『つまり、私の出番という訳だな?』
アストラジウスは左手を差し出した。その手には、彼が多用する昆虫型ロボットが大人しく収まっている。ロボットは緑色に発行する単眼をくりくりと動かしながら、ミスズに視線を合わせた。
「はい、申し訳ないですが、お願いします。ちょっとずるい気もしますが……」
『何、使える物は使うべきだ。そもそも、ネティール王朝の遺産であれば、第一皇子である私の所有物という事でもある。本来の主が、長年貸してきた物件を取り立てにきたのだ、何の問題もあるまい』
アストラジウスがロボットを放つと、それはしばらく戸惑ったように宿屋の床で停止した後に、壁の罅割れを潜って姿を消した。
放ったのは一体だが、彼らは自己増殖能力を持っている。スクラップ等を原料に増殖し、目的を果たした後は自己分解して資源ペレット等に姿を変える、というのが彼らの基本的な行動ルーチンだ。数匹懐に忍ばせておけばいいというのは持ち運びが楽で助かる。
幸いというか、このあたりは治安の悪さに比例してゴミも多い。それらを資材にして増殖し、地下機構の探索を開始するだろう。
『本来ならば一日もあれば数百匹にも増殖するのだがな。オフライン状態でかつ、一目を避けて現地への影響も最低限、となると、そこそこの時間がかかりそうだ。判断力にも難があるから、あくまで地下機構の怪しい所を探るのが精いっぱいだな。まあ、そこから先は専門家にまかせるとしよう』
「はい! まかされますよ、専門家ですからね!」
『ふふ、頼もしいことだ。それで、彼らの調査が終わるまではどうする?』
「そうですね……。とりあえず、情報収集を兼ねて、現地の生活に触れてみる、というのはどうです? あと数時間で日没ですが、日が暮れてからご飯を食べに外に出るのは危ないです。今の内に市場にいって、食べ物を買うついでに話を聞いてみましょう」
『ふむ……悪くないな。正直言うと、少し気になっていたのだ』
「決まりですね!」
手早く資料を片付けて身を起こすミスズ。アストラジウスはもう一機、ロボットを取り出すとそれに留守番を命じた。手を振って見送るロボットを後に扉を閉めると、内側からチェーンを巻く音が聞こえてくる。これで荷物を泥棒に盗まれたりするのは心配いらない。
敢えて言うなら、今はシャットダウンしているシステムが復旧した場合、オンライン回線を通じてロボットのコントロールを奪われる恐れがあるが、その場合はアストラジウスの持つ王族コードでシステムそのものの制御を奪える。問題は無いだろう。
一応、隣の4番部屋を覗き込んでみる。
部屋は扉が蹴破られたように破損し、蝶番が取れて傾いた状態でキィキィと音を立てて揺れている。仲は棚や机がひっくりかえり、ベッドのマットが切り裂かれて中身の綿がはみ出していた。床には、人の血と思われる赤い液体が広がっており、何かを引きずったような跡が宿屋の出口に向かって延々と続いていた。
その先を見送ると、宿屋の受付らしき男が無表情で床にモップをかけているのが見えた。ごわごわとした指には見覚えがある、間違いない。白髪混じりの男は一瞬だけ二人にチラリと視線を向けたが、それきり関心を失ったように床の掃除に戻った。
無言で男の横を通り抜けて宿屋の外に出る。
『……本当に無関心なんだな』
「まあ、ああいう荒事を込みでやっているんでしょうし。とはいえ、流血沙汰になった以上、裏社会なりの制裁とかあるんじゃないです? よく分かりませんけど」
『まあ、流石に部屋の破損や流血の掃除をさせられたら話は変わるだろうが……』
話していると、遠くからパンパン、と乾いた音が聞こえてきた。
びくっ、とアストラジウスが肩をすくませる。
タイミングが良いというか……まさかな、と彼は首を巡らせたが、音の出所は裏路地の奥のようで、状況は分からなかった。
「あまり気にしない方がいいですよ、私達は所詮余所者ですし」
『うん、まあ、確かにそうなんだが……』
アストラジウスはどうにも納得できずにまごまごとしていたが、最終的には割り切ってミスズの背を負った。
ここは専門家に大人しく従う事にしたようだ。いくら超技術を持っていても、アストラジウスに大した事はできない。その場所にはその場所に適したやり方があるというものである。
無言のまま、表通りに出る。途端に、賑やかな喧噪が目に入った。
傾きつつある日差しの下、天幕の下で様々な商品が並べられて販売されている。色鮮やかな果物から、貴金属が輝く装飾品、薄汚れた物から色鮮やかな物まで多種多様な布製品、どこかの横流し品と思われる銃器の類、衣食銃を問わず様々な物品が客引きの声と共に販売されている。
色鮮やかな赤い球状の果物が積まれた前で思わずアストラジウスは脚を止める。果物は艶やかな赤色で水気も多く、突けば弾けそうな程に皮が張っている。漂う香りは甘く香しく、分泌されぬはずの唾をごくり、と彼は飲み込んだ。
『その、なんだ。ミスズ。これなんか、美味しそうではないか?』
「? あれ、ご興味が?」
『うむ。甘くておいしそうだし、食事のデザートにどうだ?』
「ああー……。残念ですけど、ちょっとデザートには向かないですね。これ、辛いので」
『……何ですと?』
思わず果物を二度見してしまうアストラジウス。こんなに瑞々しくて、甘い香りがするのに?
「このあたりでは煮込んで辛いペーストの原料にするんですよ。甘味が無い訳じゃないんですが、あくまで辛味の引き立て役というか」
『辛味というのは香辛料で出すものではないのか?』
「それは勿論。でも中には辛い香りは出すけどあまり味はない香辛料もありますし、使いすぎると苦みが出るものもあるんですよ。香りはそういったスパイスで出しつつ、味そのものは辛味や旨味、甘味、苦みといった総合的な味の複合で練り上げる、というのが美味しい料理というものです。特に、香辛料は今や宇宙を越えて行き来するので何でも使えますが、その分値が張りますので。やはり地産地消に限る感じな訳です」
『そ、そうか……』
知らなかった話に関心したように頷くしかない第一皇子。良い所のぼっちゃんである以前に、彼はそもそも普通の食事をしたことが無い。味覚というものがどういうものかシュミレーターで経験こそしているが、実際に料理を口にした事がないのだ。
一応、ミスズの家でカフェイン飲料なりを味見する機会はあったし、食べられる、という事を説明してからはミスズから少し食料を分けてもらったものの、それらは保存性とコスパ最優先の味気ない保存食の類ばかりだ。
悪く言えば原始的、よく言えば家庭的な料理というのは、今だ口にしたことが無い。
話してる内にその事に思い当たったのだろう。ミスズはちらり、と赤い果物に視線を向けると、市場に目を巡らせた。
「別に食べちゃいけない、って訳ではないですよ。せっかくですから、今日はこの果物使った料理を食べる事にしましょう」
『いいのか?』
「ええ。私も辛いモノが嫌いな訳じゃないですし。ちょっと待ってくださいね。『はぁい、おじさん。この果物を卸してる屋台、教えてくださらないかしら?』」
共通語ではなく、この星の独自のものらしい言語でミスズが店主に語り掛ける。
唇が見えないほど濃い髭を称えた店主は当初、余所者を見る不愛想な視線を向けていたがミスズが懐から小さなチップを取り出すと露骨に対応が変わった。
ニコニコ微笑みながら投げ渡されたチップを受け取り、代わりに数店離れた先の屋台を指さす。あちらがこの店主のお勧め、という事らしい。
「『ありがとうね、おじさん』。さ、いきましょ」
『なんというか、随分と現金なんだな……』
「分かりやすくていいでしょう? まあ、ちょっと出費は増えるけど……」
苦笑しながら、お勧めされた店に向かう。屋台は、小さな土鍋に茶色いスープのようなものをよそって販売しているようだ。行列とまではいかないものの数人の客が品定めをしており、近づくと辛味と旨味の混じり合った香りが鼻孔をくすぐる。ミスズは勿論、食べる必要のないはずのアストラジウスもその香りに空腹感を刺激される。
不思議なものである。辛味は痛みともされ、危険物を避ける為に人間が発達させた味覚であるはずなのに、その辛味の香りで食事の経験すらない金属義体さえも食欲を刺激される。本能を、培ってきた人間社会の記憶が上書きしているとでも言うのだろうか。
列に並ぶと、すぐに店主が土鍋にどろりとした濃厚な煮込みを救って注ぎ込む。香辛料や具材がゴロゴロと浮かぶそれをアストラジウスが受け取ると同時に、ミスズが手早く支払う。多少高い値段設定のようだが、食器を戻せばその分払い戻されるようだ。料理そのものの値段は手ごろなようである。
手にした鍋を覗き込むと、液体というより崩れるまで煮込んだ固形物が満たされているのが見て取れる。色合いも単純ではなく、よく見れば黄色やら赤やら緑やら、多種多様な具材が溶けだした結果この色合いになったようだ。話によればベースはあの赤い果物らしいが、こうやって調理された後だと全くその面影はない。
『…………』
これが私の初食事になるのか。どんな味だろうな。前方への注意もそぞろに、アストラジウスはミスズの背中を追う。彼女は、帰り道で屋台からパンらしきもの等を購入しているようだ。手慣れた仕草で足を止めずに会計を済ませていく彼女に彼は思わず見入ってしまう。
そのせいで周囲への警戒が疎かであり、彼は前から走ってくる小さな影に気が付かなかった。
『おっと』
「っ!」
ドン、と小柄な子供の体がよけきれずに彼の体にぶつかる。手にしていた小鍋を落とさないように掲げた彼は、子供に咎めるような視線を向けた。
『気をつけなさい』
「わりぃ、わりぃ! それじゃ!」
謝罪もそこそこに走り去っていく子供。それを見送ったアストラジウスは、いつの間にかミスズが足を止めてじっと見つめているのに気が付いた。
『何か?』
「何かって……旦那様。今の、スリですよ」
『……なぬ!?』
言われてて、慌てて身体チェックする。そういえば、無い。
『さ、作業用ドローンを一機持っていかれた!? いつの間に?!』
「うーん。先に注意しておくべきだったかな……。財布を持っている私が気をつけていればいいと思っていたもので。すいません」
『いや、確かに盗まれて困るような物を持ってないがな、私は』
金属義体に必要なものは大体内臓されている。懐にいれていたのは、それこそ作業用ドローン程度のものだ。そういう意味では、ミスズの言う通り、彼がいくらスリにあった所で問題はないのだが。
『しかし持っていかれたのに全く気が付かなかった。凄いものだな』
「手癖の悪さを褒めたたえてどうするんですか。取られたの、あの虫みたいなロボットですよね。大丈夫なんです?」
『何、今頃盗んだものが何なのかに気が付いてびっくりしているだろうよ。作業用ドローンも、解放されれば自動的に戻ってくるし、問題はない』
「それならよかった。とはいえ、ちょっと嫌な感じですね。急いで部屋に戻りましょうか」
『ああ、そうだな』