「ですから、雷業様にはどうか娘を取り戻してほしいのです。何卒、何卒」
禿頭の中年男は、表座敷の畳の上で土下座をしながらそう言った。昼時の燦々とした光が窓から差し込んでいた。
「いや、それはわかったが……とにかく頭を上げてくれ」
慣れないな──『雷業様』などと大仰な呼び方をされて、春香はそう思う。面を上げた男の枯野色の目は涙ぐんでいた。男の話では、奉公に出た娘がツンゾに攫われてしまったのだという。
「それでは助けに行っていただけるということですか」
「ああ、そうする。だが、手掛かりはないか?」
「へい。娘は佳代子と言いまして、目は薄紅色をしておりまして、そのぉ、タッパは大したことなくて……」
男は口ごもる。だが春香は急かさない。じっと、続きを待っていた。
「へへ、かわいい娘でも、いざ説明しようとすると出ねえもんですね」
男は頭を掻いた。
「そうだそうだ。頬に大きな傷がありやした。よく目立つんで、わかりやすいと思いますぜ」
「わかった。その特徴で探させよう」
「へい、どうか頼みましたよ、雷業様」
へこへこと頭を下げながら、男は去っていった。
「あんたもお人好しだよな」
座敷に頸創が入ってきた。
「で、いくらで受けたんだ?」
「……金の話を忘れていた」
「あんたなあ。金のやり取りは責任のやり取りだってこないだ言ったばかりだろうが。後から奉行に請求させとく」
「すまない」
春香は金に頓着する生活をしてこなかった。食事は下女下男が勝手に用意していたし、街に繰り出して遊ぶようなこともなかった。纏まった量の金を持つようになったのも、南港に来てからだ。
そういう彼が起こす種々の厄介ごとは頸創が対応してくれる。その姿を見るたびに、彼は己の器が成っていないことを思い知らされる。人の上に立つ者としての在り方を、父はあまり教えてくれなかった。剛毅朴訥仁に近し、巧言令色鮮し仁という言葉だけを彼は反芻した。
「ま、あんたが口下手なのは知ってる。嫌いじゃないぜ、そういうところ」
「クィオウにも言われたな、嘘が下手だと」
「あんたが大丈夫って言う時は大体大丈夫じゃねえ、って嬢ちゃんも言ってたぜ」
「恥ずかしい限りだ」
そう言いながら春香は立つ。
「嘘つきよりずっとマシさ。美徳だと思うぜ」
頸創が彼の背中を叩いた。
「飯に行こうぜ。最近流行りのライスカレーとかどうだ」
「ら……?」
「嬢ちゃんも呼ぶか」
「カガリは誰が見るんだ?」
「奉行所から人を呼んである。ま、あいつは抵抗する様子がないんだろ?」
「話を聞く限りではそうだが……どこまで信じる」
「嘘は目を見りゃわかる。アレは正直に話してたさ」
「なら、いいんだが」
危ないほど素直に言うことを聞き入れていると、ドタドタとした足音を春香は聞いた。
「頼もう!」
生真面目そうな声だ。
「清然! こっちだ!」
最新式の
「雷業、この者達が交代でカガリとやらを監視する。安心して過ごすといい」
そうなれば、春香も外出を渋る理由はない。結局、三人で出たのであった。途中、奉行所に寄って佳代子のことを頼んだ。
「狩人って、銃を使わないんですね」
人で賑わう道を進んでいると、リズが言った。
「俺は弾丸より早く距離を詰められるからな」
「そりゃ鳴崩が使えるなら、の話だろ」
頸創に言われて、春香はきょとんとした顔を見せた。
「使えないことはないぜ。弾丸の方に術を仕込んで、遠隔で発動すれば龍狩りにも使える。だが、面倒だろ」
「でも、手間に見合った効果はあると思いますよ?」
「あとは、重さだな。龍の骨ってのは鉄より重い。魂の力を行使するには龍の肉体が必要だが、その骨で銃と弾を作ろうってなるとかなりの重量になる。そんなものを持って野山を駆け巡るなんてできないと、俺は思うぜ」
「全面的に同意できる。試作品を持ったことがあるが、あれはとても扱えるものじゃない。その上、龍の骨の入手手段は限られる。軽い傷なら自己再生するところも含めて、刀剣類が一番だ」
「なるほど……」
「だが──」
「着いたぜ」
そうこうしている内に、洋食屋に着く。赤煉瓦の壁に、緑の看板。『洋食大陸軒』とある。店には多くの客がいた。芋洗いとはいかないが、店員に呼ばれる前に名簿に名前を書く必要はあった。
そうして、暫く。大陸から渡った時計の短針は、『1』から『3』に動いていた。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」
男の給仕が三人を席に案内した。白いクロスのかかった、円形のテーブルだ。椅子は四つ。隣のテーブルでは、背広姿の男がステーキを食べていた。
「ライスカレー、三人前な」
手早く頸創は注文した。それを聞きながら、春香は品書きを開いた。上の方に『ライスカレー/Lais Caly/Cuan mua Caly』とあった。上から東方語、西方語、北部で日常的に使われる大陸共通語。共通文字の由来を、彼は思い出せなかった。
「先程の話の続きなのだが」
春香が始まりを告げた。
「術符を巻き付けた術弾というのを雷生では使っていた。ここでは違うのか?」
「ああ、使ってるぜ。でも、狩人が来るまでの時間稼ぎだな。龍の魂の座をぶち壊す威力と生産性は両立できねえ。どうしたって数が限られるし、数を配備しようとすれば再生阻害が精一杯だ」
「狩人をたくさん集めて軍隊を作ればいいんじゃないですか?」
「それも一つの手だな。大陸のヘヴノヴールじゃ狩人を十二人集めて力を蓄えているらしい……まあ、狩人としてやっていける魂の強さをした人間は、そう産まれてこないんだがな」
「そうなんですか?」
「ある程度遺伝はするけどよ、それでも全く同じ出力と適性を持った魂ってのはまずあり得ねえ。カミハテは例外だが」
二人の視線が春香に集まる。
「俺は父上のようになれるだろうか」
「さあな。春成は天才だったと聞くが、あんただって十分に才能がある。きっとなれるさ」
彼の表情は明るくなかった。
「どうしました?」
「ヘヴノヴールの名前が出て、クィオウのことを思い出していた。ニーウ家の令嬢だったんだ」
「政略結婚だったのか?」
「親がそう考えていたとしても、俺はクィオウと結ばれたかった。それは間違いない」
「どんな方だったんですか?」
「こんな俺にも優しく接してくれた。美人だった。だが声が好きだった。甘くてな、聞いていると不思議な気持ちになるんだ」
そう語る彼の顔にはうっすらと微笑みが浮かんでいた。
「それに、教養もあった。俺が大陸共通語を理解できるのも、彼女のおかげだ」
「なんで死んじまったんだ」
「それは──」
言う前に、
「失礼致します」
と給仕がやってきた。
「ライスカレー、三人前でございます」
運ばれてきたのは、茶色い液体のかかった白飯。馬鈴薯や人参がゴロゴロとしたまま入っている。この匂いは香辛料だろうか、と春香は推測した。何はともあれ、食べてみないことにはわからない。
「……辛いんだな」
「でも美味いだろ」
「ああ」
食べる手は止まらない。一口が次の一口を呼ぶ。いいものを見つけたな、と彼は思った。
「佳代子のことだけどよ、またこの島にいると思うか?」
「いると信じよう」
「そりゃそうだけどよ……ツンゾの拠点にカチコミかけられねえかなあ」
「そのお話、詳しく聞かせてはいただけませんか?」
隣のテーブルの背広が言った。目は柳色。髪は金。表情は柔らかく、好青年という印象を二人に抱かせた。
「私、情報屋でして。ピジョと申します」
と言って彼は胸の内ポケットから名刺を出した。その手には黒い手袋。そのまま、空いている席に座った。
「情報屋、ねえ」
それを受け取った頸創は言った。胡散臭いな、とは口にしなかった。
「一体何用だ?」
春香は警戒心を剥き出しにして言った。
「知っているのです。ツンゾの拠点の在処を」
「へぇ……」
値踏みの視線を頸創は向けた。
「それで、条件は?」
その問いかけに、ピジョはにやりと口角を上げた。
「金五十貫」
「駄目だ、高すぎる」
「フフ、そうでしょうね、私も元より金でやり取りをしようとは思っておりません」
「じゃあ、なんだ? 龍の一頭でも狩ってこいってか?」
「ええ、そうです」
二人の視線が緊張感を増す。
「金縋龍の骨が欲しいのです」
「春香、経験は?」
「ないな」
「俺もだ。ピジョ、あんたは詳しいのかい?」
「貴方たちと同等の知識を持っています。導術を受け流す鱗と、高い飛行能力。それらを活かした高速戦闘。私も龍の呪いを受けた身ですから」
ピジョは手袋を外して掌を見せた。そこにはびっしりと文字が彫られている。それが様々な呪文の複合したものであることを、二人は一目で理解した。
「あんたが手伝うなら、という条件付きで受けようと思う」
頸創が口を開いた。
「ご心配なく。狩りは嫌いではありません」
ピジョは穏やかに微笑んでいる。春香には、それが少し気味悪く映った。
「しかしまた、なんだって金縋龍なんだ?」
「あの透明な骨の美しいこと……蒐集家なのですよ、私は」
「どうやってツンゾの拠点の場所を知ったかは聞かないでおくよ。厄介ごとに巻き込まれそうだからな」
「フフ、その方が身の為です」
「えっと、あのー……」
リズの弱々しい声が男どもの会話を遮る。
「おかわりをして、いいですか?」
失笑する頸創と春香。そのにこやかな雰囲気のまま
「ライスカレー一人前!」
という注文が飛んだのであった。