一方で、春香は頸創に疑念の視線を投げかけていた。
「知っている、というのはどういうことだ?」
「……聞かなかったことにしてくれ」
不服なまま、彼は食事に戻った。隠し事をされるというのは、気分のいいことではない。祝福。誰のどのような祝福なのか。呪いとの対比──龍が関わっているのではないか、と考えた。
ピジョ。獣的直観が胡散臭いと叫ぶ。だが、信じられない。クィオウ・ニーウが自刃する切っ掛けを作った己に、如何ほどの価値があろうか。
それから、彼はぼんやりと時間を過ごした。頸創から信頼を勝ち得ていない事実と、それを考えもしなかった事実。そういうものがどっと押し寄せて、彼から思考力を奪った。
真夜中に差し掛かり、ジージーと虫の鳴く声が聞こえ始めた。空には望月。あの日と同じ。縁側で故郷を思い出す。また、意識が無人の街へ飛んでいく──というところで、
「春香さん」
と呼ぶ声があった。振り向けば、リズだ。
「白湯です」
彼女はそっと盆を置いて、彼の隣に座った。
「やっぱり、眠れませんか」
「そうだな。夜は嫌いだ」
「私もです。目が覚めたら全部夢で、またあそこに帰っているんじゃないかって」
「あそこ?」
「フバンハにある、ユヤデオナ家の屋敷です。私は……」
何か、悩んでいるふうだった。
「一つ、聞かせてくれ。なぜ君は生きているんだ」
「どういうことですか?」
「胸を刺されて、すぐに治ったと言っていた。その訳を知りたい」
「……父が言うには、真なる不死、ということらしいです」
「真なる不死?」
「呪いに侵された狩人がなるような理性を失ったものではなく、人間性を維持したまま不死性を持つ存在。それが私だと」
「だから、あの時……」
傷がすぐに癒えた。
「もし私が死にたくなったら……殺してくれますか?」
「君の命を背負えるほど、俺は強くない」
問うた方も本気ではない。それを汲み取る余裕は彼にはなかった。
「クィオウ・ニーウという許嫁がいた、という話をしたな。彼女は自ら命を絶った。俺のせいで。だから──」
彼は一度言葉を切る。
「──君の生殺を俺に任せない方がいい」
「何があったんですか?」
「彼女の父親を殺したんだ。それを目撃した者に襲われ、それも殺した。そのことを伝え聞いたクィオウは……クィオウは!」
彼は無意識に拳を握り締め、声を震わせていた。
「何か、事情があったんですよね?」
「父上の命を狙ったんだ。捕縛する余裕もなかった。俺は! 俺はそうするしかなかったんだ。そうしなければ、ならなかったんだ!」
捲し立てるように彼は言い切った。浅い呼吸の音が夜の闇に消えていく。
「すまない、君にこんなことを言ってもどうしようもないとはわかってるんだ……わかっているが……」
虫の音が耳鳴りを掻き消してくれる。彼は不安定な手で白湯を飲んだ。
「俺に付き合う必要はない」
唇が細かく上下する。そんな彼を見て、リズは服をはだけさせた。何を──という前に、彼女はすでに上裸になっていた。白い肌。発達途上の、細い体。しかし、そこには赤く醜い蚯蚓腫れが無数にあった。
「全部、傷跡です」
静かな声。
「普通なら傷跡なんて残らないんですが、封印の影響でこんなことになってしまうんだそうです」
春香は声を出せなかった。ただ、
「一体……」
とだけ、呟いた。
「本当に不死か調べるために、切り刻まれたんです」
外敵から民を守る術を、彼は知っている。だが心までは救えない。ただ押し黙って、どうにかできないのかと鈍い頭で思索をするしかなかった。
リズは服を直す。月光の下、小さな涙が零れた。
「これが、祝福の効果です」
「何の、祝福なんだ」
「龍の祝福……呪いと対を成す力です」
「なぜ君はそんなものを受けているんだ」
「わかりません。父は教えてくれませんでした」
何かしたい。彼はそう感じた。だができることなどあるのか。生来不器用な人間だ。慰め方など知らない。それでも、リズをそっと抱き締めた。
「春香さん?」
彼は黙ったままだ。上手い言葉が思いつかない。
「春香さんがいなかったら、私、どうなっていたんでしょう」
抱き返すと共に、彼女はぽつりと言った。
「フバンハが何を望んでいるか、俺にはわからない。だが、君を傷つけるというのなら……俺は戦う。そのための狩人だ」
どうにか見つけ出した文章を吐き出していると、屋敷の中から、スーッと襖の開く音がした。
「邪魔したか?」
頸創だった。
「いや、大丈夫だ」
春香は顔が熱くなるのを感じながら、リズから離れた。
「前にも言ったが、明日、ツンゾの拠点に出発する。休んどけよ」
「ああ、体調は万全だ」
そう告げるも、頸創の呆れるような表情を見て、彼は自分の状態を客観的に観察することができた。他者からは良いとは映ってない──それを受け入れるまでは、少しかかった。
「それと、薬屋に話をしておいた。眠れる薬を出してくれるそうだ」
「助かる」
「ありがとうございます」
頸創は二人に歩み寄って、その間に座った。
「春香、俺はあんたに謝らなきゃならねえ」
「なんだ?」
「真なる不死のことだ。盗み聞きしたわけじゃねえが、聞いちまった」
「気にしていないさ」
「ならいいんだけどよ。ただ、もう一つ言わなきゃならねえことがあってな……龍の祝福を受けた人間はそれを他者に与えられる。つまり──」
「フザンの目的は、その祝福を手に入れること」
春香の返答を聞いて、彼はニヤッと笑った。
「現状、その方法はわからねえ。フザンとやらがその情報を掴んでいるのだとしたら、これからも執拗に狙ってくるはずだ」
「そうだ、ピジョがフザンと繋がっている可能性はないか」
「俺もそれを考えていた。これは推測だが、カガリが持ってたような金属片を隠してたのかもな」
「しかし、今考えても詮無きことだ」
「そうだな。俺は寝るよ。あんたも無理に寝ろとは言わねえが体をほぐしとけ」
ひらひらと手を振りながら彼は奥に消えた。
「……守ってください」
頭を春香の肩に寄せながら、リズは言う。
「ああ、約束する」
夜は、飛ぶように過ぎた。