目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第十話 《学者先生の穴倉》


 シュナーガルは歴史の古い居住ステーションだ。


 慣性によって疑似的に重力を発生させる前時代的な構造だが、それだけに信頼性が高く、今日まで多くの人間を迎え入れてきた。


 初期は、きちんと勉学を修めた宇宙労働者の生活の場であったシュナーガルだったが、後続の居住ステーションがあちこちに建設されるにつれ、人口は減っていった。それに伴い居住条件を緩和すれば、加速度的に民度が下がり、ステーションも荒れていく事になる。それに伴い家賃も下げざるを得なくなり、そして民度もまた下がる。


 負のループに取り込まれた結果、やがて、もはや平均的な年収の労働者であれば見向きもしないほどに落ちぶれたシュナーガルは、日々の生活にも困るような者達のたむろするスラム街のような有様になっていた。


 無秩序な改築と改造によって、ステーション内部はアリの巣のように入り組んでいる。住み慣れていない者であれば忽ち迷ってしまう迷宮のようなその奥に、ミスズ・クロカワが借りている部屋があった。


 間取りはいわゆる3LDK。家賃の安さを考えると破格の広さである。しかしながら、実際の所そのほとんどの空間は資料と発掘品で埋まっており、家というより倉庫、といった有様である。言葉を選ばずに表現すれば、汚部屋、という奴だ。


 いや、正確にはだった、というべきか。


 かつてはとてもではないが人の生活する空間ではなかったその部屋は、今や綺麗に整理された生活空間へとリフォームされつつあった。


 部屋中を這いまわり、清掃と片付けをしているのは無数の昆虫型ロボットだ。指示された基準に基づき、ゴミと資料と発掘品を分別する彼らは、休む事も文句を言う事もなくせっせと働き続けている。食べ残しの食器を台所に運び、生ごみを分別し、コーヒーの飛び散った形跡のある紙を束ね、土に塗れた出土品を箱に収める。


 そんな働き者たちを、アストラジウスは腕を組んで満足そうに観察していた。屋内なので人の目を気にする事なく、金属の骸骨じみた正体を晒し、その上からTシャツを一枚羽織っている。昔々、ミスズが何かの懸賞で当てたものの男物なのでしまっておいたもので、今は絶滅した超古代の支配者“ねこねこ”の絵が描かれているらしい。


『…………ふむ』


 よし、と納得するように頷く彼。彼自身は何もしてない……という訳でもなく、今もしきりにロボット達からの確認要請に応えている。一見するとゴミにしか見えないものが重要な資料だったりするので、とにかく全部一度確認して、分からなければ保存の方向で。


 古代文明の第一皇子に部屋の片づけをさせるなんて罰当たりもいい所だが、実はアストラジウスから言い出した事である。彼からすると、こういう生活感にあふれた雑多な空間というのは逆に新鮮だった。それに、研究者とか科学者が、実生活がとんでもなくズボラなんていうのは、別に珍しい話ではない。


 アストラジウスは駄目人間に理解のある皇子なのである。


 ちらり、と時間を確認すると、もうそろそろ3時間が経過する所だ。そろそろ、妻の方の様子を見に行かなければならないだろう。


『よし、とりあえずここまで。命令あるまで待機せよ』


 ロボット達に指示を出し、リビングに向かう。客間とは名ばかりで、今は彼女がそこを占拠して資料を洗いなおしている。紙やテンプレートの資料を片っ端から広げるので、広い方がいいらしい。


 リビングに繋がるドアをノックし、返事がないので押しとおる。


『妻よ。そろそろ3時間になる。休憩を……』


 声をかけながら踏み込んだアストラジウスは、しかし足元に転がる書類を踏みそうになって動きを止めた。


 見ればリビング中に大量の書類が巻き散らかされており、無数の書類タワーが出来上がっている。無造作に付箋が張り付けられたファイルもあちこちに転がっており、空中には立体映像が無秩序に浮かべられていた。


 その中心、デスクで資料に齧りついているミスズは、目には分厚い瓶底眼鏡のような思考補助グラスをかけ、髪はぼさぼさ、長期間の集中作業に目には色濃い隈が浮かんでいる。傍らにはカフェイン飲料を飲み干した容器が多数転がってもいた。その中に紛れるように、渦巻き模様が浮かぶ水晶玉のようなものと、最新の宇宙地図の画面が開かれる携帯端末が転がっている。


 アストラジウスのかけた声も聞こえていないらしく、ブツブツいいながら資料の山をめくってはそれを壁際に投げ捨てて次の資料へ。


 よほど難航しているらしい。アストラジウスはため息をついてしゃがみこみ、散らかっている資料を拾い集める。そうやって移動スペースを確保すると、ミスズの背後に静かに近づき、声をかけた。


『妻よ。そのあたりにしておきなさい』


「はっ!? あ、あれ、今何時……」


『先ほど声をかけてから3時間だ。いい加減に休憩しなさい』


「あ、あとちょっと……」


『さっきもそう言っていたと思うのだが』


「い、いや、今いい感じなんです。こう、閃きそうというか」


『それは疲労とカフェインの過剰摂取による錯覚だ。いいから、休憩しなさい。ここで数時間無理して体を壊すより、数時間休憩して体調を戻して取り組む方が効率がいいのは言われなくてもわかるだろう? 寝なさい。いいね?』


「うう……わかりました」


 実際に限界だったのだろう。しぶしぶ従うそぶりのミスズに満足そうに頷くと、アストラジウスは彼女の腰と脚に手を回した。抱え上げられたミスズが羞恥の混じった声を上げる。


「あひぃあ!? だ、大丈夫、自分で歩けるからぁ」


『駄目だ。君は意外と人の言う事を聞かないからね。ベッドまで護送する』


 有無を言わせず寝室に向かう。じたばたとミスズはなおも抵抗するが、疲労からか照れからか、その力は弱い。無視して寝室にたどり着くと、妻を優しくベッドの上におろした。


 寝室は流石に憩いの場であるからして、資料やらゴミやらはない。部屋の片隅には、年季の入ったぬいぐるみが積まれている。ベッドは一つだ。……これは別に夫婦だからとかではなく、単純に金属製の肉体を持つアストラジウスが寝ても大丈夫なベッドが存在しないからだ。ネティール王朝の貴賓室であれば、彼の重量を受け止めつつふわふわの感触を保つベッドを再現できるのだが、流石にそれを望むのは酷というものである。


 この期に及んでベッドから起き上がろうとするミスズを片手で押さえ、シーツを胸元まで引き上げてやる。それでようやく観念したのか、ミスズは枕に頭を預けた。


「うぅ……。すみません……」


『気にするな。そもそも私とて、二日や三日でどうにかなるとは思っていない。長期的に考えて今は休む方が効率がいいというものだ。しっかり寝なさい』


「でも……」


『そもそもだ。妻が寝不足と過労で目の下に隈を作っているのを見られたら、私の沽券にもかかわる。私の為だと思って、今は寝なさい』


「はぁい……」


 ようやく納得したらしいミスズが、目を閉じる。数秒と経たず小さな寝息を立て始める彼女にアストラジウスは安堵の息を吐くと、音を立てないよう静かに寝室を後にした。


『全く。何が私の為にも、だ。私の方こそ、何の役にも立っていない』


 リビングに戻り、散らかった資料を片付ける。中身は分からないが、文章の特徴や流れ、紙の劣化具合などから繋がりは判別できる。可能な限り関連書類ごとに纏めて、部屋の隅に置いておく。


 一通り資料を纏めてたら今度はゴミを片付ける。中身が微妙に残ってるカフェイン飲料をゴミ袋に詰めている過程で、ふとアストラジウスの目に留まる物があった。


 銀河のような模様が渦巻く水晶玉と、最新の宇宙地図の画面。


 水晶玉は、アストラジウスがステーションから持ち出したものだ。これには、ネティール王朝の支配領域の宇宙地図が記録されている。これを参考にすれば、今の宇宙のどこに、ネティール王朝の遺跡があるか簡単に判別できるはずであり、王朝復活に前向きなアストラジウスの自信の根拠でもあった。


 だが、今現在の最新の宇宙地図と比較した結果、これはまるで役に立たない事が発覚した。


 全く、今の宇宙の、銀河の構造と、ネティール王朝の残した地図が全く一致しなかったのだ。


 それはつまりどちらかが違うという事であり、当然現行で使われている物が正しいとすると、ネティール王朝の銀河図が間違っているという事になる。そんな事が在り得るのか、というのがアストラジウスの正直な感想だ。確かに長い間オフライン状態にあったとはいえ、かつての文明が使用していたものだ、実用性には相違ないはずである。


 あるいは一万年の間に大きく銀河が変わってしまったのだろうか。それもおかしな話だ。人の基準でいえば一万年というのは途方もない時間ではあるが、星の、宇宙の寿命からすればほんの瞬きの間にすぎない。その間に、原形をとどめないほど銀河の形状が変わってしまう、そんな事があるのだろうか。


 ただ一つだけ、その方向で可能性がある。


 大断絶。ミスズの語る、大規模な文明の断絶。


 何が起きたかは定かではないが、それを境に人類の既存の文明は全て消滅し、人々は再び石器時代から文明をやり直す事になったのだという。幸いにして、文明の痕跡がいくらか残されていたおかげで数千年後には再び宇宙への進出が可能になったというが、しかしゼロからの歩みと比べるとあまりにも過程を省略しすぎた事での歪も大きく、彼らは地上での問題をそのまま宇宙に持ち込んだ結果、今の治安が良いとはとても言えない社会があるのだという。


 その大断絶が、銀河の形を変えてしまうほどの天文学的な宇宙災害によるものだとしたら。なるほど、文明なんてひとたまりもないだろう。


 あくまで可能性の一つに過ぎない。そのような大規模な宇宙災害の痕跡は、少なくともまだ発見されていないのだという。


 しかしミスズには新しい視点として無視できない要素だったようだ。彼女は、ネティール王朝の残した地図と今現在の地図の関連性を探りつつ、それらしき資料が無いか、これまで蓄積してきたそれを総ざらいで確認を始めた。


 この結果が、ご覧の有様である。


『妻には悪いが、かつての銀河と今の銀河に関連性を見出すのは誤りだろうな。これだけ調べて何も出てこないなら望み薄だ』


 身内贔屓ではないが、ミスズは優れた研究者だ。その彼女がこれだけなりふり構わず調べて何も出てこないのだ。これ以上は時間の無駄だろう。


 何故なのか、原因は気になるが、それは今の所重要ではない。


『しかし、ふむ』


 積み上げられた資料を前に、ふとアストラジウスは好奇心を抱いた。別に彼は研究者でもないし専門知識もないが、これだけ資料があると感心を惹かれない訳でもない。何より妻があれだけ夢中になって追い求めているのだ、考古学というのも面白いのかもしれない。


 何の気なしに、適当に資料を手に取る。


 書かれている文字は見覚えのないものだが、サンプルが大量にある以上、解析は数秒で終わった。生体金属ボディはアストラジウスの生身の情報を転写したものだが、ただそれだけではない。人間が眼鏡やペースメーカー、人工関節や人工臓器で能力を補うように、この肉体にはネティール王朝の技術の粋を尽くした補助システムが組み込まれている。特に王族は外交が主な業務の一つであるからして、自分自身で相手の言葉を理解できなければならない以上、翻訳システムは最優先だ。


『ほほう? ふむふむ……』


 資料を一つ、また一つとめくる。言葉は分かっても、今現代の専門用語は聞きなれないものばかりだ。知らない言葉は新鮮である。


 また興味深い点もある。


 かつてネティール王朝の発生した文明は、一つの星から発生し、宇宙に広がっていった。その過程で複雑に分岐し、その中から王朝が発生した訳だが、つまり逆にいうと、彼からすると古代文明というのは小さな一つの星に納まる程度のものでしかなかった。発掘品も出土品も数は少なく、長い歴史の間に失われたモノも多かった為、学問としての規模はとても小さかった。


 だが大断絶後の世界は違うようだ。宇宙に広がっていた文明が何らかの理由で一斉に衰退し、それぞれの惑星で石器時代からやり直した結果、複数の惑星でそれぞれ独自の文明を築いた。数千年足らずで残されていた文明遺産を用いて宇宙への再進出が叶ったとはいえ、星の数だけそれぞれの古代文明がある訳だ。発掘品一つ見てもバリエーション豊かであり、多彩な文化が見て取れる。


 気が付けばアストラジウスはすっかり夢中になり、椅子に腰かけては資料を読み漁り始めた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?