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第15話 奴隷令嬢の覚醒

『力が欲しいか?』


 刹那、ララの頭の中で声が響く。

 それはかつて夢の中で彼女に何度も問いかけた、あの無機質な声。


「誰……ですの?」

『力が欲しいか?』


 少女の問いに答えることもなく、その声は同じ問いを繰り返す。


「まったく……いつも勝手に現れて、ワケのわからないことを一方的に聞いてきて……ホントに何なんですの」


 ララは小さく笑い、そして叫ぶ。


「欲しいに決まってますわ! あのクソブリテン野郎をブチのめすだけの力、わたくしにくださいませッ!!」

『ならばくれてやろう』


 謎の声がそう答えるや否や、少女の手の甲からまばゆいばかりの光が発せられる。


 ララはかつてこれとよく似た現象を目の当たりにしていた。それはあの惨劇の日、偶然彼女の血を含んだ乳白色の宝珠が放ったまばゆい光。


『早く我が真名を思い出せ……』


 最後に謎の声はそう言い残すと、ララの頭の中からフッと消え失せる。


「これは……?」


 おもむろに立ち上がり光を宿した右手の甲を見ると、そこには盾のような、あるいは亀甲のようなものがかたどられた紋が煌々こうこうと浮かび上がっていた。


「それは『聖痕スティグマ』! 貴様、まさか『吸血者ドラキュリアン』ではなく『聖痕使いスティグマータ』なのか!?」


 信じられないとばかりに男は瞠目どうもくする。


「わたくしにはわかりませんわ。ただ、アナタが持っているのと同じ宝珠を――乳白色の宝珠を持っておりましたわ。今は行方不明ですが……」

「そうか……だから不完全なのか。だから『聖痕使いスティグマータ』と『吸血者ドラキュリアン』の両方の特性を持っているのか!」


 そして男は嬉々として笑い、


「おもしろい。貴様はオレを存分に楽しませてくれそうだ」


 槍を何度も回転させ、


「『龍渦撃ドラコ・ボラジン』!!」


 そう唱える。


 すると、まるで龍が立ち昇るように空気が大きな渦を巻き、槍先から放たれる。


「『鋼鉄の壁フェッロ・オビチェ』!!」


 ララがとっさに頭に思い浮かんだ言葉を詠唱すると、彼女の周囲に堅牢な防壁がそびえ立つ。


 ぎゃりぎゃり、と轟音を上げながら竜巻きと鋼鉄の攻防が繰り広げられる。


「ちっ」


 壁を打ち破れないと判断し、男は一旦攻撃を止める。


「ッ!? どこへ行った?」


 目の前にあったはずの壁は、少女の姿と共に消えており、辺りを見回すがその影すら見えない。


「ッ! 上かッ!?」


 気配を感じて顔を上げると、陽光と重なり合ってひとつの黒い影が舞う。


「くっ!!」


 とっさに槍の柄を掲げるが、


「やあぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 ズシャアァァァァァッッッ!!!


 天上から振り下ろされる少女の斬撃は男の槍を打ち砕き、紫紺の甲冑をも斬り裂く。


「ぐあぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 男は悶絶して後退する。

 肩先から腹にかけて血がにじみ出すが、どうやら致命傷には至っていないようだ。


「浅かったみたいですわね」


 ララは着地して再び剣を構える。

 しかし、彼女は我が目を疑った。

 男に刻みつけたはずの傷が、ありえない速さで回復していたのだ。


「そんな……」

「これが『聖痕使いスティグマータ』の力だ。忌まわしき不老不死の力……」


 そう告げると男は、


「今日はこれくらいにして引き上げるとしよう」


 馬の首筋をポンポンと叩く。


「逃げるおつもりですの?」

「逃げる? オレがか? 貴様、自分の胸元を見てみろ」

「え?」


 言われたとおり下に目を向けると、胸元にあった女中メイド服のリボンが真っ二つに切り裂かれ、宙を舞っていた。


「いつの間に……」


 ララは自らも危うかったことを悟り、思わず身震いする。


「今度会う時までに、もっと強くなっておくことだな」


 男は馬を走らせその場を駆け出す。


「オレはリオ。大ブリタニアの王子だ。覚えておけよ、ララ!!」


 去り際にそう言い残し、男は――リオは門の方へと消えてゆくのだった。


「あの男が……リオ。紫紺騎士団のリーダー……」


 アルセイシア王国にとって最も畏怖すべき強敵にして恐怖の象徴である紫紺騎士団のリーダーとの思いがけない邂逅に、ララは高揚とも顫動せんどうともわからない震えを禁じ得なかった。


「……ジョエル!?」


 ハッと大切なことを思い出したララ、すぐにジョエルが倒れている場所へと駆け戻る。

 そしてぐったりとして動かないその体を抱き上げると、ララは手にしていた剣で自らの手を傷つける。


「ジョエル、飲んで!」


 滴る血をジョエルの口の中に流しこむ。しかし、彼がそれを飲みこむことはなかった。


「お願い、飲んで……」


 嗚咽おえつする少女。

 本当は彼女にはわかっていた。不老不死の効能を持つ血をもってしても、死者を蘇らせることなどできないことを。


「お願い、ジョエル! 目を覚まして! わたくしを置いていかないで……」

「ララ……」


 その場にやって来たミレーヌが、悲痛に悶える少女の後ろにたたずむ。


「……わたくしのせいですわ。わたくしが呼びかけさえしなければ……ジョエルはかくれたまま無事でいられたはずなのに……。わたくしのせいで……わたくしが――」

「ララ!!」


 いたたまれなくなったミレーヌが後ろから少女を抱きしめる。


「アンタはよくやったよ! みんなを助けようとがんばってくれたよ!! だからもうこれ以上自分を責めないでおくれよ! アンタのそんな姿を見たらアタシだってツライよ……」

「うう……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッッッ!!!」


 ララはミレーヌにすがりつき、号泣した。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッッッ!!!」


 ミレーヌもララを強く抱きしめ、号泣した。


 二人の慟哭どうこくは悲愴の調べとなって嫋々じょうじょうと響き渡り、暮れゆく茜色の空に儚く溶けて行くのだった。





 紫紺騎士団の襲撃から二日後、その戦いにおいて犠牲となった者たちの葬儀が行われた。


 領主――

 領主の妻、パメラ――

 領主の息子、ジョエル――

 館の家令――

 警護兵五名――

 町民八名――


 エイレンヌの人々は襲撃者を撃退することに成功した代わりに、多大な犠牲を払ったのだった。


 領主一家の墓は、町はずれにある海が望める高台に建てられた。

 三人一緒にそろう機会が少なかった家族も、今はそこで共に静かに眠るのだった。


「ララ?」


 合同で祈りの言葉を捧げた後、ララはまだその墓地の前にたたずんでいた。


「……敗者の末路は常に残酷ですわ」


 ミレーヌの呼びかけに、ララは背中を向けたままポツリとつぶやく。


「大切なものを護るためには戦わなくてはならない。戦いに勝つためには力がなくてはならない。わたくしは力が欲しいですわ。大切なものを護れるだけの力が……」

「……ああ、そうだね」


 ミレーヌが寄り添い、少女の肩に手を添える。


「わたくしは強くなりますわ! 二度と負けないために!!」


 決意を新たにしたララはミレーヌの方に向き直り、


「アナタにお伝えしたいことがございます」


 真剣な眼差しで告げる。


「何だい? 改まって」

「わたくしはこの町に来てから、まだ誰にも自分の出自を明かしたことはありませんでした」

「ああ、そうだったね」

「それをアナタにお伝えしますわ」


 ララはふぅ、とひと息入れてから、


「わたくしは……ノルマン公爵の娘です」


 静かな声で告げる。


「ノルマン……ノルマンって、あの大規模な叛乱があったっていう?」


 ララは無言のままコクリとうなずき、


「叛乱があったあの日、わたくしたち家族は城外へ連れ出されました。そしてわたくしは、そこで凌辱を受ける直前に気を失い、次に気づいた時にはもうアナタの元におりました……」


 ミレーヌと出会うまでの経緯を伝える。


「そんなことがあったのかい……」


 少女のあまりにも重い過去に、ミレーヌはかける言葉も見当たらずただ押し黙るしかなかった。


「この町で時々ノルマンの噂を耳にすることがありました。ですが、わたくしはなるべくそれを聞かないように避けておりました。いいえ、ただ現実から目を背けていたのですわ。ですが、エイレンヌの領主やパメラさん、ジョエルが貴族の責務ノブレス・オブリージュを立派に果たしているのを目の当たりにして、わたくしは忸怩しくじたる思いでおります」


 ララは哀惜の面持ちで語ると自身の胸に手をあて、


「わたくしは父と母の安否も、わたくしが本当に凌辱されたのかさえもわかりません。ですから、たしかめたい……いいえ、たしかめなければならないのです。あの時に何があったのかを。今、何が起こっているのかを。それが、わたくしに唯一残された貴族の責務ノブレス・オブリージュなのですから!」


 そう高らかに告げるのだった。


「そうか……。それじゃあ戻るんだね? 自分の故郷に」


 少女はコクリとうなずく。


「じゃあさ……アタシもついて行っていいかい?」

「え?」


 ミレーヌの言葉に、ララは驚いたように首をかしげる。


「何てゆうか、その……ララひとりじゃあぶなっかしいって言うか……。それに、定期的に血を飲まないといけないんだろう? だったらアタシが――」


 言い終わるより先にララが飛びつき、


「ありがとうございます、女将おかみさん!!」


 喜びをあらわにする。


「もう、まだまだ子供だな、ララは……」


 幼な子のようにしがみついて離れない少女の頭をそっと撫で、ミレーヌは苦笑交じりにつぶやくのだった。


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