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幕間

「来たかよ」


 北方十二将の待つ部屋に入った東影は、屈強な男にそう声を掛けられた。


「これはこれは、皆様お揃いで」


 十二将は片側六席、計十二席の椅子に座っていた。その間で丁寧に頭を下げた東影は、ニヤリ、余裕のある笑みを浮かべた。


「一人で八人を相手にするつもりかい?」


 線の細い女が問う。


「一つ付け加えるとすれば、刀を抜かずにお相手します」

「んだとゴラァ!」


 激昂した男が椅子から飛び上がる。身の丈ほどあるロングソードを振り下ろす──前に、四肢が千切れた。水の刃だ。


「かかってきますか? それとも逃げますか?」


 ピリリとした緊張が走る。背の低い女がじりじりと出口に向かうも、突如現れた炎の壁がそれを阻んだ。


「……何が望みだ」


 熊のような男が訊いた。


「イェルラの抹殺です。龍仕人は、無断で戦力を蓄えている彼を不穏分子と判断されました」

「龍仕人が……」

「そしてもう一つ。何ら相談なくクィオウの幽閉という行動に至ったことも、理由です。雷業との結びつきを排除するということは間違っていませんが、無断で動く姿勢はいずれ離反を呼ぶと、龍仕人レルガは判断されました」


 七人の戦士は彼を囲う。銘々の得物を握り、構える。


「我々を殺せば権力の真空が生まれる。それがどのような混乱を招くのか、龍仕人とてわかっているはずだ」


 熊男は二振りの剣を逆手に持っていた。


「西部ならまだしも、東部の都市一つ亡んだところでレルガ様の統治に問題は生じません」

「分かり合えんか。俺とお前は」

「レルガ様の意思は私の意思。個人的な交渉をしに来たわけではありませんよ」


 剣が振り上げられる。だが、その刃を半透明の壁が受け止める。構え直そうとした熊男は、心臓を雷の矢で射抜かれて死んだ。


「遺言を預かりましょう。死にたい方から仰ってください」

「舐めるな!」


 鎌を持った女が向かってくる。額を狙った光線は避けられる。が、それが壁に反射し、後ろから脳幹を貫いた。嗤笑を浮かべる東影に、稲妻が迫る。彼はそれを障壁で吸収し、撃ち返す。また一人死んだ。


 彼は床を強く叩く。するとそこから円月輪のような水の刃が現れ、離れようとした者の首を落とした。並んで転がる、三つの生首。


「き、貴様はあ!」


 両手剣を握った女が近づいてくる。その刃を二つの障壁で挟んで受けた彼は、それを延伸させ、脳を潰した。


 高揚した表情を浮かべる、東影。背後に回った短剣の男を、振り向くことすらなく風の刃でバラバラにした。


「北方十二将、もう少し期待していましたが……下らないですね」

「なんだと若造が!」


 立派な髭を生やした偉丈夫が飛び掛かる。が、一瞬の内に両腕を失い、倒れ伏したところで臓物を撒き散らした。


 皆死んだ。動くものは東影のみ。彼は左手を刀の柄頭に置いて歩き出した。一歩進む度、水音が響く。


「さて、行くとするか」


 イェルラを殺すため。青い目は、蒼玉の如く輝いた。





「あなた、本当にリズを殺すの?」


 燈火は春成の隣でそう問うた。窓の外は幽かに明るい。雲を突き抜けてやってくる僅かな陽光を、雪が反射しているのだ。


「ああ、殺す。鷹眼のように暴走する者が、この先また現れる可能性があるからな」


 彼女は顔を曇らせる。


「あの子に罪はないわ。春香に預けてもいいと思うのだけれど」

「あいつは未熟だ。どんな敵が来るかもわからん……守り抜けるとは思えない」

「春香は、転剣龍相手にも生き残ったのよ。きっと守れるわ」


 春成は何も言わず、立ち上がった。扉を少しずつ開ける夏目の姿があったのだ。


「夏目、どうした」

「お父様、リズさんとお話してもよろしいですか?」

「好きにしろ。だが深入りはするな。苦しくなるだけだ」


 夏目は深々と頭を下げて、暗い廊下を歩き出した。黄色い着物の彼女は、今年、数えで十五になる。リズと同じだ。金色の瞳、銀色の髪。炎のカミハテである火霊の血を引く証だ。


 お前は狩人にはなれない、と父は言う。女だからか、と質した。そうすれば、父は、精神回路が不安定すぎる、と語った。


 その意味を完全に把握したわけではないが、それでも彼女は導術も纏術も教えられなかった。


 三階の奥の部屋。戸を叩く。


「夏目です」

「どうぞ」


 赤い着物のリズは、扉に背を向ける形で本を読んでいた。それが椅子を立って、困ったような微笑みを浮かべてベッドに腰掛けた。その隣に、夏目は座る。


「急な質問になってしまうのですが」


 と言ったのは夏目。


「リズさんは、お兄様のこと、好きなんですか?」

「えっ」


 裏返った声が出る。リズはどぎまぎして、目を右に左に泳がせてから、ようやく相手に向かうことができた。


「そうなのかも、しれませんね。感謝はしています。何度も救ってもらって、いつも助けてもらっていますから。でも、恋なんてわからないんです。本の中で見ただけ……」


 夏目の輝く瞳が、彼女に向けられる。恋に恋する、なんて言葉を思い出した。


「いいなあ、私も誰かを好きになってみたいです。お父様ったら、誰に会うにもまず自分を通せって言うから、人と話す機会なんてまるでなくって」

「きっと夏目さんのことが大事なんですよ」

「にしてもやりすぎですよ」


 そこまで話して、沈黙。踏み込みすぎるな、という父の言葉を、夏目は想起していた。だが、進みたい。


「あのさ。敬語、やめない? 同い年なんだしさ」


 彼女から言い出した。きょとんとしたリズは、ゆっくりと表情を穏やかにした。


「じゃあ、そうしよう。これからよろしくね、夏目ちゃん」

「『ちゃん』って呼んでもらうの久しぶり! お母様もお父様も夏目って呼ぶし、お友達なんてできなかったし……」

「久しぶりってことは、そう呼ぶ人がいたの?」

「鷹眼おに……いや、こう呼んじゃダメなんだった。鷹眼だけはそう呼んでくれた」


 もう、鷹眼は雷業の敵なのだと思うと、リズはやりきれない思いだった。


「その腕も、鷹眼がやったんでしょ。でも大丈夫だよ、お兄様がやっつけてくれるから」

「兄弟で殺し合うなんて、そんなの駄目。どうにかして対話で解決しなきゃ」

「でも、リズちゃんを傷つけたんだよ?」


 自分の存在が、争いを呼ぶ。二年の月日は、リズにそれを飲み込む余裕を与えてはくれなかった。春香は幾度となく敵に立ち向かい、その度に人を殺して帰ってくる。そこに正しさを見出すことを、彼女はできないでいた。


「……恨んではいる。鷹眼がいなければ私はこうならずにすんだから。でも、春香さんが鷹眼を殺しても、今度は別の戦いを呼ぶだけ。一番は、和解して一緒に帰ってくることだよ」

「お父様を裏切った報いは受けるべきだよ」


 その感性を、リズは理解できない。いや、正確に言えば分かるのだ。一族の誇りというものは存在するのだろう、というところは十分推し量ることができる。それに泥を塗ったことは裁かれるべき悪であり、恥だということも。


 しかし、だ。その代償が死というのは重すぎないだろうか、と思える。それをそのまま口に出すことが余計な諍いを呼ぶのではないか──その懸念を抱えて、彼女は目を逸らした。


「お兄様が帰ってきたら、一緒にヘヴノヴールに行こうよ。ケーキが美味しいんだよ、お兄様がクィオウさんから貰ったの」


 そんな思いが肚の中にある彼女とは対蹠的に、夏目は屈託のない笑顔を向けてくる。それが眩しすぎて、リズも引っ張られた。


「そうね。行けると、いいな」


 リズは、春成から現在のヘヴノヴールの状態と、春香たちの行動の目的を聞いていた。クィオウの解放。それを実現するには北方十二将に壊滅的な打撃を与える必要があり、そこから影響はヘヴノヴールの支配体制全体に及ぶだろう。つまり、力の真空を産む。そうなれば、ケーキを食べに行くどころではない。治安維持機構が機能しなくなる可能性さえある。


「行けるといいね」


 そこまで想像した彼女は、取り繕った。


「ねね、外出ない?」


 夏目がズイと顔を近づけてくる。


「大丈夫かな、これでも私狙われてる身だし……」

「いけるよ。お母様が一緒なら何も怖くないって」

「春成さんは?」

「これは秘密なんだけど、お父様はもう狩人の力を持ってないの。龍仕人に呪いをかけられて。ひどいよね、雷生を襲わせたのも龍仕人だって言うし」


 リズはその言葉を重く受け取る。もし、自分も龍仕人の力を持っていると告げれば、この少女はどんな顔をするのか。憎むだろうか、距離を置くだろうか。それで全てが終わりになるだろうか。


「じゃ、行こうよ! お母様に言ってくる!」


 小走りで去っていくその背中を見ながら、リズは空の左袖を握った。


 外に出たい旨を告げた夏目に、春成は厳しい表情を向ける。


「深入りするなと言っただろう」

「ですが、私も友達が欲しいんです」

「いいか、あの女は不幸を振りまく存在だ。それに──」

「あなた、いいでしょう」


 燈火の一声を受けて、彼は溜息を吐いた。


「あの子は普通の女の子よ。どんな宿命を背負っているにせよ」


 苦い顔を見せる、春成。そして再びの溜息。重々しく、口を開いた。


「燈火、武器を忘れるなよ」


 そう言って、徐に立ち上がる。どっしりとした後ろ姿を見送った三人は、顔を見合わせて微笑んだ。


 黒いコートを着た彼女らは、和やかな雰囲気で外に出る。雪はあまり振っていない。だが、根雪の白が道を覆っていた。


「リズちゃんは雪、見たことある?」

「うん。昔は山にいたから」

「どこの山?」

「あー……西の方」


 フバンハと言えばせっかく抱いてもらった好意を崩しそうと思って、嘘を吐いた。


 街は灰色と白だ。冷酷な集合住宅の窓から漏れる光が、雪に反射してぼんやりとした灯を齎す。そういう街だ。


「燈火さんって、火霊の家の方なんですか?」


 リズが尋ねた。


「ええ。まあ、狩人になるには精神回路が未発達で、雷業に嫁に出されたんだけど」

「厳しい世界なんですね」

「仕方ないわ。火霊の女はそういう人間が多いの。夏目もそう。でも、狩人を支えることはできるわ。嫁に出された先で、春成さんは私を大切に扱ってくれた」


 燈火は全てを語らなかった。実際のところは、もっと話したくない事情があったのだ。それは、雷業と火霊を掛け合わせることで産まれる、力の炎と速さの雷、二つの属性を併せ持ったカミハテを得るために孕んだということだ。


 鷹眼は、それがどういった存在なのかを探るための試金石だった。東部都市連合の要請で天津龍を狩る最中、春成はまだ幼い鷹眼を拾った。銀朱の目。理想とする二つの属性の術「灼雷」を扱える子供。


 春香がその力を持っているのかどうかを、夫婦は知らない。燈火としてはどちらでもよかった。ただ、健やかに生きてほしかった。リズを巡る戦いなど知らず、できることなら狩人になどならないで生きてほしかった。


 現実は厳しい。春香は命を賭け、春成はその背中を押す。止めたかった彼女は、しかし、息子の願う未来を実現するにはそうするしかないことを理解していた。


 リズを見る。その華奢な両肩に乗る重圧は計り知れない。燈火はリズがどうやって産まれてきたかを知っている。口には出さない。なるべく意識しない様にしてきた。だが……。


「ほら、ここ!」


 夏目の声で、彼女は物思いの闇から引きずり出された。赤煉瓦の外壁に、ショウウィンドウ。色とりどりのケーキが並ぶ。


「はちみつケーキが美味しいんだよ」


 手を引かれて、リズと燈火は店に入った。


(春香、帰ってくるのですよ)


 彼女は、静かに願った。

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