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<第十六話・叫>

 ただの夢とは到底思えないほどの――リアル。

 ぎちぎちに巻きつけられた、包帯のようなボロ布の感触。

 ぬるぬるとした、気色悪い油が垂れる感覚。

 そしてそれが、松明を近づけられた途端一気に燃え上がり、その下の皮まで焼き焦がされて神経をずたずたに引き裂く激痛――。


「いやあああああああああああああああああああああ!」


 絶叫し、琴子は飛び起きようとした。だが。


「!?」


 目を見開いた時、確かに足を襲ったおぞましいほどの熱さは消えていた。先ほどのは夢だった。改めて理解し、まだどくどくと早鐘のように打ち付ける心臓に安堵した――のは、ほんの一瞬のことだったけれど。

 そう、悪夢が終わり、絶叫と共に飛び起きようとしたのである。でも。

 琴子が動かすことができたのは、首だけだった。跳ね起き用とした瞬間、自分が置かれている立場を正しく理解してしまったのだから。


――なん、で……?


 今のは、夢であったはずだ。

 あの幼い少女――御影と名付けられ、生まれついての寄り代、あるいは生贄となるべく育てられた少女の意識が入り込んで見てしまった夢。そうでしかなかった、はずである。なのに。

 どうして、琴子の体は動かないのだろう。

 あの悪夢と同じように、両手両足をバツ字に開かれた状態で固められ、固定され磔にされているのだろうか。そして屋内にいたはずなのに、何故松明が灯された洞窟のような場所にいるのか。

 恐ろしい夢であったはずだ。そして悪い夢は終わったはずだ。それなのに、目覚めた場所もまた悪夢の続きだったなんて――そんな馬鹿な話があるだろうか。


――なんで、あたし……こんなことになってんの?まだ夢、見てる、の?


 そうではない。これは、まごうことなき現実だ。先ほどの夢も痛みは恐ろしくリアルであったけれど、あの時と今は違う。伸ばした手も、体も、長年見慣れた己のそれである。死装束なんてものも着ていない。昨夜眠った時に着ていたジャージ姿、そのままである。半パンから伸びる足は、靴を履いていない。裸足――本当に、あの夜の時の姿のまま。

 そう、あの夜、は。


「!!!」


 混乱する頭が、どうにか直前の記憶を引っ張り出していた。そうだ、恐ろしい――そんな一言では尽くせない、恐ろしいものを見たのである。

 スマートフォンでXをやっていたら、よくわからない荒らしのような書き込みが来て。そして、新倉部長っぽい人が危険を知らせてくれた、それで。その後――ああ、その後。


――あれは、悪霊ってやつ、なの……?


 ガリガリにやせ細り、泥と血と排泄物で汚れ切った女の人が、ずりずりとこちらに近づいて来て。とても生きているとは思えない肌の色で、ものすごい腐ったような臭いがしていて。

 ああ、あんなに恐ろしかったのに、断片的にしか思い出せない。遠くにいたと思ったら、いつの間にか目の前にいた。その顔を、確かに見た。眼が合って、それからどうなったのだろうか。何一つ記憶にない。まるでパソコンを強制的にシャットダウンしたように真っ暗になって、悪夢を見て――気づいたら、この場所である。


――……やっと、わかった。あたし……“あたし達”、すっごく馬鹿なこと、しちゃったんだ。


 悪夢に出てきた少女の思想。そして、自分が調べたわずかばかりの情報。琴子はけして、自分が頭の良い人間だとは思っていなかったが、それでもおおよそ想像することくらいはできるのである。自分達が一体何に呼ばれて、来てはいけない場所に来て、呪いのスイッチを押してしまったということが。

 いや、分かっている。もし悪夢の中の情報が正しいのなら、自分達が来なくても誰かが此処に来る羽目になっていた筈だ。“必ず誰かは犠牲にならなければならない”そういうルールであったはず。それが自分達になったのは“みかげさま”に見初められたせいなのか、偶然であったのかは定かではないけれど。ああ、もうわかっているのだ、それでもだ。

 何で自分が。そう思ってしまうのを、どうして止めることができるだろうか。




 しゃん。




「!!」


 錫の音が、響いた。規則的に響き、地面を打ち据える音が近づいて来る。

 琴子は悟った。先ほど見たのは、本当の意味で悪夢。しかし、ただの夢ではなかった。ここから先は、悪夢のような――紛れもない、現実である。

 自分はこれから、あの御影という名の少女と同じように生贄に捧げられるのだ。それも、ひと思いに殺してなど貰えない。じわじわと甚振られるように、苦しめられて傷つけられて殺されるのである。


――あの、御影様、って女の子は。生まれついて高い霊能力を持っていた。だから、お姫様のように大事に育てられてきた。いつの日か……“地獄の蓋”が開く時、人柱としてそれを塞き止める役目を担うために。


 じわ、と目の前が滲んでいく。恐怖と絶望――そして、憐憫。

 あの少女は、まだ十歳にもならないくらいの年であったはずだ。今の自分と同じように磔にされて、生きたまま燃やされて殺された。両足に布を巻きつけられてじわじわつま先から焼かれて死んだのである。その苦痛たるや、いかほどのものであったか。短時間体験した琴子でさえ、震えがくるほどの激痛である。それをあんな幼い少女が耐えたのである。――それが己が産まれてきた意味だと、心の底から信じていたがゆえに。

 どれほど恐ろしかったか。

 どれほど痛かったか。

 それでも耐えた――耐えるしか、選択肢がなかったのだ。そこで泣き叫んで拒否などすれば、己の存在理由を否定することにしかならないと知ってしまっていたのだから。


――焼死って、あらゆる死に方の中でも一番痛い死に方だって聞いたこと、ある。人間、焼かれたって簡単には死ねないって。だからいつまでもいつまでも、痛くて苦しい思いをし続けなきゃいけないって。


 そして、自分ももうすぐ同じような目に遭う。

 焼かれるとは限らないけれど、それと同程度の苦痛になるよう、手酷い拷問を受けるのだ。どれほど理不尽でも、耐え難い仕打ちでも、承服できずとも、全てはもう決められてしまっているのである。そう。




 みかげさま、の名前をこの地で口にした時点で、もう逃げ道などとうに失われてしまっていたのだ。




「讃えよ、讃えよ、おみかげさまの名の元に……」


 お経のようなものの合間に、そのような祝詞が聞こえてくる。神官らしき者達が錫杖のようなものを振りながら練り歩き、やがて琴子の前にずらりと並んで見せた。白い装束の集団、まさに悪夢の中で見たものと同じだ。違うのは、悪夢の世界の神官達とは顔ぶれが違うということか。まあ、当然と言えば当然なのだろう。彼らは全て、あの世代の子孫。最初に“御影様”が捧げられてから、今の代まで何度も代替わりしているのだろうから当然だ。

 ああ、思い出す。自分が調べた、あのブログの記事。




『1720年まで、現笹下村がある笹原盆地は数多くの天災に見舞われていたそうです。

 特に1720年7月頃、笹原盆地で起きた大規模な土砂災害は、数多くの犠牲者を出したことで有名でした。この地域はどういうわけか、日照りで作物が育たない年も大雨に見舞われる事も多いという、一種呪われた地域であったわけです。特に現笹下村がある場所は、地元の人間には“忌み地”のようなものとして扱われてきました。このへんの原理が定かではないのですが、盆地の鬼門に位置する場所にあり、悪いものが一気に澱んで集まる場所が現笹下村の付近であったそうなのです。

 笹原盆地は、悪いものを溜めてしまう性質があり、笹下村はそれを上手にあの世の方へと流すための関所として役割を担わなければならなかったということですね。

 その役目を徹底するようになった1720年以降、ぱたりと盆地を襲う大きな天災はなくなったのだとか』




 そういうこと、だったのだ。

 この土地は、呪われていた。ゆえに天災が相次いでいた――1720年までは。

 その忌み地を浄化し、人が住める土地として取り戻すために、選ばれた人柱があの御影様という名の少女。彼女が苦痛を受けて死ぬことにより霊力を強化され、その状態で人柱になることによってこの土地に根ざしていた“地獄の蓋”は封じられることになった。ぱったりと天災がなくなったのはそのためなのだろう。だが。

 それでもこの盆地が、この村が地獄の蓋の上に存在し、その蓋を封印するための堰を担っている状況が変わったわけではない。

 封印は、定期的に貼り直されなければならなかった。つまり、同じように生贄を捧げて、人柱を強化する必要があったのである。そして、その人柱が選ばれる基準はただ一つ。

 この土地に来た“よそ者”で――“みかげさま”の名を口にした者。だから、琴子は選ばれてしまったのである。


「……なんで」


 定められた運命。此処に縛り付けられた自分に、逃げる手段はない。もう琴子も分かっていた。けれど。


「なんで……こんな酷いこと、するの……っ!」


 だからといって、どうして諦めて運命を享受することなどできるだろうか。苦痛に満ちた死を歓迎しなければいけないというのか。

 まだやりたいことなどたくさんある。あのムカつく部長の鼻を明かしてないのもそうだし、三年前に別れてから彼氏も作れていない。というか、合コンもあんまり参加できてない。

 せっかく、美園という一緒にいて楽しい友達と出会えたのに、まだ彼女と行きたい場所だっていっぱいあるのに、行けていない。オカルトスポットだけではない、彼女も結構アニメが好きだと聴いていたから、どうせなら聖地巡礼だってやりたいと思っていたのだ。例のヒロインが告白した橋とか、主人公達が冒険した離れ島とか、ファーストキッスをしたあの映画館だとか。

 死にたくない。生きていたい。それなのにどうして、こんな訳のわからないところで一人、甚振り殺されるなんて未来を受け入れなければいけないのだろう。それがいくら、この世界を救うため、なんて大義名分があったとしてもだ。


「生贄捧げて、世界を守ろうなんて……それで地獄の蓋を封印できるなんて、そんな考え方古すぎるでしょ……!そんなくだんないこと本気で信じて何人殺したの?何でそんなことが平気でできるの、ねえ……!?」


 訴えたところで意味などないのかもしれない。でも、琴子は言わずにはいられなかった。

 言葉にすることさえやめてしまったらもう、そこにきっともう、あるべき自分などいないのだ。


「死にたくない……こんな訳のわかんない死に方なんてしたくない……そう思うのが、間違ってっての……!?」


 何かが変わると、奇跡に賭けていたわけではなかった。それでも琴子に出来ることはただ、そのただ一つだけだったのである。

 生ぬるい涙と鼻水に塗れた哀れな女の姿を。神官達は果たして、どんな気持ちで見つめていたのだろうか。


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