぁぁぁぁ……」」


 二人は腹の底からり出すように声を発し、ゆっくりと右手を引きながら同時に腰を捻る。

 そして、前に突き出した左手と引いた右手が石柱に対して一直線となったところで静止し、


「「ッッッッッ!!!」」


 腹から弾け出すような気合いの声を発し、二人は腰の捻りと共に右手の掌底を一気に突き出す。

 それはさながら、極限まで引き絞った弓から放たれた矢のように速く鋭い一撃。


 最大限の気をこめた掌底が石柱を突くと、


 ドゴオォォォォォッッッ!!!


 二本の石柱は轟音と共に粉々に粉砕され、跡形もなく吹き飛んでいた。


 一瞬の静寂の後、大きな歓声が湧き上がる。


「……で、できましたわ」

「あ、アタシがこれを……ホントに?」


 人間業とは思えぬ芸当をやり遂げた二人だが、その彼女たち自身が信じられないといった感じで呆然と立ち尽くす。


 パチパチパチパチパチ


 そんな二人の心を呼び戻すように、ヤンとレンが拍手を送る。


「素晴らしい! よくぞここまでやり遂げてくださいました」

「ララ様、ミレーヌ様。私は感激しております!」


 ヤンは満面の笑みを、レンは涙をハンカチで拭いながら、それぞれねぎらいの言葉をかける。


 ララとミレーヌは互いに顔を見合わせて微笑むと、


「ありがとうございました!!」


 ヤンやレン、そして周囲の観衆に向けて一礼するのだった。

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