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第七話 《新妻は考古学者》



 何でもできる、といったアストラジウスの言葉に嘘はなかった。


 部屋が変形して出てきたシャワーを浴びながら、しみじみとミスズはこの超技術に思いを馳せた。宇宙において本来、水は非常に貴重なものである。居住可能惑星にいると忘れがちだが、本来水というのは宇宙でもっとも貴重な資源の一つだ。百の星があっても、水がある星は一つか二つ、と言えばその貴重さが分かるだろう。


 しかしここでは、その水をどれだけ使っても問題にならない。アストラジウスの話によれば、分子構造の再変換だとかなんとかいっていたが、正直理解が及ばない(そして彼も理解できている訳ではないらしい)。


 出航してから三日間、濡らしたタオルで顔や体を拭き取るのが最大限の贅沢だったミスズはここぞとばかりに水を使い、体を清めた。彼女がもう十分かな、と思うと勝手に水はとまり、シャワーの出口が壁に引っ込んで消える。床に広がっていた水たまりも瞬く間に消滅し、隣にはいつの間にか台が出来ていて、ふわふわのタオルが用意されていた。おっかなびっくりタオルを手にして体を拭くと、信じられない水の吸い込み具合で驚愕する。体を数度、撫でるように拭くだけですっかり水分は拭き取られてしまった。


 そしてやはりいつの間にか、下着とインナーが用意されている。男達に乱暴されて敗れてしまった物はアストラジウスの手でドレスに変えられてしまったが、それとは別に新しく作ってくれたのだろう。ドレスの方は、脱いだ後に魔法のように消えてしまった。いや、どうだっただろうか。その後に起きた出来事が鮮烈すぎて、よく覚えていない。


「って、いけないけない。ぼーっとしてちゃ……」


 気持ちを切り替えて下着を手に取る。強度を確かめるようにして身に着けたミスズは、その異次元のフィット感に言葉を失った。既製品と違い、ミスズの体の造りに完全に合わせてあるようだ。それだけで着心地が全く違うという事を思い知らされ、彼女は呻くように危機感を口にした。


「……これは、やばいわ。贅沢すぎる……」


 至れり尽くせり快適すぎて、逆に危ない。これから元の生活に戻らないといけないのに、それまで日常だった生活がゴミゴミとした粗雑なモノに感じてきてしまう。


 かといって、ここの物を持ち出すわけにはいかない。治安維持局の腐敗っぷりを舐めてはいけない、見つかったら最後、理由をつけて全部没収されてしまうだろう。そして一つでも奴らに渡れば、そこから根掘り葉掘り、最終的にはこのステーションも発見されてしまう恐れがある。そうなったら終わりだ。


 故に、アストラジウスには現代基準の生活で我慢して貰う必要があるのだが……。


 大丈夫かな、耐えられるんだろうか。私の船オンボロだし……と一抹の危機感を感じながら、ミスズは廊下へと出た。歩きながらヘアゴムで、髪をポニーテールに結びなおす。


 主人が目覚めた事で、施設は活性化しているようだ。遭難者が残した足跡も綺麗に掃除され、小さな虫のような掃除ロボットが数匹、廊下を這いまわっている。ミスズと目が合うと、彼らは恭しくお辞儀をしてきた。慌ててミスズも頭を下げて、廊下を見渡した。


 彼女が利用しているのは、玄室から出て左手の、何もないと思っていた部屋の一つだ。実際には何もないのではなく何でもある、だったのだが。そしてその反対側の部屋も同じ造りだが、そこは今、閉鎖されている。


 中には、男達が意識を失ったまま拘束されている。


 そう、彼らは生きていた。というより、アストラジウスが手心をかけてくれた、といった方が正しい。あの緑色の靄は、「分断されてはいるが切断されてはいない」という状態にするもので、それにより男達はバラバラにされながらも生きてはいた。とはいえ当然肉体を両断されたショックもあり、意識を保っているはずもない。今は四人とも手足をバラバラにして動けないようにしたうえで、記憶の抹消処置を行っている。


 ミスズの頼みだ。


 アストラジウスはあの後、男達の命を改めて奪うつもりだったが、それをミスズが止めたのだ。


 彼らは一応、ミスズが雇ったスタッフだ。その記録も残っている。その彼らが皆死亡し、ミスズだけが帰還するとなっては話が面倒になる。そういうと、彼は『記憶の改竄は専用の設備が必要でここでは無理だが、ちょっと記憶を半日ほど消す事なら出来る』とミスズの希望をかなえてくれた。


「案外素直に聞き入れてくれたな……」


 殺してほしかった訳ではないが、怒りようの割にアストラジウスは素直にミスズの意見に従ってくれた事を思い出し、首を傾げる。


 実態の所、アストラジウスはケジメも兼ねて男達を殺すつもりだったが、あまり強硬に出てミスズに暴力的な人間と思われるのは避けたかったのだ。それならば、ここで鷹揚な態度を見せるのも器の大きさだろう、と。


 そんな事は露も知らないミスズは、さてその旦那はどこにいるかな、と格納庫に顔を出した。


「旦那様いるかな……とと」


 薄暗い格納庫に踏み込もうとしたミスズは、足先をカサカサと走り抜けていった作業ロボットに吃驚して脚をひっこめた。


 その動きを追うと、格納庫の奥、小型ランチの方に走っていくのが見えた。


 そこでは多数の作業ロボットが集まって、塊のようになっていた。一匹や二匹ではない、何百匹という作業ロボットが集まり、何かを解体、あるいは組み立てている。


 その手前に探していた背中を見つけて、ミスズは足取りも軽く駆け寄った。


「だ・ん・な・さ・ま、おはよう」


『……うむ。我が妻よ、目が覚めたのか。身体の方は異常ないか?』


 背後からかけられた声に、振り返ったアストラジウスは何故か一瞬口ごもりつつも返事を返した。その姿は先と変わらぬ金属製の骸骨ではあったが、首元にはネックレスを、頭には王冠のような装飾を飾っていた。どちらも、玄室に飾ってあったものである。


「あ。は、はい……おかげ様で。そ、それにしても、それ。お洒落なアクセサリですね」


『ふふ、そう思うか。これらはただの装飾ではなく、システム制御の為の装備でもあってな。こうやって作業ロボット達をコントロールするのにも使える。勿論、王族の権威を示す装飾品としての価値もあるが』


「なるほど。ネティール王朝では、実用性と装飾性の両立こそが、高級品の基準だったのですね」


『その通りだ、妻よ。故に、ネティール王朝の建造物には好んで特殊樹脂の結晶体が使われる。これらは見目美しい美術品であると同時に、電子回路の刻み込まれた耐久性の高い制御回路でもあるのだ。内部で煌めく光は、制御回路をやりとりする電子の光だ。宇宙に進出するにあたって嘗ての貴金属類は資源としての価値を減じた代わりに、こういったモノが実用性を兼ね備えて使われるようになった。どれだけ文明が発展しても、人というものは輝くものに目が無いらしい』


「わかります、わかります。貴金属類を有難がらない文明とか、無いですからねー。時折逆張りみたいな事を言い出すのはあったみたいですけど、そういうのは短期間で滅びてます。求心力、という意味でも、耐久性の高い装飾品は重要なんでしょうね」


『なるほどな。大断絶とやらを経ても、人はそう変わらないと見える。安心した』


「ふふ。それで、これは何をしているんですか?」


 作業用ロボットの団塊のようになっているスペースランチに目を向けて、はた、とミスズは数がおかしい事に気が付いた。


 ここにあったのは、小型宇宙船と、ランチが二つ。だが目の前にはランチの駐機スペースが三つとも埋まっているように見える。その、空いていた駐機スペースに、新しく置かれた機体に作業ロボットが群がっているようだ。


 そして群れの下にかすかに見える意匠にはミスズは覚えがある。


「旦那様、もしかしてこれ、私の……?!」


『うむ。今現在、部品を組み込み中だ。……もしかして不味かったか?』


「あ、いえ。ローンが残っているとはいえ個人所有の小型宇宙船ですけど……一体何を?」


『何、本来ならば、こちらの王族専用の小型シャトルを持ち出したいのだがな。出所不明の未登録艦船など、没収されて当然だ。かといって、見た所随分と使い古した船でもあるようだし、安全と今後の為に、こちらの部品に入れ替えて置くのが良いと判断した。……すまん、善は急げと思ったのだが、許可を取るべきだったか』


「あ、いえ。それは全然。正直、私のオンボロ船に旦那様を乗せるの申し訳ないなあとちょうど思っていたところでしたので……」


『勿論、見た目や仕様には手を加えない。……その、耐久年数をとっくに越えてるエンジンを使ってるように見えたのでな。君がこんなのに乗っていたと思うと矢も楯もたまらず……』


「はは……相場の三分の一以下の値段だったもので……」


 思わず苦笑い。仕方なかったとはいえ、いつ止まるかも分からないポンコツを乗り回していたのは事実なのでそう言われると反論のしようがない。


「あれ、でも規格は合うんですか?」


『合わせる。見た所非常に簡素なプラズマ融合炉と推進システムだったからな、訳はない。検査でも本格的に分解しないと分からないだろう。……車検はいつ頃だ?』


「あ、そのすいません。今の所、宇宙船に車検とか保険とかは……」


『なん、だと……? 事故ったらどうする? そうでなくとも宇宙船なんていう大きな商売に、保険屋が絡んでこないはずが……』


「信頼性の問題、ですかね……? 車検に持っていったら工廠で船を意図的に壊して倍額要求するとか、金を払わせるだけ払わせていざって時に連絡断つとか、それでいて宇宙海賊やら強盗やらが溢れかえってる事もあって保険料が基本御高めなので……。ステーションによっては言い掛かりで器物損壊の賠償請求してくる事もあるし。真面目に付き合うとキリが無いのでトラブルに巻き込まれたら強行突破してほとぼりが冷めるまで身を隠すのがこう、常道といいますか」


『…………世も末だな』


「全くですね」


 自らも色々ツケやら支払いを踏み倒している事を悪びれもせずミスズは強く頷く。アストラジウスは頭痛を覚えたように頭を抱えた。


『どうやら、王朝復活を目指す理由が増えてしまったぞ。少々、私の考えが甘かったようだ。今後、この宇宙は戦国時代にあると思って対応する』


「あー、言い得て妙かもしれませんね……」


 実際、大きな戦争が無いだけで、人心の荒廃具合は匹敵しているかもしれない。単純に、歴史を学ぶ者として客観的にミスズもそう思う。


『さて、作業自体はロボット達に任せていても構わぬ。少し、今後の話をしよう』


「はい。しかし私の服みたいに、ぴーっと作り替えちゃうのはできないんですね」


『まあ、出来なくはないのだが……心理的にな? そうやって一瞬で作り替えられた物の強度を、信頼できるか?』


「あー……」


 そう言われるとグゥの音も出ない。


『こういうのは割と心証も大事なのだ。いくら技術が進歩しても、それを使う人間の気持ちを考えねばな』



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