マンションの駐車場へ車を止め、時計を確かめる。九時過ぎに出て、十時前。まだ怪しまれる時間ではないだろう。エコバッグの中を確かめて、一息つく。コンビニではナッツ数種類と、ウイスキーに合いそうなチョコ系の菓子をいくつか買った。ただ、これを味わう前に最後の項目を処理しなければならない。
気合を入れ、携帯を取り出す。最近はまるで関係良好かのような頻度で通話しているが、仕方ない。明将を選んだあと、自然に寄る眉間の皺を均して深呼吸をした。
「携帯に祈の名前が出ると、脈拍が乱れるんだよね」
「そろそろ不整脈のお年頃だからじゃないですか」
遠慮のない悪態を打ち返し、苦笑する。さすがに近頃は控えめだったから、久しぶりだ。
「それで、今日は何? っていっても爆弾しか投げてこないからなあ。聞きたくないんだけど」
「そんな大したことじゃありません。ちょっとした事後連絡ですよ」
「もう災いの予感しかしない」
まあ拒否されないように事後報告にしたのだから、間違ってはいない。信頼度で言えば譲に預けるべきだが、譲では背負いきれないものだ。
「寺本は、なんの変哲もないCDにサブリミナル効果があると嘘をついて院で販売していました。詐欺の証拠書類の原本を先程ポストに投函しましたので、明将さんが保管しててください」
明将は少し間を置き、何かを考えているようだった。おそらく私の考えに当たりをつけているのだろう。
「まだ警察に持ち込む気はない、ってことか」
「はい。本当は全力で持ち込みたいところですが、幸い被害額はそれほど大きくありません。寺本が全ての購入者に対して誠意を持って謝罪と返金を行うのであれば、それで済ませようと思います。本当は、次の被害を生む前に叩き潰したいんですけどね」
「あれは素直に言うことを聞くタイプじゃないよ。根っからの商売人だし、割とがめつい」
私もそう思ったから、原本の方を明将に預けたのだ。
寺本は手を変え品を変え、吉継から金を吸い上げている。盲目的な信頼を利用して言葉巧みに騙し、既にいくら奪ったのか。詐欺を行っている以上、「いくらでも出すと言ったから」は通じない。
「明日その話をするつもりなんですけど、儀式で結局ぶっ叩かれそうなんです。もしかしたら殺されて、手持ちの証拠ごと消されるかもしれません。そんなわけで、死んだら明将さんにあとをお願いしようと思って」
「今死なれると俺の計画が狂うんだよなあ。せっかく恩売っといたのに」
「言うと思いました」
予想どおりの反応に苦笑する。ドライな付き合いだが、ある意味では一番私の利用価値を分かっている相手なのかもしれない。
「兄の俺が言うのもなんだけど、あいつには勝てない賭けに命を懸けるほどの価値はないよ」
「それでも、私は好きで一緒になった人ですから。まだ愛想が尽きないんですよ」
バカだなあ、と笑う明将に、はい、と小さく返す。頭では分かっているのに、心が納得しない。「最初から愛されていなかった」なんて、すぐには無理だ。携帯を握り締め、長い息を吐く。
「私が死んだら、譲をよろしくお願いします。あの子は私と違って優しい子なので」
「いや、俺は弱い奴に目を掛ける趣味はないよ。まあ祈はぶっ叩いても刺しても死ぬようなタマじゃないから、心配してない。地獄に落ちても戻ってくるでしょ」
「そうですね」
項垂れつつ答え、弱気に傾いていた胸を立て直す。寺本は、と続いて聞こえた声に体を起こした。
「施術休止の補填として、俺からも五百万巻き上げた。杼機はいつからそんな『お人好し』だと思われるようになったのかな」
久しく感じたことのない圧に、思わず背筋を伸ばす。忘れていたわけではないが、明将は杼機の跡継ぎだ。吉継とは背負うものが違う。寺本は、吉継と同じでチョロいと思ったのだろうか。でもそれは、大きな間違いだ。
「とりあえず明日がんばって生き延びたら、あとは俺に投げていいよ。始末はつけるから」
「明日は生き延びる必要があるんですね」
「やっぱりこう、たとえ御礼参りされるとしても『ボコられた祈を見てみたい』って欲を抑えきれない」
変態か、と突っ込むのはさすがに気が引けて飲む。
「じゃあ、生き延びたら連絡します。原本はレターパックで送ったので、明日には着くと思います」
了解、と返された短い答えを最後に通話を終えた。
いつものことだが明将との電話は疲れる、と向こうも思っていることだろう。首を回し、蓄積した疲労を分散させて車から降りる。
「ほんとに、地獄から戻ってこられたらいいんだけどね」
ぼそりと呟き、誰もいない駐車場をロビーへと向かった。