「月が綺麗だ、サロメ」
「まあ、青白い、死人の様なあの月のどこが?」
「君は、気にしているんだね?だけど、今夜は何も起こらない」
舞の後、汗を引かせたいとサロメは、バルコニーに出た。
すでに、
子供のころから、意味深な事を口走り、預言者ヨカナーンと、よく、からかわれていたけれど、それは、大人になっても、変わっていない。サロメは、どこか浮世離れしている幼馴染みを見る。
名前もなき小さな村で、共に育った二人は、大人になり、この裏社会で再会した。
学のない者が生きて行くには、うってつけの場所。特に驚く事もなく、二人はその巡り合わせを素直に受け止めた。
サロメは館で踊り、男達に奉仕していると、ヨカナーンはパトロンを見つけ、楽器を奏でて、奉仕していると、互いの
「あんなに、青白い月が登っているのに……、ヨカナーン、あなた、どうして、何も起こらないと言い切れるの?」
夜の帷が降りた今、ヨカナーンの漆黒の髪は、闇と溶け込み、見えるのは、輝くエメラルド色の瞳が収まる端麗な顔立ちと、すらりと引き締まった体躯のみ。
誰しもが、すれ違い様に振り向くであろう姿は、幼き頃より見慣れているサロメにとって、当たり前のもので、ヨカナーンだと納得できるものでもあった。
「ねえ、だから、なぜ、今夜は、何も起こらないと言いきれるの?」
「……月が、美しいから……何も出来ない」
「ああ、惨事は、月のせいだと言い切るのね?あなたらしいわ」
サロメは、慈しみ深く笑った。
ヨカナーンの発する言葉は、常に、意味があるとも、意味がないとも、どちらにも受け取れる。
そして、彼の言葉を聞こうとする者だけが、真の意味を受け止められるとサロメは知っていた。
──今夜は、何も起こらない。
いや。起こらせない、何かがあるに違いない。そうヨカナーンは、言っているのではなかろうか。
「月が、見張っていてくれるのね?」
「……そう。きっと。だから……今宵は、何も起こらない」
(その見張り役は、あなたなの?それとも、ヨカナーン、もしかして、あなたが……?)
サロメの胸は、疑心を抱く。しかし、ヨカナーンの瞳は、サロメだけを見つめている。
(……彼ではない。ヨカナーンは、違う。)
子供の頃からの癖だった。嘘をついている時は、ヨカナーンの瞳は、
沸き上がっていた不審は、懐かしさに変り、サロメは、つい、ヨカナーンに寄り添っていた。
「寒いのか?その衣装では、仕方あるまい」
言い分けの様な言葉を発し、ヨカナーンはサロメの体を包み込む。
その様子に、まあ……と、小さなつぶやきが発せられた事など、身を寄せあい、青白い月光に見入る二人は気付いていなかった。