二十日後の夕方、鎌風屋敷に一通の手紙が届いた。差出人は、
『Zahelnoa da hu han zaof-mu』
便箋には、活版印刷でそれだけ。
「狩人の時代は終わる、か」
さらりと訳して、彼は春香に視線を飛ばした。
「どういう意味だと思う?」
「体制を転覆させる、という意思表示ではないか?」
「面倒なやつだなあ」
大した緊迫もなく、彼は言う。
「このゲルカルナってやつが何を考えてるか知らねえが、こういうのに一々対応してる余裕はねえんだよ」
「本気だったら、どうする?」
「そん時はそん時さ。俺とあんたがいれば大抵のことは何とかなる」
ぐしゃりと手紙を握り潰してから、更に念入りに捏ねた。
「ま、奉行所に差出人を探させるか。とはいえ、ゲルカルナなんて名前が本名なわけないだろうが」
春香は不安だった。大きな戦いが待っている気がしたのだ。故郷を襲ったあの日のように、また全てを失うのではないか。刀の意味を、考える。
「もし今の支配体制を覆そうと思ったら、あんたはどうする?」
「……軍隊を用意する。常人の十人二十人なら、負ける気がしないからな」
「そんで、奇襲によって速やかに政治機構を掌握。そうだろ?」
「もしくは、狩人を使う。このゲルカルナが狩人の可能性もあるな」
頸創がやおら立ち上がる。
「今日は夜警に出るよ。明日は頼むぜ」
ひらひらと手を振って、彼は仮眠に向かった。
「物騒ですねえ」
入れ違いにリズが来る。
「何があったとて、君のことは守る」
「信じてます」
気障な言い回しをしたように思えて、春香は少し後悔した。そう思うと、僅かに頬を染める彼女を直視できず、逃げた。
夜が訪れた。頸創は長巻を背負って、港に出た。少し涼しいくらいの空気が、散歩にちょうどいい。だが、今は目的がある。民の安寧を揺るがす敵を見つけることだ。
歩き出すと、警邏の三人組と鉢合わせた。
「三人なんだな」
「人数を増やすと、清然様が判断しまして」
「へえ。ま、そりゃそうだな。導術があるとはいえ、二人じゃ荷が重い」
「はい、有難い限りです。それでは。頸創様もお気をつけて」
彼は三人の背中に手を振って、逆の方へ歩き出した。
気を張りすぎず、かといって油断しないくらいのところを保ちながら、静謐に満ちた街を歩く。飲み込まれてしまいそうだ。足音一つ、よく響く。
そうしていると、往来の真ん中に蹲る何かを認めた。
(動物か?)
そう思ってそろそろと近づけば、ウーッ、ウーッという唸り声が聞こえてきた。
「おい」
声を掛けると、その『何か』は起き上がった。肌は黒。目は一つ。禿頭の巨人。目測でわかる。七尺は確実だ。
(やばいもんに手を出しちまったか?)
自問に自答する前に、拳が飛んできた。頬を殴られ、三尺ほど吹き飛ばされる。
「ヘヘッ、狩人じゃなきゃ死んでたな」
口にしながら、彼は長巻を抜いた。月光に白刃が映える。煌めきはしない。
巨人の咆哮がビリビリと肌を震わせる。春香を呼びたくなった。
黒い拳が、彼の頬を掠める。それを潜り抜けて懐に潜り込み、右腕を斬りつける。鉄のような感触。その勢いで身を翻し、顔面に回し蹴りを入れた。が、巨人は僅かによろめいたのみだ。傷口はみるみる塞がって、元の木阿弥になってしまう。
マジかよ──そう言う前に、拳が飛んでくる。それを素早く躱し、間合いを取る。
(こりゃ、術を使わないと死ぬな)
そう判断して、彼は中段に構える。
「
張り上げた声と共に、得物を振り抜く、そこから風の刃が走り出すが、両手を広げて立ち止まった巨人にぶつかると霧散した。
(導術が効かない……障壁か?)
推測しながら、次の手を考える。
(単なる防御障壁か、何らかの無効化効果か……なんであれ厄介だな)
左手から彗霆を放つ。走っていた巨人は脚を止め、体を大の字に広げた。弾丸は巨体を押し返す。衝撃までは無効化しない。それで十分だった。
「空穿!」
同じ姿勢を保ったまま、敵は龍を受け止める。
この僅かな攻防で、彼は既に相手の特性を見切っていた。
巨人が向かってくる。来いよ──心中でそう呟いていると、視界から消えた。次の瞬間、背中に途轍もない衝撃を受けた。毬のように転がって、白壁にぶつかった。背骨が悲鳴を上げている。
「痛えなあ……」
起き上がる。そこに巨人が飛び込んできて、脇腹に蹴りを叩き込む。長巻が手から離れる。消えかけた意識が、顔面に来た痛みで引き戻される。フガフガという笑いが聞こえた。地面に倒れたまま、彼は戦い方を考える。そして、一つの結論に至った。
「
叫ぶとともに、左手を相手に向ける。激しい光が発せられて、巨人は目を手で覆って唸った。そうなったのを確認すると一気に踏み込んで、両手を胸に押し付けた。
刹那、大地を揺るがすような轟音と、夜明けが訪れた。暫ししてそれが去った時、巨人の胸には大穴が空いていた。そのまま、仰向けに倒れる巨躯。
強力な障壁を体の表面に展開するには特定の姿勢をとる必要があったのだと、彼は踏んでいた。そうでなければ柔軟な動きと強固な防御を両立することはできない。障壁とはその名の通り壁なのだから、それを体の表面に展開するということは、即ち蝋で体を固めるようなものだ。
故に、導術を使ったことを認識されなければ、障壁は使われない。それは賭けだったが、彼は勝った。
「
彼の羽織の袖は焼け焦げ、掌は真っ赤になっていた。長巻を拾えば、ヒリヒリと痛む。
「しばらく術は使いたくないぜ、全く」
屋敷に向かって、歩いた。