「
彼方に響く、おそらく、辻馬車のものであろう音をサロメは捕らえていた。
カタン、と、床に刃物が落ちる音。そして、慌てふためき、窓辺に駆け寄るヘロデアの姿が。
「伯爵が……?!」
「ほら、馬車が!」
(お願い!月よ!私を守って!)
サロメは、月に、望みをかけると、躊躇なく、窓から身を乗り出し馬車を捜そうとしているヘロデアの体を階下へ向かって押し出した。
悲鳴と共に、ヘロデアは闇夜に消えた。
「だ、誰か!」
ヘロデアの悲鳴に、館の女達は、既に、自室のドアを開け放っているはずだ。もたもたしている暇はない。
「誰か来て!早く!」
言うと同時に、サロメは、ヘロデアが落とした凶器をベッドの下へ蹴り入れて、部屋のドアを開くと、更に叫んだ。
ところが、既に、人は集まっていた。女達は、何事かと驚きに見せかけた好奇心を発しながらサロメの言葉を待っている。
「ああ!ヘロデアが!」
「まあ、サロメ、どうしたの?」
「サロメ、気分が悪かったんじゃなかったの?」
「サロメ、起き上がって大丈夫なの?」
女達の顔には、獣の双眸はない。そして、サロメの事を気遣っていた。
ヘロデアが、と、言っているにもかかわらず。ヘロデアの悲鳴を聞いているにもかわらず。
「お願い!助けてやって!ヘロデアが、あやまって、窓から落ちたの!!」
まあ!と、女達は、声を挙げた。瞬時に窓へ足を運び、ヘロデアの姿を確かめにかかった。その瞳は、あの獣のものに変わっている。
「誰か、呼ばなきゃ!」
「裏方の男達を呼んで!」
たちまち、部屋は騒然となるが、現れている獣の双眸は、決してサロメへは、向けられない。
伯爵の力が働いているのは、確かだった。
窓辺からは、誰も動こうとせず、あれこれ言いあうだけで、女の群れは、小動物の屍にたかっているハエの様にサロメには見えた。
そして、その喧騒を利用して、サロメは自室へ戻った。
死と隣り合わせは、懲り懲りだった。
ヨカナーンの言ったように、月が守ってくれたのだろうか。
疲れきった体を、自分のベッドに横たえて、サロメは目を閉じた。
明日になれば、何事も無かったように
伯爵は、新しいマダムだとサロメを紹介し、付き従う。
私の為に、舞っておくれと、伯爵に乞われるまま、サロメは、その熟れた
そして、舞いながらサロメは見るのだ。
あのエメラルド色の瞳を、再び──。