カガリは、攻めあぐねていた。細身の剣を持ったキバンは、どうやら影を操るらしい、というところまでは推測したが、彼女が指を鳴らす度に入れ替わる照明によって、その動きは複雑なものとなっていた。
時折頬を掠めていく、銀色に輝く刃。それは斧槍の一撃を受け止めることも受け流すこともしない。キバンは、その俊敏さに任せて回避しているに過ぎなかった。
(もしかして、狩人ではない?)
鷹眼の下にいる頃、聞いたことがあった。この世には、龍の力に頼らない、異能を受け継ぐ血族が存在すると。
(陰に入っている間はあちらも攻撃できない。ただ、だからといってこちらから仕掛けられるわけでもない)
黄金の斧槍が振り抜かれるも、キバンはその上にいた。落下の勢いを乗せた刺突を躱し、カガリは反撃の隙を窺い続ける。
「火霊篝。調べたことがあります」
彼女は突如攻撃の手を止め、話し出した。
「雷業家の長子として産まれた、双子。雷業春香の弟か妹か、どちらかは知りませんが」
「よくご存知で。遺言の代わりですか?」
「そちらこそ、それが最期の一言になるやもしれませんよ」
カガリは何も言わず、得物を握る手に力を込める。
「貴方を捨てた雷業に与する理由がわかりません。普通、復讐に走るはずです」
「鷹眼は私を使い勝手の悪い道具として扱いました。意にそぐわなければ折檻。しかし、お兄様は違う。少なくとも私に暴力を振るうことはなかった。殺せるとしても殺さなかった。なら、その恩義に報いるまでです」
「その決意、如何ほどのものか見せてもらいましょう」
キバンが影に潜る。変わっていく照明の位置。それによって生まれる影も、回っていく。背後に達した瞬間、カガリは振り向き様に斧槍を一閃──外れ。腕が伸びきって行動できないその間隙。脇腹を刺された。
二、三歩後退って、カガリは相手を睨む。
「読みが甘いですね。タイミングをずらすという選択肢も存在するということを意識できない時点で、戦士としては二流です」
「だとしても、やらねばならないことはあります」
「ハァ……それは私も同じことです。お互い譲れないものがあるから、こうして戦っている。それもわからないのですか?」
「ええ、勿論。二流の足掻き、お見せしましょう」
両者は同時に床を蹴る。下段を狙った薙ぎ払いを跳んで避けたキバンは、その勢いのまま空中で回転。カガリの頭に蹴りを見舞った。
着地した彼女は、しかし、カガリの頑丈さを見誤っていた。脳を直接震盪させるほどの威力だった、という自負はあれど、カガリは全くの無傷だった。そこから繰り出される大振りな振り下ろしをバックステップで躱し、彼女は口を開く。
「呪いを受けているだけのことはありますね」
言葉は聞き流し、カガリは深呼吸。
(龍の血をどこで使うか……)
龍葬は完全になるが、理性が飛ぶ。呪いの進行も早めてしまう。それも二つしかない。精製できるのは鷹眼だけ。
(いや、まだだ)
不完全な纏では勝てない相手もかもしれない。それでも。カガリの周囲に火の玉が現れる。
「狩人だというのに、纏すらまともに使えないとは……」
浮かべられた嗤笑に、突撃。刺突は翻るような動きで回避され、今しがた刺された傷を蹴られる。痛みに表情を歪めながらも、カガリは倒れなかった。
「兄を惨めだとは思わないのですか?」
唐突な問いを与えられて、カガリは当惑した。
「今、雷業春香の意識は理想の世界の中にいます。好きなものを食べ、好きな女を抱く。そういう世界に。どんなに強がったところで、あの男も人間です。その弱さに付け込まれている。情けないでしょう」
「誰にだって弱さはあります。でも、弱いだけの部分なんてありません。どんな強さも、弱さも、それ自体が決めているわけじゃない。どんな状況で、どんな相手で──そうやって、相対的に決まるものです」
「面白い考えですね。なるほど、弱さも強さになり得ると?」
「ええ。一方的な殺人ができない弱さがあるから、私はお兄様を選びました。でも、それは今こうしてお兄様を守る強さになっている。いえ、します」
キバンは腹を抱えて笑い出した。
「何が可笑しいのです」
「いやあ、鷹眼を裏切ったというから、真なる不死を越えるものが何か、と気になっていました。それがそんな下らない同情だとは」
「下らない……?」
怒気を孕んだ声だ。
「ええ、下らない。なら、私も真似してみましょうか。雷業の前で武器を捨て、どうか殺さないでくださいと言ってみましょう。そうすれば、アレは私を殺せない。そういうことでしょう?」
「ええ。殺さないと思いますよ。でも、そんな惨めさにあなたが耐えられるとも思えません」
「よく舌が回りますね。腕の悪さを舌の速さで補っているんですか?」
カガリは敢えて答えず、斧槍を構える。穂先を下に向け、石突を上に向けた格好。
「そうですね、戦士なら戦士らしく、刃で語らいましょう」
キバンも構える。剣先を相手に向け、刺突を狙う格好。
今、カガリから接近。下から上への斬撃に対し、キバンは後方宙返りで回避に入る。着地に付け込んだ突きが繰り出されるが、彼女は影に入った。
カガリを中心として、影は回転する。また背後から来るのか、と思ったカガリは、真正面に姿を現した彼女に驚いた。
「影縫い(ハイゼ・オッルイ)!」
キバンは腰のポーチから短剣を取り出し、それを相手の影に向けて投げる。すると、カガリの体は空間に縫い付けられたように動かなくなった。
「卑怯な戦法ですのであまり使いたくはなかったのですが、貴方を殺すにはこうするよりないと判断しました」
険しい表情でカガリは相手を睨む。キバンはゆっくりと歩み寄り、敵の肌を剣先で撫でた。裂かれた薄皮から滲み出す、紅い血。
彼女は口角を吊り上げ、カガリの両肩を刺す。それから脇腹の傷を何度か蹴り上げ、唾をかけた。
「さて、首を刎ねます。言い残したことは?」
「カミハテを甘く見るべきではありませんよ」
「何?」
カガリの周囲に浮かぶ炎の玉が、その輝きと大きさを増す。
(まさか、纏で強引に影縫いを突破するつもり⁉)
無駄が多いとはいえ、カミハテはカミハテ。その魂は、何より輝ける光を放っている。金色の瞳が、発光する。
慌ててキバンは剣を振るが、避けられる。
一歩、進んだ。斧槍はその手の中にある。そして、走り出した。右から左から、重さなどないようにカガリは得物を振り回す。直撃はしないが、キバンの皮膚に細かな創傷を無数に作り出した。
キバンは影に潜ろうとする。焦燥がその背中を焼く。潜れない。そこで気づく。炎の玉が影を掻き消している。迫る、カガリ。
黄金の刃が膝を切断。仰向けに倒れた彼女の頭蓋骨を、カガリは斧で叩き割った。飛散する血、脳漿。数度の痙攣の後、キバンは完全に動かなくなった。
途端、カガリは崩れ落ちた。心臓の鼓動が囂しい。息は荒い。振り返れば、倒れ伏した兄がいる。
(行くんだ)
重い脚で立ち上がり、春香に近寄る。斧槍を引きずり、一歩、一歩。
「無駄なことはやめなよ」
椅子に戻っていたイユが脂汗を掻きながら告げる。
「そんなにお兄ちゃんが大事なら、幸せな夢の中に閉じ込めてあげるのがいいんじゃない?」
「お兄様の真の望みは、そんな薄っぺらい幸福ではありません」
「でも、クィオウ・ニーウとも会えるんだよ?」
カガリは言葉が詰まった。確かに、それは春香にとって無上の幸せであるのかもしれない。そこから目覚めさせても、戦い続ける選択肢しかないのかもしれない。
「だからさ、このまま帰りなよ。出口は作ってあげるからさ」
「……もし、お兄様が、今見ているものが幻と知ったのなら、きっと前に進むことを選びます。だから、私は、お兄様を目覚めさせます」
「へえ……ま、いいか。キバンを殺すくらいだもんね、私とやり合う腕はあるし、いいよ、起こしなよ。それくらいの時間はあげる。二人で掛かって来なよ」
息も絶え絶えのカガリに、そんなことができるとは、イユとて思っていなかった。だが、挑発によって精神的優位に立とうという意図だった。
「お兄様、お兄様!」
イユも、度重なる精神干渉によって疲弊していた。これ以上の違和感を与えれば、遅かれ早かれ春香は目覚める、というところまで把握している。ならば、これからは斬り合いの時間だ。
春香が立ち上がる。
「いい夢を見せてもらった」
彼は開口一番そう言った。
「だが、夢は夢だ。俺は先に行く」
「ホントは雷業とガチンコで戦いたくはなかったけど、しょうがないね。おいで、相手してあげる」
「カガリ、休んでいろ。こいつは俺だけでやる」
春香は雷を纏う。消える。敵と斬り結ぶ。
「短剣で刀を相手にするつもりか」
「私非力だからさ、重い剣とか持てないんだよね」
イユは春香の動きについてくる。高速とはいかないが、目を強化し、筋力を増強させることで速さを補っているのだ。
(なら、振り切るまで!)
彼は高く跳躍する。彗霆を何発か投げつけ、動きを制限する。そこに、落下。が、切っ先を逸らされた。
着地と同時に、疾駆。すれ違い様に刀を振り、そのまま壁へ。そこを蹴って、再び強襲。が、どちらも受け流された。太刀筋がブレている。その自覚がありつつも、荒い息の中でそれを修正する余裕はなかった。
床に帰ってくる。片膝をついて、深く、長く息を吐き出す。
「もしかして、ロイの相手をしたから疲れてるの?」
「さあな。好きに考えろ」
「図星だから強がってるんだ。わかるよ、そういう気持ち」
汗をかいているのは同じことだろう、と彼は内心呟く。正眼に構えた切っ先は揺れている。
「ここはどうだ、戦わないことで手を打たないか」
「こっちはカノジョ殺されてるんだよ、そんな提案、乗れないね」
「難儀な人生だな、お互いに」
「難儀にしたのはそこのカガリだよ。そいつ殺すなら通してあげてもいいけど?」
「そうか。ならば、戦うしかないな」
彼は唾を飲んだ。早々に決着をつけたいが、体力がそれを許さない。体力が減れば、それだけ勝利が遠のく。負の連鎖に入ったな、と思う。
「彗霆!」
奇襲気味に繰り出した弾丸は、二振りの短剣に掻き消される。それを囮にして背後に回ったが、彼は炎の纏が乗った回し蹴りを食らった。
「なんか、思ったより強くないね。ロイが体力削ってくれたお蔭かな?」
未だ夢が抜け去っていないような重さが、彼を捕らえていた。
「ま、本気を出さないで済むならそれに越したことはないんだけど……ちょっと頑張っちゃおうかな」
イユは右の短剣から炎の鞭を生み出す。
「