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フザン

 一隻の船が、月夜の海を滑っていく。その甲板には人夫の他、男が二人、並んで佇んでいた。一人は背広のピジョ。もう一人は刀を腰に差し、黒い着物を着て、騎士の兜のようなものを被って顔を隠していた。その下から、長い銀髪がはみ出している。


「フザン様、まずはどうなさいます?」


 兜の男に向かってピジョは話しかけた。


「どうもこうもない」


 何重にも反響したような低い声で、フザンと呼ばれた男は言った。


「速やかにリズ・ユヤデオナを確保する」

「かしこまりました」


 恭しく頭を下げるピジョ。


「雷業の倅はどうなさいますか? あれは必ず計画に支障をきたします」

「策がある」

「策、と申しますと?」

「この兜はそのためにある、とだけ言っておこう」

「素顔をお見せになると?」


 ピジョの問いに、彼は中々答えない。その間に、風が彼らを揺らした。


「かもしれないな」


 にべもない返事にピジョは少々不満であったが、それは顔に出さず、ただ微笑んでいた。


「貴方の素顔、気にならないと言えば嘘になります」

「計画に関係のないことだ」


 視線は見えないが、兜の内側から発せられる嫌な気配を、ピジョは敏感に感じ取った。


「真なる不死の力、確かに分け与えてくださるのですね?」

「疑うのか?」

「単なる確認にございます」

「無論、共に儀式を執り行おう。うまくいけば、という前提だが」

「不安要素が?」

「雷業の後継者と、百術の頸創。片方だけならまだしも、両方となるとな」


 フフ、と笑ってピジョは応じた。船は西に進んでいく。夜明けは、まだ遠い。


 ◆



 窓から差し込む朝日。布団の中で、リズは額縁に入った写真を見ていた。


(思い出……)


 ずっとこのままでいたい──それが彼女の本心だった。両隣には畳まれた布団がある。


 そのために自分ができることを、考えてみる。何か特別な技術があるわけでもない、家事をしようにも、大したことはできない。手拭を持っていくだとか、話しているところに飲み物を出すだとか、そういうことばかりをやってきた。というよりも、老婆があまりさせたがらない、というのが実情だった。


(それでいいんでしょうか)


 ゲルカルナに襲われた、十日前のことを思い出す。生贄。カガリがいなければ自分は今事そうなっていたのだろう、と思う。とても想像のできないことだった。


 春香にも、恩返しをしたい。しかし、それを素直に言っても受け止めてくれないだろう、というのはなんとなくわかっていた。


(『俺は義務を果たしたまでだ』なんて言うんでしょうね)


 額縁を畳に於いて、指先で弄ぶ。溜息が一つ。


「リズさんや」


 老婆が来ていた。


「どうされましたかな」


 彼女はそっと居間に入って、リズの隣に座った。


「その、春香さんと頸創さん、それとカガリさんにお礼をしたいんですが、どうしたらいいんでしょう」


 それを聞いた老婆は懐からがま口を取り出し、差し出した。


「これでお菓子でも買いなされ」

「いいんですか?」

「若者の背を押すのが老人の役目。老い先短い私が持っていても仕方のないことです」


 ニコニコと笑う老婆の親切を突っ撥ねるのも気が引けて、リズはとりあえずがま口を枕元の巾着袋に入れた。


「それでは、いってらっしゃい」


 とは言っても、自分が狙われているという現状を思えば、一人で出歩くのはやはり不安だった。袋を持って居間を出たが、どうしたものかと首を傾げた。


 とりあえず春香を探すことにした。まずは庭に出てみた。いない。遠い喧騒と子供の声が混じって聞こえてきた。カガリの座敷牢に行ってみる。いたのは静かに本を読むカガリだけで、黙って去った。


 縁側に出て、腰を下ろした。いないなら待とう、というつもりだった。


「嬢ちゃん、どうした?」


 頸創が後ろから来た。


「お出かけをしようと思ったんですが、春香さんがいなくて」

「あいつなら出て言ったぜ。清然に呼ばれてな。俺が付き合おうか?」

「お願いします」


 二人は門を潜る。空はよく晴れていた。


「で、どこに行く?」

「皆さんにお礼がしたくて」

「へえ。菓子屋に行くか? 最近新しい商品が出たらしい」


 しばらく歩いて、港に向かう大通り。人で埋まった往来をすり抜けるように歩いて、やがて『天泣堂』と看板の出た店に入る。


「鎌風様⁉」


 出てきた若い店員が驚く。


「何をお求めでしょうか」

「ほら、新しいの出し始めたっていうじゃねえか。それをくれよ」

「は、はい! こちらです!」


 ショウケースに並んだ色とりどりの大陸菓子。その中に、輪っか状の揚げ菓子があった。


「そうそう、これ。ドーナツってやつ」


 頸創はしゃがみ込んで、それを眺める。


「食べたことあるんですか?」

「いや。西に行った頃はまだ高くてな。それなりに稼いじゃいたんだが……買えなかったな」

「じゃ、これ五個下さい」

「五十ラクスになります」


 苦笑いをする頸創。リズはそれを放っておいてがま口の中の硬貨を数えていた。


「足りるか?」

「はい、何とか……」


 それを払うと、がま口はほぼ空になった。紙袋に入ったほんのり暖かいドーナツを抱え、リズは店を出た。


「なあ嬢ちゃん。何か不自由してないか?」

「いえ、全然」

「そうかい。したいことがあるなら遠慮せず言ってくれよな。できる限りことはするからよ」


 おくびにも出さないだけで、どこか疎まれているのではないか。自分が不自由なのではなく、春香や頸創の方が不自由をしているのではないか。そういう思いが彼女の中にある。


 しかし、それを口に出した途端、今の生活が崩壊する気もしていた。建前の中で成り立っているのかもしれない現実。踏み込むことが怖い。だから、そんなことはないのだと信じてみようとする。今日はそれが少しうまくいかなくて、厭な気持になった。


「リズ?」


 名前を呼ばれて、知らず知らず俯いていた顔を上げる。そこには春香がいた。


「買い物か?」

「はい、お菓子を買ったんです」

「そうか。それはいいな。頸創が付き添ってくれたのか」

「おうよ。あんたは何の用だったんだ?」

「ゲルカルナのことで、少しな」

「ああ……」


 頸創は納得したような表情を見せる。


(ゲルカルナ。私を攫おうとした人)


 恐怖が彼女の中で蘇る。


(どうして、真なる不死なんてものに産まれてしまったのでしょう)


 カガリのことを、恐れていないわけではない。だが、立ち向かってくれた。それは素直に感謝している。胸に残った傷跡は忘れられないが。


 一方で、カガリが戦ってくれた背景には春香の存在がある。あそこで、意識を失ったカガリを殺してしまう人間であったなら、今、自分はここにいない。苦しみながらも生きている彼に同情と、それとは別の少しドロッとした感情を抱く。


 少し、カガリに嫉妬する。自分の気持ちをああも素直に吐露できることが羨ましい。自分自身、はっきりとしないのだ。きっと、春香に対する心の動きは愛おしさだ。癒してあげたい。受け止めてあげたい。


(こういう気持ちを、好きって呼ぶのでしょうか)


 そっと、春香と手を繋いだ。


「どうした?」


 その問いかけも無視して、握る。


「私、春香さんと離れたくないです」

「そうか……俺も、かもしれない」


 彼の頬が少しばかり赤くなったのを、リズは見た。


 そうこうしている内に屋敷に帰り着いた。


「帰ったぞ!」


 頸創が声を響かせる。慌てて出てきた佳代子は右手に本を持っていた。


「お帰りなさいませ」


 深々と頭を下げる彼女にリズは一礼して、隣を過ぎた。


「おやおや……」


 奥座敷で茶を飲んでいた老婆は、手を繋ぐ二人を見てそう言った。

「して、何を買いなさったのです?」

「ドーナツっていうお菓子です」

「甘いものはもう入りませぬ故、お嬢様が食べなされ」


 それを否定することもなく、リズは頷いた。


「私、カガリさんのところに持っていきますね」


 ドーナツを一つ、皿に載せて階段を上がる。


 春香と頸創は胡坐をかいて食事をしていた。


「んー、菓子ってのはやっぱ甘い方がいいな」


 頸創のその言葉に、春香はあまり同意していなかった。くどいな、という直球の感想は控える。リズが選んでくれたものだ。それを否定したくなかった。


 食べ終わったところで、玄関の方から


「頼もう」


 という声がした。


「見てくる」


 頸創は立ち上がって向かった。


 玄関には、ピジョと兜の男。


「リズを渡してもらおう」

「さて、何のことかね」


 兜の男の正体を知った上で彼はすっとぼけた。フザンだ。


「春香! 来てくれ!」

「抵抗するのなら……死んでもらう」


 フザンが刀を抜くと同時に、閃光が放たれた。それを頸創は長巻で受ける。


 その一瞬の攻防の後、春香が走ってきた。


「頸創、あの兜は誰だ」

「フザンだ。俺はピジョを抑える」

「あいわかった」


 春香は鳴崩を使ってフザンに向かう。が、鞘がその斬撃を受け止める。


「リズは渡さん」


 押し合いながら彼は言う。


「ならば押し通る」


 飛び退いたフザンを追う。だが、


「白雷!」


 という声と共に放たれた光線が彼の動きを止めた。直撃寸前。彼は


「空穿!」


 と術を放って相殺した。ぶつかり合った二つの光が爆ぜて、更に一際大きな輝きを放った。


(白雷……? まさかな)


 問いは捨てて、目の前のことに集中する。


「流石だな、雷業春香」


 春香は答えず、距離を詰める。斬り合いでは彼が優勢だった。怒涛の連撃が少しずつ、フザンを押していく。塀のところまで追い詰め、止めを刺そうと突きの構えに入る。繰り出したその時、フザンは身を翻し、逆に後ろ蹴りを食らわせた。吹き飛ばされる春香。そこに


「どうしました?」


 とリズが現れる。


「逃げろ!」


 春香の声に応じる前に、雷の刃が飛んでいく。彼が走り出す、間に合わない。切り落とされる、左腕。散る鮮血。守れなかった。一瞬の悲しみと、己への侮蔑。だが、やるべきことはまだある。


「貴様ァ!」


 激昂のままに、彼は刃を振るう。だが冷静さを欠いた一撃は届かない。それでも、と何度も彼は振り下ろした。


「怒りで俺は殺せない」


 嘲笑うような声でフザンは言う。斬撃を弾き、生じた隙に彼は左肩を刺した。


 春香は距離を取り、呼吸を整える。反撃の機会は必ず来る、と己に何度も言い聞かせて痛みに耐えた。


「変わらないな、お前は」


 フザンの声が降り注ぐ。


「名前の通り、真っ直ぐだ。自分の溢れる才能を無意識に過信している」

「なぜ知っている……?」

「聞きたいか?」

「……必要ない!」


 湧いてくる疑念を殺すために、空穿を放つ。閃光がそれを砕いた。だが止まることは許されない。春香は兜の向こう側に笑みを浮かべているのであろうフザンに向かって、ひたすら刀を向かわせた。


 通らない。的確な対応が彼を嗤うようだ。どこまで己を加速させても、フザンはそれを全て見切って鞘で防ぎ、軽く躱す。


「無駄だ。諦めて、リズを捧げるかここで死ぬか、選ばさせてやる」

「何の罪もない少女を生贄にするなど、俺は受け入れない」

「残念だ」


 フザンは刀で天を指す。


「雷神よ。我が身の鼓動と熱を熱き稲妻とし給え」


 その透明な刀身が眩く輝きだす。


「白雷」


 振り下ろされると同時に、灼熱の力の奔流が春香を襲う。


「空穿!」


 咄嗟に繰り出した術をぶつけるも、相殺しきれず、脇腹を貫かれた。膝をつく、春香。


「春香、いや、ハル。よく見ておけ」


 フザンは兜を掴む。何を目論んでいるのかと警戒していた春香は、露になった素顔を見て声を漏らした。


「兄上……?」


 銀色の髪、銀朱の眼。そこにいるのは間違いなく雷業鷹眼だった。


「ハル、立てよ」


 その言葉に従うわけではないが、彼は刀を握り締め、立ち上がった。


「兄上、なぜこんなことを……!」


 問いかける彼の傷を、鷹眼は蹴りつける。彼は体を折って倒れた。体は金のように重い。


(動け)


 胸中、呟く。鷹眼は刀を納め、リズに近づいていた。


(戦え)


 鋭い痛みが心までも刺す。


(生贄になど、させるものか!)


 燃え盛るような感情が産まれた。それは魂を揺さぶり、そこに存在していた壁を崩していく。どす黒い光が、差し込んだ。


 刹那。彼の刀は炎を纏う。地面を蹴る。衝突する、刀と鞘。


「至ったか! 灼雷しゃくらいに!」


 鷹眼の表情が歓喜に歪む。両者は一歩も退かずに戦い続けた。同じ師を持つ者同士だ。鷹眼には彼の太刀筋全てが見えていた。決着などつくはずもない。やがて打ち合いが五十合ほどになったところで、二人は同時に導術を放った。


 打ち消し合う閃光と龍。そうしてできた光を突っ切って、春香の刃が相手の右胸を貫いた。鷹眼は苦しむどころか、肺を焼く炎を見て恍惚の表情を浮かべていた。刀が引き抜かれると、鷹眼はふらつき、崩れ落ちた。


「ピジョ!」


 彼は右腕の名前を呼ぶ。


 ピジョは左手の中で爆発を起こし、その光で頸創の眼を晦ました。そのままリズの左腕を拾い上げ、鷹眼に触れる。


「それでは、またお会いしましょう」


 二人は消えた。倒れゆく、春香──。

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