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第十話『天照という男・その3』

 嵐にとって、私はトラウマそのものだ。


 両親の心中により、幼き頃の彼は精神的に追い詰められていた。父母、そして兄の死は彼に鮮烈な記憶を刻みつけたのだ。彼は今も、車内で溺れかけた時の光景がフラッシュバックするのだという。それも私の姿を見ると必ず、あの日のことを思い出すらしい。


 私が海底から救い出され、嵐と面会した日。彼は私を見た途端、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら飛び込んできた。私は彼を抱き締めようとしたが、嵐はすぐさま私から離れ、言った。


「まだ溺れてる」


 嵐自身、その時自分が呟いた言葉の意味はよく分かっていなかった。ただそれ以来、彼の態度がよそよそしくなったことは間違いない。海水に晒され、体温を奪われながら私は死に肉薄した。救い上げられこそしたが、ひょっとすると私の魂はまだ海の中にあるのかもしれない。まだ溺れているのかもしれない、これからも溺れ続けるのかもしれない。


 無理心中の記憶。兄が得体の知れない存在になった記憶。二つの忌まわしき記憶を呼び覚ます天照という兄。嵐のことを思えば、私はいっそ溺れ死んでいた方が良かったのかも分からない。今すぐ死んでしまいたい、なんてネガティブなことは言わないが、たまにそんな風に考えてしまうのだ。


 でも、兄なんてそんなものなのかもしれない。弟のために、どれだけ嫌われようとも尽力する。そのために兄は生まれてくる。


 私のそんな独白に、在原 尊は弱弱しくも頷いてくれた。


「分かるよ、僕も弟がいるから。性格は真逆で、いつも尻に引かれてばかりだけれど、でも、僕が護らなきゃ、って思えるんだ」


 オミクロン・カルトの部室には珍しく、私と尊の二人しか来ていない。心底研究に打ち込んでいるのは葉菜だけなので、彼女が来ない内はよくこうした雑談に花を咲かせる。


 残念ながら、今日は楽しくお喋りというわけにもいかないだろうが。


 縦に間延びした顔立ちは狐のような色気を醸すがしかし、目の下にできたくまがその妖艶な雰囲気を消し去ってしまっている。尊は片目を手で擦りながら、もう片方の目で私を見つめる。特に意味もなく見つめ返すと、彼は突然頭を下げた。


「ご、ごめんね。くまなんて見苦しいよね。でもなかなか取れなくて、ちゃんと寝てるんだけど、あの、その」

「本当に眠れているのか?何か思い悩んでいるように見えるが」


 尊は大げさに首を振り、


「何でもないよ、本当。疲れてるのかな、今日は早退させてもらうよ」


 私が引き留めるのも構わず尊は慌てて席を立つと、部室に転がる過去の文化祭の展示物に足を取られながら、半ば転がるように部室を後にした。騒々しさの後、しいんと静まり返った部室にママ・カルボナーラが現れる。ただでさえ散らかっている部室が更に悲惨な状況となっており、ママ・カルボナーラは仮面を通して私の方を見やる。


「何かあったんです?」


 二人で展示物を片付けると、部室はいつも通りの光景を取り戻した。怪しげな書籍、不気味な人形、お札の山とノートパソコン。展示物のおかげで実質部屋の半分のスペースしか使用できないため、部員の座るパイプ椅子を並べるだけで部屋が狭苦しい。


 ママ・カルボナーラも尊と同じく、そこまで真剣に霊的現象を研究しようとしているわけではない。曰く、お金のかからない部活ならどこでも良かったとのこと。研究資料は私が調達してくるし、道具は日用品で代用している。藁人形に使用した藁などは、実家が酪農家の友人に譲ってもらったものである。


 インターネット環境の整っていないこの部屋でワープロ専用となったパソコンを開き、マインスイーパで遊び始めるママ・カルボナーラ。彼にも一応話を聞いておこうと思い、


「最近、この近辺で呪具を売りさばいている人間がいるらしい」

「金にならないでしょうに」


 マウスを動かす手が止まる。彼は考え込むように唸り、熟考の後、ボタンを押した。爆発音と共に『ゲームオーバー』の文字がでかでかと表示され、ママ・カルボナーラは仮面の中でため息をついた。


「天照先輩からその手の技術を教わる度に思うんです。こんなにも微力で、こんなにも面倒な手順を踏んで行使されるものは廃れて当然だな、と。霊媒師や陰陽師と呼ばれる職業がのさばっていた時代はもう終わり、幽霊だってCGの二文字で存在が否定されてしまう」

「霊の存在を信じている?」

「いると面白いな、程度に期待はしています。嫌でも信じないと、そもそもこんな部活続けていられませんし」


 確かに、と私は笑う。


「そういえば天照先輩、ゴーストヘルパーってご存知です?」


 不意にゴーストヘルパーの名を口にするママ・カルボナーラ。その肩書はイコールで私を指すものだと承知した上での質問なのか、それとも単なる好奇心か計りかねている私に仮面を向け、彼は続ける。


「心霊現象に精通したエキスパートだそうで、霊的事件の解決に尽力するヒーローなんですって。呪具商売人と同じくこの周辺で活躍しているとか――単なる噂ですがね」


 不気味な面から彼の表情を探ることはできない。それがどうした、と尋ねる私に、どこか馬鹿にしたような口調で返す。


「ゴーストヘルパーと呪具商売人、面白いじゃないですか。近い内、異質の存在である彼らが衝突するかも分かりません」

「何故衝突すると思うんだ?呪具の販売をゴーストヘルパーが咎めるとでも?」

「ゴーストヘルパーの立場になって考えてみて下さい。ゴーストヘルパーは霊を相手取り、非日常から日常を守っている。その原因となる霊的現象は、呪具によってもたらされるものも少なくありません。その名の通り人を呪い、視えない力で危害を加える呪具の普及をゴーストヘルパーが望むとは思えません」


 ママ・カルボナーラの物言いは、まるでゴーストヘルパーを見てきたかのように断定的だ。ゴーストヘルパーが、つまり私が呪具の流布に否定的で、それを食い止めようとしていることを分かり切っているようにも思えた。決して隠してきたわけではないが、彼の前で堂々とその二つ名を名乗った覚えはない。


 くすくす、と小さな声で笑うママ・カルボナーラ。ほんの一瞬、仮面のスリットから彼の瞳が覗く。煌々とした眼は玩具を前にした子供さながらに無邪気で、奇怪な明るさを点している。


「深淵がこちらを覗く時、でしたっけ。呪具商売人のようなこそこそと暗躍する輩は目立つことを嫌います。下手にその正体を探ろうとすれば必ず報復に出る」


 気をつけてくださいね、天照先輩。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 たこ焼きパンとは名ばかりのソースとマヨネーズぶっかけパンを口に運び、二、三度噛んですぐ飲み込む。この手の雑多な味付けはどうにも好きになれないが、晴が美味しいというので買ってみた次第だ。


 ミヤハラマートの駐車場は店の前と裏手の二か所存在し、私は裏手に回って換気扇のすぐ隣に座り込んでいた。目の前に留まっているトラックが手頃な壁となり、利用客から私の姿を隠している。地べたに座ってパンを齧っていても誰も気づかない。


 そろそろかな、と独り言つ。食べかけのパンは包装の口を丸めてバッグに放り込み、トラックの影から駐車場の様子を見渡す。買い物客の車がまばらに停まる中、白いバンの前で話し込む人間が二人。共に見覚えのある顔だ。一人はほんの一時間前に学校で出会った学生、もう一人は大ア・マナ会の教会で私を襲おうとした小太りの男。


 制服の上にロングコートを羽織り、ご丁寧にマスクとサングラスを身につけているその学生は、手に持っていたトランクを男に渡す。男はその中身をちらりと確認し、すぐに閉めた。そのままバンに乗り込むと、運転席の窓を開けてそこから封筒を差し出す。厚みのある封筒を恐る恐る受け取る青年を一瞥し、男は車を走らせた。


 残された青年は封筒をポケットに仕舞い、その場を離れようと歩き出す。


「やはりお前が呪具商売人だったのか、尊」


 呪具商売人の取引はこの場所で行われている。晴の聞き込み調査は間違っていなかったらしい。私の言葉に、尊はその場で飛び上がった。逃げ出そうとする彼の背中を殴りつけ、体勢を崩したところで襟首を掴み、換気扇の傍まで引きずる。抵抗されるより先に店の壁目掛けて体を叩きつけ、胸倉を押さえる。


「何を受け取った」


 何が、と恍ける尊に、私は頭突きをお見舞いする。額がじんじんと痛むが、今はそれどころではない。涙目になりながらも「僕は何もやってない」としらを切る彼に対し、私は怒りを通り越して呆れかえった。


「ポケットの中にある封筒、その中身を見せろと言っているんだ」


 私は尊のコートから茶封筒を取り出した。返せ、と喚く彼を無視し、その中を検める。


 封筒いっぱいに詰め込まれていたのは万札だった。数十万はあるだろうか。高校生の小遣いにしては贅沢が過ぎる。もっともこれは尊が男に渡したトランクの、その中に収められていた物の販売価格なのだろうが。


「あいつに、大ア・マナ会に何を売った」


 私の質問など意に介していないとばかりに、尊は封筒を取り返そうと手を伸ばす。更に二度、三度頭突きを食らわせると、観念したのか、ぽつりぽつりと語り出す。


「君から作り方を教えてもらった、精神統一に効果のある呪符だ。それをトランクいっぱい、だいたい三千枚くらい」

「三千――何に使うつもりだ」

「僕も、知らない。本当だ、信じてよ。『あの人』から受注を受けて、それから家でこつこつ作って、今日が受け渡しの日だった。はは、びっくりしたよ、こんなに貰えるなんて」


 尊の目に映っているのは封筒、その中にある金だけだった。私より金、自らの窮地よりも金の心配をしている。こんなにがめつい奴だっただろうか。そんな私の胸中などお構いなしに尊は私から封筒を奪うと、にたにたと薄ら笑いを浮かべながらコートの内ポケットにそれを戻した。


「お、お金だ。これで孝に良いものを買ってあげられる。僕が弟を守らなくちゃ駄目なんだ、僕が孝の親だ。僕が、僕が守る。これは僕達の金だ、お前なんかにやるもんか」


 尊の今の形相は悪霊と見紛うほどに歪んでいた。弟を守る。そう繰り返しながら私の拘束を振り解き、ぐっと身を屈める。元々身長の高い彼が背を低く構えたところでその威圧感は変わらず、繰り出されたタックルは容易に私の体を吹き飛ばした。ふわりと浮いた体は勢いに乗って駐車場を転げ回る。視界はぐるぐると回転し、仰向けになったところでようやく止まった。逆さまに映る世界に尊の姿はない、逃げられたのだ。


 たまらず舌打ちする。尊を取り逃がしたのもそうだが、おそらく彼はただの使い走りだ。呪符の製造、販売は尊が行っていたとして、彼は先程『受注』という言葉を使っていた。依頼を受けるにしても、大ア・マナ会がそれを頼むにしても、尊が呪具製造の技術を有することを知っていなければ話が進まない。大ア・マナ会が部活動とも呼べない同好会紛いのオミクロン・カルトを知っていたとは思えないし、尊は自らのオカルティックな技術を売り込むほどセールス上手にも見えない。両者の点は遠いのだ。


 つまり、尊と大ア・マナ会を引き合わせた誰かがいる。二点を結ぶ線となった何者かが、裏で糸を引いている。尊の言う『あの人』とはトランクを受け取った男ではない、真の黒幕を指していたのではないだろうか。


 私は駐車場を離れ、三十猛寺へと向かう。枝峰の手を煩わせるのも申し訳ないが、大ア・マナ会が絡んでいるとなれば悠長に構えていられない。大塚の二の舞は御免だ。



⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯『天照という男』了

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