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第二十話 《夫婦のにぎやかな朝》


 チチチ、チチチ、と音がする。


 その音につられて、微睡みの中でミスズの意識はゆっくりと浮上する。無意識に手を伸ばし、音を止めようと枕元を弄る。


 しかし、その指先が端末に触れることはない。代わりに、冷たいとも暖かいともつかない、柔らかいと同時に硬くもある奇妙な手応えが返ってくる。目を閉じたまま、ミスズは眉をしかめてその形を指でなぞった。


 端末ではない。なんていうか、どこぞの古代文明の髑髏の仮面とか、髑髏の飾りとか、そんな感じで……。


『……ミスズ。痛くは無いのだが、眼窩に指をつっこむのはやめてくれないか?』


「はっ……!」


 電子音じみた響きの青年の声で、ミスズは今度こそ目を覚ました


 ばっ、と身を起こす。


 ここはミスズの寝室ではない。フィリティウムで借りた安い宿の一室であり、簡素なパイプベッドの板のようなマットの上だ。傍らには、同衾していた金属製の骸骨じみた、というかそれそのもの青年の姿。


 状況を認識してミスズは顔を赤くした。端末は、ベッドの下で止められる事なくチチチチ、と音を鳴らし続けている。


「す、すいません。寝ぼけてました……!」


『いやあ、まあ。別にいいのだが……手癖なのか? 突然顔の形を確認するようにわさわさされてくすぐったかったぞ』


「その。つい」


 暗闇に手を突っ込んで遺物やらスイッチやらを探すのはよくある事なので、ついクセでやってしまったようだ。


 ずれてしまったタオルケットを畳みつつ、ミスズはベッドから足を降ろした。黒いインナー姿をおくびもなく晒し、うーんと背伸びする。


 宇宙服の下に来ていたのと同じ黒いインナーは、長期間の宇宙滞在を見越して体温を一定に保つ、皮膚の老廃物を分解する、破れにくい、等の利点がある。唯一の欠点は、薄手の生地であるために着用者のシルエットが浮き上がる事だが、ミスズは利便性を重視して寝間着代わりにしている。


 ミスズの体形に魅力を感じているアストラジウスからすれば、朝から目福である。野生の獣を思わせるしなやかな躍動にそれとなく目を奪われながら、何食わぬ顔で自分もベッドから降りる。今の所、その真相をミスズに伝えるつもりは彼には無い。密かな楽しみという訳である。


「…………」


 まあ、そういう視線がバレてないと思っているのは男だけなのだが。夫にバレないような確度で顔を赤く染めつつ、ミスズは照れ隠しのようにジャケットを上から羽織った。


 チチチ、と鳴っているアラームが不意に止まる。見れば、作業用ロボットが小さな前足で端末を弄っていた。ミスズと目があった彼は、カサカサとベッドの下に潜り込んで姿を消した。端末を拾い上げて、軽く通知を確認するミスズ。


 画面には、銀河統一政府の標準日付が示されている。


 その日付はミスズとアストラジウスが惑星フィリティウムに到着してから、およそ三日が経過している事を示していた。


「……ふむ」


 ミスズは頷いて、ベッドの下を覗き込む。


 そこには一体だけではなく、何十体もの作業用ロボットが隠れるようにして犇めいていた。この惑星にアストラジウスが持ち込んだ大本の機体は三機ほど。これらの機体は全て、現地で自己増殖した機体だ。


 作業用ロボット達は働き者だ。目的を達するまで、余計な事はしないし遊んだりもしない。その彼らがこうして戻ってきている、という事は、つまり。


「旦那様」


『ああ。どうやら地下水路のめぼしい所にあたりをつけてきたようだ。観光はここまで、という事だな。まさか三日もかかるとは思わなかったが』


「たった三日ともいえますよ。これまで数十人の研究者が調査して、めぼしいものを見つけられなかったんですから。では、ここからは私の仕事、という事ですね」


 ミスズはこの三日間、一度も開封しなかったカバンを引き寄せると、中身を改めた。内部には、彼女の調査ツールや、フィールドワーク用の衣服が入っている。隠れていた作業用ロボット達が、何だ何だと群がってきてカバンを覗き込んだ。


 察したアストラジウスが壁へ向き直る。いくら婚約しているといっても相手の着替えをマジマジと観察するのは流石に不躾だ。


 視覚と聴覚をシャットダウンして鉄像と化したアストラジウスの背後で、ミスズはぱぱっとインナーを脱ぎ捨てると今度は上下が一帯になった黒タイツのようなものに袖を通す。肌にぴったりはりつくようなそれを弛みなく着用できているのを確認すると、使い古した赤茶色の短パンとジャケット、帽子を身に着け、各種道具の入ったポシェットやハーネスも装備。脚も頑丈なブーツに。髪は、ゴムバンドで軽くまとめる。


『もういいか?』


「はい、どうぞ」


 許可を取って振り返り、アストラジウスはまじまじと妻のフィールドワーク装備を観察した。一見すると、調査活動を舐めてる若い女の格好だが、彼女が纏っている黒いタイツは耐環境装備の一種だ。黒インナーと同じく高い耐久性と着用者の生体維持機構を持ち合わせており、本来は戦闘兵が装着するプロテクトアーマーの下に装備するような代物でそのままでもCQBに対応している、といえばどれぐらいのものかわかるだろう。見た目は薄着だが、それに反してガチ装備である。


 ただ難点を言えば、すこし体のシルエットが出すぎである。それを考慮してジャケットと短パンを履いているのだろうが、色が黒いだけで太ももとか腕とか出しすぎではないかとアストラジウスは思った。


「なんか視線がエッチじゃないです?」


『ウォホン。そんな事はない。それはそれとして、流石に無防備すぎじゃないか? 見た目よりずっと安全な代物だとは聞いているが、それではピクニックにいくガールスカウトのようではないか』


「現地まではこの上にボロマント羽織るんだから大丈夫ですよー。そもそも狭い遺跡の中に潜り込むのに余計な装備つけていられませんって」


『むぅ……』


「そもそも目立つといったら旦那様の方がよっぽどアレなんですから、いくら立体映像重ねて誤魔化しているといっても迂闊な事しないでくださいよ?」


『わかっているとも。しかしだなあ……』


 どうにも納得いかなさそうにモゴモゴとつぶやくアストラジウスだったが、結局ミスズを言い包められるほどの理が見いだせなかったのか、仕方なさそうに口を閉じる。


『仕方ない。ここで意見の相違を埋め合わせるよりは、遺跡にさっさと潜った方が建設的か。ただ、そうだな。せめてこれを連れておいてくれ』


 そういってアストラジウスが差し出したのは、彼が持ち込んだ三機の作業用ロボットのα個体、その一機だ。一つは遺跡調査に出し、一つは盗まれてから返ってきてないので、これが最後の一機になる。


「あれ、いいんですか?」


『ああ。君の言う事を聞くように入力してある。万が一造反者と戦闘になった時に君を守ってくれるだろう』


「へぇー。じゃあ、有難く……」


 受け取った楕円形の金属塊をしげしげと眺めるミスズ。しばし悩んだのちに、彼女はペンダントのようにそれを首元に宛がった。空気を読んでロボットが足で服にしがみついてくれる。


 しばし小躍りするようにステップを踏んで、違和感を確認する。ロボットは金属製にも関わらず羽根のように軽く、動く上での違和感は感じない。鏡で確認するが、何も知らなければちょっと変わった首飾りを下げているようにしか見えないだろう。


 うん、とミスズは満足したようにうなずいた。


『問題はないようだな』


「ええ! それじゃあ、いきましょう!」


 水を得た魚のような元気の良さで、おー! と拳を突き上げるミスズに、作業用ロボット達が同調するように前足を掲げた。





『ところで、食事はどうするのだ?』


「市場で適当に買って、歩きながら食べましょう」


『そうか……。適当か……』


「……実はちょっと、よさげなの目星をつけてるんですよ。ご期待ください!」


『! そ、そうか。それは楽しみだ』

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