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<第三十一話・許>

 何が起きたのか、とっさに判断がつかなかった。美園に分かったことは一つ。これがきっと、最初で最後のチャンスであろうということだけだ。この機を逃したら、自分達はもう此処から逃げる機会を永遠に失うことになるのだろう。


「琴子!」


 美園はぐったりしている琴子の肩を担ぐようにして、全速力で坂を登り始めた。白装束の神官達は総じて目や鼻を抑えて悶え苦しんでいる。周囲に撒かれているのは真っ白な粉のようなもの。どこかで見たような、と気づいて赤いタンクが目に入り、理解した。

 消火器だ。誰かが消火器を、ありったけ噴出させたのである。


「こっちだ!」

「な、なんで……!」


 そしてその消火器を持ち出し、神官達を攻撃した人物が出口へと美園達を誘導する。驚愕するのは当然だろう。なんせ、どうあがいても此処にいるはずのない人物である。


「に、新倉部長、なんで……」


 童顔の、高校生にも見まごうような小柄な青年は。眼鏡の奥から真剣な眼差しを光らせ、そこに佇んでいた。


「説明するのは後だ、後にしろ!とにかくこの村を脱出して、木田を病院に連れていくのが先だ。お前車ないんだろ、俺の車に乗せていくから来い!」

「ま、待って、何でそんなことまで……」

「だから、説明するのは後だと言っている!」


 疑問は山ほどあったが、彼が言っていることは実に尤もだ。神官達が怯んでいる隙に脱出しなければいけない。詳細を聞くのは、車に乗り込んでからでも遅くはないだろう。


――逃げ出せるの?本当に……?


 洞窟を出て、まぶしすぎる日差しに目を焼かれながら、美園は不安にかられる。思い出したからだ、祖母が自分を連れ出そうとして美園の軽自動車に乗り、そのまま“みかげさま(今から思うとあれは、みかげさまに取り込まれて迎えに行く役目を任ぜられた前回の犠牲者、夏音だったのだろうと予想されるが)”に襲われて酷い目に遭っている。そして、強引に発進させられた車は大破し、炎上。祖母はそのまま火に飲まれて殺されることになった。

 今度も、そうならないという保証はあるのだろうか。琴子から伝え聞いた話では、夏音はもちろん他の“みかげさま”の犠牲者達も、どういうわけか自分達に協力的であるらしいが。だからといって、美園自身が夏音と直接話したわけではない。実際に彼女らをどこまで信用していいかどうかなど、そんな確信が持てるはずもないのである。


「大丈夫だろう」


 すると。そんな美園の気持ちを呼んだように、焔が言った。


「お前は神を許した。そして神はお前を許した、だから生きている。お前に許されたことで彼女は救われたんだろう。なら、もう邪魔をする理由は何処にもないはずだ」

「な、何で……!」

「お前達は羨ましがってたようだが。……冗談じゃない。こんな正体不明なものなんか、本来見えない方がいいに決まっている。今回みたいに、人の役に立つことなんか稀なんだから」


 洞窟を脱出したその場所は、村外れの森の入口だった。向こう側に見慣れた畑と、点在する一戸建て、商店街らしきものが見える。あの右側に見えるの、うちのビニールハウスだ、と美園は気づいた。どうやら自分達が出た出口は、思いのほか村に近い場所に位置していたらしい。裏を返せば、他の村人達がすぐ近くを通ってもなんらおかしくない場所である。

 車は何処に、と尋ねようとした瞬間、すぐ後ろから声がした。神官達が追ってきたのだ。


「さすがに消火器と催涙スプレーだけじゃ、そう長くは足止めしておけないか……!」


 悔しげに告げる焔。とにかく早く逃げなければ、と思った瞬間にはもう、一人の白装束がすぐそこまで迫っていた。


「待て、逃げるな!生贄を逃がすようなことになったらこの村は……世界はもう終わりだっ……!」


 血走った目の神官は、叫びながら琴子に手を伸ばそうとし。それを振り払おうと焔が飛び出そうとした、次の瞬間だった。


「ぎいっ!」


 男は唐突に、不自然に躓いた。手をつくこともできず、顔面を思い切り岩に強打する男。一体何が、と思って美園は気付く。

 男の足に、何かが絡みついている。

 それは白い手だった。――岩の隙間から、土の中から、まるで植物のように生えた何本もの手が、こうして見ている間にも男の足首に次々と絡みついていくのだ。


――ああ。


 どれが、誰の手であるかなどわからない。

 それでも美園は、それこそが――あの少女が選んだ“己の意思”であることを悟ったのだ。


「言っただろう、堂島。……もう許されていると」


 どこか、悲しげに――焔は告げた。まるでこの先の運命を、全て悟ったかのように。


「行くぞ。……そしてもう二度と、振り返るな。この村を」




 ***




 祭家の当主にして、祭祀である男は見た。目の前の生贄を追いかけようとした仲間の足に、いくつもの白い腕が絡みついていくのを。

 その男だけではない。他にも追いすがろうとした者達が次々転倒し、何本もの腕に絡め取られていくではないか。その腕は時に大量の釘を打ち込まれて血だらけになっており、時にやせ細って骨が浮き出ており、時には水につかりすぎてふやけて今にも皮膚が破れそうになっていた。それらが誰の腕であるかなど明白である。“みかげさま”だ。二代目以降の、近代に至るまで捧げられ続けてきた“みかげさま”の後継者達が、神官達の足を掴んで引きずり倒したのである。

 まるで自分達から逃れようとする、堂島美園達を逃がしでもしようとしているかのように。


「……何故、ですか!」


 思わず叫んでいた。このようなこと、認められる筈もなかった。


「何故、逃がすのですか……みかげさま!あの者達は、神聖な生贄……儀式を完成させ、地獄の蓋を塞がなければ世界はこの村は終わる!悪しきものが溜まり、あの世との堺が失われ、この村のみならず全ての世を地獄へと変えてしまうことになる!貴女様はそのようなことなど望まれますまい、自ら望んで人柱になることを選ばれた、聖女たる貴女様ならば!!」


 ぎゃああ!と濁った悲鳴が上がった。腕に掴まれ、絡まれた者達の声だ。彼らはただ捕まえられただけではなかった。若い生贄達の手は人知を超えた力で彼らの足を、腕を、強引に握りつぶしたのである。血が噴出し、骨が突き出し、ごりごりと砕ける音と肉が潰れる音が木霊し、あっという間に阿鼻叫喚の有様となっていく。


「た、たす、助けっ」


 祭祀に助けを求めるべく手を伸ばしてきたのは、祭祀たる男の弟だった。同じく“祀り”を行う神聖な家の者。普通の人間よりは遥かに高い霊能力を持っているはずの彼は、自分の目の前で胴体に腕を巻き付かれ、次の瞬間筆舌に尽くしがたい苦悩の顔を浮かべて――その口から、内臓と血の塊を吐き出していた。まるで放屁するような下品な音ともに、祭祀の顔面に降りかかるそれ。真っ赤に膨れた顔で弟が絶命するのを見、祭祀は耐え切れずその場で嘔吐していた。

 凄まじい血と、恐怖と、苦痛の臭気。

 このまま此処に居ては全員殺されてしまう。やや遅すぎる判断だったが、それでもどうにか祭祀は頭を働かせて指示を出した。


「て、撤退を!全員、洞窟の奥へ……!」


 腕に掴まれた者達を助ける術はない。彼らの悲鳴を背中で聞きながら、転がるようにして坂を駆け下った。どういう訳かはわからないが、みかげさまの力は完全に暴走している。神聖な儀式を執り行い自分達を攻撃しているのがいい例だ。とにかく今は一度引いて、鎮める方法を模索するしかない。

 この時。祭祀はまだ、儀式を完成させることを諦めてはいなかった。

 弟や仲間の死は心の痛むことではあったが、それでも長年刷り込まれてきた“祭家の当主”としての使命感と信念が、まだ恐怖心をやや上回っていたのである。

 しかし。


「祭祀様、出口が!」


 自分達が離れた瞬間。地響きを立てて――出口に、大量の土砂が降り注いだ。まだ腕に掴まれながらも生きていた神官達を、次々と巨石でひき肉にして。


――何故……!何故ですか、みかげさま!何故!!


 心の中で叫んだ時、洞窟内に掲げられていた全ての松明が、一気に火勢を増した。狭い洞窟の内部の温度が、夏ということを抜きにしても有り得ないほど急上昇していく。

 サウナのように上がる気温の中、祭祀は見た。洞窟の奥に、ぽつんと佇む少女を。

 そして、その声を。


「――――っ!」


 絶叫は。燃え盛る炎の中へと、飲まれるように消えていったのだった。


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