「昨日はゴメンね、ララ」
次の日の朝――
朝食をテーブルに並べながら、ミレーヌはまるで何事も無かったように快活な声で少女に告げる。
しかし、彼女の右頬に刻まれている
「ホントは一緒に行きたかったんだけどさ。ちょっと用事が立てこんじゃってね」
「……」
ララは黙ったままイスに腰かける。
昨日、彼女はあれから言われた通りの用事を済ませて帰宅をしたが、その後は一緒にいながらも両者の間に会話はまったく無かった。
お互い、昨日あった出来事を黙ったまま、まるで何事も無かったかのように日常を送ろうとしていた。
「……もう、かくし事はやめにしませんこと?」
しかし、ララはそれを許さなかった。
「え?」
「実はわたくし、見てしまったんですの。アナタが……男に犯されているところを……」
「ッ!」
その場に重苦しい沈黙が流れる。
「……そっか」
最悪の空気を打ち破るようにミレーヌがつぶやくと、
「参ったなぁ、恥ずかしいところ見られちゃったね」
努めて明るく振る舞うのだった。
「……あの男はわたくしを狙っておりましたわね。つまり、わたくしのせいでアナタは――」
「それは違うッ!!」
言葉を遮ってミレーヌが否定する。
「あの男は……エリクはここの領主の息子なんだ。これがしょうもないクズでさ。夫を亡くしたばかりアタシを犯したこともあるんだ。そしてアイツはこの間町でアンタを見つけた。誰かからアンタの居場所を聞いたアイツはさっそくやって来たよ。『ララを売ってくれ』ってね」
「もしかしてその時に脇腹の
少女の問いにコクリとうなずく。
「エリクは怒らせると何をするかわからない。アイツに乱暴された女性はこの町には大勢いるんだ。だから、定期的に誰かがエリクの欲求の捌け口にならなきゃいけない。だから……これはアタシとエリクの問題でアンタのせいなんかじゃ無い。だから気にしなくてイイんだよ」
「……気にしなくてイイ?」
感情の無い声でもらすと、
「誰かがあの男の欲求の捌け口にならなきゃいけない? 何をふざけたことおっしゃってますのッ!!」
ララは椅子を倒すくらい勢いよく立ち上がり、憤然と叫ぶ。
「領主の御曹司だろうが国王陛下だろうが、ただ己の欲求のためだけに人を傷つける者など言語道断! 決して許されることではありませんわッ!!」
そしてララは猛然と駆け出す。
ミレーヌは慌てて後を追いかける。
「ちょ、ちょっと! ドコ行くつもりだい!?」
「エリクの目的がわたくしなのですから、わたくしが直接話をつけるまでですわ」
「まさか、エリクのところに行くつもりかい?」
一度立ち止まった少女だが、何も答えずにそのまま外へと駆け出して行った。
「なあ、ララ。ムチャだって! 考え直しておくれよ」
町中をズンズンと一心不乱に突き進んでゆくララに、ミレーヌは何度も落ち着くようにうながす。
「一方的に暴力を受けているのにただ黙ってそれを受け入れろなんて、到底承服できるものではありませんわ」
「でもさ、何度も言うけどエリクは怒らせると手がつけられないんだよ。領主様だって手を焼いているくらいなんだから」
「でしたら、そんなバカ息子を
「あー、もうッ!!」
落ち着くどころか余計に闘志を燃やす少女に、ミレーヌは頭を抱えるのだった。
そして高い壁に囲まれた領主の館の前までやって来ると、
「エリクに伝えてくださらない。アナタの目的の女が来た、と」
門番の兵士に告げる。
最初は怪訝な顔をしていた門番だったが、エリクの蛮行を理解していて事情を察したのか、すぐに館の方へと向かって行った。
「どうなっても知らないよ?」
「
「冗談。いまさらアンタを置いて帰れやしないさ」
やれやれ、といった
そしてしばらく門の前で待っていると、
「おお、ララ! 俺のところに来てくれたか」
キザな笑みと共に短髪の男がやって来る。
「ミレーヌ、よく説得してくれたな」
「フンッ!」
ミレーヌはウンザリとした様子でそっぽを向いた。
「わたくし、アナタと話をつけるために参りましたの」
「うんうん、わかったよ。じゃあ、まずは庭園でゆっくり語らおうか」
完全に浮かれてしまっているエリクは、二人を中へと招き入れた。
石畳の道をしばらく進むと、色とりどりの花が咲き誇る花壇と果樹に囲まれた庭が姿を現す。
「さあ、そこに座って。おい、飲み物を取ってこい!」
庭園の中心にある大テーブルの前で、エリクは二人を招くと共に従者にそう命じる。
「じゃあまずは商談だ。ミレーヌ、いくらでララを売ってくれるんだ?」
エリクはまだ自分の欲求通りにことが運んでいると思いこみ、話を一方的に進める。
「昨日も言ったろ? アタシはララを手離す気なんてこれっぽっちも無いよ」
その言葉に、ララは同調して大きくうなずいた。
「……は?」
刹那、エリクの顔から笑みが完全に消え失せる。
「アナタ、何か勘違いしてらっしゃるようなのでハッキリ言いますわ。わたくし、アナタみたいなハラスメント盛り盛りクソ御曹司の奴隷になるつもりなんて、これっっっっっぽっちもありませんの!!」
ララはエリクに向けてビシッと指を突き立て、
「わたくしは
そう断言した。
「ララ……」
堂々と自分の意思を表明できる少女の姿に、ミレーヌは胸を打たれるのだった。
「……んだよ。お前たちも俺をいらない者扱いすんのかよォッッッ!!!」
拳を握りしめながら、エリクがまるで駄々っ子のように叫ぶと、
「だったらいらねぇよ。思い通りにならない女も、俺を厄介者扱いする連中も!!」
腰に携えた剣を抜き、ララに斬りかかる。
「あぶないッ!!」
とっさにミレーヌがララの上に覆い被さる。
シュッッッ!!!
振り下ろされた剣先は、ミレーヌの肩口を斬り裂いた。
「あうぅぅぅッ!!」
「ッ!
うめき声を上げて少女にもたれるミレーヌの傷口から、どくどくと鮮血がにじみ出す。
どくんッ!――
刹那、ララの心臓は大きく跳ね上がり、昨日と同じように全身に熱い衝動が駆け巡る。
――また、ですの?
全身を支配するその衝動に抗えず、ミレーヌの傷口にそっと手を伸ばす。
「ララ、逃げて! ララッ!?」
叫ぶ|ミレーヌ。
しかしララは血に塗れた自らの手をうっとりとした眼差しで見つめ、それを舌で絡め取り、口に含む。
「ッ!!」
その瞬間、血という血が、肉という肉が、細胞という細胞が、少女の全身が活力でみなぎるのを感じた。
「二人仲良く死ねやぁぁぁぁぁッッッ!!!」
再び剣を振り下ろすエリク。
シュンッ!!
「ッ!?」
しかし、そこにあったはずの二人の姿は瞬時にして消え、その斬撃は虚しく空を斬るだけだった。
「なッ! いつの間にッ!?」
そこから十歩以上も離れたその先にある少女たちの姿を見つけ、エリクは驚愕した。
「な、何なんですの、この力は?」
そのような芸当をやってのけた本人ですら、自身の身に起きた異変にただ戸惑うばかりだった。
「そうだ……。
ララはその場にミレーヌを座らせる。
「ああ、傷はそんな深くないよ」
「よかったですわ」
ホッと胸を撫で下ろす。
そして、彼女たちを見つめる男の方へと向き直り、
「少しお待ちになってください。ケリをつけて参りますわ」
ズンズンと邁進する。
「お前、一体何なんだよ!?」
「わたくしにもわかりませんわ」
「ワケわかんねぇよッ!!」
問答の末にヒステリックに
そしてそれを振り下ろそうとした刹那、一気に間合いを詰めて来たララにガッチリと腕を掴まれる。
「もうおよしなさい。アナタに勝ち目はありませんわ」
「黙れッ! 黙れ黙れ黙れッッッ!!!」
押し合いへし合いが続くが、ついにララはエリクの手から剣を奪い取った。
「うおぉぉぉぉぉッッッ!!!」
剣を奪われたエリクはそのまま少女に飛びかかる。
「ッ! イヤぁぁぁぁぁッッッ!!!」
刹那、ララの脳裏に過去のトラウマがフラッシュバックする。
そして――
ズシュッッッ!!!
無意識の内に剣を突き立て、その刃先は男の胸を貫いた。
「か……はぁ……」
エリクはその場にガクリと膝を落とし、虚ろな瞳を宙に漂わせる。
「あぁ……」
ララは恐れ慄き手を離して後ずさる。
「はは……うえ……」
エリクは最後にそうつぶやき、そのまま体を横たわらせた。
「わたくし……わたくしが……」
人を殺した――
その事実にショックを受け、少女はぶるぶると体を震わせる。
「ララ、大丈夫かい?」
ミレーヌが駆け寄り声をかけるが、ララは視点の定まらない瞳を宙に泳がせワナワナと体を震わせるばかりだった。
「え、エリク様!?」
その時、エリクに言われて飲み物を取りに離れていた従者が現場を見て取り乱し、飲み物の載ったトレイを落とすと、
「人殺し! 人殺しだ!! エリク様が殺されたッ!!!」
周囲に向けてそう叫んだ。
「……いけない、逃げなくては」
その声で我に返ったララは、ミレーヌに危害が及ばないよう逃走を試みる。
「ダメだよ、ララ。もう門番たちがこっちに来る。逃げられやしないよ」
「いいえ、
少女はそう言ってミレーヌの体を抱き抱える。
「え?」
明らかに自分より軽いはずの少女にやすやすと抱え上げられているミレーヌは、思わず我が目を疑った。
「ララ、この力は一体――」
「話は後ですわ!」
二人は門の方へと向かわず、庭園をそのまま突っ切る。
「ララ、そっちは――」
「わかってますわ!」
立ち並ぶ木々を潜り抜けたその先に立ちはだかるのは、高い壁だった。
しかし、ララはその壁を飛び越えられると確信していた。
「飛びますわよ!!」
そう言って足を強く踏みこんだ、その刹那だった――
「ッ!!」
突然、これまで感じたことのないような重度の疲労感と倦怠感に襲われ、ガクン、と膝を崩し、その場に倒れ伏してしまう。
「ら、ララ!!」
地面に叩きつけられる形となったミレーヌだが、すぐに立ち上がり駆け寄る。
「逃げ……て……」
薄れゆく意識の中、ララが必死に言葉を紡ぐ。
「……もう遅いみたいだ」
ミレーヌは静かにかぶりを振る。
そして兵士たちがその場にどっと押し寄せ、二人は完全に包囲されるのだった。