疲れきった私を家で待っていたのは、離婚届だった。
「もっと早くに、こうするべきだった。先生に何度も『最後には裏切る人だから離婚した方がいい』って言われてたのに」
相変わらずパジャマ姿のまま、吉継は不快そうに悔いを口にする。ダイニングテーブルを滑る用紙には既に、吉継の名前と判が押されていた。結局、私は最後まで勝てなかったのか。
「あの山に夜一人で行けるくらいだから、もう大丈夫なんだよね?」
続いた問いに、自分用の空欄から視線を上げる。
「私と一緒にいた理由は、本当にそれしかなかったの? 最後なら、ちゃんと聞かせて」
愛ではなくても、情は確かにあったはずだ。大切に思っていたのは嘘ではないと、せめて最後に言って欲しい。
「……兄さんが、祈のことが好きだったから。高校に入った頃、祈を自分の嫁にして欲しいって父さんに頼んでるのを聞いて」
予想もできなかった答えに、前かがみになっていた体を背凭れに預けた。
――祈、好きだよ。そろそろちゃんと付き合おうよ。恋人になろう。
透き通るように瑞々しい笑顔で伝えられた言葉が、映像もろとも記憶の中でひしゃげていく。
ああ、気持ちが悪い。
「財産分与とかその辺は、うちの弁護士に頼んでるから」
じゃあその弁護士が、「新たに出会う命」になるのか。人を助けて生きる弁護士か、吉継か。どちらの方が、世のために。……違う、それならさっきだって諦めて差し出していた。吉継の命乞いをしたのは損得などではなく、ただ「私が喪いたくなかったから」だ。
「分かった。明日サインするけど、財産は一銭もいらないから。今日はもう、休ませて」
胃を突く吐き気に腰を上げ、トイレへ向かう。薄汚れた胆汁に交じる血が涙でぼやけた。何度拭っても収まらない流れにトイレットペーパーへ手を伸ばすと、からりと芯が回った。
洟を啜りながら反対側の扉を開く。ストックを手にとった時、ふと片隅に置かれた妊娠検査薬が目に入った。
まさか。
突然思い当たった「新たに出会う命」に、検査薬を手に取った。