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鬼傀兵 その四

 ランプに照らされる、板張りの廊下。一人の女が冷え切った空気の満ちるそこをカツカツと歩いていた。赤毛で、純白の仮面をつけ、腰に剣を下げている。彼女の名前はゲルカルナ。


 彼女は扉を開いた。その先では、柳色の瞳をした金髪の青年が、吊り下げられた無数の死体を前にしていた。


「ピジョ、準備はどうか」


 そう呼ばれた彼は静かに頷く。丸腰だ。


鬼傀兵きかいへいの準備は完璧です。フザン様からの提供分も含めて三百体。術に適合しています」

「狩人の力は借りたくなかったが……計画のため。仕方ないことだ」


 彼女は並ぶ死体の一つに触れた。それが鬼傀兵だ。


「しかし、奉行所は鎖閂式の連発銃を配備し始めています。弾幕は想定以上のものになりますよ」

「銃がいくらあろうが、不死の兵隊の前には問題ではない。いくら撃たれても数で圧倒するだけだ」


 ピジョは答えないまま、微笑むだけだ。


「貴様はどうする」

「私? 私は蒐集家で、情報屋です。殺し合いは仕事に入っていません。狩人三人を相手取るのが不安で?」


 貼り付けたような微笑みが、ゲルカルナを苛つかせる。だが協力者を無碍にするわけにもいかなかった。


「まあいい。雷業と鎌風は巨人に対処させれば何とかなる」

「三日前のことをお忘れですか? おそらく、弱点は露見しています。巨人では時間稼ぎ以上のことはできませんよ」

「私も出る。問題ない」


 不機嫌を隠そうともしない態度で彼女は言った。


「それと、リズ・ユヤデオナもお願いしますよ。まあ、そんな余裕はないでしょうけど」


 見くびられて、彼女はムッとした。


「小娘の一人くらいどうとでもなる」

「客観的推測を述べたまでです。図星を突かれてお怒りなのですか?」


 彼女は素早く剣を抜き、ピジョの首に突きつけた。


「煩い男は嫌いでね。口の利き方には気を付けたほうがいい」


 その状況にあってなお、彼は腰の後ろで手を組んだまま笑っていた。


「私を殺せば貴方はフザン様との繋がりを失う。それをわかっていれば、こんな脅しは意味をなしませんよ」

「そうでなければ私は貴様の首を十回は刎ねているよ」


 彼女は不服そうに剣を納める。死体の内の半分も、この船も、フザンを経由して手に入れたものだ。狩人の権威を貶めるために、狩人の力を借りる。その矛盾を、彼女は受け入れていた。


「Ma-cola(起きろ)」

 彼女は言う。すると死体の眼が開いて、一斉に床に降り立った。


 鬼傀兵たちは外に向かって走り出す。狩人狩が、始まった。



 ◆



 無数の銃声。叫び声。鮮血。それらが真夜中の南港の大通りで展開される。隊列を組んで足軽たちは弾幕を張るが、殺到する鬼傀兵を押しとどめるには至らず、接触を許してしまう。


 足軽の一人が伸し掛かられて、首を折られた。その腰にあった刀を奪われ、更にもう一人が殺される。そんな光景が何度も繰り広げられた。


「退くな!」


 清然は必死に叫ぶ。


「お前らどけえ!」


 頸創の声。


「空穿!」


 二つの声が重なって、血に濡れた空間に響いた。二頭の龍が鬼傀兵の肉体を次々と抉っていく。十か二十か。とにかくそれだけの敵を巻き込んで、龍は消えた。


 春香と頸創が並んで走って、鬼傀兵の只中へと飛び込んでいく。迷いのない太刀筋は首を斬り、脚を断ち、胴体を裂く。


「俺たちに構わず撃て!」


 頸創の声の後、ほんの僅かな躊躇いがあって、一斉射が行われた。二人は雷を纏い、銃弾を避けながら雑兵を処理していく。


 春香は空を震わすような雄叫びを聞く。雑魚の群れの向こうに、巨人が十体だ。


「頸創。こいつらは頼んだ」


 それだけ言い残して、巨人たちに向かう。


「おいマジかよ!」


 その声を、彼は無視した。


 まず一体、一瞬の内に首を斬り落とす。そこに飛来する、拳。拳。拳。鳴崩の速さでそれら全てを回避し、目玉に刀を突き立てる。刃を延伸し、内側から脳を切り裂いた。


 だが、春香は襟首を掴まれ、投げ飛ばされる。空中で無防備な姿をさらす彼に、巨人が追いつく。縦回転の回し蹴りが、彼を地面に叩き付けた。


 後頭部から血を流しながら立ち上がったところに、両の拳を組ませて振り上げる敵。敢えて踏み込み、両腕を切断した。そのまま、両膝も斬る。


 そこから、少し攻めあぐねた。知性を感じさせる連携は、彼の動きを制限する。避けようとすればその先にも打撃が襲い掛かってきて、それを回避した先でついに一撃を貰う。そういう時間が続いた。


 息が上がってくる。しかし休む暇はない。次の敵の首を刺し、そのまま真っ直ぐ斬り下ろす。そして、傷口に手を突っ込んで空穿を放った。


 背後からの、衝撃。目の前の敵ごと民家に突っ込んだ。そこでは、震える家族。


「すまないな。今、なんとかする」


 一度、深呼吸。壁の穴から、頸創が巨人に左手を押し当てるのを見た。そこから放たれた光線が巨人の胸を貫いて、殺した。


「春香! 生きてるな!」

「ああ、大丈夫だ。頸創、雑兵は片付いたか?」

「まだうようよいる。援護はできないぜ」

「あいわかった」


 時を同じくして、鎌風屋敷。そこをゲルカルナが訪れていた。


「貴様、何者だ」


 問う門番二人組には答えず、首を斬る。その刃には文字が刻まれていた。


「青い瞳のリズ・ユヤデオナ。簡単なことだ」


 歩きながら彼女は呟く。


「このゲルカルナを舐めるなよ」


 一見すると屋敷はもぬけの殻だが、二階に上がると奥の方から話し声が聞こえてきた。少女の声と、男とも女とも取れる声。


「楽しそうに……畜生、狩人どもが……」


 ぶつぶつと言いながら声の方に歩く。やがて、座敷から漏れる光が見えてくる。


「あなたも大変だったんですねえ」


 そんな呑気な声が彼女の神経を逆なでする。ぎしり、足音を鳴らしてしまった。


「誰ですか?」


 少女の声。ゲルカルナは立ち止まらず、むしろ前より胸を張り、堂々とした。邪魔者は全て殺せばよいのだ。そう考えると、楽になった。


「リズ・ユヤデオナを知っているか!」


 大声で問いかけた。答えはない。ニタリと歪んだ笑いを浮かべて、彼女は赤く濡れた剣を握り締めた。バッ、と座敷に飛び込もうとする。しかし見えざる壁に阻まれて入れなかった。


 その向こうには金の斧槍を持つ銀髪金眼と、眼鏡をかけた褐色の眼の金髪少女がいた。後者がリズだということはすぐにわかった。ピジョから聞いた特徴と一致している。だが後者のことはわからない。


「その女を寄越せ」


 要求に対して、カガリはリズの前に立つことで拒絶を示す。ゲルカルナは障壁に剣を当てた。すると、硝子のように割れた。


「さあ、差し出せば命までは取らんぞ」


 彼女は剣をカガリに向ける。


「お兄様の守りたいものは、わたくしにとっても同じこと」


 武器を構えながらカガリは言う。


「リズ・ユヤデオナが欲しければ、わたくしを殺していきなさい」


 その瞳は真っ直ぐに相手を捉えていた。


 黄金の斧槍が、ゲルカルナに振り下ろされる。彼女がそれを弾いた時、がら空きの胴体に蹴りが突き刺さった。彼女は壁を突き破り、庭に飛び出す。俄かに雨が降り出した。


 四人目の狩人──彼女は計画にない敵に困惑していた。


(なぜ火霊が……セイゼンというのをさくっと殺して終わりにするはずだったのが、なんでよりにもよってカミハテなんだ!)


 怒っていても仕方のないことだ。どうにか隙を作ってリズを攫ってしまいたいが、カガリの覚悟溢れる眼を見れば、それも不可能と諦めるしかなかった。


 刺突が来る。どうにか受け流すも、紙一重だ。少しでも反応が遅れていれば致命傷を負っていただろう。


 縦振り、横薙ぎ。止まることを知らない斧槍に、ゲルカルナは後手に回らざるを得なかった。何とか繰り出した反撃も、容易く受け止められてしまう。戦士としての格が違う。彼女は思い知らされた。


 だがそれは諦める理由にならない。カガリは見るからに息が上がっている。長期戦に持ち込めば有利な機会は必ず来る。それを信じて、防御に徹した。


 そして好機が来る。慣性に負けて得物に引っ張られたカガリの脇腹を、彼女は刺した。剣を引き抜きつつ、蹴り飛ばす。


「雑魚が!」


 歪んだ笑みを浮かべながらカガリを持ち上げ、逆の腹を刺した。


「痛いか? 痛いよなあ、ええ⁉」


 グリグリと剣を動かす。だがそれを抜こうとした時、手首を掴まれた。


「行かせませんよ」


 強がった表情でカガリは言った。ゲルカルナが剣を引っ張れば引っ張るほど、手首を抑える力も強くなる。


「わたくしが死のうとも、お兄様の望みは果たしてみせます」


 狩人の力にただの人間がどうこうできるわけもなく、彼女は拘束されたままだ。できることと言えば、手を開いて握って、それだけだ。彼女の視野に男の姿が入る。その意味がわからない彼女ではない。


 拮抗。しかしそう呼ぶにはゲルカルナは不利すぎた。


「逃げるなら離します」

「逃げる? 狩人から? ありえんよ」


 とは言いつつも、彼女に方策があるわけでもない。雷業の使う鳴崩とかいう纏術。その速さから逃げられない、という確信もあった。


 ドォン、と大きな音がした。まるで雷が落ちたよう──と思えば、重い衝撃が彼女の背中を襲った。


「名乗れ、死ぬ前に名前は聞いてやる」


 春香だった。カガリはそれを見てふっと意識を失う。自由になったゲルカルナは、どうにかこの状況を脱する術を考えていた。


 だが、彼女の眼の端に、背広姿の男が映る。ピジョだ。


「カガリがいたとは。これは私の想定外です。お手伝いいたしましょう」


 彼が指を鳴らすと、その右手に細剣レイピアが現れた。


「お前の力を借りるつもりはない」

「おや、時間がかかっているので心配になったので来たのですよ。それに、あなたでは雷業の相手はできない」


 カガリを踏みつけ、唾を吐きかける。


「春香さん、お久しぶりです」

「なぜ敵になる。一度、共に戦ったじゃないか」

「利害が一致しただけです」


 彼は鼻で笑う。


「不快なツンゾを潰し、金縋龍の骨まで調達してくれた。便利な存在でしたよ」


 春香は困惑した表情で刀を構える。


「ああそれと。佳代子さんでしたか。あれの父に娘を売るように言ったのは私です。金を手に入れてから狩人に取り返させる。そうすれば多少の儲けも出る、とね」


 ピジョが言い切るや否や、春香は斬りかかっていた。軽く受け流される。その時、目が合った。闘いそのものを楽しむような笑いが、彼には疎ましかった。


 二人は同時に飛び退き、間合いを取る。


「やはりいい太刀筋をしています。どうです、今からでも同志になりませんか」

「同志?」

「フザン様は真なる不死を──龍の呪いではなく祝福を同志に齎すと約束されました。呪いに侵されることのない、完全なる龍の力。あなただって欲しいでしょう」


 否定はできなかった。頸創の父を思えば、やはり未来は恐ろしくなる。


「リズ・ユヤデオナにはその生贄となってもらうのです。誓いを結び同志となれば、同じ恩恵に与ることができる。悪い話ではないと思いますが」

「無辜の命を踏み躙ろうとは思わない」

「残念です」


 言い終わってから、三連続の突き。春香は弾き、躱し、踏み込む。反撃の一太刀は空を斬る。その隙に、ゲルカルナが来る。


「彗霆!」


 彗星が彼女を突き飛ばす。その直後、春香の頬を細剣が掠めた。


「よそ見はなさらぬように……」


 二人は激しく武器をぶつけ合う。十合十五合と打ち合い、両者一歩も譲らない。時折加わるゲルカルナは蹴りや拳を食らって地面に転がるばかりだ。


 やがて、両者は手を止め、距離を開けて見合った。


「そこだぁ!」


 ゲルカルナが叫びながら向かってくる。春香はそれを軽くいなし、武器を弾き飛ばした。そして、腰を抜かした彼女の首に刀を突きつける。


「やめておけ」


 憐れむような声音と表情で彼は言った。


「動く死体も巨人も、お前の仕業か?」

「ああ、そうだよ。私がゲルカルナだ。全部ひっくり返してやりたかったんだ」

「全て徒労に終わったぞ」

「なんだよ、なんなんだよ!」


 腹の底から、彼女は絶叫した。


「狩人がそんなに偉いのか⁉ 呪われた存在がそんなに尊いのか⁉」


 彼女は仮面を投げ捨てる。その鈍色の瞳をした顔には火傷の痕があった。


「狩人は私を救ってくれなかった!」


 涙か雨か、その頬を流れる液体の正体はわからない。


「奴は村を見捨てて逃げた! お前もそうだ、本当に危機が訪れれば自分の命が一番かわいくなるんだ!」


 濡れた地面を握る、彼女の手。頸創が足軽数人を連れてやってきた。それを見たピジョは指を鳴らして姿を消した。


「頸創、主犯だ」

「あんたがゲルカルナか」


 頸創が合図をすると、足軽たちが彼女の腕を掴んで持ち上げた。春香は武器を納める。しかし、ゲルカルナは拘束を解いて落ちている剣を拾った。


「捕まるものか!」


 乱暴に剣を振り回し、接近を拒む。暫しして落ち着いたと思えば、左手を突き出した。


羅剛瀧らごうのたき!」


 袖口から水の刃が飛び出して、足軽の頭蓋を貫いた。彼らが銃を構える間に、彼女は同じようにして皆殺しにしてしまった。


「雷業! 勝負しろ!」

「無駄だ、投降しろ」

「どうせ死罪だ。それなら決闘の中で死ぬことを私は選ぶ」

「高潔な振りをしたところでお前はただの犯罪者だ。何人死んだと思っている」

「うるさい!」


 悲痛な声だった。


「お前さえ、お前さえいなければ計画は──」


 言葉の途中で、黄金の穂先が彼女の胸を貫いた。力なく、倒れる。


「お兄様、申し訳ございません。お手を煩わせてしまいました」


 雨と血でぐちゃぐちゃになった顔をしたカガリがそこにいた。


「カガリ……」


 声の掛け方がわからず、春香はとりあえず名前を呼んだ。


「はい、お兄様のカガリです」


 心からの微笑みが返される。彼はそれが眩しくも薄気味悪くもあった。


「傷は大丈夫なのか?」

「まともな肉体をしていないものですから」

「そう、なのか」


 平然と、いやむしろ喜びに満ちた表情をカガリはしていた。


 雨の中、いくつかの死体。そのどれもが冷めていく。やり場のない感情を抱きながら、春香は雨に打たれていた。

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