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第25話

 今日の矢上は、吉継の取り寄せた日本酒を心ゆくまで味わうために妻に送ってもらって登庁していた。

「かなりがっつりもてなすと思いますけど、気にしないで楽しんでくださいね。私が人を呼ぶのが初めてなので、気合が入ってて」

「初めてか。意外だな」

 隣を行きつつ返す矢上に頷く。矢上の妻と息子は一足先にマンションの駐車場に着いているらしい。六時半に玄関前で待ち合わせだ。

「町の友達とは町で会うようにしてるんです。子供がいると市内まで出てくるのが大変だし、こっちも車代とかお土産とか気を使ってしまうので。大学時代以降の友達とも、外で会うようにしてます」

「なるほどな。金がありゃ大抵のことは解決できるけど、周りを金のねえ頃と同じに保つのは無理だよなあ。やっぱり変わるもんか」

「そうですね。特に昔から一緒に育ったような友達とは、やっぱりいろいろありましたね。『僻んじゃってつらいから会わない』って、はっきり言ってくれた子もいます」

 潮が引くように離れていった人やあからさまに無視をする人、あることないこと言い出す人など反応は多種多様だった。結婚当時は、恋人と夫ではこうも違うのだと思い知らされた。

「職場は仕事で評価されるからありがたいです。誰と結婚してたって関係ないですからね。共働きで本当に良かったですよ。専業主婦だったら潰れてました」

「どのみちお前に専業主婦は無理だろ」

 ですね、と笑いつつ答え、マンションの敷地へ足を踏み入れる。

「ま、俺も正直なとこ、最初は『杼機の嫁が小遣い稼ぎかよ』と思ってたんだけどな」

「払拭できましたか」

「今は『一緒に働いてみれば分かる』って周りに言ってるわ。来年、お前連れて財政戻りてえなあ」

 二人とも今年が三年目だから、おそらく同じ係で一緒に働くのはこれが最後だろう。私は多分人事畑だが、矢上はばりばりの財政畑だ。これまで一緒に仕事をした中では一、二を争うレベルで仕事ができる人だから、最後は部長級まで上がるだろう。そんな先輩に認められるのは、純粋に嬉しい。

「私は人事の人なので、財政はちょっと。応援してますから、もう一軒家建ててください」

 県庁一ブラックな財政課は一年中忙しいが、予算査定が始まる十月から年明けがピークだ。土日はなく家にもろくに帰れない、今年もあそこでは地獄のような光景が拡がっている。「残業代で家が建つ」は財政畑の自嘲だ。

「お前はそのうち人事の上に行くだろうからな。いつか昔のよしみで調整ねじこもうとして『いつの話をしてらっしゃるんですか』って足蹴にされてえなあ」

「しませんよ、ちゃんと調整します。その扉も閉じといてください」

 苦笑した私に、矢上も笑う。植栽を抜けると見えた玄関に、人影を見つけた。

「奥さんと息子さんですか」

 ああ、と矢上は頷いて軽く手を挙げる。応えて手を振り返したのが奥さん、その背後で壁に凭れているのが息子か。

 辿り着いた私達に、妻は笑顔で頭を下げた。栗色の髪が、ダウンコートの肩を滑り落ちる。

「矢上の妻です、いつも主人がお世話になってまして。これが息子の和徳かずのりです」

 よく焼けた肌に主張の強いパーツが並ぶ、迫力のある派手な美人だ。浜の女らしい豪快な感じもする。「これ」と呼ばれた和徳が、背後で小さく頭を下げた。和徳は父親似か、顔立ちは大人しく知的な印象だ。黒っぽい服装に首元の赤いヘッドフォンが映える。

「こちらこそ、いつもお世話になっております。寒い中お待たせしてしまってすみません。じゃあ、上がりましょうか」

 挨拶を終え、オートロックを解除してロビーへ入る。ホテルのように磨かれたインテリアへの感嘆を聞きながら、エレベーターへ乗り込んだ。

「ご主人、投資家なんですよね」

「はい。大学時代から投資を始めて、今は投資のみで暮らしてます」

「えー、すごいなあ。頼んだら、当たる銘柄とか教えてもらえないかな」

 目を輝かせる妻を、絵美子えみこ、と矢上が窘める。

「いえ、全く惜しまない人なので聞けばすぐ教えますよ。ブログにもノウハウや自分の買った銘柄を全部書いてますし。聞かれたら喜ぶと思います」

「プロが手の内明かしていいのかよ」

「もう十分稼いだから、自分の儲けは二の次らしくて。儲かった分は社会に還元してもらえればいいって言ってます」

「手段は違っても考える向きは同じか。やっぱ夫婦だな」

 納得する矢上に、ああ、と頷く。確かにそうかもしれない。社会へ提供できるものは違うが、吉継も私も社会の幸福を目指している。ただ願いを個人レベルまで落とし込んだ途端、歩みがばらけてしまうのだ。

 最上階でドアを開いたエレベーターに、気持ちを切り替えるように肩で息をした。


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