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クィアヤブリア その三

「お前のようなきょうだいはいない」


 春香は刀を抜きながら言った。


「ご存じないだけですわ」


 カガリは得物についた血を服で拭う。


「でも、残念です。今日のわたくしの使命はリズ・ユヤデオナを回収すること。せっかくお兄様とお話しできると思っていたのに」


 喋りながら、ゆっくりとリズに手を伸ばす。だがその彼女が口を開いた。


「嫌……です……」


 リズは小さな体を細い腕で持ち上げる。胸からは血が滴り、床を紅く濡らしていた。


「春香さん、助けて……!」


 それを聞いた春香は刀を構える。


「離れろ」


 兄に託された使命。それはある。だが、今の彼は別の感情に動かされていた。


「この女の人生に、お兄様にとって如何ほどの価値があるのでしょう。見捨ててしまっても、何も変わりはしませんわ」


 カガリの口角が釣り針を掛けられたように吊り上がる。


「ああ、お兄様。何も知らないお兄様……」


 リズから二、三歩離れ、斧槍を構えるカガリ。


「殺し合いましょう! 愛の名の下に!」


 叫んだ時には、カガリはすでに床を蹴っていた。振り下ろされた斧槍を春香は弾く。あまりに重くて、逆に刀を弾き飛ばされるところだった。


 横薙ぎを飛んで避ける。刺突が頬に切り傷をつける。彼は踏み込み、首を狙って斬りつけるが、斧槍の柄に阻まれる。


 その瞬間、鳩尾に膝蹴りが入った。呼吸が刹那ほどの間止まる。それが隙になった。わずかな間だが体を曲げた彼の項に、黄金の重い刃が迫った。体を横に倒して躱すが、次撃はすぐに来た。言うことを聞かない体を無理やり動かして、乾坤一擲、カガリに組み付いた。


 どうにか成功した。押し倒した上で、顔面目掛けて刀を突き出した。だが回避。床に刀が突き刺さる。手早く引き抜いて、構え直した。


「アハ、アハハ!」


 カガリは腹を抱えて笑い出す。体の周りには火の玉が漂っていた。


「お兄様! お兄様!」


 狂ったのか。彼は訝る。だが、こうして呼吸を整える時間をくれたことはありがたかった。


「春香! どけ!」


 頸創の声。確かな殺意を宿した緑青の瞳が、カガリに跳んでいく。長巻の重量のある一撃は、回転する斧槍に弾かれ、届かない。反撃の突きを彼は半身で避けて、その柄を脇に抱え込んだ。


「邪魔をしないでいただけますか?」

「知るかよ、タイマンなんて一度も言ってないぜ」


 二人が話している間に、春香はリズを抱き上げる。


「大丈夫……ではないか」


 彼は囁いた。


「いえ、治りましたから。ありがとうございます」


 はっきりした声で彼女は応じた。


「治った? ならいいが」


 信じがたい、と口にする余裕はなかった。敵から目と意識を逸らせば、待っているのは死。


「貴様ァ!」


 カガリが頸創を振り払って叫ぶ。


「醜女がお兄様に触れるなァ!」


 リズを狙った単純な刺突を、春香はいなす。カガリの目は血走っていた、呼吸も荒い。冷静に隙を窺う彼の前で、カガリは頭を抑えてふらつき始めた。


「醜女呼ばわりとは、いただけないな」


 春香はそう言いつつ、切っ先を相手に向ける。左手には女、右手には刀。


 向かってくる斧槍。それを二度、三度と弾き、その間隙に蹴りをねじ込む。それをもろに食らったカガリに、最早戦う力などないように彼は思えた。


「ねえ、お兄様……」


 カガリは立っているのもやっとという様子で春香に呼びかける。


「わたくしの……英雄……」


 返答を待たず、カガリは倒れ込んだ。消えゆく意識の中で、確かに、春香が刀を納めるのを見た──。





 目が覚めた時、カガリは自分の状態がよくわからなかった。視界はやけに霞んでいて、高窓から刺す光は嫌に眩しかった。体にのしかかる布団の暖かい重みの中、足首の辺りにゴワゴワとした感触がある。


(縛られている?)


 そう思って体を起こそうとする。だが動かない。脊椎が解けてしまったように、体はあらゆる動作を拒絶する。


 スーッと襖が開いた。割れるように痛い頭を横に向けると、人がいた。金髪がよく目立つが、それ以外の特徴は認識できなかった。


「はる……おきて……」


 言葉はぼんやりとした音としか感じられない。だが、その金髪が走り去ったことはわかった。


「あう、あ」


 声を出そうとしても、言葉にもならない音しか出てこない。


 すぐに黒髪と茶髪がやってくる。緑の目をした方にグイと顎を持ち上げられて、何かを口に注ぎ込まれた。それを嚥下すると、すっと視界の靄が晴れた。目の前にいるのは頸創で、その向こうに春香がいた。


「あんた、名前は言えるか?」

「カ カ カガ リ」


 言葉は喉に引っ掛かるようで、うまく出てこない。


「わたっ わたくし なんで ここに」

「気を失ってたから寝かせてたんだよ。脚は縛らせてもらったがな」


 情けをかけられた。頭が冴えてくると、己の惨めさを感じた。


「ころっ わたくし ころされっ」

「殺しはしない」


 春香が強い口調で断じた。彼は畳に座って、カガリに寄った。


「だが、いくらか訊きたいがことがある」

「ちがっ ちがう ふざん ふざんさまが」


 カガリは慌てふためいて言葉を出そうとする。だが、喉は頭についてこなかった。


「ふざん? 誰だ?」

「わたく わたくしのっ」


 そこまで言って、カガリは咳き込む。


「頸創、ふざんという名前を知っているか?」

「ああ、知ってる。大陸共通語で鷹を意味する言葉だが……ありふれた名前だな。何人あったか数えてもねえ」


 そう言われて、春香はカガリに向き直る。


「わたくしのっ あるじです」

「主? お前はそのフザンとやらの指示を受けていたんだな?」


 カガリはこくこくと頷く。


「目的はなんだ。なぜリズを狙った。あの刀はなんだ」

「まあそう慌てるなよ」


 頸創が口を挟む。


「少しは落ち着く時間をやろうぜ」

「そうだな。すまない、焦ってしまった」


 軽く頭を下げる春香。そこに、リズが玉子粥を持ってきた。そっと床に膝をつけ、頸創に渡す。


「食いな」


 と器と匙をカガリに差し出した。それを黙って受け取るカガリだが、長巻と刀が気になって、食べる気になれなかった。


「俺は出てるよ。この場は任せた」


 それを察したのか否か、頸創は去った。後ろ手でそっと襖を閉めた。


 カガリは春香の方をちらちらと見ながら粥を啜った。味はよくわからない。味が薄いわけではない。いつの日からか、カガリの世界から味覚は消えていたのだ。


「美味いか」


 そう問われても答えようがなかった。だが兄を悲しませたくなくて、頷きを返した。


「本当に、俺たちは血が繋がっているのか?」


 呟くように春香は尋ねた。


「んあぅ そう です」

「なぜ父上は知らせてくれなかったんだろうな」

「ふたご、だからです」

「なるほどな」


 双子は、畜生腹などと言って忌まれることが多い。それが長子であれば、家督相続の問題になる故猶更だった。故に、それを避けるべく生まれてすぐ養子に出す例は枚挙に暇がない。カガリも、その一人であったというわけだ。


 カガリは四半刻ほどかけて粥を食べ終わった。


「ごちそうさまでした」


 発語もいくらか流暢になった。


「お兄様は、なぜわたくしを殺さなかったのですか?」


 空の器を見つめながら、カガリは問う。


「嫌になったんだ」

「何がお嫌になったのです」

「戦えない相手を一方的に殺すのは、もう嫌なんだ」

「殺せるときに殺さねば、自分が死んでしまいますよ」

「それはそうなんだがな」


 春香は苦い表情を見せた。


「もしわたくしが纏術を使って縄を引き千切ったら、どうするのです?」

「その時は殺す。それくらいの覚悟はしている」


 フフ、とカガリは微笑みを向けた。


「……クィアヤブリアの刀は、リズ・ユヤデオナに施された封印を追跡する術が仕込まれています」


 カガリは唐突に話し出す。真剣そのものの表情に、春香も気を引き締めた。


「その位置をこちらから確認できるようにもなっています。その結果、狩人でなければ魂を食い潰される代物になりましたが、こうしてリズ・ユヤデオナと接触することに成功しました。しかし、位置情報が途切れました。そのため潜伏していたわたくしがここにやってきた、という次第なのです」

「一つ聞きたい。なぜ眼鏡をかけていたリズの正体がわかった?」

「フザン様と契約を交わしたものは、封印を感知する金属片を持っていますから」


 そう言ってカガリはポケットから燃えるような色の、菱形をしたものを取り出した。


「話していいのか」

「失敗すれば、折檻が待っています。フザン様の最大の目的である真なる不死の確保に失敗したわたくしは、死ぬまで殴られるでしょう。ならば、最期にお兄様のお役に立ちたいのです」


 どこまで真実なのか、春香は推し量れない。だが納得はできた。


「リズを狙うのは、龍仕人なのか」

「……わたくしも全てを知っているわけではありません」


 カガリは前置きをする。


「大きく分けて、二つの勢力がリズ・ユヤデオナを追っています。一つはフザン様一派。そして、龍仕人一派。龍仕人がなぜリズを狙うのか、についてフザン様は教えてくれませんが。それでも、わたくしは龍仕人より早くリズを確保し、真なる不死を捧げなければなりませんでした」

「もう一つ、いいか」

「お兄様の望みなら、なんであれ」

「雷生を襲った龍の群れについて、知っていることはあるか」

「龍仕人です。春成が倒れたことを受け、雷業の嫡流を絶やさんとしたのだと、フザン様はお考えです」

「こうして話すと、意外と落ち着いているんだな」


 率直な感想を彼は述べた。数刻前の狂気の欠片は、カガリの表情になかった。


「大体は薬のせいですから」

「倒れたのも、それが原因か?」

「ええ、まあ……」


 続きを口にしようというところで、襖が開く。頸創だった。


「春香、客だ」

「客?」

「ああ、来てくれ」

「そういうことらしい。すまないな」


 そう言い残して春香と頸創は立ち去る。残されたカガリは這いずって襖に向かってみた。触れると、指先に鋭い痛みが走った。


(結界……)


 外には出られない。要するに、ここは座敷牢だ。退屈を紛らすものもなく、布団に入って眠ろうとする。だが目が冴えて仕方ない。仕方ないから、物思いに耽る。これまでのこと。これからのこと。身の振り方を考えねばならない。


(わたくしは、お兄様の甘さに救われた命)


 戦士として、春香がもう幾らか割り切っていれば死んでいた。


(おかわいい人……)


 愛が昂る。顔が火照る。


 ふと、周りを見た。斧槍がない。当たり前のことではあるが、不安を覚えた。もし今フザンが来れば──そんな風に考えていた。


 そこから意識の方向を変えたくて、自分の人生を振り返った。


 育ての親曰く、産まれてすぐに火霊家に売り渡された、ということだった。そこから炎の纏術、龍葬を仕込まれた。速さの鳴崩ならば、龍葬は力。身体能力を純粋に引き上げるものだ。黄泉つ竈食ではないが、龍の肉を食らって呪いを受ければ、肉体もそれに近づく。そこに身体強化が乗れば、その一撃の重みは凄まじいことになる。


 だが、カガリのそれは不完全だ。生来魂の力を導く精神回路が不安定なため、漏れ出た力が火の玉となって現れる。普段はそれを投薬によってなんとか実戦に堪え得るよう調整しているが、それが切れると駄目だった。


 フザンの下に着いたのは、二年前。実戦を経験して成長させよう、という意図が火霊家にはあったらしい。彼──フザンの目的は不死に至ること。その実験台として何十という種類の実験をされ、その過程で龍の血を注入された。


 それが齎したのは、中毒と狂気。そして依存。普通の人間ならば何をせずとも確立されている精神回路が、薬なしではまるで維持できなくなってしまったのだ。


 今も、血を入れた注射器をスカートの中に隠している。それを注入すればここから脱出するくらいの力は得られる、とカガリは踏んでいた。だが、それをしたところで行き場はない。ならば、実験と暴力の日々から救い出してくれた兄に尽くすべきだと思っていた。


 せめて、何かを遺して死にたいと常々思っていた。特に兄の心に残りたかった。それを叶えさえてくれそうなこの状況に、甘えてみようと考えていた。

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