「うっわあ……これ、何がどうしてこんなことになったんですかね」
広大な焼け野原を前に、
人出が足りないということで駆り出された実況見分。笹原第二署の面子だけではどうにも回りそうにないくらい、大きな火災であったらしい。捜査一課がメインで引っ張り出されているのは、放火の可能性が濃厚だからということらしかった。小森も一応、そのメンバーの一人である。第七強行犯捜査担当、放火や失火などの犯罪は自分達の専門分野だ。まあ、此処に来ている捜査一課メンバーの中には、事故の可能性も見越してか第一特殊犯捜査の者達もちらほらしていたが。爆発事故の方面なら、そちらの担当になるからだ。
笹原盆地は広い。よって笹原署と一括りにはならず、笹原第一署、第二署、第三署と三箇所に分かれている。小森はその第三署に所属する警官だった。まだ巡査、ノンキャリアの新米である。憧れの警察官、しかし当初は仕事を覚えるだけでアタフタするかと思いきや、悲しいかな笹原第三署は非常に暇な職場であった。はっきり言って、いくら広いからといって三箇所に分ける必要はあったのだろうかと思うくらいに。
なんといっても、住んでいる人間は広さに割にさほど多くないのである。部署三つがフル稼働していた当時はそここ大きな町や集落もあって、その分トラブルも頻発していたらしいのだが。今や第二署、第三署のあたりはすっかり過疎化が進み、小さな村がぽつぽつと点在する程度の有様である。
まあ、過疎化が進んだのは、若者が都市部に出て行ってしまったから、というよりこの近辺の悪い噂が原因であるらしかったが。
どうにも笹原盆地は呪われている、らしい。
特に笹原北村の(という正式名称のはずなのだが、地元の人々の間では笹下村という名前で通っているようだ。何か意味でもあるんだろうか)付近は忌み地だと恐れられているらしかった。不思議なことに当の笹原北村にはそこそこの人口が残っているはずなのだけども。よって、ほとんどまともに動いているのは笹下村の近くにある第一署のみであり、そこで回らなくなった事後処理などが時々第二、第三署に回ってくるという有様だった。
そして実際、応援に来てくれだなんて言われたことは殆ど無かったりする。悪い噂があるなんて信じられないくらい、笹下村はのどかで穏やかな村だった。小森も何度か足を運んだことがあるが、村人達はみな親切で優しかったのをよく覚えている。特に、ケーキ屋でシュークリームを一個サービスしてもらったのは忘れていない。犯罪に縁のないような人々だ。お悩み相談や遺失物相談くらいはあるだろうが、それ以外は第一署も殆ど暇を持て余していたことだろう。
そう、だから。
まさかこんなことになるだなんて、誰も予想していなかったはずである。一日にして、その笹下村がまるごと綺麗に焼け野原になってしまう、だなんて。
「酷いなあ、これ」
もはや、何処が畑で、何処が家で、何処が店だったのやら、の有様である。真っ黒に焦げ付いた大地、原型を留めず佇むばかりの柱や壁の残骸、僅かに燃え残ったビニールハウスの骨組みに、スーパーだったらしき場所にごろごろと転がっている、すすまみれになったレジの機械やら溶けかけた硝子の残骸やら。
「何処もかしこも真っ黒焦げじゃないですか。これじゃあ、火元なんて確認しようがないですよ」
「お前もそう思うか」
「ええ」
相槌を打ってきたのは、第一署所属の先輩である、
それも無理からぬことではあった。彼自身は同居していなかったが、焼け野原になった笹原北村には彼の親戚が何人も住んでいたはずである。警察学校時代から世話になった先輩で、今では時折一緒に何度も酒を飲み交わし、相談に乗ってもらうような間柄だった。ややビールの飲みすぎで腹が突き出て残念な体型にはなっているが、非常に気前よく陽気で、人格的にも見習うところの多い人物である。
その彼が、以前酒に酔って言っていた言葉によれば。なんでも、笹原北村には御三家と呼ばれる立派な家が三つあり、その三つの家が笹原北村のお祭りを担う役目をしていたらしいのだ。原井家は名前の通り“祓い”を担う家であり、お神輿やお神輿の通るルートなどをお清めする霊媒師の家系であったのだという。
自分は弟だったから跡を継がなくて良くて、警察官になれたんだけどな、と彼は苦笑していた。俺がそうやって好き勝手に生きたせいで、兄貴には随分負担を背負わせちまった、とも。
田舎の古い村ではよくあることだ。後継の長男と次男とでは、待遇があまりにも異なる。家を継ぐのは男子であるべき、嫁は必ず男子を産むべき、なんて時代遅れの考え方がまだ横行しているのかもしれなかった。長男は生まれついて、家の跡を継ぐ以外は許されていなかったのかもしれない。元々東京生まれで、此処に来るまでは田舎の生活など殆どしたことのなかった小森にとっては想像もつかない世界ではあるが。
「俺はまだ経験浅いから、そういうの先輩達ほどわかってるとは言いませんけど」
まだ、鼻が曲がりそうなほどの焦げ臭さが漂っている。けほ、と軽く咳をしながら言う小森。
「火元になった場所が一番燃えが激しいもんですよね。でも、この燃え方ってなんていうか、一箇所の火元から燃え広がったってかんじじゃないというか。まるで同時多発的にいくつも火がついた、みたいな印象なんですよね。先輩達も、だから首傾げてるんでしょ?一見するとテロにも見えるけど、でもこんな村に爆破テロ仕掛けて意味あるのかって話だし。爆発物の残骸も見つかってないし」
「ああ、そうだな。その通りだ。これは、普通の火事じゃない」
「……先輩、マジで大丈夫ですか?顔色真っ青ですけど。やっぱり、お兄さんや家族の方が亡くなったショックが……」
「ああ、すまない。それもある、それもあるんだが……」
やはり、原井の様子はおかしい。まるでおろおろするように辺りを見回しながら、しきりに汗を拭いている。
確かにこの土地は熱気がたまって暑くなりがちだが、今日は空も曇っているし比較的涼しい方だ。悲惨な火事があったのにこんなことを言うのはなんだが、吹き抜ける風はいっそからっと乾いていて清々しいほどだと感じている。そんな、汗をかくほどの気温とは思えないのに、一体どうしたというのだろう。
そして、家族が死んだだけではない、というのは。
「……もしかして」
そうだ、これも先輩が口を滑らせていたことだ。本人はだいぶべろんべろんに酔っていて、ろくに覚えていないかもしれないが。
「この火事、呪いか何かなんじゃないかーなんて思ってません?ほら先輩言ってたでしょ。笹原北村では、特別な神様をお祀りしてるって。で、その神様が祟る時は火を用いることがあるとかなんとか……あれ、違ったかな?神様が、元は火炙りにされた生贄なんでしたっけ?えっと名前は確か……」
ざわり、と。先ほどまでとは違った風が吹いた。霊感も何もない、良くも悪くも普通の人間でしかない小森はそれに気づかなかった。
「“みかげさま”って言いましたっけ?その神様って」
瞬間。
「お前っ!」
がばっ、と突然振り返った原井に、両肩を強く掴まれた。その目は血走り、紫色に染まった唇をわなわなと震わせている。怒り――いや、底知れぬ、恐怖。初めて見る彼の鬼気迫る表情に、気圧される小森。
「お前……お前!どこでそれを聞いた、どこで!?」
「え、え?どうしたんですか、先輩……」
「いいから!それは、村の外の人間には絶対に教えてはならない名前だ……!それを、それをこの場所で口にするということがどういうことなのか、お前は知ってるのか?知らないんだろう!?」
一体何を、そんなに怯えているのだろう。この村で、何か恐ろしい風習でもあったのだろうか。あまりの剣幕に、近くで実況見分をしていた同僚達が振り返り、なんだなんだとこちらを見る。
だが、その様子に全く気づいていない様子で、ひたすら原井は唾を飛ばして喚き続けた。そうしなければ、身の内から湧き出るような恐ろしい感情に負けてしまうとでも言うかのように。
「こんなこと、起きていいはずがない……!大火は昔にはあったが、それでもこんな村ごと焼けるようなことは、三百年前以降は一切なかったはずだ……!これはただの祟りの火じゃない、祭祀まで、御三家まで焼き尽くす焔がいつもの祟りなんぞであるはずがない……!どうしてこんなことに……何故、何故こんなことに……っ!!」
明らかに、何かを知っている様子の原井。だがそれ以上に気になるのは、彼がどこからどう見てもこの件を“呪いや祟り”といったオカルトなものだと決めうっている様子だった。
そう、ここまで彼が本気で怯えていなければ。小森も思わず笑い飛ばしていたに違いないのである。
この世界に、悪霊も悪魔もいるはずがない。忌み地だなんだと言われていたが、結局それも偶然天災が重なったり気候の影響があったというだけではないか。一番恐ろしいものはいつの時代も生きた人間だ。神隠しと言われる事件の多くが、人間によって行われた犯罪であったように。
「先輩、落ち着いてくださいよ。祟りなんかあるはずないじゃないですか」
とにかく、今は世話になった後輩の役目を果たさなければ。頭を抱えてしゃがみこんでしまった彼に視線を合わせるように身を屈める小森。丸くなったその背中をぽんぽんと優しく叩き、言葉をかけることにする。
「えっと、どこで見たんだっけ?先輩が酔って言ってたか、どっかのインターネットかなんかだったと思いますけど。そんな怖がるほどのことじゃないでしょ。俺達警察官ですよ?一番怖い人間っていうものから、一般市民を守るためにいるんですから。そんなオカルト信じて悩むなんて、いつもの先輩らしくないですよ。祟りなんかじゃない、これは事故か放火のどっちかですって。それを調べに俺達ここまで来てるんじゃないですか」
「……か」
「ん?なんですか先輩?」
「聞こえないのか、お前には」
彼はゆっくりと両手を下ろし――顔を上げた。その眼は濁りきり、どう見ても焦点があっていない。絶望。それ以外の何の色も見えない眼でじっと――小森の、背後の方へと視線を向けている。
「
ははは、と。そのガサガサに乾いた唇が、壊れたような笑い声を上げた。
彼は、明らかに自分には聞こえない何かを聞いている。
自分には見えない、何かを見ている。
「ひっ」
警察官の何人かが、引きっつった声を上げ、何かを指差した。そう、小森の後ろにいるであろう、何かを。
背中の毛がぞわりと逆立つ感覚を覚える。
冷たい汗が、首筋をつつつ、となぞるように垂れる。
小森はゆっくりと後ろを振り、そして。
目の前の焼け焦げた顔が、歯を剥き出して嗤うのを、見た。