惑星フィリティウム。
地表の八割が大陸で、その殆どが乾いた荒野となっている、一見すると人の住めない死の惑星。だが、地下に50mも掘れば大量の地下水脈が散見され、実際に惑星に存在する水の量は非常に多い。また赤い地表の色は大地の色だけでなく、地表に広く生息する地衣類の影響によるものが大きい。それらは地下から豊富な水脈をくみ上げ、共生する褐藻類の助けによって繁栄を享受している。その来歴と同じく、見た目とは裏腹に豊かさを秘めた赤い星。
そんな惑星フィリティウムの衛星軌道上から少し離れた所に、人工の光が明滅しているのが見えた。航路管理局のステーションだ。そちらで申請を行い、そのまま大気圏を降下する手はずになっている。本当は軌道エレベーターから降りた方が色々と楽なのだが、アストラジウスの事を極力秘密にするにはこの手法しかない。表向き、彼は以前治安維持局の隊員にミスズが説明した通りに、デプリベルトから救出された遭難者という設定をそのまま引き継いでいる。住民登録が消えているため再申請し、自らを救助してくれたミスズに恩を感じてそのまま下で働いているという筋書きだ。センサーやカメラ越しの確認なら彼の持つテクノロジーでいくらでも誤魔化せるが、流石に面と対面すると人間ではないとバレる恐れがある。
航路管理局への申請はすぐに終わる。どうやらフィリティウムに出入りする者は極端に少ないらしい。
『意外だな。話を聞くにそこそこ豊かな惑星だそうだから、出入りする人間は多いのかと思っていたが』
「どちらかというと、フィリティウム側が排他的というか、愛想悪いんですよね。ビジネスの話をもっていってもつっけんどんで。来るのは構わないけど相手にもしないぞ、みたいな。それだったら、話の通じそうな他の星に行きます、という事になる訳で」
『そうか。つい私の価値観で考えていたが、今はヴォイド・ポイントのおかげで人類が居住可能な惑星は多く候補がある訳か』
許可を得て衛星軌道上に侵入する。キャノピーには、軌道ステーションからの誘導ガイドが表示されており、それに従って大気圏突入の手筈を整える。
<銀河の荒波号>はオンボロな宇宙船だが、それでもスペースランチと違って、最低限の大気圏突入・離脱能力は持っている。連絡艇に過ぎないランチと、宇宙船の差だ。さらにいえば今は見た目だけで、中身は失われたテクノロジー満載の高性能宇宙船である。
『しかし、大した距離でもないのにいちいち航路管理局のステーションによらないといけないのは不便だな』
「まあ言いたい事は分かりますが、仕方ありませんよ。衛星軌道上に悪意ある船が入り込んで機雷でもばら撒いたら、それだけでその惑星は干上がりかねないケースもあるので。フィリティウムは自給自足で成り立っていますが、余所者嫌いなので同じことです」
『そういえば無許可で衛星軌道上に侵入したら最悪、領域侵犯で撃墜されても文句は言えないのだったか』
「ええ。ま、ちゃんと許可は取ったので何の心配も無いですね」
コンソールをポチポチして大気圏突入の準備を進める。今現在、大気圏突入は手順を守ればさして危険な作業ではないが、それはきちんと手順を守った場合の話。何か見落としがあれば爆発四散する危険が伴う事に変わりはない。今の船がボロボロなのは見た目だけだが、手を抜かずにきちんと確認を行う。
「大気圏突入自動シークエンス起動、と。突入に備えて無線封鎖しますね」
『待て』
「? 旦那様、どうしました?」
不意に作業を止められ、首を傾げるミスズ。だが、アストラジウスは彼女に右手を静止するように伸ばしたまま、まるで深く思考するように左手で自分の額を抑えている。立体映像が乱れ、一瞬彼の骸骨のような素顔が露になる。
『これは……まさか』
「あの?」
『……オンライン通信を確認した』
「? ええまあ、でも今から大気圏突入するんで、規則にしたがって封鎖を……」
『そうじゃない。ネティール王朝のシステムの接続を確認した』
彼の言葉の意味を数秒理解し損ね、ミスズは硬直する。ややあって意味を理解した彼女は、座席を乗り出す勢いでアストラジウスに詰め寄った。
「ほんとですか!?」
『ああ、間違いない。この惑星に、生きているシステムがある』
彼の言葉を受けて、ミスズは赤い星に視線を向ける。確か惑星フィリティウムは直系2万キロであり、今ミスズ達が居るのはそこからさらに4万キロ上空。それに対し、アストラジウスの話だとオンライン通信はおよそ六万キロだという話だ。発信源の場所や、地形や気候条件で低減するとしても、成程。衛星軌道上なら辛うじて接続が可能な距離かもしれない。
「やったじゃないですか! 嘘から出た真というか、幽霊の正体見たり本物だったというか……とにかく来たかいがありましたね! じゃあ例の髑髏のお化け、やっぱり……!」
『ああ、もしかすると本当に国民の生き残りかもしれない。まて、システムに王族コードで接続を試みる。文明が途絶したのが私が眠りについてどれぐらい後の話なのか分からないが、少なくとも私は死んだ事にはなってないはずだからな。恐らく有効なはずだ』
「ワクワク!」
『声にでてるぞ、まったく』
目をキラキラさせるミスズに苦笑しつつ、システム接続に意識を戻す。
王族コードは頭の中に焼き付いている、忘れるはずもない。彼だけに見えるイメージコンソールに、一言一句違わずコードを入力する。
『……よし、通った! ……ん?』
「どうしました?」
『いや、突然接続が……うん? オフラインになっている? 何故だ?』
想定外のトラブルにアストラジウスが動揺する。さきまでつながっていたはずのシステムに、今度は何をやってもつながらない。手ごたえがない。
確かにコードを送信し、セキュリティが解除されたのは確認した。その直後の事だ。
だが何度確認しても、今は無線通信の表示すらない。
「何かトラブルが? どうします、このまま大気圏に突入しても大丈夫です?」
『ああ、いや、おかしいな、そんなはずが……ミスズ!!』
不意にアストラジウスが飛び掛かるように操縦席のミスズに覆いかぶさった。え? と彼女が状況を理解するよりも早く、尋常ではない衝撃が船を襲った。油断してシートベルトをしていなかったミスズは席から放り出されそうになり、そんな彼女を素早くアストラジウスが抱きかかえる。
そしてミスズは見た。キャノピーの外、船体を包む赤い炎を。船体が激しく軋み、透明なキャノピーにヒビが入る。それは次の瞬間霜のような細かいひび割れとなって広がり、粉々に砕け散った。一転して、船内の何もかもが外に吸い出されていく。
『ミスズ、ヘルメットを……』
空気が薄くなって、アストラジウスの声が遠い。それでも金属の腕は素早く壁に掛けてあったヘルメットを手に取り、ミスズの頭に無理やり被せた。プシュウ、と黒髪がヘルメット内部に吸い込まれるように収納され、カチリとロック機構が作動する。圧力調整がブブブブ、とヘルメット内部を与圧する。
状況についていけずヘルメットの中で口をパクパクさせるミスズとは違い、アストラジウスは彼女の宇宙服の状態を確認すると素早く席から立ちあがった。自分の座席に戻り、足元のスペースからバックパックと長槍を素早く回収する。
直後、操縦席に真っ赤なアラートが輝いた。空気が残っていれば耳を劈くブザー音も聞こえただろう。
ミスズが反射的に操縦席のコンソールに目を向けると、無数の悲鳴じみたエラー表示を上書きするように、いくつかの警告メッセージが最上段に表示されていた。
『推進システムに損傷、大。航行不能』
『危険。高度低下』
『重力圏の影響、大』
『大気圏に突入する恐れ』
「……え? え?」
『ミスズ、船を捨てるぞ、掴まれ!』
アストラジウスが叫びながら彼女を抱きかかえ、宇宙に飛び出した。
見る見るうちに遠ざかっていく彼女の宇宙船、そのシルエットが真っ赤に燃え上がっている。バラバラと部品が脱落していき、やがて圧力に耐えかねたのかフレームがグシャリと捻じれ、直後真っ赤な閃光を放って爆発した。黒い煙が膨らむようにして霧散し、いくつかの残骸が重力に引かれて落ちていくのが見えた。
状況は分からないが、愛船の最後を見届けた事でミスズの口をついて出る叫びがあった。
「わ、私の船が!! まだローンが10年残っていたのに!!!」
『言ってる場合か!?』
アストラジウスのつっこみにハッとするミスズ。
気が付けば、彼女は彼に抱きしめられるように宇宙を漂っていた。いや、漂っては……いない。むしろ何かに引っ張られているというか、加速しているというか。重力を感じて見降ろした先には、惑星フィリティウムの真っ赤な地表が目に入った。
「……きゃああああああ!? 落ちてるぅ!!!」
がっし、とアストラジウスに全力でしがみつくミスズ。
「何?! 何!? どうなってるの!?」
『ああ、うん。船の爆発に巻き込まれないよう脱出したが、絶賛大気圏突入中だ』
「いやあああ燃えるぅうう!! 燃え尽きて死ぬのは嫌ァアアア!!?」
『お、落ち着け、落ち着け。大丈夫だ、何とかする』
「…………え? 何とか……できるの??」
『勿論だとも。落ち着いて周囲を見るんだ』
コアラのように全身全霊でアストラジウスにしがみつきながらも、僅かに落ち着きを取り戻したミスズは周囲を見渡すように観察した。
どうやら今現在、ミスズとアストラジウスは脚から大気圏に突入しているようだ。既に赤い焼けた大気が、彼女達を取り囲むように舞っているのが見える。だが、宇宙服越しとはいえ熱は感じない。
不思議に思ってよく見れば、二人を取り巻く赤い炎の中で緑色にうっすら輝く粒子のようなものが見えた。それは無数に存在し、二人を球状に取り囲んでいるように見える。
「これは……」
『大気圏突入時に一番危険なのは、断熱圧縮によって発生する高熱なのは言うまでもないな。逆に言うと大気を圧縮せず、断熱圧縮が発生しなければ突入の難易度は大幅に下がる。今はこの熱交換粒子を用いて、大気が圧縮されないよう攪拌しつつ熱が過剰に高くならないよう再分配を行っている。このまま大気圏を突破したら、地表にゆっくり減速しながら下降する』
「……うっそぉ……。高度文明だとは思ってたけど、個人で大気圏突破できるの……?」
『そこまでおかしな話でもないだろう? むしろ、支配領域で反乱が起きた際等には、大型の船でのこのこ近づいたらよい的だ。こういった、空挺兵を個人単位で惑星に放り込む装備は、必然として発達するものだろう?』
「いや、道理と理屈はそりゃあそうかもしれませんけど……」
『あといっておくがそんなに余裕がない。離れるなよ』
「は、はひぃいい……」
おっかない事を言われてひっしとしがみつくミスズに、小動物みたいだなあ、とアストラジウスは呑気な感想を抱いた。
幸いにして、大気圏の方は無事に突破しつつある。自在に飛行、とはいかないものの、彼が装備したジャンプパックは人間を無事に地上に降ろせるぐらいには減速が可能だ。
だが問題は、それではない。
ちらり、とアストラジウスは爆発四散した宇宙船の残骸に目を向ける。同じように重力に引かれ、断熱圧縮の中燃え尽きていくそれら。
……一体何が原因だったのか。もともとのオンボロ船ならともかく、アストラジウスの手で外装はそのままに内部は高性能なそれに差し替えておいたはずだ。可能性はゼロではないが、エンジントラブルによる事故だとは考えにくい。
それにあの時。赤く燃えるキャノピーの外に、ちらりと見えた緑色の光。一瞬の事だったので判別がつかなかったが、あれは何かのビーム光だったのではないのか?
『何者かによる攻撃……か? まさかと言いたいが』
確証はない。だが、アストラジウスは赤い星の引力に引かれながらも、この先に尋常ならざる困難が待ち受けている事を想像せずにはいられなかった。