■:魔法大国グラネイシャ・王都噴水、初代王の像前
「カリス!! どういう事!?」
唾液を吐き出しながらトニーは叫ぶ。
だがその少年には、まるで声が届いていないようだった。
混濁とした世界で、魔物と戦っている少年が居た。
虹色の空の下、黒い影から生み出される魔物たち。
巨体な体で家を破壊しながら進み。
強大な力を人間にこれでもかと見せつけてくる。
魔物が暴れる街の中には、魔法で対抗する人もいた。
腐ってもここは魔法大国グラネイシャだ。
ある程度魔法の知識があったり、元冒険者が多いとされるこの国。
魔物に対し怖気づかず戦う人もいる少なからず存在した。
だがそんな人も、2~4人で“魔物一匹”を相手するのに一苦労。
それほどこの状況は好ましくなかった。
「ねえ……待って!!」
トニー・レイモンは息を吐きながらカリス・グレンジャーの背中を捉えていた。
建物の屋根を転々とし、カリスは軽快な身のこなしをしながら街を飛んだ。
その傍ら、藍色のローブの中にある、両脇にぶら下げている二つのカバンの中から。
小さなピンク色の液体が入っている瓶を取り出し。
「ここにも魔物が……!」
カリス・グレンジャーはそう口を歪め、屋根から滑り落ち。
その瓶を魔物へ投げ入れた。
序列七位、『魔士』カリス・グレンジャーはポーションの使い手だった。
ポーションは本来薬になり。
人の傷を癒したり、一時的だが人を強化したりできる“薬品”だ。
だがそのポーションには癒しの効果の反対が存在する。
カリスは振りかぶり、眼前の魔物へとそのポーションを投げつけた。
カリス特製のポーションの名前は『
触れたものを何でも溶かす溶液は、魔物に対し強力な武器なのだ。
音を立て瓶は割れ、ピンクの溶液は魔物の背骨にかかった。
「――――」
すると何かが焼けるような音がして、同時に魔物の絶叫が響いた。
「グガアアアアアアア!!」
「また核を逃した……もっとちゃんと狙わなきゃ」
そう拳を握りしめ。
カリスはその場でバックの中から取り出した新しい瓶を魔物の首元へ投げた。
魔物の核は基本的に心臓の位置に存在する。
だけど、今王都で大量に現れているこの魔物はどうやら『首元に核が移動している』様だった。
「歪な構造。こんな魔物、初めてだよ」
溶けた背中からグロテスクな魔物の中に視線を向ける。
魔物を見た事が無い訳じゃない。
何なら何度も戦って勝ったこともあるけど。
僕が見た中で、こんな大きくって構造が歪なのは、正直見た事がない。
この魔物は一体?
「カリス!!」
背中越しに息が切れている声が聞こえた。
カリスは思わず振り返る。
「トニー!? どうしてここに……」
「さっきからずっっっと声かけてん、のに、なんで無視するんだよ」
「え、あ。ごめん。考え事してて」
カリスは申し訳なさそうに、視線を下に向けた。
現在の状況はとても良いとは言えなかった。
魔法大国グラネイシャ全域に解放された魔物は人々を襲おうと牙をむく。
だがそれを予期していたアルフレッド・グラネイシャ様の指示で、魔法大国の所々に沢山の騎士を配置した。
全てはこの時の為に。
全てはこの瞬間、戦うために。
第二次魔物群討伐作戦は北の街、南の街、西の街、東の街、そして王都を戦場にした作戦だった。
僕は王都に配置されたうちの一人だった。
他の序列は魔法大国グラネイシャの外周を任されていた。
理由は色々あるけど。
ここで一つ一つ語るのも違うと思うから割愛する。
僕ら王都組の目的は、出来る限りの避難誘導と共に、魔物を“誘き寄せる”事だった。
でも誘き寄せると言っても、ここにも人は暮らしている。
だから出来るだけ魔物を倒しながら進まなきゃいけない。
だから僕は今、焦っている。
「………」
今僕がここで止まっている間に、一体、どれほどの人間が危険にさらされているのか。
考えだしたら。頭がいっぱいになった。
「ごめんトニー。今は話を聞いてあげれない」
「は? 待ってっ!!」
カリスはまた飛び上がり。
自身が製作した自強化ポーションを飲んで、屋根を駆けだした。
急がなきゃ、急いで急いで急がなきゃ。
僕は他の序列の中でも劣ってるんだ。不器用なんだ。
僕しか出来ない事じゃない。
たまたま、僕しか居なかっただけなんだ。
だから。
「――ッ」
人一倍頑張らなきゃ、誰にも追いつけないし、置いて行かれる。
僕はみんなより劣ってるんだ。
だから頑張って人を助けるんだ。
作戦に支障は、……出させない!!
そこから数十分は同じことの繰り返しだった。
魔物を見つけ『
避難対象者が居たら所定の位置を教え安全な道を教える。
安全な道は、僕がここまで通って来た道だ。
僕は見かけた魔物を出来る限り駆除した。
だから僕から背中の方向は基本的に何も危険はない。
そう案内し、また屋根を走った。
「本当に、助けてくれてありがとうね――」
「お前名前は? 助けてくれた人の名前くらい――」
「たすげでくれてありがどおう――」
最後まで感謝の言葉を聞けなかったりした。
少し態度の悪い人だと思われていたら凹むけど、今は仕方がなかった。
足がパンパンだった。
ここまで急ぎながら、焦燥感に苛まれながら体を動かしたことが無かった。
ずっと息が吸えなかった。
ずっと胸が冷たかった。胸やけがするくらい怖かった。
僕のせいで人が死ぬのが、僕のせいで作戦に支障が出るのが。
怖かった。
僕はすべきことをしなきゃいけない。
序列として、やらなきゃ。
序列として、劣ってる人間として。
「はぁ、はぁ」
序列だから。当たり前なんだ。
――――。
あれ。
「ガルルル――」
全身が重かった。
なぜか脱力している体に違和感を覚える前に、僕は身をよじり。
ほっぺに感じる冷たい感覚に。
何か身に覚えのある感触を覚える。
暗い。
どこだろう。
ここはどこだろう。
確か、屋根を走ってて、そして、滑って。
「………ぅ」
あ、ああ。そっか。
僕やっぱり失敗したんだ。
そうだよね。
……僕だから。
「――――」
「ガゥ――?」
耳に障ってくる悍ましい唸り声が聞こえてくる。
それはひたひたとこちらに近づいてきて、五感すべてでその存在を感知出来た。
振動で、匂いで、全身で。
ぽたぽたって、水の音が耳に障った。
どこかぼうっとしていた僕は、それを聞いて、やっと息を吸えた気がした。
頭に酸素が回って。ぐるぐる回って。
そして気が付いた。
「ぁなたは……?」
「俺様か?」
多分一本道だ。
路地裏だろう。
僕の目の前は大通りで、そこから魔物の気配を感じる。
でも、僕の後ろ。ずっと安全な道をと振り返らないで居た背後から。
そんな声が聞こえた。
「だれ?」
「俺様は、まあ。気にするな。でもいいのかカリス。お前死にそうだが」
「……それは、だめです」
「何故だ?」
何故だと、その人は言った。
聞き覚えのない声だった。
「だって……人が……しんじゃう」
「そんなの本当はどうでもいいだろ。幼かったお前が本当に欲しかったものはなんだ?」
「……ほしかったもの?」
何を聞かれているのだろう。
でも、本当はいけないんだろうけど。
今の僕は本来の目的を少しだけ忘れている。
「……たたなきゃ」
「立てないぞ。お前は片足が折れたんだ」
無慈悲にそう告げる声。
「………なら、あなたが僕を担いでください」
「それは不可能だな。俺様はここに居ないし」
「……訳の分からないことを」
どうして彼は僕を助けてくれないのだろうか。
一般人、みたいな口調ではない。
まるで僕の事を知っているような。僕がカリスだと知っているような。
誰だ?
お前は。
「ガァ~」
「っ………」
僕が聞こえてくる声と会話している間。
どうして僕は、ここまで近づいてくる魔物に気が付かなかったんだろう。
どうやら足が折れているのは本当のようだった。
右足に遅れながら小さく痛みはじめ、波のように襲ってくる痛覚で思わず奥歯を噛みしめる。
足が折れていては屋根も走れない。
作戦を遂行できない。
時間との勝負なのに、僕のせいで。
臭い息が頭の上にかかった。
思わず全身に寒気が走った。
「……ははっ、は」
「ガァ?」
「そっか……。そうだよね。僕、死ぬんだぁ」
考えてもみれば、僕にしてはよくやった方なのかもしれない。
どんくさい僕にとってこの作戦は『失敗の可能性』しか頭になかった。
この作戦が始まって最初こそはずっと落ち着きがなかった。
だって僕は不器用だから。
みんなみたいに、自然と自分の素性を隠して街に潜むなんて難しかった。
苦痛だった。
人付き合いが得意じゃない僕にとって、ここ数週間は苦痛だった。
でも、ちょっといいなって思った事があった。
トニーと出会ったからだ。
『お前、ここら辺の人じゃないのか?』
そう話しかけられて。思わず全身が金縛りみたいに固まった。
彼は声変りをしていなかったからか。
とても幼く見えた。
でも僕はそのトニーに連れられて。
そこで初めて分かった。
十何歳も歳は離れているけれども、僕はたった9歳の彼に。
こうも助けられるとは。
なんて情けないのだろうと思う。
『幼かったお前が本当に欲しかったものはなんだ?』
「………」
ふと、さっきの人から言われた言葉を思い出した。
僕が欲しかったものか。
そうだな。
そう、だな。
何だろう。
今までずっと、自分がヘタレだから、臆病だから、弱いから。
手に入れられなかった物。
……友達だ。
「トニー、……ありがとう」
「呼んだか?」
刹那、全身に感じ始めたのは圧力。
それは魔物の背後から流れてくる気流のような物で。
脱力している僕の体が後ろに押されるくらい強い気流は。
僕の頭上で、魔物を押し上げた。
「ガアアアアアァァ!!」
「カリス。これは知り合いの受け売りなんだけどな」
魔物は音を立てながら空中に飛ばされた。
普通の魔物ではないその魔物、その巨体を軽々しく押し上げる圧力。
いいや、これは風力だ。
全身に劈くような痛みに苛まれながら。
僕はその声に、初めて顔を上げた。
そこには、路地裏の入口に立っているその影は。
茶色の髪の毛をした。小さな少年だった。
「そんな悲しい別れみたいなの、俺がやらせると思ったのか?」
光が指してきた。
巨大な魔物に遮られてきた光が、飛ばされたことによって顔に指してきた。
息を大きく吸いながら。
僕はその現実に、ただただ感謝をした。
路地の入口に仁王立ちしているトニー・レイモンは、序列七位カリス・グレンジャーを救ったのだ。
序列を助けるほどの魔法を持ったトニー・レイモンは。
兄顔負けの才能を、開花したのだった。
余命まで【残り●▲■日】