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<第二十九話・生>

 美園と琴子だと、実は琴子の方がやや身長が高く体格がいい。どちらも女性としては高身長の方に分類されるのだが、琴子はそれこそ普通に歩いていればモデルのような美人に該当する。そんな琴子が、かつては食べることや空気の読めなさにコンプレックスを爆発させ、人付き合いを避けて通っていたというのだから世の中はわからない話ではあるが。


「頑張って、琴子……!」


 お互い、お世辞にも綺麗な姿ではないが。だからこそ、もはや吹っ切れて気兼ねする必要もないとは言える。自分にもう少し腕力があれば、と美園は悔やむしかない。そうしたら、肩を貸して歩くのではなく、彼女を抱き上げて出口までダッシュすることもきっと可能であったはずなのだから。

 自分はただこうして、虫の息になっている彼女を励ましながら、彼女が指し示してくれた道を辿って歩き続けるしかないのである。


「絶対いいお医者さん連れていってあげるから!琴子の手を直してくれるとこ見つけて、絶対助けてみせるんだから!だからそれまで絶対折れんじゃないよ、負けたら承知しないっつーか絶対許さないんだから!!」

「うわあ……美園の、ことだから……末代まで祟られそ……」

「あんた私の事なんだと思ってんのよ!まあその通りなんだけど!美園サンは非常に執念深いし、一度恨みに思ったこと絶対忘れないんだからね!死んだら逃げられると思ったら大間違いなんだから!むしろ死んだ後までずーっと呪って、怖い思いしろーって念じてやるんだから!!」


 我ながら何を言っているのか段々わけがわからなくなりつつあるが。とにかく、言葉をかけ続けて琴子の意識を途切れさせないことが重要だと思っていた。服の裾を破いて彼女の両手に巻きつける、なんて応急処置が正しいのかもよくわからない。腹が丸出しになって恥ずかしくなっただけかもしれないが、そんなことを考えている余裕は微塵もなかった。出血が酷い。琴子の顔色はもはや白を通り越して土気色になりつつある。危険な状態は明白だった。むしろこの状態でよくぞショック死せず、歩いてここまで到達できたと称賛するばかりである。

 絶対死なせない。死なせるものか。美園は歯を食いしばり、緩やかな坂を上っていく。この上にはもう出口がある。彼女の言う通りならばその筈だ。どうやら“みかげさま”は、美園のことを琴子のいる場所まで飛ばしてくれたらしかった。


――ありがとう……御影、ちゃん。


 彼女がどのような意図を持っていたか、それをはっきりと知ることはできない。でもきっと、彼女は感謝を示してくれたのだろう、と思う。琴子は自分が頑張るから美園の生贄の任を解いてくれるようみかげさまと交渉するつもりであったようだが、恐らくその必要はもうないのだろう。

 問題は、此処から自分達が無事脱出できるかどうか。洞窟を出ることができたとしても、この洞窟の出口が村のどのあたりに通じているかがわからないのである。出られたところで神官達に見つかってしまえば元の木阿弥だ。連中は恐らく“みかげさま”の姿など実際に見える存在ではない。きっと連れ戻されて殺されるのが目に見えている。彼らにとっては自分達は生贄であると同時に、けして生かして外の世界に出してはならない、恐ろしい犯罪の生き証人であるのだから。


――まだ綱渡りは、終わってない……!でも、ここまでお膳立てしてもらって、それで全部ダメでしたなんてことになったら、琴子にも助けてくれた子達にも申し訳無さ過ぎる……!


「あんたが意識切らさないように、ずーっと話しかけ続けてやるんだからね!ここで根性見せなかったらいつ見せるってんだか、女も度胸だっつの!!わかったら返事する、琴子!」

「ふふ……はぁい……」


 彼女から、琴子が知った情報は切れ切れながら一通り聞いている。同時に、美園からも自分が祖母から教えられたことなどを共有した。結果何より湧き上がったのは、ここの村の人達への怒り以外の何物でもなかったけれど。

 祖母は命懸けで助けてくれようとしたし、きっと祖父も叔父も美園達が生贄になることなど望んではいなかったことだろう。出来ることなら助けてやりたい、そう思って美園がキーワードを言わないように注意を払ってくれていたのはわかっている。そして彼らもこの村に組み込まれた歯車であり、特に勝木家の者であることが災いしてそうそう逆らうことなど出来なかっただろうということも。

 だけど。

 それでも――こんなことをして、こんなことを続けて。そこに生まれる罪悪感から目を背けて、忘れてしまうようになったとすれば。それはもう、人ではない、“何か”だ。この村には鬼が潜んでいた。鬼が、人の顔をして当たり前のように棲んでいた、そういうことになってしまうだろう。

 どれほど仕方のない事情があったとしても、それが規則であったとしても、集団の意識や因習というものがそのような悲劇を齎すこともあるのだとしても。

 だから許されるなんてことはないのだ。少なくとも、殺される者にとっては何の言い訳にもならないのは事実なのだから。


「ここ抜けたら、もうちょっとだよ……琴子!」


 鉄格子の扉を抜け、さらに坂を登り始める。そうだ、と美園はここで一つ重要なことに気づいた。自分の車は、祖母と一緒に燃えてしまってもう無いのではなかったか。

 離れ小島というわけではないし、土砂崩れで道が塞がれて――なんていうミステリーのお約束も多分発生していないが。だとしても、歩いて逃げるにはあまりに麓の村までの距離が遠すぎる。そしてそんなことをしている間に、琴子が力尽きてしまうのは明白だった。とすれば、やれることは一つ。村から逃れた後でどこかに隠れ潜んで、救急車なりの救助を外部に求めるしかない


――来てもらえないほど道路が整備されてないような場所じゃない。大きめの道路まで出て、そこで待ってれば……!


 絶望的な状況なのは間違いなかった。それでも今、美園は考えることをやめるつもりは微塵もないのである。何か、見えない力が一生懸命自分の背中を押してくれるのを感じるのだ。それはみかげさまなのかもしれないし、琴子かもしれないし、それ以外のもっと大きな意志なのかもしれない。

 追われるようなら――いや、追い詰められても。その時は最後まで、自分が琴子を守って戦ってやると決めていた。そんな武道の経験があるとかではないけれど、これでも中学生くらいまではヤンチャして、男子と殴りあいの喧嘩くらいはやったことがあるのだ。喧嘩で一番大事なのは気合、というのは案外間違ってない。より殺意が強い方が勝つ、それは紛れもない世の断りである。

 そう、無理でも、無茶でも、やるしかない。やってやる。美園がそう決意して顔を上げた、その時だった。


「!!」


 足音。それも、複数の。

 光が遮られるのを見た。そこから何人もの人間がバタバタを駆け下りてくる様を。


「畜生!」


 思わず、声に出して叫んでいた。その美園の声を聞いたように、逆光を背にしているせいで真っ黒なシルエットにしか見えない影の一つが――錫杖のようなものを、しゃん、と一つ大きく鳴らした。


「なんてことをしてくれたのか……堂島美園」


 すぐ耳元で、琴子が小さく囁く。今喋った奴が、リーダーだったと思う、と。


「どうやって迷いの洞窟を抜け出したのか。しかも……どのようにして、あの状態の生贄を救出した?それはならぬ、まだ儀式は完了していない。より強い苦痛がなければ、霊力の高まった生贄は完成されない。戻れ。お前達が去れば地獄の蓋の封印は終わらぬ。この世界を滅ぼす者になりたいのか?」

「……好き勝手言ってんじゃねえよ、アホが!」


 美園は吠えていた。口汚いと言われても関係ない、今吐き出さなければいつ本心を吐き出すのか。美園の怒声に驚き、琴子がさすがに驚愕の面持ちで美園を見たのがわかった。


「そんなに大事?過去の罪を隠し続けるのがそんなに大事かよ、んなの私らには関係ねーっつの!確かに、地獄ってものが本当にあるのかは私にはわかんないけど!でもそれはあんたらも一緒じゃん!たまたま御影様を捧げたら天災が終わっただけかもしれないのに、それをきちんと確かめようともせず、漫然と儀式を続けてそれで世界が守れた気になってる!世界のためになってる筈って言えば、何人拷問して殺しても問題ないとか本気で思ってたわけ?ふざけんのも大概にしろよクズ野郎どもが!そんなに必要だって信じるなら、あんたらが自分で生贄になればいいじゃん!いつまでも……初代の御影様にしたみたいに、人に嫌な役目押し付けて満足してんじゃねーよ!!」


 一気に吠えた。全身から怒りを噴出させた。吐き出した後で少し冷静になり、壁によりかかせるように琴子を座らせることにする。よくよく考えれば自分が叫ぶと彼女の体に触るかもしれない。それはさすがに本意ではない。


「仮に……もし仮に本当にオカルトなもんがあるとして!ここにあの世との境目ってのがあるんだとして!他の方法ってやつをもっと真剣に探しなよ!子孫代々まで人殺しを脈々と続けさせてんじゃねーよ!今はもう江戸時代じゃない、令和の時代!昔よりずっといろんな研究も進んでるし、きっとわかってることだってたくさんあるはずでしょ?ちゃんと調べて確かめれば、出来ることなんかいくらでもあるかもしれないじゃん、なんでそれをやんないわけ?昔のやり方に固執してんのは、新しい方法を試す勇気も、真実を捜す度胸もないから、そうでしょ?自分達が間違ってたかもしれないなんて、思いたくもないもんね!?」


 わかっている。それが人間だ。臆病で、自分の過ちを認める勇気もなくて、劣等感いっぱいで、何かに失敗するとすぐ誰かのせいにしたがってしまう。そして、自分が理解されないとすぐにひねくれて、誰かへの理解を投げ捨て、弱い者同士で身を寄せ合ったりもするのだ。

 それが当たり前。そんなことは知っている、でも。

 当たり前なんて言葉で――人を傷つけることが正当化できるとしたら。全ての人間の個性や尊厳を握りつぶして自分達の常識だけを押し通せるとしたら。そんなもの、それこそ“間違い”以外の何物でもないではないか。




「本当に、誰かを“当たり前”のように犠牲にしないと保てないような世界なら……そんなのさっさと滅んじゃえばいいのよ、馬鹿野郎!」




 美園の言葉を、神官達は一体どのような気持ちで聴いていたのか。しばしの沈黙の後――リーダーらしき男が、ゆっくりと口を開いた。


「世界が滅ぶことを望むなら……つまり、お前が“悪”だということ。それだけのことだな」


 こいつらには、何を言っても無駄。それを美園が悟った瞬間だった。


「ならばやはり……お前に相応しいのは、“死”だ、そうだろう?」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 その言葉が言い終わる前に、美園は地面を蹴って駆け出していた。拳を振り上げ、男に殴りかかる。

 後先など、何も考えてはいなかった。

 ただ我武者羅に、琴子を守って生き抜くことだけを考えていたのだ。

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