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ピジョとツンゾ その三

 一方で、春香は頸創に疑念の視線を投げかけていた。


「知っている、というのはどういうことだ?」

「……聞かなかったことにしてくれ」


 不服なまま、彼は食事に戻った。隠し事をされるというのは、気分のいいことではない。祝福。誰のどのような祝福なのか。呪いとの対比──龍が関わっているのではないか、と考えた。


 ピジョ。獣的直観が胡散臭いと叫ぶ。だが、信じられない。クィオウ・ニーウが自刃する切っ掛けを作った己に、如何ほどの価値があろうか。


 それから、彼はぼんやりと時間を過ごした。頸創から信頼を勝ち得ていない事実と、それを考えもしなかった事実。そういうものがどっと押し寄せて、彼から思考力を奪った。


 真夜中に差し掛かり、ジージーと虫の鳴く声が聞こえ始めた。空には望月。あの日と同じ。縁側で故郷を思い出す。また、意識が無人の街へ飛んでいく──というところで、


「春香さん」


 と呼ぶ声があった。振り向けば、リズだ。


「白湯です」


 彼女はそっと盆を置いて、彼の隣に座った。


「やっぱり、眠れませんか」

「そうだな。夜は嫌いだ」

「私もです。目が覚めたら全部夢で、またあそこに帰っているんじゃないかって」

「あそこ?」

「フバンハにある、ユヤデオナ家の屋敷です。私は……」


 何か、悩んでいるふうだった。


「一つ、聞かせてくれ。なぜ君は生きているんだ」

「どういうことですか?」

「胸を刺されて、すぐに治ったと言っていた。その訳を知りたい」

「……父が言うには、真なる不死、ということらしいです」

「真なる不死?」

「呪いに侵された狩人がなるような理性を失ったものではなく、人間性を維持したまま不死性を持つ存在。それが私だと」

「だから、あの時……」


 傷がすぐに癒えた。


「もし私が死にたくなったら……殺してくれますか?」

「君の命を背負えるほど、俺は強くない」


 問うた方も本気ではない。それを汲み取る余裕は彼にはなかった。


「クィオウ・ニーウという許嫁がいた、という話をしたな。彼女は自ら命を絶った。俺のせいで。だから──」


 彼は一度言葉を切る。


「──君の生殺を俺に任せない方がいい」

「何があったんですか?」

「彼女の父親を殺したんだ。それを目撃した者に襲われ、それも殺した。そのことを伝え聞いたクィオウは……クィオウは!」


 彼は無意識に拳を握り締め、声を震わせていた。


「何か、事情があったんですよね?」

「父上の命を狙ったんだ。捕縛する余裕もなかった。俺は! 俺はそうするしかなかったんだ。そうしなければ、ならなかったんだ!」


 捲し立てるように彼は言い切った。浅い呼吸の音が夜の闇に消えていく。


「すまない、君にこんなことを言ってもどうしようもないとはわかってるんだ……わかっているが……」


 虫の音が耳鳴りを掻き消してくれる。彼は不安定な手で白湯を飲んだ。


「俺に付き合う必要はない」


 唇が細かく上下する。そんな彼を見て、リズは服をはだけさせた。何を──という前に、彼女はすでに上裸になっていた。白い肌。発達途上の、細い体。しかし、そこには赤く醜い蚯蚓腫れが無数にあった。


「全部、傷跡です」


 静かな声。


「普通なら傷跡なんて残らないんですが、封印の影響でこんなことになってしまうんだそうです」


 春香は声を出せなかった。ただ、


「一体……」


 とだけ、呟いた。


「本当に不死か調べるために、切り刻まれたんです」


 外敵から民を守る術を、彼は知っている。だが心までは救えない。ただ押し黙って、どうにかできないのかと鈍い頭で思索をするしかなかった。


 リズは服を直す。月光の下、小さな涙が零れた。


「これが、祝福の効果です」

「何の、祝福なんだ」

「龍の祝福……呪いと対を成す力です」

「なぜ君はそんなものを受けているんだ」

「わかりません。父は教えてくれませんでした」


 何かしたい。彼はそう感じた。だができることなどあるのか。生来不器用な人間だ。慰め方など知らない。それでも、リズをそっと抱き締めた。


「春香さん?」


 彼は黙ったままだ。上手い言葉が思いつかない。


「春香さんがいなかったら、私、どうなっていたんでしょう」


 抱き返すと共に、彼女はぽつりと言った。


「フバンハが何を望んでいるか、俺にはわからない。だが、君を傷つけるというのなら……俺は戦う。そのための狩人だ」


 どうにか見つけ出した文章を吐き出していると、屋敷の中から、スーッと襖の開く音がした。


「邪魔したか?」


 頸創だった。


「いや、大丈夫だ」


 春香は顔が熱くなるのを感じながら、リズから離れた。


「前にも言ったが、明日、ツンゾの拠点に出発する。休んどけよ」

「ああ、体調は万全だ」


 そう告げるも、頸創の呆れるような表情を見て、彼は自分の状態を客観的に観察することができた。他者からは良いとは映ってない──それを受け入れるまでは、少しかかった。


「それと、薬屋に話をしておいた。眠れる薬を出してくれるそうだ」

「助かる」

「ありがとうございます」


 頸創は二人に歩み寄って、その間に座った。


「春香、俺はあんたに謝らなきゃならねえ」

「なんだ?」

「真なる不死のことだ。盗み聞きしたわけじゃねえが、聞いちまった」

「気にしていないさ」

「ならいいんだけどよ。ただ、もう一つ言わなきゃならねえことがあってな……龍の祝福を受けた人間はそれを他者に与えられる。つまり──」

「フザンの目的は、その祝福を手に入れること」


 春香の返答を聞いて、彼はニヤッと笑った。


「現状、その方法はわからねえ。フザンとやらがその情報を掴んでいるのだとしたら、これからも執拗に狙ってくるはずだ」

「そうだ、ピジョがフザンと繋がっている可能性はないか」

「俺もそれを考えていた。これは推測だが、カガリが持ってたような金属片を隠してたのかもな」

「しかし、今考えても詮無きことだ」

「そうだな。俺は寝るよ。あんたも無理に寝ろとは言わねえが体をほぐしとけ」


 ひらひらと手を振りながら彼は奥に消えた。


「……守ってください」


 頭を春香の肩に寄せながら、リズは言う。


「ああ、約束する」


 夜は、飛ぶように過ぎた。


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