目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第六話 《星と髑髏と契約婚》


 アストラジウスは高らかに宣言する。そこに一切の迷いはない。


『ふふ、ミスズ殿。聡明な貴女の事だ、機械の体になった貴方には無理なのでは、と考えたであろう?』


「え? あ、いや、その。申し訳ありません……」


『いやいや、謝罪の必要はない。当然の疑問だ。だが私も考えなしに言っている訳ではないぞ?』


 アストラジウスは己の胸板をコンコン、と叩く。中身の詰まっている金属の硬い音。


『この肉体は金属ではあるが、生身であった私の肉体情報を転写されている。つまり、DNA情報なども残されているのだ。最終的にはここからさらに生身の肉体に再変換できる予定だったらしい。私が眠りについた当時ですら不完全だったその技術がその後完成したかは不明だが、部分的な再変換だけでもできれば、ネティール王朝の血筋を復活させる事は可能である!』


 つまり、アストラジウス本人が、ネティール王朝のジーンバンクでもあるのだ。変換方法の関係で彼から単純に遺伝子情報を抜く事は今はできないというだけで、確かに、その方法ならネティール王朝の血を復活させる事は不可能ではない。


『私が残っていたのだ、このように我がネティール王朝の痕跡がこの宇宙にはまだ残されているはずである。幸い私の手元には、かつて存在したネティール王朝の勢力図がある。これを参考に各地を巡り、ここにはない情報を集めれば、可能性は必ずある。いや不可能であっても、今の時代にとってネティール王朝の技術は手の届かない貴重なもの、それを手元に勢力を築き上げ、自らの手で復元技術を新たに編み出せばよい。我はそう賢くは無いが、ならばそれを成せる者を配下にすればよい、この時代の賢者に我がネティール王朝の技術を任せれば、必ずや叶う事であろう』


「成程。具体的なプランがあるようで安心しました」


『うむ。それにあたって、ミスズ殿にお願いがある』


「え?」


 虚を突かれたミスズの前で、アストラジウスが膝をついた。彼の立場を理解できるミスズは、驚きのあまり目を見開いて硬直する。


 王族、それも第一皇子という立場の者が、出自も定かではない民草に頭を下げている。


『王朝の痕跡を探すには、腕の良い探検家の助けが居る。それも、誠実で、信頼でき、王朝の遺跡の価値、それが真に理解できる者でなくてはならない』


 彼は彼で、自分自身の現状を正確に把握していた。そしてネティール王朝の価値観においても、違う時代の、たった一人の身元保証もない王族がどのように扱われるなど、言うまでもなく、知らない時代ではなおさらの事だ。協力者を求めようにも、今の時代の事も、そもそも病院暮らしで世俗の事を全く知らないアストラジウスが、正しい人選を出来るとは自分でも思えない。


 その点、ミスズは信用できる。


 考古学に通じアストラジウスの眠るステーションを発見した手腕もそうだが、何よりも人間性だ。己の罪を告解して首を差し出す潔さ、奇怪な容貌のアストラジウスに対する真摯な態度。人間の本性は危機において露になるなどというつもりは無いが、危機にあって道理を通せる人間は普段の行いも決して間違ったものではないはずだ。


「わ、わわ、顔を、顔をお上げくださいアストラジウス様……!」


『頼む。どうか、私の助けになっていただけないだろうか。ミスズ・クロカワ殿。どうか!』


 頭を下げたまま懇願するアストラジウス。


 内心、彼はここでミスズを共にするべく必死だった。恥も外聞もかなぐり捨てた。どうあっても、ミスズの存在は彼にとっての命綱である。ここでなんとしても、一蓮托生になってもらわなければならなかった。


 多少の打算はある。命を救われた以上、彼女はアストラジウスに強く出られないし、何より歴史を追い求める彼女にとって、アストラジウスの知識は決して無視できない。先ほど少し話題に出しただけで食いつくような視線を感じた。彼女の好奇心を利用すれば、必ず協力関係を結びつける事ができる、その確信はある。


 それでも、いや、だからこそ、アストラジウスは頭を下げた。それは王族としては失格かもしれないが、人として誠実にありたいという彼の本心から来る行動だった。


 果たしてそれは通じたのか、勢いに押されただけなのか。


 少なくとも彼は、ミスズの了承の言葉を聞く事が出来た。


「わ、分かりました、分かりましたから! 頭をお上げください!」


『本当か!?』


 ガバァ、と顔を起こすアストラジウス。


『有難い! 貴方の助けがあれば百人力である! 感謝する!』


「ああ、もう……いえ、私としても、考古学者として貴方のお話を聞きたいですし、貴方の目的は歴史を追い求める私の需要とも合致します。むしろこちらからお願いしたいくらいです。本当に私でいいのですか?」


『そもそもこの遺跡を発見したのも貴女なのだろう? その手腕を疑う余地はないよ。本当に助かる、勿論、礼はたんとさせて貰う』


「ほ、ほほぅ……例えば、どんな?」


 思わず食いついてしまうミスズ。残念ながら、ロマンを追うにも対価はつきものだ。夢を追う為に、それ以上の時間を金策に割いている身としては聞き逃せない。


『私の権限で、ネティール文明のシステムへのアクセス権限を発行しよう。例えば、この部屋。ここは、権限を持つ者の思うように、システムが可能な限りどのような物でも作りだせる。かつてのネティール文明においても、一般市民には滅多に許可が下りる事のない夢の空間だ。どのような贅沢、どのような願望でもこの部屋においては絵空事ではない。勿論、何かを精製するにあたって、持ち出すのも自由自在だ。水でも金でもプラチナでも単分子結晶でもいくらでも用意できる。そういった権限を、貴女に与える。というか、今発行した』


「…………えと。ちょっと」


 それはつまり、この部屋限定で何でも叶う権限という事なのではないだろうか。思ったよりもとんでもない事を言っているのでは? という危惧がミスズの脳裏をよぎった。


『勿論それだけではない。仮にネティール王朝復活の暁には、貴女に私の第一婦人の座を与えよう。いや、私の妻になるのは今の時代の女性には褒美にならないかもしれないが、そうする事で復活した王朝の何割かは貴女のものとなる訳で……』


「第一婦人????!!!!」


 ミスズは爆発した。


 ちなみに言うまでもないが、ミスズはロマンチストである。でなければ考古学者なんてやってない。


 さらに言うと、遺跡を巡る人生は寂しくは無いが、彼女もそろそろ20歳、結婚を意識する年である。そこに来て、彼女的に見て古代の本物の皇子様、というのは、文字通り白馬の皇子様となんら相違ない。見た目が金属製のスケルトンとかは関係ない、生身の男にエライ目にあわされかけた彼女からすればむしろ生身でなくてよかったまである。


 一度意識してしまうともう止まらない。長年眠っていた乙女脳がアクセル全開で暴走する。


『お、おう? うん、まあ、そうだな……』


「第一婦人という事はつまり女王という事でつまりアストラジウス様のお嫁さんという事にまってまってまだ私達であったばかりで気が早いというか政略結婚にしても段階を踏みたいというかつまりこれ実質プロポーズでは」


『落ち着いて、落ち着いて。あくまで王朝復活の暁には、という事だから』


「はっ!? そ、そうでした、あははは……。私としてはなんという早とちりを。失礼しました。だいたい、いつ頃になるかわかりませんものね、その頃には私、おばあちゃんになってるかも……」


『そうだな。確かに、その可能性は低くないな』


「ふふふ、そうですよね。私ったらもう」


『じゃあ、先に婚約しておくとするか?』


「ふえ?」


 伸びてきたアストラジウスの指先が、優しくミスズのアゴをくい、と持ち上げる。至近距離で青年の優しく甘い誘いがミスズの耳を擽った。


『我が宿願を果たす、そのための最良の人材として貴女をスカウトしたのも事実だが、その知性、謙虚さ、心遣い……どれをとっても女性として魅力的だ。貴女は何か後ろ暗く思っているようだが、その黒髪黒目も、実に美しい。どれをとっても、我が妻に相応しい』


「は……はわわ……」


『どうだ? 今からでも私の妻にならぬか? ……ふふふ、本気だが、言ってみただけだ。私とて自分を客観視できている。このような恐ろしい機械仕掛けの人骨、不気味でたまらぬだろう。変な事を言った、すまない。勿論、前払いとして発行した管理者権限は自由に使ってくれたまえ。私は少し、施設の状態を……』


 しまった、調子に乗りすぎた、とアストラジウスは指を引いた。

 彼はネティール王朝の第一皇子としての自認も自責もあるが、かといって根拠もなく自信に満ち溢れている訳ではない。そもそも彼は生身の肉体であった事は、自分では何一つ成せない身であった。


 武器や衣、それこそ自分の肉体一つに至るまでがあくまでネティール王朝の王族だからこそ与えられた物だという事実を客観視する事を忘れてはいない。故に、今の自分が他人から見れば人間とは思い難い異貌である事も、今の時代からすれば古代の人間の権力など価値がない事も理解している。


 そんな自分に口説かれても迷惑なだけだ。そう考えて身を引いた彼の指を、しかし、ミスズは追いかけるようにはっしと掴んだ。


『む?』


「そ、その……、不気味、じゃ、ないです……か、カッコいいと、思います……。その、頬の抉り込むような滑らかな曲線とか、素敵です……」


『あ、いや。無理しなくとも』


「いえ! 無理、じゃ、ないです。その……口説かれるの、初めてだったので吃驚、しましたけど……その。私で、よければ……喜んで……」


 上目遣いでミスズはアストラジウスを見上げる。彼の生暖かい金属の腕を掴む指が、酷く汗ばんでいるのを自覚する。


 ミスズの内心は正直ぐちゃぐちゃだ。心の四割ぐらいは、とんでもない事を言い出した自分に自分でパニックになっている。


 だが残りの六割ぐらいは、ロマンチスト恋愛脳にすっかり占拠されていた。


 追い求めていた古代の時代の王子様に、危うい所を救われて、揚げ句に求婚される。ちょっと夢想とは違っていた(皇子様が金属の骸骨はちょっととは言わない)とはいえ、概ねミスズからすれば夢に見るようなシチュエーションだ。


 ましてや、長年のコンプレックスでもあった黒髪黒目を褒め称えられて、正直ミスズは舞い上がっていた。きりきりまいであった。


『……ふむ』


 予想外に積極的なミスズの振舞に、少しだけアストラジウスは考える。


 問題はあるか? 全くないとも。


 そもそも彼から見て、ミスズは非常に魅力的な女性であった。


 まずスタイル。彼の時代では女性のスタイルはバランスが重視されていた。胸が大きいとか小さいとか、尻が大きいとか小さいとか、部位で見るのは粗忽者の考え。女性の美しさというのは、全体のシルエットの均整にこそある、と。


 その視点で見れば、ミスズは体格のバランスが取れている。彼女がこっそり気にしている気にする貧乳も、肉づきの薄いお尻も、身長や佇まいと釣り合った清流のようだ。多少栄養不足気味で骨ばっているが、ちゃんと休養と栄養を取れば実に抱き心地のよい女体だろう。


 顔も及第点。知性を感じさせる煌めく瞳に、きちんと手入れされた肌。白一色ではなく少し黄色味が刺した肌色も健康的で良い。理想をいえばもうちょっと黒くてもいいのだが、もちろん悪い訳ではない。


 そして性格は言うまでもなく合格点。僅かな情報から全体を把握してのける知性の閃きに、先人への敬意もあり、そして謙虚で礼儀正しい。命のかかった極限状況において、道理を選ぶ潔さもある。


 ましてや彼女は、この金属製の骸骨となった己を案じて言葉を選んでくれた。


 本来、皇子である彼は、否、王族というのは相手を選べない。彼らの人生は国家と国民の繁栄のためにあるのであって、その配偶者も政治的都合で選ばれる。


 流石に王族の配偶者とあれば、権力者の中から特に見目麗しい者が選ばれるが、その内面までもが美しいとは限らない。歴史上においては、しばしば悪女と呼んで差し支えない配偶者も記録にある。


 それを考えれば、アストラジウス・ネティールにとってミスズ・クロカワは、美しさと心優しさ、そして英知を持ち合わせる願っても無い好物件であった。問題があるとすれば彼女に社会的立場がない事だが、王朝無き今、その事で彼を糾弾する者はいない。


 否。王朝復活を決意した今、彼はミスズを王朝復古の大女帝とする事が出来るのだ。自分で選んだ相手に、考えうる限りの栄誉を与える事が出来る。己が選んだ相手に至高の栄誉を与える事が出来る、それはアストラジウス自身にとっても大いなる祝福だ。


 決まりである。


『勿論、願っても無い事だ』


「きゃ……」


 優しく素早く、しかし有無を言わせずミスズの腰と脚に手を回し、彼女を横抱きに抱え上げる。ミスズはいわゆるお姫様抱っこと言われるシチュエーションを生で体験している驚愕と、急激に近づいたアストラジウスの顔を前に顔を真っ赤にして硬直した。


 おかしい、とミスズは困惑する。この、間違いなく不気味なデザインに類する筈の金属の髑髏が、さっきからキラキラ輝いて見えてしょうがない、と。


 自分が一般の女性の価値観からは程遠い、埃に塗れた髑髏の仮面や朽ちた首飾りを抱え上げて悦に浸るちょっと変わった女である事を都合よく忘れて、ミスズは恋愛脳が分泌する幸福感に耽溺していた。


『これで契約締結……いや、この言い方ではあまりに味気が無いな。そう、婚約成立と行こう。我が妻よ。これからはミスズ・クロカワ・ネティールを名乗るがいい』


「は、はわ……。ふ、ふつつかものですが、よろしく……旦那様……」


 そうして、宇宙の片隅で。


 遥か過去からやってきた王子様と変わり者の考古学者は、夫婦となった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?