「結局、お互い古巣だな」
「そうですね。まあ私の方は繁忙期入る前に戦線離脱するので、本当に良かったのかなと思いますけど」
次年度の人事異動が発表になったのは三月二十二日、予想どおり矢上は財務課で私は人事課への異動となった。
「おい、重いもん持つな」
縛り終えた資料を持ち上げようとした私に、矢上は慌てて手を伸ばす。
「大丈夫ですよ、もう安定期ですから」
「そういう油断する奴が一番危ねえんだよ。腹も目立つようになってきてんだし、自覚しろ」
私よりよほど慎重で、言葉は悪いが小姑のようだ。引き取られて行った資料の束を眺め、苦笑する。諦めて机の上の細々とした片付けに移った。
「つわりが終わってから、開放感がすごいんですよね。もう胃を吐くまで終わらないんじゃないかと思ってたのに」
悩まされていたつわりも先月終わり、その後は問題なく妊娠五ヶ月を迎えた。減っていた体重も少しずつ戻って、腹も膨らみ始めている。産婦人科でもう一度調べたトキソプラズマは陽性、こちらも過去の感染を示していた。
「産前産後の手は足りるのか」
「その辺はばっちりです。使える公的手段は調べ上げてますし、お手伝いさんは毎日来てもらう契約にしてます。あと、使える手足は全部使いますから」
「『母は強し』だな」
笑う矢上に、はい、と頷く。
絵美子はあのあと一ヶ月ほどして開放病棟へ移り、更に一ヶ月ほどで退院した。正気を取り戻してからは、和徳のためにも早く出たいとがんばっていたらしい。もちろん、トキソプラズマには感染していなかった。今は矢上がサポートしつつ日常生活を送っているらしいが、四月からは超絶ブラックの古巣だ。うまくいくことを祈るしかない。
和徳とはあれから時々メッセージをやりとりする仲になり、親や友達には話しづらい相談に乗っている。私も今時の思春期男子について学べるから、ありがたい存在だ。前回の健診で、我が子は息子だと判明した。
「じゃあ、そろそろ失礼します」
六時に差し掛かる時計を確かめ、重怠い腰をさする。そろそろ、着いている頃か。確かめた携帯には予想とは違う名前が表示されていたが、特に問題はない。
「ああ、おつかれ。気をつけて帰れよ」
挨拶を返した矢上に頷き、ようやく薄くなったコートを羽織る。ヒールのないバレエシューズに履き替え、残り三日となった課をあとにした。