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第16話 奴隷令嬢の帰郷

 ノルマンはエイレンヌの北西に位置する隣地である。

 エイレンヌと同様海に面した港町ではあるが、この地には豊かな森林も多く林業の盛んな場所であった。


 またノルマンの地は対大ブリタニア王国の最前線としてアルセイシア王国内では最重要拠点とみなされ、代々その領主は公族が務めていた。

 そしてララの父親もまた、現国王の弟で公爵位を持つ上級貴族であった。


「しかし、ただ者じゃないとは思ってたけど、まさかララが公族だったなんて。驚いたよ」


 隣境の峠を歩きながら,ふとミレーヌが感嘆交じりにもらす。


「ですが、今のわたくしはただの娘。身分や爵位などしょせん泡沫うたかたの夢にすぎませんわ」


 ララはどこか冷めたような達観した口調で答える。


「まあ、たしかに今のアタシたちはただの貧しい旅人。人生なんて何が起こるかわかったもんじゃないね」

「ええ。まさか女将おかみさんの工場が焼け落ちてしまうなんて……」


 ララは申し訳なさそうな、どこか苦々しさの交じった口調でつぶやいた。


 先の紫紺騎士団の襲撃は実に用意周到であった。

 定期船に偽装した集団がまず港から侵入して町を襲撃し、そちらに防備を引きつけさせている隙に陸路から別動隊が急襲して一気に中枢を落とす。

 中枢が落ちて指揮系統が麻痺すれば士気は喪失し、後はなすがままだ。


 しかし、ララの提言で町に備えが築かれていたことによって彼らは思わぬ足止めを食らい、ようやく防護陣を突破できたのは半数だけであり、そのため町の損害は半分以下にまで抑えることができたのだ。

 とは言え、その被害を受けた家屋の中にミレーヌの工場が含まれ、焼け落ちた家を前にして彼女はブリタニア人ブリタニアンに向けて呪いの言葉を叫んでいたのだった。


「別にアンタが気に病むことじゃないさ。逆に家もお金もキレイサッパリ無くなってスッキリした気分さ。このまま工場を続けようかどうかずっと迷ってたしね」


 ミレーヌらしい、実にサバサバとした言葉だ。


「そう……ですの……」


 とは言え、ララにとっては自身が大きく変わるきっかけとなった場所であり、思い出もあり、エイレンヌは第二の故郷と思えるくらいに愛着を抱いていたのだった。


「今はこうしてララと二人で旅ができる。それだけで充分さ」

「そう……ですわね」


 コクリとうなずくララ。


 二人は出立前に町の人々から心ばかりの餞別を渡されており、エイレンヌの思い出と温かな優しさを胸に刻み、歩んでゆくのだった。




 寂寞せきばくたる丘陵を越えた後、平坦の道行きを徒歩で進むこと三日、二人はついにノルマン領へと足を踏み入れた。


 ララにとっては約三ヶ月ぶりとなる故郷の町。しかし、そこにはかつての繁栄の面影などまったく無く、町を囲む壁は無惨に破壊し尽くされ瓦礫の山となって散乱し、家々は焼き尽くされて消し炭と化した見るも無惨な廃墟と化していた。


 エイレンヌの町も侵略者によって破壊されたが、この荒廃ぶりはその比ではなかった。


「これが……ノルマン」


 二人は呆然と立ち尽くす。


 ここに辿り着くまでの過程で道ゆく人から聞いた話では、ノルマンを占領していたギヨーム率いる農民軍は、王都ルテティアから派遣された騎士団シュヴァリエと死闘を繰り広げ互角以上の善戦をしていたが、リーダーであるギヨームが捕らえられ、その後はあっさりと蹂躙され敗北したらしい。

 そしてそれは、つい三日前の出来事だと言う。


 二人は沈んだ気持ちのままかつて広場だった場所へとおもむいた。

 そこはララにとっては、農民たちによって強姦や処刑などの蛮行が行われた忌まわしの場所でもあった。

 そして今そこにあったものは、かつて叛乱軍として戦っていた農民と思われる者たちの死骸が焼かれた跡と、そして槍に突き刺されて掲げ上げられた主犯人物のさらし首だった。


 ララは呼吸を整え、それを自らの目でたしかめる。


 ――ああ、知っていますわ……


 無念の形相で虚空を見上げているそれは、ひとつはララの罪状を読み上げていたリーダーらしき男のもの。そしてもうひとつは、ララの頬を叩いたあのスキンヘッドの処刑執行人のものだった。


「大丈夫かい、ララ?」

「ええ……」


 少女が直視するにはそれはあまりにも残酷な光景であり、ミレーヌも思わず自身の気がおかしくなるのではという不安を感じずにはいられなかった。


 しかし、ララはそこに本来あるべき人物の首が無いことに気づき、不審に思った。

 それは、リーダーであるギヨームの隣にいたあの獣面の者である。


 その者は常にギヨームの側におり、ララの処遇に関してはギヨームが獣面の者にうかがいを立てていたくらいであるから、叛乱軍の重要人物であることに間違いはないはずだ。


 しかし、ここにはその首が無いのだ。


 ――逃げた……? それとも……


 ララはどうしても忘れられなかった。

 その獣面の者が放つ異様さと、そこから感じたおぞましさを。


 結局その者の消息はわからないが、少なくとも死んではいない、とララは何となく感じるのだった。


 ――ッ! 誰かが見ている……?


 刹那、視線を感じたララが振り返ると、奥にある木の陰から二人の様子をうかがっている男の存在に気づく。


 その男はララに気づかれたと知るや否や、すぐにその場から駆け出した。


「お待ちなさいッ!!」


 ララはすぐさま駆け出し、木々の間を縫うようにして逃走するその男を追いかける。


「はぁはぁ……」


 男が後ろを振り返ると、少女はまるで獣のごとく俊敏さで猛然と迫って来る。


 もう逃げきれない、と悟った男はその場で足を止めた。


「アナタ、わたくしたちを見てましたわね?」


 追いついたララは男を詰問する。


「し、知らねぇよ」

「じゃあ、何で急に逃げ出したりしたのかしら?」

「べ、別に逃げたワケじゃねぇ!」


 あくまでもとぼけようとする男。


「はぁはぁ……。もう、早すぎるよ、ララ」


 ここでようやくミレーヌが追いつき、肩で息をする。


「あら? アナタ、見覚えがありますわ」


 ふと既視感を感じたララが記憶をたどると、


「たしか……そうですわ! あの時、叛乱軍の中にいた農夫ですわ!!」


 シュプレヒコールを叫ぶ農民たちの中に彼の顔があったことを思い出す。


「たしか叛乱軍は王都から派遣された騎士団シュヴァリエによって根絶やしにされたはずですが、アナタはなぜこんなところにいるのかしら?」

「そ、それは……」


 男は目を泳がせながら、言いにくそうに口ごもる。


「さっさと話してくださいませんこと?」


 ララは腰に帯びた剣を抜き、その刃先を男に向けて脅す。


「お、俺は叛乱軍を裏切ったんだよ! 騎士団シュヴァリエの奴らに捕まった時、うまくギヨームを誘い出せば金をくれるっていうからよォ!!」


 男は何度もかぶりを振りながら、まるでわめき散らすように言う。


「それで、アナタは再び仲間の元に何食わぬ顔で戻ると、言われた通りリーダーであるギヨームを騙して騎士団シュヴァリエに捕らえさせた……。そういうことですわね?」

「し、死にたくなかったんだ! もともと参加するつもりもなかったのに、なし崩し的に叛乱軍の一員にされて……」


 その言い訳じみた言説に辟易としながらも、


「アナタにおうかがいしたいことがありますの」


 唯一の生き証人であるこの男に問う。


「あの時、わたくしが気を失った後、一体何があったのか。そのすべてを教えてくださいませんこと?」


 そして、男は顔を曇らせながら静かに語り始めたのだった。


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