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第6話 没落令嬢と娼館

 翌日――


 ララとミレーヌは朝からコリンヴェルトの町中を散策していた。

 今日の店番はレンが務めており、その休みを利用して二人でデートを楽しんでいるのだ。


 あの後、酒場ではレンも加わっての闘飲が行われたのだが、あれだけ暴飲しても決して酔うことのなかったヤンとミレーヌでさえ、顔色ひとつ変えずにワインの入った小樽を三つ分飲み干したレンには完敗だった。

 そしてさらに驚きなのが、それだけ飲んでも翌日には三人ともまるで何事も無かったかのように普通に起床しているところだ。


 コリンヴェルトは同じ港町であるエイレンヌと比べるととても繁華で規模も大きく、人の数も建造物の数も圧倒的に多かった。


 多くの人々が入り乱れる大通りを二人は仲睦まじく手を繋いで歩き、立ち並ぶ店舗を一軒一軒見て回った。


 もちろん、ただ買い物を楽しんでいるだけではない。

 ララには獣面の者と乳白色の宝珠の探索という重大な目的があるのだ。


「何の手掛かりも無いねぇ」


 やれやれ、といったていで肩をすくめるミレーヌ。


「そうですわね……」


 そうつぶやくララだったが、それは落胆というよりもどこかうわの空といった感じの空返事であった。


「どうしたんだい、ララ? やっぱり手掛かりが無かったのがそんなにショックだった?」


 そんな少女の異変を感じ取ったミレーヌがたずねると、


「ええ、それもあるのですが……」


 さらに深刻な面持ちで思惟し、やがて静かに語り出す。


「昨日、ヤン殿がおっしゃっていた言葉が気になっているのです」

「昨日の?」

「『たとえ個人がそれを認めたとしても、ヴァレリア正教の教義がそれを認めない』……」

「ああ……」


 ミレーヌの面差しに陰鬱が走る。


「あの時は強がっておりましたが、本当は恐いのです。すべてのものに背かれ、睥睨へいげいされ、弾圧されるのが……」

「ララ……」


 繋いだ手からかすかな震えを感じる。

 普段は強気で剛担な少女がここまで己の弱さを吐露するのは、余程のことなのだろう。


 ミレーヌは自身の存在をアピールするかのように握った手に力をこめて言う。


「いつの日か、堂々と愛を公言出来る日が来るとイイね……」


 ララは無言のままうなずくと、何かを決意したようにスッと顔を上げる。


「やはり、強くならなければと、改めて思いましたわ。たとえ世界のすべてを敵に回したとしても、決して折れないための強さを」


 そしてミレーヌと同じように握った手に力をこめると、


「ですからわたくし、決めましたわ。ヤン殿に教えを請うと」


 彼女の方へ向き直り、真剣な面持ちで告げた。


「教えを請うって、戦いのかい?」

「ええ。わたくしは実際にはヤン殿の強さを目の当たりにはしておりませんが、歩き方や立ち振る舞いだけを見てもまったく隙が無く、ただ者ではないということだけはわかりますもの」

「そうだね。ヤン殿はたしかに強かったよ」

「ですので、恥を忍んでお願いに参りますわ」


 ララが決意を実行に移そうと、彼女たちの常宿へと勇ましく歩み出すが、


「そういえばヤン殿は今日も娼館に行くって言ってたよ」


 ミレーヌの言葉に出鼻をくじかれ、思わずよろける。


「ま、またですの? 昨日も行って、しかも酒を浴びるように飲んだ翌日だというのに……」


 ララは呆れながらも、ヤンに会うために娼館がある裏通りへと向かい、その後をミレーヌも追った。


 裏通りはいわゆる花街であり、娼館が数多く立ち並び、まだ朝だというのに客引きの娼婦がところどころにたたずんでいる。


「一体どこにいるのかしら?」

「こりゃあ、一軒一軒しらみつぶしに探すしかなさそうだねぇ」


 二人は辟易へきえきとしてため息を吐いた。


「よお、そこのお二人さん、美人だねぇ。どこの店のコ? ウチで働かないかい?」


 刹那、すぐ目の前に点在するまだ真新しい娼館の中から出てきたひとりの中年男が、媚びた声で話しかける。

 その口ぶりから、どうやらこの娼館の関係者のようだ。


「はぁ……本当に下品極まりないったらありゃしませんわ」


 ララは辟易へきえきとしたため息を吐くとカツンと大きく踵を踏み鳴らし、男に向けて言い放つ。


「男の性欲の捌け口にされる気など、毫末ごうまつほどもありませんわ!! 顔を洗って出直して――」

「ああああああああああああああああッッッ!!!」


 しかし、その威勢の良い啖呵たんかは男の素っ頓狂な叫びによってかき消されてしまう。


「幸運の女神ちゃん! 幸運の女神ちゃんじゃないか!?」

「な、何なんですの、いきなり……?」


 突然訳のわからないことを叫んで喜色を爆発させる男に、ララは引きつった顔で二、三歩後ずさる。


「ああああああああああああああああッッッ!!!」


 すると今度はミレーヌが驚きの叫びを上げて男を指差すと、


「ああああああああああああああああッッッ!!!」


 男の方もまるで合わせ鏡のようにミレーヌを指差して叫ぶ。


「こ、今度は一体何なんですの?」


 ますます訳がわからなくなったララは、二人を交互に見合わせながら肩をすくめる。


「ララ、この人だよ! ララをアタシのところに売りに来た奴隷商人は!!」


 興奮気味に叫ぶミレーヌ。


「え? 本当なんですの?」

「ああ。その特徴的な団子鼻、間違いないよ」


 その言葉を受けて男の方に向き直ると、彼もコクコクとうなずいていた。


「いやぁ、まさかこんなところでまた会えるとは思わなかったよ、幸運の女神ちゃん!」


 揉み手擦り手を繰り返しながら体をくねくねとさせる男に、まるでゴミでも見るかのような冷眼を向けるララ。


「さっきから何なんですの、その幸運の女神というのは?」

「いやぁ、幸運の女神ちゃんをそこのお姉ちゃんに預けただけでオイラは千金もの大金をいただいちまったんだ。おかげでオイラは奴隷商人を辞めてこうして娼館を建てることができたんだ。お嬢ちゃんはオイラにとって幸運の女神ちゃんなんだよ」

「ッ!!」


 その時、ララはハッと大切なことを思い出すと、


「アナタ、わたくしを奴隷として売ったのは一体どなたですの!? もしかして、獣のかおをした面を被ってた人ではありませんこと!?」


 興奮と共に男に詰め寄る。


「お、オイラにお嬢ちゃんを売ったのはギヨームって奴だよ! まあ、たしかにその側に獣の面を被った不気味や奴も立ってたけどさ……」

「やはり……」


 ギヨームは農民による叛乱軍のリーダーであり、ララの故郷であるノルマン城を落として彼女の父と母を殺した張本人である。

 彼は後に王都から派遣された騎士団シュヴァリエによって捕らえられ処刑された。

 しかし、リーダーであるギヨームの死後もまだ各地で叛乱は散発しており、アルセイシア王国の混乱はまだまだ治る気配は無かった。


 しかし、ララはおそらく後の歴史に記されるであろうその大規模な農民叛乱は、実は獣面の者こそが首謀者なのではないかと疑っていた。

 なぜなら、ギヨームの側には常に獣面の者がおり、彼はギヨームに助言を与え、ギヨームの死後はその姿をくらましているからだ。


「アナタ、お名前は?」

「オイラかい? オイラはミゲルってんだ」

「ではミゲルさん。アナタはその獣面の者について何かご存知ですか?」

「え? いいや、あの時初めて会っただけで会話もしてないからね。何も知らないよ」

「そうですか……」


 落胆するララだったが、まだ聞きたいことはあった。


「アナタがわたくしを引き取った時、わたくしの首にコの字型で乳白色をした宝珠のついた首飾りネックレスはありましたか?」

首飾りネックレス? いいや、最初からそんなものついてなかったはずだけど」

「本当ですの?」

「ホント、ホント!!」


 ジト目を向けられ男は必死に否定する。


 この男が盗んだという可能性も否定出来ないが、嘘を言っているようにも感じられない。


「それではもうひとつおうかがいします」


 ララはひとつ咳払いをしてから、


「よもや、わたくしが寝ていた間に変なことをしてはいないでしょうね?」


 鋭い眼光を向けて問う。


「してない、してない!!」


 男は盛んにかぶりを振った。


「本当でしょうね……?」

「ホントだって! オイラ、必要以上に欲張らないように心がけてんだ。それで失敗した人間を何人も見てるからさ。だから今回、お嬢ちゃんを奴隷としてどこかに引き渡すだけで一千金もらえるんだから、それ以上余計なことはしないように心がけてたんだよ」


 ララは腕組みをして考えこむ。


 どうも男が嘘を言っているようには見えない。


「ギヨームが持ちかけた依頼内容はどのようなものでしたの?」

「ああ。まずギヨームから二千金を渡されたんだ。一千金はオイラへの報奨。もう一千金はララという女をどこかの町で奴隷として預ける際の養育費に充てるようにって言われたんだ」


 その話に疑問を抱いたミレーヌが口を挟む。


「でも、何でそいつはわざわざ奴隷に養育費を与えたんだい? しかも一千金という破格の金を」

「さあ、そこまでは……。ただ、ギヨームの側にいたあの獣面の奴。顔こそ見えなかったけどさ、何となくじっとオイラを睨んで『余計なことしたら命はないぞ』って言ってるような気がしてさ、怖かったよ。だから言われたこと以外絶対しないって心に決めたんだ」

「獣面の者……やはりすべてはあの者の指図だったのですわ」


 そう確信するララだったが、その者の意図まではどうしても汲み取ることができないのだった。



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