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第14話 没落令嬢と心の眼

「そういえば、昼間の出来事で気になることがあったのですが」


 水を飲んで喉を潤し、少し落ち着きを取り戻してから、改めてララが切り出した。


「『踊る屍者ダンス・マカブル』を発症したあの男性は、吸血衝動を我慢し続けた末にあのような状況に陥った、とおっしゃっておりました。もしかして世界中で猛威を奮っている『踊る屍者ダンス・マカブル』は、『吸血者ドラキュリアン』の成れの果ての姿……つまり、他者の血を摂取しないままでいると、『吸血者ドラキュリアン』は『踊る屍者ダンス・マカブル』になるのではありませんか?」


 その問いにヤンは腕組みをしてひとつ大きく息を吐き出し、


「……ララ殿のおっしゃる通りです」


 少し間を置いてから絞り出すように言った。


「『踊る屍者ダンス・マカブル』は原因のわからない奇病と言われておりますが、一般的に知られていないのは当然のことです。何せ起因は『吸血者ドラキュリアン』であり、その『吸血者ドラキュリアン』を生み出しているのは我々『聖痕使いスティグマータ』という特異な存在なのですから」

「それじゃあアタシも、ずっと他人の血を飲まないままでいたらあんなバケモノみたいになっちまうってのかい?」


 焦燥気味にミレーヌが問うと、ヤンは無言のままうなずいた。


「それではわたくしがヤン殿と初めてお会いしたあの時、わたくしもあの時すでに『踊る屍者ダンス・マカブル』を発症していたのでしょうか?」

「いいえ。あの時はまだ発症一歩手前という状態でした。今日のあの男と違って、おそらくララ殿は吸血衝動を抑えきれずに発症手前で暴走してしまったのでしょう」


 その言葉に何となく安心感を感じて安堵のため息を吐くララだったが、


「私も、アナタがまだ発症手前だったから青い薬を投与したのです。一度発症してしまうと治癒する確率はほぼゼロになってしまいますからね」


 次に彼が放ったその言葉に、非情とも思える冷酷さを感じてしまう。


 先ほども、男を何のためらいも無く殺そうとした。

 彼の言う通り、『踊る屍者ダンス・マカブル』を発症した者は、他に犠牲者が出ないように速やかに処断するのが正しいのだろう。

 それはララにも理解出来るが、それでも理屈では言い表せない何かが彼女の胸の奥でおりとしてこごるのだ。


「あの男性がおっしゃっていた赤い薬……ヤン殿は知見を得ておられるようですけど、それは一体どんなものなんですの?」


 ララはモヤモヤとしたものを抱えながら、まだまだ尽きない疑問をぶつける。


「……ララ殿ならわかるはずです。『踊る屍者ダンス・マカブル』が『吸血者ドラキュリアン』を起因として生まれる者なのであれば、その『吸血者ドラキュリアン』を生み出しているものが何なのかを」


 まさか、と言ってララは息を飲みこみ、


「『聖痕使いスティグマータ』の血!?」


 天を仰いで叫んだ。


「そうです。その赤い薬とは、『聖痕使いスティグマータ』の血を薄めて固めたものなのです。病弱だった男が健康を取り戻せていたのも、その力によるものに他なりません。しかし、彼はそれを定期的に服用し続けたことで知らず知らずのうちに『吸血者ドラキュリアン』となった。いや、この場合はと言うのが正しいのかも知れません」

「ヤン殿。その口ぶりですと、まるで『吸血者ドラキュリアン』と『踊る屍者ダンス・マカブル』を作り出すために何者かが赤い薬をばら撒いているようにも聞こえますが……?」


 ヤンの言葉にミレーヌが問うと、


「たしかに、赤い薬を作った者は純粋に人間の限界を引き出すためにそれを生み出したのかも知れません。しかし、そういった特異な力を別の目的に使おうとする者は必ず現れるものです……」


 まるですべてを悟っているかのような口調で答える。


「つまり、人工的に『吸血者ドラキュリアン』や『踊る屍者ダンス・マカブル』を生み出す。そんな輩が存在するということなんですの!?」


 激昂気味に声を張り上げるララ。

 ヤンは目を伏せ、小さくうなずく。


「でも、何でヤン殿はそんなに詳しいんだい? いくら長生きしてるといっても、武器商人が持ち得るような情報じゃないような気がするけど」

「ああ、それはですね。この青い薬をくれた人物。それが赤い薬を作り出した張本人なのですよ」

「「ッ!!」」


 次々ともたらされる衝動の事実に、もはやララとミレーヌは頭の整理が追いつかないといったていで開口してしまう。


「……驚きですわ。まさか、『踊る屍者ダンス・マカブル』にそのような絡繰からくりがあったなんて」

「まあ、それを知る者はかなり限定されますから。仮に一般市民がそれを聞いたところで、荒唐無稽な絵空事程度にしか捉えないでしょう。今のところは……ですが」

「今のところは……」


 たしかにそうかも知れない、とララは思った。


 民は愚かである方が御し易い、と為政者が思うのは世の常である。だから、一般市民に国の趨勢すうせいに関わるような重大な情報や知識など決して与えはしないのだ。

 必要以上の知識を得て賢しくなればなるほどに、執政に疑いを持つ者が生まれる恐れがある。

 だから、災いの芽は早いうちに摘まねばならないのだ。


「でも、『踊る屍者ダンス・マカブル』や『吸血者ドラキュリアン』って、一度そうなるともう二度と元の人間に戻れないものなのかい?」

「『踊る屍者ダンス・マカブル』であれば、先程の男のようにすぐに青い薬で鎮静させて血流を正常に戻せば、『踊る屍者ダンス・マカブル』化を一旦止めることは可能です。ですが、基本的に一度発症してしまった者が元に戻ることはまず不可能です。しかし――」


 そこで少し間を置いてから、


「『吸血者ドラキュリアン』は、その者を『吸血者ドラキュリアン』に変えた『聖痕使いスティグマータ』が死ねば血の契約が解除され、普通の人間に戻ります」


 そう告げる。


「『聖痕使いスティグマータ』が死ねば……」


 その言葉に、ララとミレーヌは自然と顔を見合わせる。互いの瞳に不安の色が宿っているのを感じる。


「まあ、『聖痕使いスティグマータ』を死に至らしめるのは至難の業ですよ。千年以上の時を生きている私が言うのですから間違いありません」


 そんな不安を払拭するように、ヤンがあえて明るい口調で言う。


 ――そうですわ。わたくしは死ぬ訳にはいきませんわ。ミレーヌのためにも……


 ララは自らを鼓舞し、もうひとつの疑問をヤンにぶつけた。


「ヤン殿。実はわたくし、ヤン殿の背後に濃い紫紺色の煙のようなものが見えるのですが、それが何かご存知でしょうか?」

「背後に煙のようなもの? ……それはもしかすると『神霊アウラ』かも知れませんね」

「『神霊アウラ』?」


 聞きなれないその言葉に、ララは首をかしげる。


「『神霊アウラ』とはその者が内包しているエネルギー的な存在のことです。それを視覚として捉えることができるということは、ララ殿は『色心眼クレルヴァイヤンス』の力をお持ちのようですね」

「『色心眼クレルヴァイヤンス』?」

「ええ。普通の者には決して見ることが出来ない『神霊アウラ』を、視覚情報として捉えることが出来る稀有な能力です。私の知る限り、その力を有する者とは貴女以外ですとこれまでにひとりしか出会ったことがありません」


 それだけ貴重な存在なのです、と念を押すように言われたララだが、まったく実感が湧かないために喜んでいいものなのかわからず戸惑う。


「その『色心眼クレルヴァイヤンス』で見える『神霊アウラ』の色というのは、その方が有している属性――個性をあらわしているということでよろしいのでしょうか?」

「そうそう、その通りです。私の『神霊アウラ』が紫紺色なのも、私が紫紺色の宝珠から力を得た『聖痕使いスティグマータ』だからなのです」


 なるほど、とララは得心がいったように大きくうなずいた。


 ララは以前、自分が背負っている煙を見ようと鏡の前に立ってみたが、どうやら『色心眼クレルヴァイヤンス』は鏡越しでは機能しないらしく、それを見ることが出来なかった。


 しかし、先ほどのヤンの話を加味すればララの『神霊アウラ』は乳白色をしていることになる。


「あの、ララ様。私の『神霊アウラ』が何色をしているか教えてくださいませんか?」


 すごく興味があるのか、レンが瞳を輝かせながら聞いてくる。


「あ、はい。レンさんは……乳白色と桃色の二色が見えますわ」

「まあ、二つも色があるんですか?」


 レンは口元に手を当てて驚いたように開口する。


「たしか、レン殿は桃色の宝珠を持った『聖痕使いスティグマータ』の血を飲んで『吸血者ドラキュリアン』となったはず。桃色がそれだとすると、もう一方の乳白色は、元々レン殿に備わっていた属性ということになるのでしょうね」


 興奮気味に自らの考察をが語るヤン。千年以上生きている彼でさえも知らない事象が存在することに、楽しみを覚えているのかも知れない。


 ――もしかしたら、この『色心眼クレルヴァイヤンス』の力であの獣面の者を探し出せないかしら?


 ヤンたちとの話で知識を深めたララは、ふとそう思い至る。


 今のところ目立つほど大きな『神霊アウラ』を放つ者は数少ないように感じる。ならば、その『神霊アウラ』を目安に人探しをしていれば、いずれ獣面の者に辿り着けるかも知れない。


 とはいえそれは、獣面の者が大きな『神霊アウラ』を持っていることが前提となるのだが。


 ――ッ!! わたくしったら、大事なことを今まで忘れておりましたわ!!


 あれこれと思惟にふけっていたララは、ハッと何かに気づいて立ち上がり、


「お二人とも、獣の面を被った怪しい人物に心当たりはありませんこと?」


 本来、最初に会った時に問うべきだったものを思い出し、ようやくそれを問うのだった。

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