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第六話『母と子・その2』

「悪いな、わざわざ見舞いに来てもらってよ」


 放課後、ぼくは半蔵のいる近江矢おうみや病院へと向かった。彼はリクライニングベッドに体を預け、物干しそっくりの装置にぶら下がった氷水の袋を頭に載せている。血の付着した制服からジャージに着替えており、病院にジャージ姿という組み合わせはどこかちぐはぐだ。


「しかし、病院ってのはどうも俺の肌に合わないな。母ちゃんが迎えに来るまでの辛抱だとはいえ、何ていうか、すげえ不穏な空気がする」

「半ちゃんには霊感があるのかもね。お母さんが迎えに来るってことは、今日は寮に戻らないのか?」

「ああ。せっかくだから実家でのんびりと療養させてもらう。明日明後日は学校も休みだ、週末はゆったりまったり過ごすとするよ」


 半蔵の実家は学生寮からそこそこ遠い田舎町にある。電車で二、三時間揺られてようやく着ける場所だ。だからこそ彼は山仲学園に通うにあたり、交通費を抑えるべく寮暮らしを選んだ。毎日朝と晩の二食がついて、水、電気は使い放題。ベッドに冷暖房完備で家賃は月二万ときた。風呂や洗面所、トイレ、洗濯機が共用という点に目を瞑れば十分に素敵な物件だ。


 学校との距離は徒歩十分程度、ぼくはいつもその途中で先輩と待ち合わせ、共に登校している。


「で、今日はその先輩と一緒じゃないのか?」


 にやにやと薄ら笑いを浮かべる半蔵。どうやら彼はもう一度血を流したいらしい。


「怖い顔するなって。別にからかうつもりで言ったわけじゃない。今回の事故についてゴーストヘルパーに相談しようと思っていたんだが、いないなら仕方ないな」

「相談?まさか半ちゃんも霊を見たなんて言わないよな」


 半蔵の顔が強張る。まさか、と繰り返すぼくに対し、


「『半ちゃんも』っことは、お前、見たんだな?」


 ――いつもそうだ、幽霊は一番効果的な方法でぼくの恐怖心を刺激する。


 半蔵は周囲を見渡し、誰も自分達を見張っていないことを確認する。怯えているのか、普段の彼に珍しく声量を抑え、呟く。


「お前にシャー芯を飛ばしていた時だ。お前の後ろの席に、ぼんやりとした人影が見えた。最初は目の錯覚か何かだと思ったが、その後すぐ窓ガラスが落ちてきた」


 同じだ。半蔵に霊感があったという事実はさておき、全く同じシチュエーションでぼく達は怪我をしている。彼はぼくの後方に霊を見た後、ぼくは天井に張りつく霊を見た直後、それぞれ被害に遭っている。


「天井にいたって、どんな風に?」


 半蔵に掌の火傷の痕を見せ、経緯を説明すると、彼はぼくが見た霊について聞いてきた。霊がはっきりと視認できないぼくには、その霊がどうやって天井に付いていたかなんて知る由もない。


「蜘蛛みたいにさ、四つん這いになって蠢いていたら嫌だよな」

「うげ、想像しちゃった」


 がさがさと天井を這い回る人間の霊、見るだけで失禁しそうな光景だ。こういう時ばかりは、ぼくの霊視能力の不完全さに救われる。見たくないものにはモザイクをかけるのが一番だからだ。


「一つ疑問なんだが、俺が見た霊と嵐が見た霊は同一人物なのか?片やお前の後ろの席をうろちょろと徘徊し、片や蜘蛛よろしく天井にくっついていた」

「その、ぼくの後ろの席に座ってるのって」

 在原さはらだな、と半蔵は言う。在原 まなぶだ、と。


⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 在原は幸運だった。


 バスケットゴールが落ちてきた時、ディフェンスに徹していたはずの彼は急な腹痛でトイレに籠っていた。自陣のゴールが落下し、彼と同じく守りを固めていたメンバーは皆、事故に巻き込まれて怪我をした。


 半蔵の頭に激突して砕けたガラス片が周囲に飛び散った時、在原の足元には欠片の一つも落ちていなかった。蛍光灯についても同じだ。


 在原は以前からラッキーマンであった。じゃんけんでトイレの掃除当番を決めた時、彼は真っ先に勝ちを拾った。売店で一番人気のジャージーカスタードパンを毎日のように獲得し、授業中の居眠りを教師に気づかれることは絶対になかった。


 本人も自らの強運を悟っているのか、常時尊大な態度を取っていた。何をしても成功し、不運を寄せつけない彼だからこそ、そういう性格になってしまったのかも分からない。だが、こういってよければ人に好かれる人間でないのは確かだ。


「おれがこんなにも恵まれている理由を知りたい?」


 何をどう聞き間違えればそういう解釈になるのかは分からないが、在原はふふんと鼻を鳴らし、自慢げに言った。


「幸運の星の許に生まれたからだ。おれはそうなるべくして幸福を得る、これはもう既に決まった節理、いわば運命だ」


 土曜日、彼はクラブ活動があると言って学校に顔を出していた。午前でクラブは終わったらしく、暇を持て余していた彼を捕まえて事情を聴くことにしたのだ。


 異様に長いもみあげを指で弄りつつ、在原は話を続ける。


「この強運を自覚したのは、親父が死んですぐだな。思えばそれが最初の幸運だ」

「お父さんが亡くなったことが、幸運だって?」


 ぼくの戸惑いに対し、在原はふんと鼻を鳴らす。


「凡人には分からんだろうな。生まれついて幸福を勝ち取ることを約束された者には、それなりの試練がつきまとう。おれにとって親父がそれだ」


 他人に見せるのは初めてだ、そう言って彼は大きく口を開けた。何をしているのだろうと彼の口内を眺めていると、ある違和感に気づく。


 歯が白いのだ。それは綺麗に磨かれているという話ではない。異様なまでの白さと、歯茎の色がある地点から微妙に変わり、層の如く分離している。


「全部入れ歯だ」


 在原は口を閉じ、乾いた口内にペットボトルの炭酸飲料で潤いを与える。


「親父に折られたんだよ。上も下も、乳歯も、永久歯も。児童虐待って言うのか?それはもう徹底的にやられたな。おふくろに病気で死なれて、寂しかったんだろうとは思う。だが親父が心臓麻痺で死んだ時、おれは素直に喜んだ。やっと自由になれたんだからな」


 在原は胸を張って己の身に起きた出来事を語る。


 ぼくの耳は話を聞きつつ、目は彼の後方を見ていた。


 ――いる。ぼくが見た霊と同じモザイクが、在原の後ろにふよふよと浮かんでいる。


「おふくろが、おふくろの霊が護ってくれたのかも」


 在原の言葉に、ぼくは震える。彼にも霊が見えているのだろうか。


「守護霊って知ってるか?東西を問わず、先祖の霊が災厄から身を護ってくれるという考え方は昔から存在していた。憑依とは違い、呪術を代表とする霊的な禍を退け、幸運を運んでくれる良い霊、それが守護霊だ。ひょっとするとおれにもおふくろの守護霊がついていて、ここ最近起きた事故からおれを護ってくれたのかもしれんな」

「随分、霊について詳しいんだな」


 在原の傍に控えるモザイク、これが彼の母親だという可能性。そう考えると、ぼくが感じた違和感に説明はつく。つまり目の前の霊は悪霊ではなく、守護霊なのだ。だから悪意を感じない。


 しかしそれでは、天井に張りついていた理由が説明できない。あの蛍光灯は、たまたま落ちたということか。天井にいたのは偶然、あるいは外れかけの蛍光灯を止めようとしていたとも考えられる。


 ぼくが悶々と回想に耽っている間も、在原は話し続ける。霊に詳しいのは、自分が所属しているクラブでそういう霊的な事象を取り扱っているからだ。


 心霊現象究明会。それが彼の所属する、部員一名の非公認クラブ。元々クラブだけが存在し、しかし部員が誰もいない状況に興味を惹かれ、所属したそうだ。


「非公認とはいえそんな部活動があったなんて、初めて聞いたよ」

「部室だってちゃんとあるんだぜ。その手の資料は山ほど転がっているし、つい最近使用した形跡も見受けられる。だが、部員は一人も見当たらない。噂によれば、全員怨霊に連れていかれたんじゃないかって」

「如何にもオカルトな部活らしい噂だ」

「もしくは別の名義で活動していたから、誰も『心霊現象究明会』の名前を知らないのかもしれない。部室の資料の中に、こんな名前があったんだ」


 在原は意外な言葉を口にする。まさかこのタイミングで、その名を聞くことになるなんて思いもしなかった。しかし『それ』が霊的なものに詳しいクラブであったとするならば、糸原先輩がお札を入手し、他者を神にする方法を習うことも不可能ではない。


 ゴーストヘルパーの他にもいたのだ。霊を扱うスペシャリストが、その集団によって形成された組織が、この山仲学園で活動していた。


 その名は――オミクロン・カルト。


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