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<第五話・談>

 あの腹の立つ部長に、霊能力と呼ばれるものがあるかもしれない。それを聴いて、ますます美園は不機嫌になった。何故なら、そういう“平凡ではない特別なもの”というのは――美園がずっと欲しくて、それでいてけして手に入らないと諦めていたものであったからだ。


――そんなもの、そうホイホイ持っていられてたまるもんですか。……確かに、あいつの視点というか言動って、結構変なところというか、妙だなとは思ってたけど。


『このサークルの名前が、オカルト研究サークルではなく“怪奇現象研究クラブ”である理由を、新しく入ったお前達に伝えておこうと思う』


 大学四年生には見えない、下手をすると高校生にも見られかねない童顔のイケメンは。教壇に立ち、部員達に“講義”を行う時は、随分と大きく見えたものだった。しかし、それは威圧的である、というのとは違う。根本的に、己に自信のある人間のそれである、と言えばいいだろうか。見目に反して低く、威厳がある声に加えて――彼はいつも堂々と胸を張って皆の前に立っていた。まるで自分の正義を、絶対的かつ揺るぎないものであると信じているかのように。


『このサークルは、単純なオカルトを研究するものではない。俺はむしろ、オカルトやホラーといったものに懐疑的、否定的である者も積極的に参加して欲しいと願っている。何故か?こういったものは、人の思想に大きく影響を受けやすい。“幽霊は存在する”と思う者が見れば幽霊が存在することになり、“幽霊は存在しない”と思う者が見れば幽霊が存在しないことになる。それでは、結局研究の結論は本人の主観にしか依らない。正しく、客観的な成果などは見いだせない。それでは意味がない』

『どういうことですか、部長』

『同じものを見たところで、結局それを解釈し、紐解くのは人間でしかないということだ』


 彼は、悪魔や幽霊、超能力といった“不思議現象”とされるものについて――信じているわけでもなければ信じていないわけでもない、極めてフラットだと語っていた。むしろ、フラットでいたいと願っている、とも。


『火が何故熱いのか?何故我々は水を手で掴めないのか?月が明るいのは何故なのか?我々がしている呼吸という行動の意味が何か?磁石と鉄がくっつくのはどうしてか?何故テレビは映るのか?何故世の中には多種多様な人種や宗教が存在するのか?……中には研究途中のものもあるが、それでも大半が一定の答えが見出されているものだ。燃える火を見て、それ単体で神の祟りだの奇跡だのと謳う者は今この地球上にもそう多くはないだろう。何故なら、原理が解明されているからだ。時代に依っては“不思議な現象”であったそれらは、研究し解明されて“科学”の一端となることにより我々に認識され、“不思議”だと思われることがなくなった。どれほど奇妙な現象であろうと、原理が解明されれば全ては“科学”になる。我々は皆、そういう理屈の上で生きている』


 言い方は少し堅苦しいが、きっと筋は通っているのだろう。確かに、今彼が語ったようなことは不思議でもなんでもない。そこまで頭がいいわけでもない美園には、火の原理というものを的確に説明することはできないが――それでも、それが人間が簡単に起こしうる“当たり前の現象”であることは理解しているし、火が起きたからといってそれだけで驚くなんてこともない。勿論、起こるべくして起こる火のことであって、放火されて家が燃えたりしたら驚くが――それは、火そのものを畏怖しているからではないだろう。

 解明されたものが科学であり、されていないものがオカルトになる。

 なるほど、大昔の人にとっては、火も水も太陽も、何もかもが呪いや宗教や奇跡の一端と呼んで差し支えないものであったのかもしれない。


『解明されていない“未知”を見た時、それを記録し解釈するのは人間だ。カメラで映像を撮影したところで、その映像そのものは公平かと平等に晒されたとしても……それを見るのが人間である以上、解釈は全て見た者の主観に委ねられる。森でうっすらと燃える火を見た時、それを人魂と呼ぶ者と、悪魔の儀式と言う者、はたまたただそこにいた誰かが焚き火をしただけと言う者、プラズマ現象がどうたらと言い出す者といるということだ。怪奇現象の特番ほど信用できないものはない。あれは大前提として“これから映るものは全て幽霊の仕業である”と銘打って物語をすすめている。見る者達に皆そういったフィルターがかかるし、本人たちだってそう、何を見ても幽霊にしか見えない下地が整っている。ゆえに俺は、こういうサークルの場で、偏った意見の者がかりの集団ができるのは極めて危険で、同時に退屈なものだと考えているんだ』


 肯定派も否定派も中立派も必要だ、と焔はそう言っていた。


『出来れば全員に共通認識を設けず、あえて情報を与えず、同じものを調査する機会があれば実に興味深いと思っている。お前達も、自分達の認識を“全員の共通認識”として強引に広めることないよう願う。別からの視点、自分とは真逆の視点を持つ者の存在こそ宝だ。不必要なフィルターをかけて真実を霞ませないために意味のある存在だ。それを忘れてはいけない』

『部長の言いたいことはわかりましたけど』


 その時はまだ、美園も琴子もレポートを叱られる前だった。ただ、あの部長さん変わり者だけどカッコイイなあ、くらいにしか思っていなかったのである。

 ゆえに、ぼーっとしていて話は半分程度にしか聴いていなかった(それでもこれだけの内容を覚えていたのだから、大したものである)。質問をしたのは、もっと熱心にオカルトを信じていたと思しき、一年生の新入部員である。


『結局のところ、先輩は幽霊とか悪魔とか、呪いっていうものをどこまで信じているんですか?』


 それはきっと誰もが訊きたかったことだろう。彼がどちらの立場であるか、同時にどちらの立場から“逆”の存在を尊んでいるのかを。そう、ここで、彼ははっきりと明言したのだ。自分はどちらでもない、と。


『どちらでもないように心がけている。不思議なもの、奇妙なものを見たことがないわけではないが、それが果たしてどういう種類のものであるのか、解明に至っておらず答えが出せないというのが正しい。ただし、一つだけはっきり断言できることがある』

『なんですか?』

『簡単なことだ。今まで多くの作家、政治家、有名人が口が酸っぱくなるほど言ってきたことを、俺もその通りだと思っているというだけのこと。……どんな悪霊が存在しようと、それこそ異世界の魔王のようなものがいたとしても……一番恐ろしいのは、生きて、普通にそのへんを歩いている人間に他ならない。何食わぬ顔で、狂気や悪意を隠し持ち、時に言葉一つで人を殺せてしまう人間という存在ほど恐ろしいものは、この世に存在しないんだとな』


 確かにあの時、彼は“不思議なものや奇妙なものを見たことがある”というような事を言っていたような気がする。それがどういう種類のものであるのか、本人が一切明言しなかったというだけで。

 なるほど、霊能力があることの示唆であるとも――捉えることができない、わけではない。


「ムカつく」


 正直に、美園は感想を漏らした。


「霊能力なんて、そんな普通の人間が簡単に持てるわけないじゃん。どうせ、霊能力があると思い込んでる、頭のネジ外れたおかしな人ってだけでしょ?レポート貶された時点で部長の評価ダダ下がりだったけど、ますます下の方に限界突破したかんじ」

「うわあ、そこまで?いや確かに、そういうものがあるって本気で信じてる構ってちゃんって少なくないけど」


 苦笑気味に琴子が言う。


「ほら、高校の時とか、高校デビューって言ってさ、ちょと他の人と違う自分を演出するために馬鹿やる奴いるでしょ?髪の毛をここぞとばかりに染めてきて先生に叱られてきたり、時には夏休み明けに大怪我しましたアピールしてきたり。あれって特別な存在になりたいとか、とにかく同情を引きたいって気持ちの現れだよねえ。あたしのクラスにもいたわ、そういうコ」


 そう、誰だって特別な存在になりたい。美園にもその気持ちはわかるし、きっと琴子もそうだろう。目立ちたいとか、構って欲しいとか、可愛がられたいとか――同情されて、優しくされたいとか。ただそのアピールを間違えると、痛々しいだけになってしまうということがわかっているだけのことである。

 自分達も、一応酒が飲める年齢の女だ。まだまだ精神的にガキくさいと言われても仕方ないが――だからとって、ものの分別がつかないほど愚かではないつもりである。蔑むのは、そういう特別になりたい気持ちがわかるかるだけに、忌々しいと感じてしまうから。そして、そうやってチヤホヤされる存在に、どこかで嫉妬しているからに他ならない。


「イケメンなのに、そう考えるとちょっとがっかりかも。霊能力者ポーズしちゃうなんて……って、あたしも本人がそう名乗ってるの聞いたわけじゃないし、実質オカルト研究会なんだからそういう人が一人二人いても仕方ないとは思うけどさあ。でもまあ、痛々しいし、あんま関わらんでおこーって思うレベルではあるよ。そのへん、美園は違うの?なんか特別扱いされる存在に、凄く嫌悪感覚えてるってかんじ出てるけど……あ」


 そこまで語って、琴子は思い出したのだろう。彼女には話したことがある。美園の姉が、どういう存在であったかを。音楽に疎い彼女は、美園が天才ピアニストの堂島美織の妹であるなどとは露知らず声をかけてきて、だからこそ友人関係になったわけであったが。


「“天才”とか。“特別”って存在は、やっぱ好きになれないの、ごめんね」


 気まずそうに黙った琴子に、ちょっと申し訳ない気持ちになり――美園は小さく笑みを浮かべて、謝った。別に、彼女に八つ当たりがしたかったわけではないのである。


「だってそういう人たちってさ。平凡にしか生きられない、努力したって低い限界が見えてる……私らみたいな人間のことなんか、全然眼中になさそうっていうか。理解もできなさそうでしょ。だって自分達がそういう苦労しなくていいんだもん。その程度がどうしてできないの?って見下すのも当然と言えば当然だし……なんていうか、仲良くできる気がしないじゃん。実際、私も姉と普通に……姉妹らしく話した記憶なんか全然ないし」

「……ごめん、美園。あたしこそ、嫌なこと思い出させちゃった」

「いいって、気にしないで。とりあえず、トイレ出たら奥のお店チラ見して、混雑がマシになってたらおにぎりでも買っちゃおう。次のサービスエリアまでまだ時間あるし、その間におなかすいちゃったらアレでしょ」

「うん、まあ……そうだね」


 楽しい日帰り旅行の(ひょっとしたら一泊になるかもだが)予定であったのに、なんだか空気が重くなってしまった。美園はなるべく笑顔を作って友人に語りかける。

 とりあえず、あんな腹立つ部長のことなど、今は忘れるべきなのだ。何の成果もなかったとしても、今回のプチ旅行を楽しむくらいはできるはずなのだから。

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