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百十四話「ピーター・レイモンとか言う男」


 モールス視点。



 レイモン? レイモンっつったか!?


 この喫茶店の店員ぽい茶髪の兄ちゃんの名前が、ピーター・レイモン?

 今さっき店の外に現れた魔物を、とんでもねぇ力でねじ伏せたあの男が?

 おいおい、これはどういうことだよ!


「……」

「あの方が、トニーくんのお兄さんだと言う事でしょうか?」


 一緒に机の下から様子を見ていたメルセラがそう重ねて言う。


「そういう事になるだろうな……まさかこんなところで会うなんて」

「それにあの人、とんでもなく強いですね。グラル様みたいだ」


 確か、グラル・ジャックは優秀な魔法使いだったと聞いているが。

 俺は実際に見た訳じゃねぇし何とも言えねぇ。

 でもあの力、あの威力なら、……神級の域かも知れないぞ。

 詠唱は店の中から見ていたから聞けなかったが、あの魔法は明らかに常軌を逸している。


「確か、ジャック家の兄妹の中に二人神級魔法使いがいるんだよな?」


 そう俺がメルセラに聞くと、彼女は小さく頷く。


「ケイティ様とエマ様はそうです。それにケイティ様は他の人と比べて成長が早かった。天才児でしたよ」

「こうも身近に神級魔法使いがいると、何だかその凄さが薄れるな」

「そんなこと言ったら私の方が薄れていますよ」


 「そうだな」と俺は苦笑いを浮かべる。

 そんな俺を見てメルセラは楽しそうだ。


 メルセラが元ジャック家、もといケニーの家の使用人だったのは数ヶ月前に聞かされたことだった。


 唐突に「私の身分を包み隠さずお話します」と改まってきて、

 何だと思ったら、実はケニーの家の使用人だって言うもんだから当時は驚いた物だ。

 しかし俺は別に何とも思わない。思っていない。

 利用されていたのも理解しているけど、今俺は割と幸せだからだ。


 ははっ。

 ケニーも、サヤカちゃんと言う子供が来て幸せそうだし。

 俺も幸せになれるんじゃないかと自分磨きを始めたのがきっかけだったなぁ。


 ……そんな浸ってる暇も無いか。


「そう言えばトニーくん。お兄さんを探して王都に来たって言ってましたよね?」

「ああ、そうだったな……この状況で、トニーは無事なのだろうか?」


 俺は固唾を飲み込んだ。


 状況を見るに今この王都では魔物が大量に出現していると思う。

 何者の仕業かは何となく見当は付くが、まさか次は王都に直接攻撃を仕掛けてくるとは誰が思うか。

 もし本当に王都全体で魔物が発生しているのなら、大変な事になっているに違いない。

 死神クラシス・ソース、とんでもない女だ。


 ……ちっ、ソース家か。懐かしい名前だ。


「とにかく、俺らが出る幕はあまりなさそうだな」

「元々戦闘にも役立たないですから、それが一番ですよ」


 昔、魔物と戦わされたことがあったな。

 あの時はまだケニーも街に居たんだが、今回はちゃんと対策しているらしい。


 『必ず死神はグラネイシャへ舞い戻り。もう一度戦う事になるだろう。

  その時は、勢力を上げて迎え撃つ。我が名に賭けて――』


 そらあんな大口叩いたんだ。

 迎え撃つ準備をしていない方がおかしな話か。


 しかしだ、

 俺らの出番はないと。

 ……本当に言い切れるのか?


「……足りるのか?」

「………どういう?」


 俺の鋭い言葉にメルセラは疑問符を打つ。


「こちらの数だよ。もしこの魔物被害が王都全域に広がっているならば、魔物の数じたい北の街の時より多い筈だ」

「なるほど……見た感じ、王は迎え撃つ対策をしていたようですし、そこはもう信じるしか……」


 それもそうなのだが。

 そんなにうまく事が運んでいいのだろうか?


 俺は不安だ。

 胸騒ぎがする。

 何か、何か小さな異分子がこの態勢を壊しそうで怖い。

 仕事柄そう言うのは敏感だからだろう。

 完璧そうに見えて、安全そうに見えて、実はそこに見えない脅威がいる。

 馬車を扱う仕事のうちが、夜道を対策しながらも無警戒で通らないのと同じで。


 備えあれば患いなしも信じすぎてはいけないと思うのだ。


「えっと、お客さん。あんまりジロジロとこちらを見ても気分は良くないと思いますが?」


 すると突然店の入り口が開き、そこからあの茶髪の青年が顔を出した。

 気が付くと外でうろついていた魔物も居なくなっていたし、

 その青年の後ろから、初めてみる女性も顔を出してきた。


「ふふっ」


 俺達がそう青年の事を見つめていると、いきなり青年は笑い出した。

 そして俺らに対し口を開く。


「……二人とも仲いいんですね」

「え? あ!」


 ほとんど同じ姿勢で両手を机に置き、覗き込むような姿勢がどうやらメルセラと被っていたらしく。

 彼に鼻で笑われ、こちらも笑ってごまかすしかなかった。


「「……はっはは」」


 やけに乾いた笑いが出た。



――――。



「とりあえずあなた達を避難所まで護衛しますね。

 表の商店街の人は、だいぶ前にこのイブさんが助けたらしいので気にしなくていいそうです」


 元々、路地裏にあった喫茶店だった。

 表の様子も少し気になっていたが、そういう事なら安心だ。

 別に俺が心配したところで何かできるわけでもねぇが、一応な。

 ……所でだ。


「その、イブさんとは?」


 俺は七色の夜空の元、そう青年に聞く。


 路地裏から出た表の商店街に来て、周りの様子を確認し終える。

 「ここは安全です」と茶髪の彼の合図でやっと通りに歩き出した所で、

 俺は固唾を飲み込み思い切って聞いてみた。


 さっきから知らない青髪のお姉さんについてこられているんだけど、

 その人の説明を求めている感じだ。


 すると茶髪の彼……ピーターくんは笑みを崩さず続ける。


「序列六位『竜人』です。名前はイブ・バダンテール。亜人ですが、どちらかと言うと人間の血が多いらしく」

「やめなさい。あなたに僕の説明をされるのはあまり心地が良くないわ」


 ピーターくんが説明口調で言っていると、

 視線を向けられていたイブさんは居心地が悪そうにピーターくんに当たる。

 しかしながらその強い当たりにピーターまだ笑顔を絶やさず。


「いつもはミステリアスな雰囲気を纏っているんですけど、どうやら僕の前だとそれが通じないのを理解している様で」

「だから、余計な事は言わなくていいって!!」


 「ねぇ聞いた? 農家のカラクさん、怪我なさったんですってぇ~」と買い物先で友達顔しながら興味のない近所のゴシップを語るあのおばさんの様にピーターくんは言う。

 イブさんはそう言われ、

 頬を赤らめながらピーターくんの頭に強めのチョップを振り下ろす。

 仲がいいのはそちらも同じようで、と俺は心の中で呟いた。

 ……ってまて。


「じょ、序列? え? あの序列?」

「序列って……あの噂の最強の?」


 どうやらメルセラも同じ部分が引っかかったらしく、俺と同時に疑問を投げかけた。


 序列。噂に聞く序列は実在するかどうかすら公式に発表されていない。

 しかしその存在は、他国や敵対国への抑止力として確かに実在していると言われている。

 よくあるオカルト系の噂かと思えばそれも違う。

 実態がない癖に噂だけは立派に流れている点で俺は怪しんでいたが。


「そう、あの序列ですよ」

「は、はあ……ならピーターさんも序列なんですか?」

「いいえ僕は違いますよ? ただの神級魔法使いなだけで」

「あっそうなんですね。ただの神級魔法使い……え?」


 ただの神級魔法使い????

 『ただ』って付けていいのかそれは。

 ……でも、ここでそれを指摘する余裕もないし。

 一旦そのツッコミは飲み込もう。


 もっと大事な事を聞かなければいけない。

 そう、家族の話だ。


「トニー・レイモンを知っていますよね?」

「ん? ええ、弟ですが」


 俺が背後からそう問うと、彼は何の躊躇いもなしにそう答える。

 これで確証は取れた。

 王都に出稼ぎに行き、連絡が取れていなかったトニーの兄は、この人だ。


「今までどこに行っていたんですか? トニーくんは、あなたをずっと探していたのに」

「そればかりは申し訳なく思っています。僕も連絡は取りたかった、しかし、忙しくてそれどころではなかったのです」

「何をしていたんですか? 数年も」

「少し、オラーナ魔法学校で捕まってて」

「お、おう……え? オラーナ魔法学校???」


 オラーナ魔法学校って……あのオラーナ魔法学校か!?

 魔法の天才児しか招待されず、歴史に名を連ねる人材を育成する為に創設されたあの。

 あの学校に、捕まってた?

 どういうことだ。意味が分からない。


「色々ありまして、オラーナ魔法学校の校長に拉致監禁されていたのです。

今ではこの通り自由の身ですが、なんか、この才能を教育しないのは根性の恥だとかなんとか」

「は、はぁ」


 た、確か今あの学校の校長は、神級魔法使いの元締めであるジェイド・ローゼン・ヌルムと言う人物だ。

 噂では寡黙な人物らしいのだが。

 ピーターくんの話を聞く限り少し解釈違いなような……。

 ……でもオラーナ魔法学校に居たと言うのは現実味がある話だった。

 彼の先の戦闘で魔物に対し完全無欠な力でねじ伏せていた場面を見ていれば、

 自ずとそう思うはずだ。


「なるほど、すみません、教えて下さって」

「隠すような事でもないので構わないですよ、もうそろそろ避難所へ到着しますので、辛抱してください」


 二人に囲まれながら商店街を出て、すぐそばにある小さな公園まで来ていた。

 恐らく避難所は教会かどこかだろう。

 確かここから少し離れた繫華街の奥にある筈。


 そこまで行くのだろう。と、ふと空を見ると。


 虹色の空。

 まだ花火が光っている。

 空はあんなに綺麗なのに、地上ではこんなに殺伐としている。

 そう朧気に思っていると、一つ 。

 見えて来た。


 ――黒い手だ。


「伏せて!」


 衝撃、地響きのような音と共に地面が強く揺れる。

 俺とメルセラは前方から聞こえたその叫び反応し、杖を取りだしてから後ろへ下がる。


「なんだ?」


 気が付くと周りには知らない騎士たちが立っていた。

 音もなく現れた彼らは、ただ一つの家を見つめ、奥歯を噛みしめるようにその家の屋根を睨んでいた。

 俺ら二人も、騎士たちの視線に誘われるようにその家の屋根を見つめる。


 すると、現れたのは――。


「なんだ、あれは」


 一見すると、全くもって平凡な屋根だ。

 レンガ仕立ての三角屋根で、小さな煙突がシルエットとして存在している。

 だが次の、空が七色に光る瞬間。それは姿を現した。


 煙突に巻き付くように、黒い生き物が赤い瞳を開かせていたのだ。


「魔物か?」


 見た目の特徴から見るに魔物としか思えなかった。

 だが奴は、明らかに魔物とは違う、異様な雰囲気を醸し出していた。


「早く逃げてください! ここは危険だ」

「わっ、分かりました」


 奥歯を嚙みしめ剣を握っていた騎士たちに、俺らはそう焦りの言葉をかけられる。

 どうしてあの魔物に対しそこまで怯えているのか分からないが。

 俺らは従うしかなかったのでゆっくりと商店街方面へ後ずさりする。


「へっ?」


 そんな腑抜けた声が出た要因は、体に感じた理解を越えた感覚だった。

 こう、何というのだろう。体が押されるような。

 風に、突風に、押されるような感覚。


 そして俺は目を見開くと。

 次の瞬間、騎士3人の頭が飛んだ。


 目に焼き付く刹那の場面、血が飛び散り肉片が飛び。

 乱暴に嚙み砕かれた何かが飛んでくる。

 そしていつの間にか、その魔物は俺らの背後の商店街の中にいた。


 音もなく睨んでくるあの獣は俺らが知っている魔物じゃなかった。

 まるで知性があるかのように、あの魔物はじっくりとこちらを伺う。


「乱暴すぎるな、何だあの魔物」


 ピーターくんはそう口を挟む。

 人間3人の死亡と共に、その戦いは開戦したのだった。



――――。



 邂逅。

 怪物との、邂逅だ。

 俺らの背後に回った魔物らしき怪物は、邪悪な笑顔を浮かべよだれを垂らしていた。

 ついさっきまでその場にいた三人の騎士が死んで。

 俺とメルセラは杖を構えながら後ろへ下がる事すらできなかった。


 状況の変化が早すぎて理解が追いついていない。

 だから体が動かない。


「………」


 俺らが言葉を失っている最中、後ろに立っていた青年が動き出した。


「あれが話に聞いていた異形種、キメラ型強化戦闘用・デーモンか」

「思っていたよりずいぶん小さいのね」


 青年、ピーターの言葉にイブ・バダンテールはそう答える。

 どうやらあの二人は目の前にいる怪物の正体を知っているらしい。


「完全に僕らに目を付けているね。戦うしかないか?」

「せめて後ろの二人だけは戦線離脱させなきゃね」

「そうだね。でも、そんな余裕は」


 そこで止めて、ピーターは杖を突き出し。

 もう一度言葉を紡いだ。


「多分ないよ」

「魔法使イカァ、殺シガイガアルナ」


 刹那、この世のものと思えないほど低い声がその場に響いた。

 何が起こったかまだ理解が追いついていない俺らの前で、それは動き出す。


 そう、怪物が喋ったのだ。

 棘の様な歯から白い息を吐き、赤黒い瞳が俺らを見つめている。

 見られている。

 と言う事実だけで身の毛がよだつその存在が、今度は、言葉を発したのだ。


「意思疎通が取れるのか?」


 ピーターは冷静に言う。


「オマエラニ説明スル義理ハナイ」


 その言葉に、怪物はそう返答した。


 どうやら、あの怪物には知性があるらしい。

 それも恐らく人間並みの。

 本来魔物は無知性の生き物だ。

 例外として、あの北の街の時現れたというストロング・デーモンでも、

 喋る事は出来ていなかったと聞いている。


 ……異形種。

 そう呼ばれているあの怪物は、あの魔物は。

 恐らく普通の魔物と訳が違う。


「――【神技】ザ・プロテクト」


 その瞬間、俺ら二人の周りに白い膜が張られた。

 これは防御魔法か?


「イブ、死ぬ気で二人を守ってくれ」

「そんな義理は僕にないのだけど」

「弟の友人なんだ、僕の顔に免じてさ」

「……はぁ、仕方ないわね。安全なとこまでなら」

「時間は稼ぐよ、骨は拾ってくれ」

「僕が拾うのはあの異形種の死体だけよ」


 そう言うイブに、ピーターは微笑みながら。


「善処するさ」


 それが俺、モールス・ダリックが見た。

 最後の笑みだとは、その時知らなかった。



――――。



 序列の女性、イブの助力もあり。

 一時的にあの場から離れることに成功した。


 ピーター・レイモンの戦闘は見れなかった。

 と言うか、見せてもらえなかったが正しい。

 どういうことかと言うと。


 ――上を見上げると青い竜が俺らの膜を掴み上げていた。


「イブさん……亜人だったんですか」

『喜んで見せるものじゃないわ、だからあんまりジロジロみないでちょうだい』

「すっ、すみません」


 亜人、人間と人外の混血。

 噂程度の存在だったけど、まさか実在したとは思わなかった。

 それも人間とドラゴン、どちらの姿にもなれるとは。

 序列『竜人』の名もそこから来ているのだろう。


 さて……一応思う所はある。

 俺が戦力にならないのはもちろん知っている。

 でも、少しだけ。心配だ。


「……ピーターくんは、大丈夫なんでしょうか?」

『知らないわ』

「心配ではないのです? イブさんは」

『別に心配だけど? でも、頼まれたから』


 ……その返答的に、恐らくイブさんは加勢に行きたいのだろう。


 完全にお荷物になってしまっているな。俺ら。

 いや、まずまずこういう状況に俺らが弱すぎるのが悪い。

 確かに俺は冒険者でもないが、いつまでも安全だとは限らなかった。

 もっと力をつけるべきだったんだ。

 備えるべきだった。


 ……たらればはやめよう。


「イブさん、しばらく離れたら降ろしてください」

『……構わないけど、自分の足で行けるの?』

「はい。ここらへんの地形は、知っているので」


 下を眺めると、そこは良く仕事で来る繁華街だ。

 よく来ているから場所は知っている。

 上空から見ている感じ、魔物は居なさそうだ。


 さっきの死んでしまった騎士達から考えるに、

 恐らく魔物の討伐は王都近衛騎士団が行っている筈。

 駆逐自体は進んでいるのだ。

 だから魔物の数が少ない。


「モールス様の知っている所なんですか?」


 すると横にいたメルセラが疑問そうに聞いてくる。


「ここら辺にお得意さんのお店があるんだ。それに仕事の本部もここらへんだし」

「そうだったんですか……なら安心ですね」

「ごめんメルセラ、安全の保障は出来ないが……」

「いいのですよ。いち早くあのピーターくんを助けたいですもんね」


 どうやらメルセラは、俺の真意に感づいているらしい。

 そう、俺はピーターくんが心配だ。

 ただの他人ならまだしも、

 彼はずっと行方をくらましていたトニーの兄。

 トニーの話的に彼は優秀だと言うが、それもオラーナに居たと言うなら理解できる。


「………」


 だが、あの魔物は明らかに規格外。

 どんな力を持っているかまだ未知数だ。

 そんな相手に一人で挑ませているのは間違っている。

 例えピーターくんがどれだけ強くても、心配になるのは当然な事だ。


 ……よし、ここなら。


「ここらで大丈夫です! あとは自分らで歩いて――」



『――グぁっ!!!』


 その瞬間、強い衝撃が全身に流れた。

 衝撃に翻弄され、俺は目の前の膜に顔面を強打した。

 大丈夫ですかと手を差し伸べるメルセラに助けられながら、俺は瞳を開いた。


「っ、なんだ!!」

『動かないで!! 絶対に、動かないで!!』


 焦った声でそう二度いうイブ。

 一体何が起こっているのか理解できていない俺らは、徐々に今落ちていると言う事に気が付き始めた。


 そう、“落下”している。


 イブさんの焦った声、落ちている感覚。

 そこから導き出す最悪な現実は――敵襲だ。


 その時、俺は確かに見た。


 イブ・バダンテールの背中に巻き付いて、

 棘の様な背骨のシルエットをしている、

 その存在を見たのだ。


「まさかっ……一匹じゃないのか?」


 そうだ、どうして一匹だけだと思っていたんだ。

 異形種は数匹いる。いいや、もしかしたら、

 ――数百匹いるのかもしれない。


『とにかくそこから動かないで、落ちるわよ!』

「っ! くそっ」


 どんどんと視界が回っていく。

 イブさんは上空で安定して体の向きを制御できていない。

 このままではバランスを崩す。

 いいや、もう崩しているんだ。

 だから落下してる。


 どうすればいい。

 分からない。

 くそが。

 ああ、地面が近い。

 やばい、落ちる。



 せめてメルセラだけは守らなきゃ。



――――。



 気が付くと俺は、繁華街の一角に生えていた木の枝に挟まっていた。


「ッ……うぅ」


 全身が痛い。

 それに、重い。


「んっ……うぅ」


 すると次に感じた感覚で、俺の胸の上にメルセラがいるのに気が付いた。


 そうだ、俺、メルセラを庇いながら落ちたんだ。

 抱きかかえて。

 そのまま膜が破れた。

 で、たまたまこの木に落ちて。

 危なかった。

 地面に落ちてたら、多分ぺしゃんこだ。


「メルセラっ……大丈夫か?」

「はっ、い。私は大丈夫です」

「降りられそうか? メルセラから降りなきゃ俺が降りれない」

「えっ? あっ! すみません!!!」


 どうやらメルセラは俺を下敷きにしているとは分かっていなかったらしく。

 彼女は気が付くとすぐ、地面に向かって飛び降りた。

 続けて俺も身をよじりながら下へ滑り落ちる。


 草のクッションがいい感じだ。


「……怪我はないか?」

「お、おかげさまで」

「ならよかった」

「モールス様は……すぐ治癒魔法を」

「すまない。頼むよ」


 咄嗟の判断にしては出来過ぎているかもしれない。

 でも、よくメルセラを守れたと思う。

 俺は今自分の状態を完全に把握している訳じゃないが。

 少なくとも、大事な人は守れたらしい。


 まだプロポーズ前なんだ、死なせるわけにはいかないさ。


「かけおわりました。起き上がれますか?」

「あぁ、でもまだ痛むな」

「あっ。やだ。血が」


 どうやら俺は着地するとき右腕をざっくりいったらしい。

 落下の衝撃で痛みが飛んでいたが。

 メルセラに言われてからじわじわと痛覚が戻って来た。


「くっ……」

「待ってください」


 そういうメルセラは、すぐ自分の私服を破いた。

 そしてその白い生地で俺の傷口を塞ぐように巻きつける。


「手馴れたものだな」

「それは、まぁ、使用人でしたから」

「流石ベテランだよ」

「痛みいります」


 その道30年程のベテランだ。

 臨機応変さが違うな。


「イブはどうなった?」


 ある程度の治療を終え、俺は右手を抑えながら起き上がった。

 血はもう止まっているが、まだ少し違和感がある。

 右腕はしばらく休ませるべきだな。


「分かりません。ですが、恐らくこのあたりにいると思います」


 周りを見回すと、そこは俺の知っている繁華街ではなかった。

 建物は所々壊れており、ある場所は火事になり、ある場所では現在進行形で倒壊が起こっている。

 恐らくいまだなお、魔物との戦闘は、繰り広げられているのだろう。


 はぁ。


「くそがっ。イブさんの居場所もピーターの安否すら分からねぇ、どうして俺はこんな無力なんだ」


 俺は握り拳を作って、地面を思いっきり叩き、歯を食いしばった。


「……気持ちは十分わかります。ですが、モールス様では魔物には勝てま」

「分かってるよ。でも、でもさ、こんなに何も出来ねぇとさ」


 分かっている。

 俺もこの年まで正義感一つ持たず生きてこなかった。

 そんな分際で、傲慢なのは理解している。

 でも、これじゃ、格好がつかない。

 どうしてここまで屈辱的なんだ。

 どうして俺は、こんなに悔しいんだ。


 ……いいや、分かっている。

 メルセラに格好つけたいんだ。俺は。

 だから苛立ってる。

 ちっ、終わってるな。

 終わってるくらい好きになっちまったんだな。

 ははっ。


 いいさ、俺は無力だ。


 俺は今までと同じ、何も変わっていないさ。

 ケニーを見て自分も変われると勘違いをした。

 それが間違いだったんだ。

 俺は人を守れるほど強くねぇ、俺は誰かの為に頑張れるほど生真面目じゃねぇ。


 俺も所詮クソ野郎さ。


 ――ッ!?


 その瞬間、突風と共に、前方の建物が吹き飛んだ。

 感じるのは圧。

 体を走るのは寒気。

 視界に写ったのは背中だった。


 知ってる背中、と言うか服装。

 そして知っている茶髪が揺れた。


「ピーターか!?」

「すみません、ちょっと手こずっています」


 そうピーターが睨む先にある。

 吹き飛んだ建物の中から、黒い怪物が顔を出す。

 見た目から、最初に出会った異業種だとすぐ理解した。


「イブが落とされるのを見ていました。……とにかく、あなた方の保護を最優先に動きます」


 俺らの保護を最優先。

 そういうピーターの顔は見えなかったが。

 何も感じていない声色ではなかった。

 葛藤しているのだろう。

 心配なんだろう。

 痛い程分かる。

 分かるんだ。


 だから、俺は。


 格好つけるために。


「俺も協力しますよ。これでも、ここらへんには詳しい方ですからね!!」


 規格外の化け物、異形種と。

 俺、モールス・ダリックは、初陣の火蓋を切ったのだ。







 余命まで【残り●▲■日】


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