「…どおぉやら、おれあ、不幸病だったようだ」
それが、親父の遺言だった。
夏のとある日に親父が死んだ。自業自得だと人は言う。
タバコのふかし過ぎで、その長い生涯を愚かにも終えたからだ。自分で自分の命を燃やしている、そんなふうな、いわゆる、変態なんだ! と皆は馬鹿にして、俺が親父の事を連絡しても、すべからく無視だった。親戚からはとうに、勘当されているらしい。それはどうしてか。
そう、親父はいわば、糞野郎だったのだ。
親戚の集まりで勝手に揚げ物を食べ尽くしたことがある。
親戚の子供にタバコを食わせようとしたことがある。
交通事故で人ひとり大怪我させたことがある。
ぶっきらぼうで分不相応な武勇伝ばかりいうけども、行う行動はまさに有言不実行の極。そりゃ、誰も親父を信用しねえ。俺だってこんな親父が好きではない。殴られた事があったし、言葉はきついし、でも、唯一の肉親だったから、そう軽蔑ばかりではいられなかった。
夏に故郷に帰ってきて、風鈴の音が優しくなる部屋で、氷を舐め乍ら、親父は今日も咳き込んでいた。俺はそんな姿をみて、大いに、滑稽におもえた。最初こそ、この親父のザマに何か清々とした不思議な思いが芽生えて、それをひた隠しにして過ごしていたけども、臥せって苦しんでいる親父をみて、いつのまにか、何とも言えない感覚が、胸にこびりついていることに気が付いた。
曲がりなりにも父親であるのだが、父親らしいことは一度もされていない。でも、何故か、俺は死にそうな父親をみて、やりきれない気持ちになった。この気持ちの正体を知りたくて、半ば好奇心と、探求心も、あったような気がするけども、今になって思えばそれは言い訳で、実際は、ただ親父がとても心配なだけだったように思える。誠にお笑い草である。
親族は最後まで、誰も来なかった。
そんな親族に同情する自分と、からっきしな正義感で親戚を責める自分のせめぎ合いに、何だか辟易した。ただ俺の記憶の中の親戚は、少なくとも善良な人間では全くなく、思えば幼少期ではよく馬鹿にされたりした。父のせいでもあったが。だから、そういう人たちの評価や温情を気にしても、仕方ないかと割り切る事にした。育ててもらった恩はあるが、それはそれだ。
ともかく、親父は死んだ。この夏の、とある日に。
諸々の手続きなどを終え、その故郷の家へと帰宅すると、無駄に広い癖に人の気配が全くない大豪邸がそこにはあって、俺はまるで幽霊屋敷を探検しているような気分になった。もともと、俺はこの家に住んでいたことはなく、幼いころはこの家にいたそうだが、物心ついたときには、親戚に預けられていた。だから、この家の事を、なにもしらない。
しかし、唯一の親族で死に際をみとったのは俺しかいないから、この家の整理をするのは、俺の仕事だった。
遺品整理始めると、何か気になる物がぞろぞろと出てきて、死んだ母親の写真や、俺の子供のころのお習字の「冬」と書かれた作品も見つかって、にわかに興奮した。整理していると、だんだん、俺は愛されていたんだと思えてきた。肩たたき券、似顔絵、おもちゃの時計、思い出深い物ばかりで、何だか懐かしいような侘しいような感覚に苛まれ、気が付くと、表現できないほどの孤立感に襲われて、うッと吐きそうになった。それを片手で堪えて代わりに畳に滴り落ちたのは、ぽつぽつとちっぽけなオノマトペをだす涙だった。
そこで、そういえば、と思う。
死に際に言っていた『不幸病』とは何だろうかと。
俺は気になって、ついに、親父の日記を発見した。答えが記されているかは知らないが、俺は、それをおもむろに捲ってみた。そこには、酷く汚い文字で、つらつらと何かが殴り書きされていた。
死ぬ。
死ぬ!
嫌だ。嫌だ嫌だ。
夢が、夢があった。俺には夢があったんだ。ホタルの光をまだみてねえ、車のレースにもでたことがねえ。テレビの中継に写り込んだこともいちどもねえ。芸人になりてえ、インフルエンサーになりてえ、お菓子を作って金儲けしてえ、まだまだやりたいことはたんまりと、しこたまあるんだい。でも俺は、もう長くはないと言われて、辞めきれない煙をまた吸った。タバコを止めろと言われた事があったが、そりゃむりなことだった。タバコは俺の元気の源! 車にガソリンを与えないでどうする? いやいや、分かっているさ、健康に悪いって、でもよお、じゃあどうすりゃよかったんだ!
妻に先立たれ、おれあ、いつのまにかみんなの嫌われ者だあい! 知ってるさ、馬鹿で下手で言葉だけ大きい俺の醜さなんて。でも、おれあ昔からそういうタチの人なんだ。変えられないんだ。それは、小さなころから、思考の癖つうか、そういう定めなんだい。ああ、もう、俺は、なりきれない。
子供が好きで、楽しませようとタバコをあげた。本気で吸わせるつもりはなかったが、子供のほうから気になるつうんでほいとあげてみせたんだ。もちろん、ライターはあげてねえぜ? でもな、すると子供の親の姉さんが吹っ飛んできて、俺をぶん殴って、この人でなし! とうるさく叫びやがって、おれあ、またわりい事をやっちまったんだなって思った。
ただ、喜んでほしかっただけなんだい。
いいや、認めるさ。おれあ、きっと、良い人になりきれないんだ。普通なんてものにはなれないんだ。だって、そういう定めなんだから。
誰かを笑顔にするような仕事をしたかった。誰かを笑わせるような、立派な仕事がしたかった。でも、おれあ、それができねえ。だって、俺は、ただの、馬鹿やろうだった、からだ。
おれあ、おれに、失望した。
おれは最低だった。それに気が付いた時には、もう遅かった。がむしゃらに生きて、真面目に働いて、誰も、お前はクソだといってはくれなかった。いいや、言ってくれなかったんじゃねえ。言わなかったに違いねえ。だってそりゃ、もう、面倒くさいに、きまってる。
たぶんおれは、お天道様に、不細工に作られたんだ。人の中で優劣をつけるために、わざと大事な何かを引っこ抜かれた。ああ、なんて、人のせいにしちゃいけねえよな。もっと、俺も、まともにならなきゃいけねえ。息子も、いるしな。
息子は、すっごい良い子だった。でも、俺の悪い部分がちょっと移ってる。思考の癖が、ちょちっと。でも天使みたいだった。可愛くて健気で、真面目で、でも、俺みたいになってほしくなかったから、おれあ、息子とあんまり一緒にいたらいけねえと思った。だから、親戚に預けて、俺は、親戚から勘当された。
そこから、おれあ、ゴミのようになった。
今まで以上にタバコを吸って、残されたこの大豪邸で、向日葵畑の中で暮らした。夏は近所のガキが冷やかしでやってくるが、俺はそれにすら、まともにノってあげられなくて、ついには、向日葵畑から飛び出してきたガキを、たまたま車で轢いちまった。
大事にはならなかったけども、親から大いにクレームがとんできて、ついにテレビの取材がやってきて、ついにテレビに写れるのか? と阿保ながらワクワクしたけど、出てきたのは、轢かれた子供の状態と、俺の年齢だけだった。結局、子供が大事にならなかったから、さらっと流されて、しらねえスポーツ選手のニュースにすぐ切り替わった。
そんときに、おれあ、自分の中で、いけない感情が蠢いているのを察した。
おれあそれから、もう、救えない糞野郎として生きていくしかなくなった。だって、もう、何にも残っちゃいないからだ。だからおれあ、その時に、終活をはじめた。
したためられた文章からは、計り知れない激情を汲み取ってしまい、俺はとたんに涙を我慢できなくなった。息子を愛していたという公然たる事実がはっきりとし、それに胸を熱く焦がしたと共に、親父の不器用さに何だか同情の念が芽生えてしまったのだ。
親父は別に芯まで腐っている訳ではなかった。容姿が悪く、口も悪く、素行が悪い。だから親父はみんなから嫌われたけど、それは親父の本意ではなかった。そう思うと、一そう、胸が締め付けられて、俺は、うずくまる。
俺は親父を何も理解していなかった。そう思うと、もう、ダメだった。
「……ごめん」
誰に謝ったのか分からないが、俺は思わずそれを零した。
ただし謎は深まった。不幸病についての答えがなかったのだ。だから俺は、読み終わった日記を閉じて、次に見つけた短い手記をゆっくり開いた。
衝動があった。
衝動が迸った。
その時、中に、芽生えちゃいけないソレが、グルリと瞳孔を開けた。
思わず、目をかっぽじって顔面を殴って、そして、背けたくなる現実に吐き気がしたが、それでも、それの抗い方をしらなかった。ついには、俺は、もう、耐え切れなくなって、おもむろに、息子を家に呼び出した。
しにそうだ。しにそうだ。たすけてくれ。
なんて頑張って声を細めて言うと、息子は久しぶりに家に帰ってきた。息子は、どうやら、親戚からの教えからか、俺を見る視線がやや冷たかった。それに気が付く度に、ズキズキとした視線が、俺をみていると意識すると、何んとも情けなくて、仕様が無かった。
でも、きっと、もう、耐え切れなかった。
俺は息子にゴミのように見られて、心底嬉しかったのだ。
俺は息子をみて、喜んでいたのかもしれないが、それ以上に、何か、やや冷たい視線をみて、心底喜んでいる様だった。何故だか知りたかった。どうして自分がそこまで落ちぶれてしまったのか、知りたくて、俺は、わざと、息子を乱暴に呼びつけてみたり、言いがかりをつけてみたり、してみた。でも、嬉しくなかった。もしかしたら俺は、マゾになったんじゃないかなんて思っていたけど、それは否定された。
じゃあ俺は、どうしてあの冷ややかな視線で嬉しくなるなんだ。考えた。そして、時たま、俺は咳が出てしまうんだが、それを息子の前で披露すると、にわかに震えた。
歓喜。
吐き気がした。
俺の理性は、俺をどんどん嫌いになった。思えば、ずっとその兆候はあったのかもしれない。今や、タバコを吸う手が、とまらない。俺は、多分、不幸病だった。
そんな俺が情けなくて、阿保らしくて、でも、そう思うと嬉しくて、たまらなかった。俺はもう止められなかった。タバコを止められたのに吸うから、最後は近かって、視界が真っ暗になって、気が付くと病院にいた。もう、死が近いのだろう。
俺は、息子の手を掴んで、死ぬのだろう。
この手記が見つからないことを望むし、見つかってほしいとも思ってしまう。俺は、もう、人間じゃねえ。これは病気だ。人が、人の当たり前を当たり前と思えなくなる病気なんだ。
息子よ、ほんとうに、すまなかった。
こんな糞野郎で、すまなかった。
息子よ、こうは、ならんでくれ。
きもちわるい!
最後に食いしばったかのような崩れた文章が書かれていて、
手記は、そこで終わっていた。
俺はたぶん、もうずっと前から手遅れだったんだと、思う。
最後まで読み終えて、ふいに覚えたゾクゾクとした感覚で、にわかに絶望した。親父の最後の言葉は、死んだ後でも、その病を味わうためだったんだと思って、とたんにその救えなさに苦笑したけども、その感覚に流れで共感してしまった俺は、その時に、病の意味を迸るように理解してしまったのだ。
不幸病に罹ったのだ。