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第2話 奴隷令嬢の値打ち

 エイレンヌの町は、生まれてからずっと居城の中から出たことの無かった正真正銘の箱入り娘の少女にとって、初めて訪れた別世界でもあった。


 ララは時折窓越しから外を眺めてみるが、過去のトラウマからまだ他者に対して――特に男性に対して拭い切れない恐怖を感じており、いまだに一歩も外に踏み出せないでいた。

 そんなララが唯一信頼を置いているのが、奴隷として売られた彼女の身請け人である毛織物工場の女将おかみミレーヌであり、二人はお互いに本音をぶつけ合える間柄であった。


「そう、ここでシャトルを通して横糸を張って」

「こ、こうですの?」

「そう。そしてバーを回して今度は反対側から横糸を通すんだ」

「バーを回して横糸を……」

「そうそう、それを繰り返していけばイイんだ」


 ミレーヌが後ろからララの手を取り、実際に動かして見せて一連の流れを身につけさせる。


 毛織物工場の奴隷として売られるも、これまですべてを他人任せにして何一つ自分で行動しなかったツケが回り、糸を組み合わせることすらできない少女は、今では素直に女将おかみの指導を受けるまでに打ち解けていた。


「……」

「ん? どうした、ララ?」


 急に押し黙ってしまう少女に問うと、


「……何となく、お母様とお話しているような、そんな気がして……」


 ララは顔を赤らめ、少しはにかみながら言った。


「お、お母さんかぁ……。アタシ、アンタみたいな大きな娘がいるほど年は取ってないと思うんだけどなぁ」

「ふ、雰囲気とはそういうものが、ですわ! 恥ずかしい……もう二度と言わせないでくださいましッ!!」

「自分から言い出したクセに……」


 真っ赤に染まった頬で膨れっ面を見せる少女に、ミレーヌは苦笑するのだった。




「そう言えばずっと聞きたいと思ってたんだけどさ」


 その日の夕食の席で、ミレーヌがおもむろに口を開く。


「ララはここに来る前はどこにいたんだい?」

「わたくしは……」


 パンに伸び掛けた手がピタリと止まり、少女は陰鬱な面持ちで沈黙してしまう。


「ああ、もちろん話したくなければ無理しなくてイイんだよ。でも、いつか気持ちが落ち着いて話せるようになったら、ね?」


 ミレーヌの気づかいをありがたく感じてララがコクリとうなずくと、


「あの……わたくしが何も話さないでいるのにこんなこと言うのは不躾ぶしつけだとは思うのですが、どうしてもお聞きしたいことがあるのです」


 真剣な眼差しを向けて言った。


「何だい?」

「わたくしをこちらに売りつけた方……どういう容貌をしておりましたか? たとえば――」


 いったん間を置いて少女は続ける。


「獣のかおかたどった面をつけていたとか」

「獣の面?」


 ミレーヌは小首をかしげた。


「いや、アンタを連れてたずねてきたのはごく普通の奴隷商人だったよ」

「そう……ですの」


 ララはどこか落胆したようにうつむいた。


 気を失って次に目を覚ました時にはすでにこの工場のベッドの上で、少女はどのような経緯でここに売られてきたのか――その間にあった出来事を何ひとつ知らないでいた。


 だからこそあの時――農民たちの蜂起で死の淵に立たされた時、リーダーらしき男の隣にいた人物――細い体つきで顔を異様な獣面で覆った性別もわからない謎の人物のことだけは今でも鮮明に覚えており、それだけが疑問の答えに繋がる数少ない手掛かりだったのだ。


「それで、その奴隷商人はわたくしをいくらで売ったんですの?」


 ひとつため息を吐き出してから、少女はたずねた。


「そ、それは……」


 ミレーヌは途端に口ごもり、少し間を置いてから、


「……一千金」


 小声でそうもらした。


「まあ、わたくしほどの者でしたらそれくらい値が張るのは当然ですわね。オーホッホッホッ!!」


 その額に満足して高笑うララだったが、すぐに何かに気づいてピタリと真顔に戻ると、


「失礼ですが、よくこの工場にそのような大金がおありでしたわね? 女将おかみさん、アナタ本当に一千金も支払ったんですの?」


 ジト目を向けて追求する。


「え、えっとぉ……」


 途端に目が泳ぎ出すミレーヌ。

 ララが疑うのも当然で、奴隷の値打ちは高くともせいぜい五十金ほどが通常の相場であり、一千金ともなればそれはもはや高級娼婦の身請け金に値する大金なのだ。


「実はその……もらったんだ、一千金。アタシが」

「……は?」


 少女の口から呆けた声がもれる。


「最初はもらい受ける気は無かったんだよ。ウチにはもう奴隷のコを雇うほどの余裕はないし。だけどその奴隷商人がさ、『このララという奴隷娘を預かってくれるのなら一千金出そう』な〜んてヘンなこと言い出すもんだからさ。こりゃあ渡りに船……じゃなかった、危ない犯罪に巻き込まれるんじゃないかって危険を感じたんだけど、かわいい寝顔を浮かべて眠りこけているアンタを見たらなんだかほっとけなくなってさ」


 まるで悪事を誤魔化そうと弁明する犯罪者のように流暢に言葉を並べ立てるミレーヌ。


「ということは、わたくしの価値は一千金どころかマイナス一千金! ただ押しつけられただけの厄介者扱いということではありませんのッ!?」

「まあまあ落ち着こうよ、ララ」


 立ち上がって憤慨するララをなだめる。


「そもそも、わたくしはララという名前では――」


 と、その時だった。


女将おかみさーん! 女将おかみさんが注文してたヤツ、持ってきたよ!」


 工場の方からミレーヌを呼ぶ声が掛かる。


「はいよー! ちょっとゴメンね」


 まるで逃げ出すように、彼女はそそくさと部屋を後にする。


「まったく、何なんですの……」


 ため息と共に腰を下ろし、食事を再開しようとするララ。

 がしかし、ふと何かに気づいたように顔を上げるとガタッと勢いよく立ち上がり、工場の方へと駆けてゆく。


「やっぱり、ですわ!!」


 工場に乗りこんだ少女がそこで見たものは、真新しい織物機を運んでいる業者の男と、その織物機をウットリとした眼差しで見つめるミレーヌの姿であった。


「ら、ララッ!?」

「真新しい織り機。しかも、最新の足踏み式ですわね? で、このお金は一体どこから出たものなのかしらねぇ?」


 驚き戸惑うミレーヌに容赦ない追及が入る。


「今のヤツはもう古いからさぁ、いつか買い換えようと思ってたんだよぅ!」


 まるでせがむような潤んだ瞳を向け、


「今は大ブリタニアとの戦争で羊毛が入荷しなくなっちゃったし、装飾用の金属も値上がりするしで何かと入り用なんだ。見逃しておくれよぅ」


 ミレーヌは両手を合わせて拝み倒す。

 その情け無い姿を見てララは小さくため息を吐き、


「わたくしの食事、もう少し豪勢にしていただけますかしらね?」


 権利を主張するのだった。

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