朝は、爆発音と共に訪れた。
「出てこい雷業!」
扉を導術で吹き飛ばした黒髪の男はそう叫んだ。薄暗い部屋の中でゆらりと立ち上がる者の姿を認めた彼は、次の瞬間、首と胴が切り離された。
「こういうことか」
昨晩凪彩が言っていたことを思い出す。立ちはだかる者全てを倒さねばならない。
「カガリ、凪彩、東影。行くぞ」
「仰せのままに」
黄金の斧槍を持ち上げたカガリが、粛々とその三歩後ろを歩く。
外に出れば、銃口が向けられた。
「今ここで連行されるのであれば、生きて帰れるかもしれんぞ」
長い帽子を被った男が冷徹に言う。
「そちらこそ、今すぐ退けば殺さないでおく」
「残念だ」
男は手を高く掲げ、振り下ろす。それと同時に一斉に弾丸が放たれた。が、一発たりとも命中することはなかった。鳴崩で全身を加速させた春香は、弾丸を精密に弾き返し、または逸らし、カガリと共に戦士たちを血祭りにあげた。
「イェルラに伝えろ。クィオウを解放しろとな」
残された部隊長は、腰を抜かして立てない様子だった。それに手を貸すこともなく、四人は進む。遠くで鐘が鳴る。非常事態を告げているのだ。
「では、自分はイェルラの方に当たります。ご武運を」
東影が足早に去る。
クィオウのいる塔は、街から外れたところに聳えている。まるで黒い空を突き刺すように。その向こうにある太陽を呼ぶように。
走る。ひたすらに走る。凪彩に乗ることも考えたが、全身を龍に変化させることは彼女にとってかなりの負担となるようで、やめた。
入り組んだ路地に入る。
「私が先頭に立ちます。ついてきてください」
凪彩に導かれて、迷路のような街を進む。どうにかこうにかそこを脱し、何もない平野に出た、その時。
彼らの目の前の地面から、七尺に足りない程度の兵隊たちが現れる。腕は長く、膝の少し下程度まで伸びていた。その先には黒い剣。
全身は影のような鎧に包まれ、影のように揺らめく顔面には無数の臙脂色の光が蠢いていた。
「ハイゼ……!」
声を漏らしつつ、凪彩は弓を構える。
「こいつらは殺せるか?」
「人が死ぬようなダメージを与えれば死にます。ですが、数が……」
「大した問題じゃない」
春香は雷を纏い、踏み込む。左手から空穿を放ち、鎧ごと胴を撃ち抜く。
「片付けるぞ」
静かにそう言った彼に、別の敵が襲い来る。その頭を、黄金の斧槍が割った。
「お兄様、ここはわたくしに」
「三巨頭がどれほどのものかわからない以上、戦力を分散させるべきではない。ここは全員で当たるべきだ」
「承知しました」
ハイゼの群れの中、二人は背中合わせ。凪彩は太く長い矢を取り出し、放った。それは鎧を簡単に貫通し、胸に大きな穴を空けた。
今、春香が動き出した。黒刃を白刃で滑らせ、剣を絡め取る。宙に舞う剣。逃げようとしたハイゼの頭を掴み、押し倒してから喉笛を掻き切る。
立ち上がった彼の背後から、剣が迫る。それを感じ取っていた彼は一文字斬りをしゃがんで躱し、その勢いで足払い。尻餅をついたハイゼの額を刺した。紅雷龍の骨で出来た刀は、血に濡れはしなかった。代わりに青白い体液が付着する。
「貴様らに意思があるかどうかは知らない」
体を持ち上げながら彼は言う。
「逃げる脳があるなら逃げろ。こんなところで時間を使いたくはない」
ハイゼたちは、不安定な顔を向けて春香を包囲する。
「そうか、死にたいか」
彼は腰を落とす。
鳴崩。雪空に響く雷鳴と共に、汚れた刃が次々にハイゼの首を落としていく。大上段からの振り下ろしを半身で躱し、蹴り飛ばす。そこに凪彩の矢が飛来して、頭蓋を穿った。
「進みましょう。クィオウ様が待っています」
こくり、頷いた彼は走り出した。同じ雷の力で追い縋るハイゼを斬り捨てつつ、急ぐ。やがて振り切って、天を貫くような塔が近づいてきた。
半刻ほど進んで、塔の足元に到達した。一見すれば五丈近い。最下層が太く、上に行くにつれて細くなっている。
「あの太いところに、三巨頭がいる」
「ええ。」
「……行こう」
春香とて、不安がないわけではない。恐ろしさ、震えるような恐ろしさ。一度入れば、勝利なくして帰ることはできない。それでも進まねばならない。かつて愛した、いや、今もなお求め続けている彼女を助け出すため。
「ヨジドンドは、単なる異空間ではありません」
最初の白い門扉を開こうとした彼に、凪彩が言う。
「内部には様々な試練が存在し、侵入者を妨害します。心してください」
「あいわかった」
ゆっくりとそれを押す。目の間に広がっていたのは、針葉樹林。松や樅から成る森だ。
「なんだ……? 凪彩──」
「わかりません。ヨジドンド内部については、三巨頭とその腹心にのみにしか明かされていませんから」
兎に角、脚を動かした。槍のような葉に気を付けながら背の低い草を踏みつけていると、川に出た。
「虹色の水、か」
水面は揺らぐ虹色。絶えず色を変化させている。
「罠かもしれませんね」
カガリが言う。
「そうだな……」
春香は対岸を見る。目測で、およそ四尺。狩人の肉体なら難なく飛び越えられる。
「カガリ、いけるか?」
「問題なく」
凪彩が飛んで、カガリが飛ぶ。そして春香が、としたところ。川のちょうど真ん中あたりから突如腕が生え、彼を引きずり込んだ。
「お兄様!」
差し伸べられた手に腕を伸ばしながら、彼は沈んでいく。どろりとした、重い感触。ついに、全てが──。
数瞬後、彼は開けたところに落ちた。天井には青い炎が灯ったシャンデリア。壁にはステンドグラス。
「初めまして、ですね」
そう言ったのは、鈍色の瞳をした青年。ボウ・アンド・スクレイプ。背中の青白い大剣が目立つ。
「……何者だ」
「クォラ。三巨頭が一、ロイの腹心でございます」
「そうか。なら斬る」
「その前に世間話でも致しましょう。貴方は何故クィオウを求めるのですか?」
「わかっているだろう。許嫁だったからだ」
「やはり。しかし、私は親友であるロイから貴方を殺すよう頼まれています。通すわけには参りません」
「俺も退く理由はない。行くぞ!」
春香は床を蹴った。斬撃は大剣に受け止められ、届かない。
(聞いていた以上に速い。これがカミハテ……)
実力を確認したクォラは大きく後方宙返り。上を取ったところから氷の弾丸を放った。どれも叩き落とされる。それでも諦めず、幾度となく放ち続ける。弾幕があれば接近できないだろう、という目論見だ。
しかし、多くの人間を斬ってきた春香にとって、それは愚策でしかなかった。多少の被弾を厭わず突っ込んだ彼は、突きの体勢に入った。身を捩ったクォラの左肩に白刃が突き刺さる。
白亜の床に赤を垂らしながら、クォラは三歩ほど後退る。
「雷業、確かに速いですね。しかし見切りました。二度目はありません」
その傷は見る見るうちに塞がる。水の纏術だ。肉体の治癒力を強化し、疑似的な不死状態に至るのだ。
「さあ、続けましょう」
大剣で地面を引っ掻きながら、彼は駆ける。まるで重さの存在しないような斬撃をどうにか回避した春香は、その懐に潜り込んで蹴り飛ばした。
そうやって生まれる、無防備。春香は背後に回り、止めを刺そうとする。だが、対応される。
「少し、疑問に思っているのではないですか?」
「何?」
「水の適性を示す目であるのに、貴方に対応できる速さを有していることに」
「……」
「鈍色は、僅かに赤を含みます。故に、雷の纏も可能なのです」
「だから何だ」
「フフ、その綺麗な顔が苦悶に歪むところを見せてもらいます」
今度はクォラが仕掛けた。振り下ろされた大剣を受け止めると、その重さが春香を潰さんとする。足払いが来る。それを受ける前に、彼は飛び退いた。すると、先ほどまでいたところを氷の弾丸が過ぎ去っていった。
「勘もいい。ここで殺すには惜しすぎる!」
クォラの口角が上がる。その表情のまま、大剣を振り回していた。まるで自分の腕の延長であるかのように。
その連撃は、決して止まらない。遠心力を活かした縦振りが床にめり込み、横振りが風切音を伴う。
一撃が致命傷になる──春香は悟る。多少刃筋が立っていなくとも、首など容易に断つだろう。
(だが、逃げられはしない)
ここで決着を避けるという選択は、できない。
「彗霆!」
苦し紛れの一発。左手から放たれた球体は、驚くべき速度で飛翔し、大剣を盾のように構えたクォラに直撃した。が、動かない。一歩たりとも退かない。
「悪くない威力です。しかし、足りません」
舌打ちした春香は、息を長く吐き出す。冷静さだ。それが生死を分ける。
「今からでも北方十二将に与しませんか? 真なる不死、貴方だって欲しいでしょう」
問いかけられても、彼は答えない。
「だんまり、ですか。リズ・ユヤデオナの命が惜しいと?」
「……そうだ」
「理解しかねます。アレがどうやって産まれたかを知れば、そんなことも言っていられないでしょうに」
「どういうことだ」
「教えてあげましょう──」
「そこまでだ」
天井からもう一人が現れる。紅の瞳、綺麗な顔つき。ロイだ。
「クォラ、もうすぐカガリと凪彩が合流してくる……ここからは僕が加勢しよう」
彼は短槍を右手に握っていた。
「雷業、残念だが君はここで死ぬ。最期の言葉を聞いておこう」
「そっくりそのままお返しする」
「フッ、そう言うと思っていたよ」
ロイの姿が消える。だが、春香の肉体はほぼ無意識で反応を見せていた。上方から迫る、刺突。躱せば床に突き刺さった。
雷の纏と最も相性がいい武器は槍かもしれない。手の中を滑って繰り出される突きはあまりに素早く、彼とて回避しきれなかった。肩を掠める。頬を掠める。血が滲んで、落ちる。
距離を取りたくなり、後ろ飛び。追いかけられる。大振りな一撃を躱し、逆に槍を掴んで投げる。
空中に踊ったロイは、不安定な姿勢から導術を放った。棒状の雷だ。それを春香は刀で受け止め、返す。数発のうち、一つは直撃し、ロイを壁に叩き付けた。
「導術返しも使えるんだ。いいね」
ゆっくりと立ち上がりながら彼はそう口にした。
「でも、チェックメイトだ」
春香の周囲には、無数の氷の矢。
「恨み言の一つでも言ったらどうだい?」
「勝つのは俺だ」
「なんだって?」
「いや、俺たちだ」
その瞬間、壁が吹き飛んだ。現れたのは、カガリと凪彩。