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第十三話『ゴーストヘルパー・その3』

 大ア・マナ会を結成した当初の面々が何を思い、どのような考えの下に三世界の統一を目指したのかは分からない。スーフィズムが神との合一を目指したように、聖者でも作りたかったのかもしれない。しかし行動理由は次代に引き継がれず、ただ目的だけが遺った。その先に待ち受ける結末など、是羅自身も知りもしない。


 校舎から悲鳴が上がる。ある生徒は例の化け物に八つ裂きにされたり、かろうじて難を逃れてもどこからともなく湧き出る悪霊に憑りつかれたり、人間でない何かに変わったりする。霊達も例外ではない。いつか見た守護霊は輝きを空に吸われ、その顔を憎しみに歪ませ悪霊と化す。自分の教室に帰れずにいた青崎は空を滑空する新たな化け物に捕縛され、魂も残らず食い千切られた。


 生者と霊が溶け合い、霊と化け物が溶け合い、化け物と生者が溶け合う。血と肉と悲鳴に覆われた阿鼻叫喚の地獄絵図に、是羅の快哉が木霊する。


 茫然と状況を眺めていた私は、晴の絶叫で正気を取り戻す。


「後輩君!しっかり!!」


 見ると嵐の顔が変形し、しかし悪霊に憑りつかれた時とは桁外れに歪み続けるその顔に戦慄する。怨霊なんて生易しいものではない、悪神に入られたのだ。以前枝峰に訊いた話からそう判断しただけだが、こうなったら普通は助からない。即死してもおかしくないのだ。


 晴は騒ぎに乗じて自力で縄を解いたのだろう。嵐に駆け寄り、彼の拘束も外そうとする。しかしそれは間違いだった――嵐は解放された手で晴の首を掴み、彼女をそのまま宙づりにする。


「うぐ、あっ、あ、げっ」


 やめろ、とあらん限りの声で叫ぶ。すると嵐はぶんと私目掛けて晴を放り投げ、私は全身で彼女を受け止めた。その拍子に腹部の枝が折れたが、もう痛みは感じなかった。


「天照、あ、ああ、どうしよう――どうしたら」


 泣きじゃくり、慌てふためく晴。霊的現象には慣れているだろうが、ここまでの異常事態には今まで出会ったことはないはず。かくいう私も混乱している。しかし怯え戸惑う彼女を見て私は――腹を括った。


 そうだ、何をぼけっとしているんだ天照。生きていようが死んでいようが関係ない、ゴーストヘルパーとしてやることは一つだって変わっちゃいない。大塚の無念を、オミクロン・カルトでの対立を、嵐の兄としての矜持を、無意味なものにしてはいけない。


 この手の届く場所にあるものを、晴達を守るんだ。


「拘束を解いてくれ。この状況を止める」

「ど、どうやって」

「分からん!だがやれることをやる!まずは是羅をぶん殴って問い詰める!」


 余裕綽々といった様子でこちらの慌てぶりを観察していた是羅。その背後には葉菜の吸い込まれた黒い渦――あれは何だ、何故葉菜が吸い込まれたのに奴は取り乱していないんだ。何故その穴の前から動かない。


「あれが『門』か」


 私は迷わず走り出した。あの渦を閉じるなり葉菜を引っ張り上げるなりすればこの騒動も止まるのではないか、そんな期待と共に呪符を渦目掛けて放る。案の定、是羅が割って入り呪符を握り潰す。霊的現象の消滅、仏舎利を私利私欲のために使うとはなんとも馬鹿げている。それとも、大ア・マナ会の出自を鑑みれば、仏舎利とは本来そういう使い方をするのかもしれない。世界を融合させる門の守り手、そのためのシャリーラ。


 やはり是羅を先に仕留めるべきか。しかしどうする、どう攻めたらいい――と思案している最中、


「あ?」


 是羅の胸部にぽっかりと穴が穿たれた。その奥には変わらず黒い渦があって、吹き出した血のカーテンが覆う向こう側に、吸い込まれたはずの葉菜の姿があった。


「葉菜、その力は、まさか裏切――」


 言い終わらない内に、渦から飛び出た細い線が彼の身体を細かく寸断した。糸鋸で切り出したみたいにさくさくと、彼は四角い肉片の塊となって校庭にばら撒かれた。


 是羅が死んだ。突然の出来事にあっけに取られる私達をよそに、葉菜はにこやかに微笑む。


 その身体は既に人間ではなかった。下半身は深藍の流動体で構成され、手も五本に増えている。クラゲの傘を思わせるひらひらがドレスよろしく広がっては絶えず揺れ動く。顔だけはいつもの彼女らしく、目は絵の具で塗り潰したみたいに真っ黒だ。


「あー、スッキリした。これで正真正銘、大ア・マナ会から解放されましたとさ」


 私は恐る恐る歩み寄る。本当に葉菜か、と訊ねると、彼女は自身の身体を興味なさげに見つめながら言う。


「どうだろ。意識や性格は私のままだと思うけど、なんか見た目変わっちゃったし」


 それから葉菜は淡々と現状を見分する。


「状況は分かってる。霊現象究明会『オミクロン・カルト』部長として、あるいは大ア・マナ会教祖の子として、天照、あなたに頼みがあるの」


 彼女は極めて冷静だ。心霊現象を研究している時、いわばスイッチの入った時の彼女は誰よりも集中していた。今まさに彼女はその状態にある。


 葉菜曰く、今この学校を中心に生者の世界と死者の世界、それと普段我々の目には見えない第三の世界が混じり合っているのだという。その第三の世界からやってきたのが例の化け物共であり、彼らもある意味では被害者と言える。


 このままでは生も死も溶け合い、人間と化け物の境界も消え去り、誰も見たことのない新しい世界が始まる。それは無秩序と混沌そのものであり、世界崩壊と何ら変わりないことを意味する。この現象を止めるには、彼女が出てきた黒い渦を閉める他にない。そしてこの『門』は三つの要素によって成り立っている。


 死にたての霊の魂が三つ。


 霊の見える魂が三つ。


 人も霊も超えた存在が三つ。


 このいずれか一つの要素が完全に消滅すればいい。だが死んだ人間を蘇らせる事は出来ない。生きた人間を殺すのは論外だ。だから――。


「天照」


 既に人の形すら外れ、化け物の仲間入りを果たした葉菜。


 散々やらかした挙句、細切れの肉片となって死んだ是羅。


 そして、腹に穴が空いても血が無くなっても死なない私。


 葉菜は数ある手の一本をこちらに差し出し、


「私と一緒に死んでちょうだい」


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 轟々と世界が回る。洗濯機の中にいるみたいに、何もかもがぐちゃぐちゃに混ぜられていく。融け合っていく。災厄の坩堝の中心はここだ。


 私は嵐を見る。悪神に憑かれた彼はこれからどうなるのだろう。今は少し離れた場所で襲い来る化け物や霊と死闘を演じているが、このままではいつ化け物と融合するか分からない。そうなったらもう助からないだろうと葉菜は言う。悪神といっても所詮はいつの時代かに存在した人間、元は人だ。生者と死者の混じり合いはまだ大丈夫。門を閉じてもこの世界にいられるはずだと。ただし化け物だけはこの世界の存在ではないから、門を閉じると共に消滅する。既に融合してしまった者も含めて。一分一秒を争う事態だ。


 私は枝峰を見る。あの傷も治るだろうか、と試しに訊いてみるが、葉菜もこればかりは分からないと首を振った。彼女だって巻き込まれた側だ、何もかも質問するのは間違っている。でもどうか、どうか生きていてほしいと願う。彼は心中を仕出かした両親より、余程親だった。私にゴーストヘルパーとしての技術を、生き甲斐を与えてくれた。少しでも長生きしてほしいと思うのは、子が親に抱く気持ちと何ら遜色ないだろう。


 私は晴を見ようとして、しかし彼女に抱きしめられ、胸元に埋めたその顔を直視することが出来なかった。ぎゅうと力強く抱かれるが痛みは無い。窮地にあって冷めきってしまった体に、彼女の温もりが伝わる。


「駄目よ。ちゃんと、ちゃんと別の方法を探しましょう、何かあるはず。天照が犠牲になるなんて間違ってる」

「――晴。私は、いいんだ」

「自己犠牲も大概にしなさいよこの馬鹿!!」


 ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、晴はそれでも顔を上げ、目を見開いた。更に強く抱き寄せたまま、罵倒の言葉を繰り返す。


「馬鹿!バカバカ!アホ!死んで解決なんて格好つけさせてたまるか!!既に死んでる!?溺れてる!?知らないわよ勝手に言ってなさい!!絶対どこにも行かせない!後輩君はどうするの!ワンマンプレーも大概にしなさいよ、この――う、っ、うわああああああああああ」


 私はそっと、彼女の頬を撫でる。


 晴の泣き顔を見ていると、何より胸を締め付けられる。この世のありとあらゆる哀しみを一度に味わったみたいに、こっちまで泣きたくなる。彼女が涙する原因が他ならぬ自分である事実に、狂う程の衝撃を覚える。


 壬生坂 晴。この世界の誰より笑顔が似合う人。人をからかうのが好きで、面倒見も良い。私が海の中にいるのなら、晴は名前の通り太陽だ。水面を明るく照らし温める、私に残った最後の希望。


「頼みがある」


 葉菜は私に、共に死んでくれと言った。


 私も晴に、どうしても頼みたいことがあった。


「まず、嵐をよろしく頼む。私が死んだらいよいよあいつは独りぼっちになる。精神的な支えが必要だ。それにたぶん、あの悪神は取り除けない。一生解けない呪いとして残るはずだ。それも含めて、嵐を見守ってほしい。あいつも晴のことは好きみたいだしな」

「――――」

「それと、枝峰。あの人は一人でも大丈夫だとは思うんだが、時々顔を出してやってほしい。後は甘いものを食べ過ぎてないかチェックしてくれ、この間診断に引っ掛かったらしいんだよ。それでも砂糖菓子ばっかり食べてるだろ?困ったもんだ」

「――――」

「最後に、晴」

「――――」

「晴!ちゃんと顔を上げて、そう。いいか、お前にはずば抜けた『霊視』能力がある。度胸がある、勇気もある。だから、私の代わりに霊達の助けになってほしいんだ」

「――出来ない」

「いや、出来る。お前にこそ、ゴーストヘルパーの名は相応しい」


 葉菜の手が肩に触れる。時間だ、これ以上被害が拡大する前に何とかしなくては。


 私は晴を振りほどき、葉菜の後を追って黒い渦へと駆け出した。


「行かないで!!天照!!」


 背後から何度も、何度も張り裂けそうな声で私を呼び止める晴。


 共に死を覚悟し、黒い渦へと飛び込む葉菜。


「――ありがとう」


 私の意識は、そこで途切れた。



⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯『ゴーストヘルパー』了

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