バズに於いて。自分の秘めたる感情を暴かれた春成は、屈辱の中、酒を呷っていた。北方特有の強い酒だ。息子には酒を禁じておきながら。彼はその誘惑に勝てなかった。
(十二将を相手に生き残れば、春香に力があると認めるべきなのだろうか)
金の装飾が施された寝室。燈火はまだティータイムの途中だ。
(だが、リズは……)
呪われた命。それを、燈火は祝福されるべきだと言った。妻の言うことも、理解できないわけではない。いや、むしろ、それは深く心に突き刺さっている。使命感で膿んだ心を掻き分けるようにして、奥の部分に触れていた。
それでも、彼にとって龍仕人の臭いはきつすぎる。近くに置いておきたくない。だから、殺せと言った。
(春香は、俺を踏み越えてでもリズを選ぶのだろうか)
答えは用意できない。レルガに関わらなければ、どうせ父殺しが成されている頃合いだ。北方十二将も壊滅して、イェルラの権力も失墜する。なら、ここで人生の幕引きとしてもいいかもしれない。そんな思いも湧いてきた。
だが、家族を愛しているはずだ、というリズの言葉が引き止める。
(俺は、人を愛することができるだろうか)
春香とカガリを産ませた後、燈火と交わったのは予備を作るためだ。そこに愛情はない、と少なくとも彼は、今までそう思っていた。
だが、人並みの肉欲というものがあって、それを燈火と分け合うことで快感を得ようとしていたのでは、という考えをし始めた。
燈火を妻に迎える際、確かに「愛している」と言った。覚えている。忘れもしない。それが二十年ほど前。愛など捨てたと思っていた。
(もし、俺がクィオウを殺すなと、そのまま結婚しろと言えば、何かが変わったのだろうか)
惨めな気持ちだった。年端もいかない少女に詰られて、こうして酒に逃避する。下らない人間だな、と自嘲する。
よく笑うね、と燈火に言われたことを思い出す。鏡に向かって笑顔を作ろうとするも、何が笑顔かわからなかった。
(ああ、好きなのか)
燈火のことが。だからあんな些細な言葉さえも、心の中で熱を放っているのだ。
(……謝るべき、か)
謝罪のやり方も忘れてしまった。気に入らなければ一方的に言葉を投げつけて、邪魔をするなら斬ってきた。謝るということは、もう、暫くやっていない。
子供のようだ、と自己観察。
緊張と恐怖を抱いたまま、彼は寝室の扉を開いた。廊下は暗い。だが、進むしかなかった。ここで逃げれば、一生逃げることになる。
奥の部屋のドアノブに手を掛けて、深呼吸。嗤われるだろうか、更に嫌われるだろうか。意図を伝えきれず、拗れるだろうか。
しかし、扉は向こうから開いた。
「どうしたの、あなた」
燈火が柔らかい表情で促す。
「その……すまなかった。今まで、お前を──いや、君を、蔑ろにしてしまっていた」
「そうね。ひどいことを言われたわ。でも、一番謝るべきは私じゃないわ」
彼女は春成の手を取って、招き入れる。
「俺は……まだ……君のことを受け入れられていない。いや、違うな、こういうことを言いたいんじゃない……」
初めてのお使いに出て、拙い口調で注文する子供のようだった。
「……君と春香との結婚を、認める」
「あなた、違うでしょ」
「……呪われた存在などと、肯定しないなどと、言ってしまって、本当に申し訳ない」
深々と頭を下げた。だが、そこにあったのは清々しさだった。悔しさではない。
「いいんです。私だって、薄々気づいていましたから。……結婚を認めてくれて、ありがとうございます」
リズも穏やかな顔をしていた。空の左袖を握り、
「顔を上げてください」
と言った。
「お義父さん」
「……まだそうは呼ぶな。結婚してからにしてくれ」
「いいじゃない。リズちゃん、お義母さんって呼んでみて」
「お義母さん」
「あなたみたいな、芯の通った娘ができて嬉しいわ」
春成は居た堪れなくなって、寝室に戻ろうとする。それを、燈火の手が止めた。
「お茶しましょう。夏目ともよく話して」
◆
「ホラホラホラァ!」
戦鎚の連撃を、凪彩は躱し続ける。翼で飛んで、上から射かけた。ジャカは素早く得物を回転させ、弾いた。
矢は消えて、矢筒の中に戻る。春成が仕込んだ転移術だ。
「龍擬き、てめえ、なんで裏切った」
「僕は元から敵だよ。春成様の命で十二将を探るために送り込まれたんだ」
「セコイことしやがって」
「何とでも言いな」
距離を取って安心、というわけでもなかった。炎を纏ったジャカは大きく跳躍し、彼女を叩き潰そうとする。身を翻し、回避。
何度も射り、命中は無し。舌打ち。
「逃げてばっかりかあ? 臆病者の射る矢が当たるわけねえだろ!」
ジャカの周囲に火の玉が現れ、凪彩に向かって飛び出す。高速飛行で避けたものの、そちらに目をやっている間に相手を見失った。
「こっちだぜえ!」
背後。衝撃。顔面。衝撃。床に転がった彼女は、姿勢を立て直そうとするが、激痛がそれを阻んだ。
「ヒラヒラ逃げ回りやがって。これでおしまいだなあ、ええ?」
敵が近づいてくる。
(背骨はすぐ治る。龍の血のお蔭で)
だが、それまでの時間をどう稼ぐか。彼女は矢を投げた。
「当たらねえよ、そんなもの!」
大振りな攻撃が来る。今──彼女は掌から風を生み出し、ジャカの体勢を崩した。それを戻すまでの間に、飛翔。
(まだ逃げるつもりだと思っているはず。それなら!)
一瞬退く素振りを見せてから、最大速度で前進。相手の頭を掴んだ。そして、それを壁に叩きつける。引きずる。投げる。浮いた体に、一射。左腕が肩から千切れて、落ちた。
次を番える間に、ジャカは着地していた。炎の弾丸を連続して飛ばしてくる。翼の端を焼かれた。が、飛行に問題はない。ガガガッ、と外れた矢が床を引っ掻いて音を立てる。
床スレスレまで降下。矢を防御させて、接近。龍に変化させた脚で蹴撃を食らわせた。ついでに、爪で内蔵を少々抉る。
「もう君の負けだ。今なら殺さないで見逃すよ」
「やなこった」
「そうかい」
次の矢。首を傾けて躱したジャカは、痛みを笑いで誤魔化して走り出す。
「ルド・バグツ・カボン!」
鎚の先から、熱線が飛ぶ。額を貫くが、すぐに癒えた。
「化け物が……」
「慣れたよ、そんな罵倒」
最後の矢を、彼女は構えた。
「さようなら、ジャカ」
首が、落ちた。
「春香様、今向かいます!」
春香の方は、どうにか対等と言ったところだ。左腕を失ってなお、ブルガの蹴りと斧を組み合わせた攻撃は鋭さを保ち、彼を制していた。
そこに、凪彩が加わる。誤射を恐れて弓は仕舞う。代わりに鋭い爪を持った腕で近接戦に入った。
「凪彩か! 面の皮の厚い奴!」
「そりゃどうも!」
彼女の蹴りがブルガの側頭部に直撃して、脳味噌がばら撒かれる。
「凪彩、時間を稼いでくれ」
「やるんですね」
「ああ、これで終わらせる」
刀を下段に構えた春香を背中に、彼女は正面からの突撃を選んだ。恐らく、斧には纏が為されている。食らえば治らない。振り下ろされた赤を横っ飛びに躱し、そこから床を蹴って殴りつける。
そのまま上昇。弓を取り出し、射かける。右下腿部の中程に突き刺さった。矢は手から離れる都合、十分な強度を持った不死殺しにはできない。精々治癒を遅らせる程度だ。だが、今はそれでよかった。
矢を引き抜いたブルガは、それを投げ捨てる。雷を纏って春香に向かおうとしたところで、凪彩は次の矢を放った。今度は頭蓋。一瞬だが、彼の意識が途絶える。
「今です!」
春香が全身全霊の鳴崩で突っ込み、心臓を刺す。
「これで、終わりだ!」
雷を刀身に纏わせ、延伸。そのまま真下に胴体を裂いた。金縋龍の鱗があれど、それが防げるのは外からの術のみ。内からの術は防げない。
そんな保証はなかった。傷口に沿って鱗を展開することも可能だったのかもしれない。だが、凪彩が作った一瞬がそれを許さなかっただけだ。
春香も、カガリも、立つ体力が残っていなかった。
「お休みになりますか?」
「少し、待ってくれ。もう、疲れた」
息子を見るような視線で、凪彩は微笑む。
「十五分ほどこうしましょうか」
◆
「収穫はなし、か」
奉行所を訪れた頸創に、清然はそう言った。建物の奥にある応接室だ。最近まで畳の部屋だったが、大陸風の板張りに革椅子の部屋になった。
「ああ。何かあるとすれば、あの建物だ。夜にもう一度行ってみる」
「気を付けろよ、お前まで消えたとなれば取り返しがつかん」
「お袋じゃねえんだから、心配すんな」
母親を知らない頸創なりの冗談だったが、清然は少し嫌な顔をした。
「人手はいるか?」
「いや、どうにかなるだろ。俺は強いからな」
「驕りは足元を掬うぞ」
「おいおい、春香みたいなことを言うんだな」
頸創は傍らの長巻を持って立ち上がる。
「俺は屋敷にいる。何かあったら呼びに来てくれ」
「承知した。漁港の件は周知させるか?」
「やめておいた方がいいだろうな。野次馬が来て、余計な被害が出る可能性だってある」
「なら、解決まで情報は伏せておこう。新聞屋が首を突っ込んでくるかもしれんが」
「そん時は任せるさ。政治のことはお前の方がやれるだろ」
「全く……」
呆れる親友を置いて部屋を出ようとする頸創に、彼は声を掛けた。
「なんだ?」
「凪彩とかいう奴、信用できるか」
「ま、正直胡散臭い部分はあると思ってる。春成の乳母だって話も、どこまで信じていいのかわからねえ」
「リズを拐取しよう、という意図があるとは思わんか」
「さあな。知りようもねえよ。だが、春香が守るに決まってる。あいつは強いからな」
「随分惚れ込んだな」
「二年も一緒に戦えばそうなるだろ」
「俺も春香のことは信じているが、凪彩が龍仕人と繋がっていれば、大変なことになるぞ」
「どうせ元より敵なんだ、今更変わらねえ」
「そうだが……」
「龍仕人が東部に侵攻しても、ここは安全だ。やばくなったら帰ってくるさ」
南港がその機能を停止すれば、東から入ってくる種々の嗜好品が入ってこなくなり、龍仕人は西からの支持を失う。簡単な話だが、清然は龍仕人がそれを承知で龍を嗾けるような可能性を考慮していた。雷生のように。
「お前の心配はわかるぜ。だが、術弾は貯蓄があるし、狩人だって春香とカガリがいる。そう悲観するなよ」
それでも、清然の顔は明るくなかった。
「信じろよ。ダチだろ」
それを崩したい頸創は、大きく口角を上げた。
「お前がそう言うのなら、信じよう」
「それじゃ、俺は帰るぜ。諸々のことは全部任せる」
一人になった清然は黙って窓の外を見た。雲の気配はない。だが、彼はそこに不吉さを見出した。何かが、起こる。