風呂上がりに冷凍庫を漁り、底に転がっていたウォツカを取り出す。ロックグラスに氷を転がして、半分ほど注いだ。
一昨日行けなかった二軒目の代わりではないが、軽く宙に掲げてから口へ運ぶ。滑り込んだ冷たさは舌先を痺れさせたあと、喉を熱くして腹へ落ちた。
必ず、事実を明らかにするから。
私にしかできない誓いを胸に、もう一口飲む。こもる熱に、長い息を吐いた。
明日CDを鑑定に出して、金曜の夜に矢上一家とぼたん鍋をして、日曜午前中に明将と話をして寺本の思惑を阻止。来週には、何かしらCD鑑定の結果が出るだろう。松前の調査で分かることもあるかもしれない。その結果を手に吉継を説得……できればいいが、分からない。結果の内容によっては警察へ行くつもりだ。
グラスを傾けると、酒をまとった氷が鋭く光を弾く。
ただ、杼機を敵に回せば私の家族が犠牲になる。少なくとも町では仕事ができなくなるし、住めなくなるだろう。あの町に住んでいて、杼機に助けられたことのない一族はいない。田舎であればあるほど、裏切り者への風当たりは強い。せめて吉継が目を覚まして味方になってくれれば、立つ瀬もあるのだろうが。
「飲んでるの?」
吉継は隣に立ち、自分のグラスにミネラルウォーターを注ぐ。
「弔い酒だよ」
本来は通夜振る舞いの席につくのがマナーだろうが、畳み掛けるような詫びが待っているのは分かっていた。全て朝岡の本意が起こしたものなら、座って引き受けただろう。でも、そうではない。
「体、冷えるよ。もう寝よう」
吉継は私の手からグラスを取り、手を引いて寝室へ向かう。握り返さない私に思うところがあったのか、ベッドへ横たわるや否や覆い被さって影を作った。
「子供のこと、ちゃんと考えよう」
切実に響いた声に、視線を落とす。これまでは自然に任せていて「できればいいね」程度だった。そろそろちゃんと、と思っていたのは私も同じだ。でもその私は「今の私」ではない。
「作った方がいいって、先生に言われたの?」
「そういうわけじゃないけど、祈の気持ちを取り戻すためにも子供を持つことを考えた方がいいって」
言われてるだろ、と浮かんだ言葉は飲み込んで溜め息をつく。もう自分の行動さえも、自分で選べないようになったのか。全ては寺本の指示どおりだ。
最初は「すごい人に会った」「尊敬できる人」だと話していた。あの時は、安堵したのだ。大学を辞めてから始まった自分探しが、これでようやく終わると思った。尊敬できる人物から薫陶を受ければ、これまで見ようとしなかった自分の欠点にも目を向けられるようになるのではと期待した。でも、そうではなかった。
「その程度なら、やめた方がいいよ。先生が『やっぱり子供は持たない方が良かったね』って言ったら後悔するから。私はともかく、子供にそんな思いはさせたくないの」
父親に存在を否定される子供なんて、考えただけでやりきれない。
「僕のこと、もう好きじゃないんだね」
伸びた手を拒んで背を向けると、呟くような声が追った。
「好きじゃなくなったのは、吉継でしょ。分からないの?」
それすらも自覚していないのか。今の自分が誰を守り、誰の言葉を信用しているかを考えれば分かるはずだ。
「僕は、祈を助けたいだけだ。このままだと犠牲者は増える一方だし、祈も魔物に食い尽くされる。どうして分かってくれないんだ」
それは寺本の意見であって、吉継の意見ではない。
「私も、吉継を助けたいだけだよ。あの人は吉継のお金が目当てだから、ありとあらゆる手段を使ってお金を巻き上げようとしてる。吉継の人間関係を壊して、貴重な時間と人生も食い潰しても平気。BRPだって、中止にしている限り犠牲者は増えないけど、またいつ始めるか分からない。三人死んでるのに、なんの罪悪感もない」
「だから原因は祈の」
「先生が主張する私の呪いと、私が主張するサブリミナル効果の悪影響。どちらも胡散臭いけど、どうして吉継は私じゃなくて先生の主張を選んだの? 常識的に考えて、呪いとサブリミナル効果のどちらが可能性が高いと思う?」
遮って告げた私に、少し間が置かれる。祈るように手を組んで、目を閉じた。まだ。もしかしたら、まだ。
「先生は、人を騙すような人じゃない」
聞こえた答えに、薄く目を開ける。鈍い痛みが、じわりと胸に拡がっていく。仄暗い部屋の奥ではまた、ウォークインクローゼットの扉が開いていた。あそこに飲み込まれてしまえばもう、こんなことで悩まなくても良くなるのだろうか。揺らぐ心に、長い息を吐く。
「それが答えでしょ」
もし「先生が言うみたいに呪いかもしれないけど、その前にほかの可能性を全部潰そう。協力するよ」と言ってくれていたら、振り向いて泣きながら飛びついていたかもしれない。でも、もうそんな言葉は頭にもないのだろう。
全てを諦めたように影は離れ、私と距離を取って横になる。滲む涙を拭い、布団を被った。