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第9話 奴隷令嬢の御守り

「よかった、無事に戻って来れたんだね」


 地下牢獄でひとり待ち続けていたミレーヌは、ララの姿を見てホッと胸を撫で下ろす。


「ひと足先に縛り首にされたんじゃないか、って心配してたんだよ」

「盗み食いで縛り首なんてことになったら、恥ずかしすぎて死んでも死にきれませんわ」


 そう言って二人は笑った。


 ひょこッ


「ん?」


 刹那、ミレーヌは少女の背後で誰かが顔を覗かせているのが見えた。

 一度目をこすり、もう一度そちらに目を向けると、そこにはララが立っているだけで他には何も無かった。


「何だ、気のせいか……」


 そう思って苦笑し、もう一度目を向けたその時だった。


 ひょこッ


 まるでララにすがりつくようにして、ひとりの子供がその陰から恐る恐る顔を覗かせているのが見えた。


「気のせいじゃないな。ララ、そのコはどうしたの?」

「このコは領主のご子息なのですが……ほら、ちゃんとご挨拶なさい」


 背後の子供にうながすと、彼はおずおずと横に出て、


「はじめまして。ジョエルです……」


 そう名乗る。


「へえ、領主にこんなカワイイ子供がいたのか」


 ミレーヌはゆっくり立ち上がると、


「はじめまして、ジョエル。アタシはミレーヌだよ」


 彼の頭を優しく撫でながらそう告げる。


「で、そのジョエルがなんでアンタと一緒にいるんだい?」

「それには複雑ないきさつがあるのですが、実はわたくし、ジョエルの従者を仰せつかりましたの」

「従者?」

「ええ。まあ、従者というよりは御守おもりですわね」

「はは、ララが御守おもりねぇ」


 ミレーヌはけらけらと笑い、


「ララに育てられたら将来は傲慢領主、いや、暴君になっちまうんじゃないか?」


 そう言ってからかう。


 失礼ですわね、と叫びたい気持ちをグッと抑え、


女将おかみさんもやるんですのよ」


 涼やかな声で伝える。


「え?」


 ピタリと笑い声が止まる。


「パメラさんにお願いしたんです。アナタもぜひに、と。やはりこういうことは年の功がものを言いますもの。頼りにしておりますわよ」

「年の功って言われるほどアタシは年老いちゃいないよッ!!」


 ララの完全なる意趣返しに、ミレーヌは悔しさをにじませながら叫ぶのだった。




 ようやく牢獄から解放されてされたララたちは、庭園へとやって来た。

 ここはかつてララが揉み合いの末にエリクを殺害してしまった忌まわしの場所でもあるが、今ではそんな凄惨な過去を偲ぶものは何も無く、元の憩いの場としての姿を取り戻していた。


 三人は、彩りの花々が咲き誇る花壇の中央にある四阿ガゼボの椅子に腰掛ける。


「それにしてもさ、いくら八歳とはいえちょっと幼すぎやしないかい、ジョエルは」


 初めて会った時からずっとララにくっついたまま離れようとせず、今でも彼女の膝の上にちょこんと乗っている少年の姿を見て、ミレーヌがポツリともらす。


「ええ。パメラさんからうかがったのですが」


 ララは、パメラの部屋を出る直前に彼女から聞かされたことを語り出す。


「このコ、よくエリクにいじめられていたそうなんですの。パメラさんがいない時に、下賤の子、淫売女の子、などと罵倒されて……。それでコワくなったジョエルはひとりになるとかくれるようになってしまったんですの」

「まあ、エリクがクズなのはいまさらだけどさ。それでなくても前妻の子と後妻の子だ。こりゃあ、貴族じゃなくてもモメそうだ」


 うへぇ、と辟易した口調で言うと、ミレーヌは二人を指差し、


「だけどアンタたち、そうやって並んでると姉弟に見えないこともないね」


 少し茶化すように笑った。


「姉弟……」


 ララはふと想起してみた。


 幸せだった家族の中で、少女と弟は一体どのような人生を送っていたのかを。

 仲睦まじい家族だったかもしれない。親からの愛情を弟に奪われ、寂しい思いをしたかもしれない。


 しかし、どちらにせよ幸せだった日々はもう無い。

 そんな逃れようの無い現実を思い知ると、ララの瞳から一粒の涙が自然とこぼれ出すのだった。


「ララ、泣いてるの?」


 それを見て、ジョエルが悲しそうな顔で問う。


「ご、ゴメンなさい……。わたくし、まだ心の整理がついてないみたいで、家族のことを思い出すと胸がすごく痛むんですの」


 手の甲で涙を拭い、しゃくり上げる。


「泣かないで、ララ」


 見かねたジョエルがララの頬にそっと口づけをする。


「ッ!」

「ボクが泣いてる時、いつも母上はキスしてくれたんだ」


 驚いた少女だったが、少年の精一杯の慰めをうれしく思い、


「ありがとうございます、ジョエル……」


 その頭を撫で、ぎこちない笑顔を向ける。


「ゴメン、ララ。アタシ、無神経なこと言ったみたいだ」


 神妙な面持ちでミレーヌが謝意を述べると、ララはすぐにかぶりを振った。


「いいえ、アナタが謝る必要なんて何もありませんわ。これはいずれ向き合わなければならない、わたくし自身の問題なのですから」


 少女はおもむろに空を見上げ、


 ――いずれ、戻らなければなりませんわ……


 生まれ故郷への帰還を誓うのだった。




 ララとミレーヌはジョエルと寝食を共にするにあたり、館の一室を与えられた。

 大部屋で十人以上が雑魚寝をしていたころに比べれば破格の高待遇であるが、ララにとって御守おもりは悪戦苦闘の連続だった。


 最初のころは大人しいと思われていたジョエルだが、次第に年相応の腕白さを発揮し出し、従者を困らせることが多々あった。


「ここがアタシたちの国、アルセイシア王国。んで、ここら辺がアタシたちの暮らすエイレンヌだ」


 机の上に広げた大地図を指差し、ミレーヌがジョエルに説明すると、彼は好奇心旺盛に質問を続ける。


「へ〜、ボクたちの国ってこういう形してたんだ。ねえミレーヌ、ここは? ここは何ていうの?」

「ここはヴァレリアだ。神聖ヴァレリア帝国の一部で、ヴァレリア正教会の宗主である法王様が住まわれてる場所さ」

「すごいや、ミレーヌは何でも知ってるんだね」

「ハハハ、何でも知ってるワケじゃないよ。ただ商売柄最低限の知識を仕入れていただけさ」


 尊敬の眼差しで目を輝かせる少年に、ミレーヌは照れくさそうに謙遜した。


「それにひきかえ」


 ジョエルはジト目を少女の方に向け、


「ララは何にも知らないんだね?」


 呆れたような口調で言い放つ。


「な、何も知らない訳ではありませんのよ! ただ、わたくしが偶然それを知らなかっただけのことですわッ!」


 従者の面目丸潰れのララは、めいっぱいの強がりを言い放つ。


「それよりも、わたくしさっきからずっと気になっておりましたが……」


 ララはワナワナと怒りに震える手で二人を指差し、


「今までずっとわたくしにべったりだったのに、何で女将おかみさんにくっついてらっしゃるのッ!!」


 まるで本当の親子のように寄り添う彼らに訴える。


「あれぇ? ララ、もしかして妬いてんのかい?」

「や、妬いてなどおりません! ただ……急な心変わりに納得がいかないだけですわ!!」

「ララ、おイモ焼いてるの?」

「焼き芋ではありませんわ!!」


 バン、と全力で机を叩くとララは勢いよく立ち上がり、


「部屋にこもってばかりでは体に良くありませんわ。外に参りましょう!!」


 声高に叫ぶのだった。



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