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鬼傀兵 その二

「足軽が殺された⁉」


 頸創は麦飯を片手に驚いた。明くる朝のことである。


「はい、首の骨が折られておりました」


 報告に来た男は、青い顔を隠すように跪いていた。


「下手人の特徴はわかるか?」


 春香。空の茶碗を膳に置いたところだ。


「ここからは私が話そう」

「清然様」


 引き締まった顔の彼は、ドスンと座った。


「あれは昨晩のことだ──」


 ──ひょろりとした喜林きばやしと、ずんぐりとした真薙まなぎという二人の足軽が、警邏に出ていた。喜林の左手には提灯、腰には刀。真薙の方は提灯を持っていなかった。


 街の外れの、少し寂れた通りに出たところで、遠くにふらふらと歩く人影を認めた。不審な奴、と思って二人はずいとそれに向かって歩を進めた。鯉口を切り、刀の柄をしかと握っていた。


「そこの! 何をしている!」


 喜林が呼びかけても、答えはない。するりと刀を抜き、提灯でその男を小突いた。


「聞こえないのか!」


 男はようやく、そしてゆっくり振り向いた。照らされたその顔を見て、二人は腰を抜かすところだった。片方の目玉がないのだ。虚ろな眼窩に吸い込まれそうになりながら、喜林は人相を眺める。血の色のない肌に、痩せこけた頬。髪は荒れ放題。まるで生気がなかった。


「あう、あ」


 男は呻くような声を出す。怪訝そうな表情を浮かべた喜林の首を、男は両手で掴んだ。


「何を……」


 と言い切る前に押し倒され、全体重を首に乗せられた。彼は刀で相手を刺すも、痛みを感じないのか、全くの意味をなさない。ならば、と腕を斬り落とそうとするが、碌に息ができずに力が入らなかった。


 藻掻けど、抜けない。視界がちらつく。真薙が男を引っ張っているのが見えるが、意味はなかった。そしてバキリ。嫌な音がした。喜林はそれっきり動かなくなった。


「こ、この!」


 真薙はそれしか言えなかった。死を間近に見て体が硬直している間に、男は左右に揺れながら立ち上がる。


 刀を抜き、斬りかかる真薙。頭に一太刀浴びせても、男は倒れなかった。下手な人形師に操られているように右手を振りかぶり、彼を殴った。


「う、うおお!」


 真薙は雄叫びを上げながら男を刺した。倒して、滅多刺しにする。十、いや二十ほど刺して、もういいだろうと離れる。だが、起き上がってきた。次は自分だ、という恐怖に足が竦んだ。


紺龍水こんりゅうすい!」


 鋭い声が彼を正気に戻す。それと同時に、半透明の弾丸が男の首を貫いた。


「生きてるな!」


 清然だった。灰色の瞳は、伏したままの男を捉えている。


「こいつはなんだ」

「さ、さあ──」



「──ということがあった」


 その迫真の説明を聞いて、頸創は小さく失笑した。


「大まかな状況はわかった」


 春香は至って真面目な顔をしていた。


「導術で殺せるんだな?」


 その問いに、清然は頷いた。


「だとしても、足軽全員に呪いを背負わせるわけにもいかねえだろ」

「問題はそこなんだ。あの化け物がこの先また出てこないとも限らない。だが、常に私たちが動けるわけでもない」

「……術符を配るか」


 頸創は深く考えないで言った。


「なら、今日からやるべきだな」


 春香の一言。


「おう。清然、奉行所の一切を任せる。俺は術符を書けるだけ書く」

「承知した。頼むぞ」


 清然は踵を返し、生真面目そうな歩調で屋敷を出た。


「ただ、全員に配れる量の札はないんだよな」


 頸創が頭を掻きながら口にした。呪文を書くのはどんな札でもいいわけではない。龍の皮や筋肉といった、龍の肉体に由来するものが使われていなければならない。そうすると、数を集めるのは容易ではなかった。


 屋敷に貯め込んであるものが、六十。状態のいいものに限れば四十。全部を使うわけにもいかないから、実際に用意できるのは多くて三十。


「巡回に出る者だけに貸せばいい。一晩の警備で何人動くんだ?」


 筆と硯、それと文机を用意しながら春香が言う。


「二人が十五組は動く。その時々の事情で変わってくるが、今回みたいなことが起きれば二十組にはなるだろうな」

「なら、三十くらいの札があれば足りるか?」

「そうだな。考えたくないぜ」


 金縋龍の骸は既に回収済みである。それによる増産にも期待をしつつ、頸創はそう言った。


 それから一刻ほどが過ぎた。朝日はそれなりに高いところまで昇って、奥座敷に光を投げかけていた。


「あーっ!」


 頸創が叫ぶ。春香は体をびくりと震わせた。


「気が狂いそうだ。春香、一つ術を教えてやる。いや、教えさせろ」

「それはいいんだが……」


 連れられるがままに、彼は庭に引きずり出された。


「彗霆って術だ」


 頸創は丸太の上に、巻き藁を置いた。


「貫通しない上に、内臓を破裂させる威力から行動を阻害する程度まで調節が利くから、便利だぜ」


 準備を終えた彼は、春香の隣に立つ。


「呪文を教えてやる。よく聞けよ」


 春香の右手を持ち、掌をまっすぐ向けさせる。


「『彗星よ、稲妻よ、我が名に於いてここに現れよ』だ。わかったか?」

「ちょっと離してくれ」

「ん? どうした?」

「球を作りたい」

「あんた、片手でできないのか?」

「そうだ」

「全く……まずはそこからだな。いいか──」


 そこから、四半刻ほど四苦八苦した。どうにか片手で力を保持することに成功した春香は、呪文を聞かされ……。


「ま、こんなとこか。後は地道に練習だな」


 巻き藁には凹みができている。右手を突き出した格好の春香は、また一つできることが増えたのを内心喜んでいた。表情には、出ない。


「じゃ、俺は戻るよ」


 頸創が母屋に入っていく。それを見送りながら、春香は鍛錬を続けた。片手に生み出した雷の球を、握りつぶす。


「彗星よ、稲妻よ、我が名に於いて、ここに現れよ!」


 それを腰の辺りに構え、正拳突きの要領で突き出す。そこから、彗星のように尾を引く雷の球が飛んでいった。しかしそれを視認するのはほぼ不可能だった。それほどの速さだった。


 一旦、休憩を入れる。縁側に腰掛け、自分の為したことを見つめた。できる。骨ばった掌を握った。


「すごいですね」


 リズが手拭を持ってやってきた。


「すぐに覚えてしまうなんて」

「頸創の教え方が良かったんだ。俺は凡人だよ」


 仮に才に恵まれているのだとして、それは自分ではなく先祖の手柄だ。汗を拭いながら、千年続く雷業の血を思う。勝利それ自体ヴィアクインクと称される伝説の狩人は、一説によれば雷業の血族らしい。


 ふと、リズを見る。上からの角度だと、眼鏡の向こう側にある蒼玉の瞳を確認できる。兄の目的がなんであれ、守らねばならないのだ。


 渡したくない。そんな風に思った。だが目を逸らす。


「どうしました?」

「いや、なんでもない」


 そう言って春香は立った。そして、また箒星を生み出したのだった。

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