淡い光りが輝き、部屋全体が光に包まれた。
机の上に置かれた魔石が点滅し、光となり、
魔力を失った俺でも分かるくらいの強大な魔力の蠢きを肌で感じた。
時刻は早朝だった。
グラネイシャに居ると言われている、人魔騎士団のリーダーと通信が繋がったのは。
俺とアーロンは一緒に部屋の端っこでその光景を眺めていた。
これ、繋がったのだろうか?
「えっと、リーダー? 聞こえます?」
と、ナターシャは恐る恐る言う。
思えば初めての対談か。
リーダー、どんな人物なのだろうか。
やはり近衛騎士団の様にカッコイイ男の人なんだろう。
それかチビだけど有能そうな、ガーデン・ローガンみたいな感じの人か。
「――――」
何にせよ少しだけ緊張するな。
色々話さなきゃいけないことも多いだろうし。
この機に及んで初対面で少し緊張しているとは、お恥ずかしい。
『――……――あー、聞こえる?』
「あ、聞こえてますよ」
ん? 少し高いな声。
若めなのだろうか?
『久しいねぇナターシャ、そっちの進捗はどうだい?』
何だかボーイッシュな女性の声みたいだ。
……本当に女性なのか?
それもこの声、聞いたことがあるような。
「えっと、リーダー。話がありまして」
『前から言ってるでしょ、堅苦しいのは無しだってさ』
「は、はぁ。じゃあ」
気さくに言うリーダーに、ナターシャは戸惑いながらも改めようとする。
俺は違和感を覚えながら、少しだけ頭を巡らせてみた。
……確実に聞いたことがあるな。
どこで聞いたことがあるんだ。
結構前からあるような気がする。喉元まで出ているのに……。くっそ。
まずは女だ。そして少し色気のある感じの声。
エマでもケイティでもなく、ナターシャみたいな真面目さもない。
これは、まさか……。
「……お前、イブか?」
『……あえ、え? ケニー?』
その声でやっと確信した。
お前は、グラネイシャ王都に店を構える色白魔女、イブ。
その女が、人魔騎士団のリーダーだと。
『……』
「………」
『ヒトチガイダヨォ!!』
「もう手遅れだァ!!」
「説明してもらおうか」
と俺が迫ったところで、イブによる諸々の解説が始まった。
まず、イブの本名は『イブ・バダンテール』と言い。
竜族と人族のハーフらしい。
全く持って知らなかった事実だ。
これまで何度もあの女と会って来たが、イブのケツから厳つく太い尻尾が生えていた訳でもない。
髪色が青色なのは、ブルードラゴン族だかららしいが。
マジで分かるわけがねえのよ。
そして彼女、イブは序列の一人だったらしい。
ここで俺は初めて序列の全員のフルネームを教えてもらった。
――――――――――
一位『■■』
二位『怪力』ノーセル・カートリッジ
三位『銃士』ロベリア・フェアフィールド
四位『剣士』モーザック・トレス
五位『神魔』ケイティ・ジャック
六位『竜人』イブ・バダンテール
七位『魔士』カリス・グレンジャー
――――――――――
ノーセルと言う男と、ロベリアと言う女は会ったことがないな。
一位の名前は教えてもらえなかった。と言うか、知らないらしい。
「なんで一位は知らないんだ?」
『魔神の事は機密事項なんだ。僕でも、知らされたことはない』
なるほど、そういう物なのか。
てか、なんで教えてくれたんだ?
序列はそんな簡単に教えていい物でもないのでは?
「そんな簡単に教えてもいいのかよ。序列のメンツを」
『前の依頼を忘れているのかな?
本当なら「分かりませんでした」で処理するんだけど、王様から君にならいいと許可が出た』
依頼? そんな事したっけ……。
あ、してたな。
サザル王国に行く前にお願いしたんだった。
すっかり忘れてた。すまんな。
「王様から許可が出るとは、俺も出世したな」
そう胸を張って言う。
おいアーロンなんだその目は、俺は出世したんだぞ?
『ま、王様の腹の内も僕には分からない。でも、お国の王様だからね。信じなきゃ』
「俺はアルフレッドに借りがある。また作ってしまったな、いずれ返さなきゃなぁ」
フローラの件と言い我儘を聞いてもらっていると思っている。
アルフレッドが何を考えているのか分からないが、今は感謝だけしておくか。
「さて、本題だ」
俺の無駄な言動で時間を取ったな。
これは、とにかく一刻も早く伝えなきゃいけないことだ。
俺は頭の中で予め作ってあった台本を読み始めた。
「建国祭、そこに死神は現れる」
そんな言葉から始まったのは、これから襲い来る絶望の話だ。
魔法大国グラネイシャの『建国祭』は、
毎年11月になると行われる祭りの事だ。
二日かけて開催され、売店や屋台、花火や熱気球までもが飛ぶ大イベント。
俺は引きこもっていたから最近の建国祭を知らないが、子供の頃の事なら覚えている。
街がオレンジ色に輝いて、花火が3時間ずっと鳴っていた。
花火を長時間発射させることが出来るのは、魔法大国様様だと言えるだろう。
下も上もキラキラしていて。
みんなが笑っていた気がする。
そこで俺は父さんの影に隠れながら、買ってもらった肉料理を齧っていた。
数十年も前の記憶だ。今や、殆ど覚えていない。
でも建国祭は少なくとも、グラネイシャ総出で祝われる一大行事。
年に一度のビックイベントだ。
『なるほど、話は大体わかった。
でもこれだけは僕から言える。建国祭を中止させるのは難しい』
俺の話を全て聞いてから、
イブはそうきっぱりと言い切った。
「何故だ?」
『まず一つに、既に客が来てしまっている事だ。
“サザル王国の王様”、“ノージの旧友”、“イエーツの大使”と、様々な要人が既にグラネイシャ到着している』
「……だが、今度こそ一般人に死人が出るぞ?」
思い出してみれば、第一次魔物群討伐作戦では大勢の犠牲があった。
王都近衛騎士団の打撃は大きく。
それほどの敵がもう一度来るかもしれないのに、何を呑気な事を言っているのだろうか。
と俺は思ってしまう。
『そして二つに、王様は死神との正面戦闘を望んでいる。
と言う事は、何らかの策があると言う事なんだよ』
「策……?」
策。
そんな言葉を鵜吞みにし、俺らが訴えを辞めるとでも?
確かに王様の策は特別なのかもしれない。
だとしても、もしそれが失敗したら。
……先ほどアルフレッドには借りがあると言ったが、はっきり言ってこれに関しては肯定できない。
一体何を考えているんだ。あの王様は……。
『一応、僕からも取り合ってみるよ』
「え?」
『僕はあくまでケニーと同意見さ。人を避難させるべきだと考える』
そうイブは啖呵を切った。
イブが取り合うなら少しだけ安心か?
いい方向へ向かってくれればいいのだが。
『分かった。とにかくケニーはグラネイシャへの帰還を最優先にするでいいね』
「ああ、異論はない。準備ができ次第出発するよう急いでいる」
『通信が繋がらなくてすまないね。術で“穴”を見つけるのに、四日もかかるとは』
「伝えるべきことは伝えたんだ。不満はないよイブ」
穴を見つける。
イブは術を使い通信する用の回線を無理やり繋げたのだ。
ナターシャ曰くグラネイシャ周辺に通信を妨害する何らかの魔石や魔道具が設置されており。
それにより通信混乱を起こしているらしい。
だがイブが術を使い。
無理やり穴を開け、今こうして通話ができているのだ。
イブが竜人じゃなければ成しえなかった通話。
この状態が、一つの奇跡なのだ。
「では、グラネイシャで会おう」
『ええ、男前のケニー・ジャック』
二日。あと二日で中央都市アリシアを出る。
通信が繋がらなかったこの四日間、何もしていなかった訳じゃないんだ。
既に準備は進めている。
「お世辞はいいよ、取り掛かろう」
『――――やっぱり、面白い人ね。ケニー・ジャック。ばいばい、サヤカ』
その言葉を最後に通信は途切れた。
俺は最後の、久しぶりに聞いた名前に、違和感を覚えることは無かった。
――――。
1300年前。
何が起こったのか、この世界では当たり前に皆が知っている。
大昔の戦争。人族 対 魔族の大戦争の話。
魔王グルドラベルが仕切る魔族と、
リーダーの居ない人族の終わらない戦いに、終止符が打たれた話。
1300年前に実際にあったとされる出来事。
今では、童話『三神剣』と言う物語で語り継がれている。
『三神剣 魔王討伐の英雄譚』
そんな童話は、
こんな文章から始まった。
勇者は、異世界から来たと。
――――。
ケニー視点。
「死神についてもっと知る必要がある」
じんわりとコーヒーの匂いがする。
扉を開け、奥に座っていた男へ俺は開口一番にそう言った。
時刻は夕方くらい。
ここは、宿だ。
大柄な体格にあわないだらけた服に、ボサボサな髪。
顔についた古傷が特徴の男は大きくため息を付いた後言った。
「今日は明日の為の休日にしたのに、どうしてお前はそう安々と俺の休日を奪うんだ?」
「今の俺らに休む暇はないだろサリー。情報が足りないんだ」
休みたい気持ちは分かる。
でも、とにかく、何もかも足りないのは確かなんだ。
俺らは何も知らない。
死神について。
調べなきゃいけないのだ。
「まず。あの魔道具はなんだ?」
「あれは、ヘルクの物だよ」
「どうしてお前が持っていた?」
「預かったんだ。ヘルクが死ぬ前に」
魔道具エクスカリバー。
いや、英雄の剣エクスカリバーと言った方がいいかもしれない。
あの場でどうしてそんな有名な剣も持っていたのかすら不思議だったのに。
サリーは、どういう経緯で。
いいや、ヘルクは一体、何者なんだ。
「ヘルクの正体は俺も知らない。だが、初対面の時から奴は記憶喪失だった」
「記憶喪失だと?」
そこからつらつらと語られたのは、予想を遥かに超えた話だった。
――――。
アーロン視点。
「1300年前、勇者と氷鬼と国王は三種の神器を用い。魔王であるグルドラベルを遥か先の祠へ封印しました」
「三神剣の話ですよね。マチルダさん」
そう僕に背中を向けながら。
いつもの黒一色の修道服ではなく、楽な格好をしたマチルダさんは言った。
僕は今、教会に来ていた。
時刻は夜。既に協会に人が居なくなっているくらいの時間帯だ。
あの戦いが終わってから数日。
しばらくの間は負傷者が絶えなかったけど、今はもうここに誰も居ない。
来ると言えばお悩み相談とか、言ってしまえば通常業務に戻ったんだと思う。
ここに来た理由は、お別れを言う為だ。
中央都市アリシアに来て長かったけど、もう、出発の時だ。
明日にはここを出て、グラネイシャへ向かう事になる。
だから最後に、お世話になった人へその報告をしなきゃいけない。
「元奴隷のあなたも童話は知っているのですね」
声色からしか分からなかったけど。
いつもの嫌味を言うようなトーンではなかった気がする。
「ええ、奴隷時代ではなく。
ご主人様に読み聞かせをしてもらいました。まだ文字書きすら出来なかった頃に」
「そうですか。いい主人を持ちましたね」
「はい」
「………」
「……」
「居づらいですか?」
「……いえ」
「正直になってもいいのです。どうせあなたは明日居なくなるのですから」
「………」
「……」
沈黙が怖かった。
でも何といえばいいのだろう。いつもの様な、切迫感は無かった。
だからか分からないけど。とても正直に言った。
「……ずっと、居づらかったです」
「でしょうね。申し訳なく思っています」
「どういう事ですか?」
今更謝るなんて、と言うか負い目があったんだ。
意味が分からない。なんで?
何だか口が悪くなってしまうけど、
居づらくしていたのは自分の癖にどうして今更謝るんだろうか?
僕には分からなかった。
「どうして今更そんなことを言うのでしょうか?」
「……分かりません。ただ、冷静になって考えれば、酷い事をしているなと思い」
なぜ? 分からない。
これは僕が子供だからとかじゃない気がする。
多分だけど、マチルダさん自身の問題だ。
どうして唐突に謝ろうと……?
「あの騒動の最中、一人、人魔騎士団のメンバーらしき人が来たのです。女の人でした」
「………」
「その人はとても重傷でした。
ですがその後に来た騎士の方が重傷で、
私は早めに人魔騎士団の方を終わらせ、騎士の方へ回りました。
そして何とか騎士の一命を取り留めた時、女は何か深刻そうな顔のまま教会を出たのです」
――――。
―――。
――。
私はその時イライラしていました。
唐突の事態にもだし、理不尽に傷つく一般市民が見ていられなくなった。
修道女としてあっては行けない事だけど。
心の余裕が無くなるくらいには、焦っていた。
人魔騎士団の女性が深刻そうな顔をして出て言った時、
私の後ろから、一人の男が飛び出した。
私は咄嗟に追いかけた。
教会の外に出た瞬間、騎士は言った。
「騎士団の人! 待ってください!!」
そう外に居た人魔騎士団の女に行った。
ボロボロだった。
背中を見ただけで現場がどれだけ悲惨だったか分かってしまうのだ。
でも、
どうしてか騎士は、人魔騎士団の女にそう静止を叫んだ。
「ノーランさん……?」
女は信じられないような顔をしながら騎士へそう告げた。
信じられないような顔に、少し虫唾が走った。
「あなた、どこへ行く気ですか?」
そこからの話は酷かった。
騎士は必死に、ボロボロな筈なのに女を止めようとしていたが。
でも女は止まらなかった。
そのまま女は騎士を置いて進んだ。
酷いと思った。
なんて恩知らずなのだろう。なんて無情なのだろう。
なんて、酷い人間なんだろう。
例えどんな理由があったとしても、私はあの行動を肯定できない。
そこから、無理な頼みをされた。
「俺を前線に復帰させてくれ」
口が開いたままになった。
騎士はまだ戦う意思があったのだ。
きっと、あの女を助けるためだとかじゃない。
この事態を終わらせるために、戦うと心に決めたのだ。
こんな誠実で親身な騎士に対してどうしてあんな酷い事が出来るのだろうか。
私は理不尽を嫌う。
時の運で理不尽な目に合うのは自然の摂理だ。
でも、人間のどうしようもない感情で人を傷つけるのは、見ていられなかった。
修道女としてあるまじきことだとは思う。
でもそれ以上に、許せなかった。
彼女からしたら苦情の決断だとしても、私からしたらそれは無情の刃だ。
だって人は立ち位置で物事を考えるのだから。
私はあの女が所属していた組織の名前を知った時、無意識に、嫌うようになっていた。
――――。
ケニー視点。
ヘルク・クラク。
年齢不明。
本名不明。
出生不明の謎だらけの人物だ。
何なら、“ヘルク・クラク”はサリーが付けた名前らしい。
本当の名前は不明。出生も誕生日も分からなかったと。
ただヘルクはサリーと出会い。そこで沢山の事を学んだらしい。
10年間、ヘルクと過ごした。
その10年間サリーは用心棒としてグラネイシャで働き、
ヘルクはサリーと出会うずっと前から毎晩“夢に出る出来事”で本を書いていたらしい。
その本を読んだ知り合いが出版できる知人へ見せ。
それが本当に本屋に並んだりしていたらしい。
本。そう、本だ――。
「まさか……」
色々考えたけど、これがしっくりくる。
童話『三神剣』には三つの剣が出てくる。
それらは魔王を封印する時、魔王に致命傷を負わせたと言われている剣達だ。
剣はそれぞれ名前がある。
【魔剣】カルベージュ。
【王剣】ナイトエッジ。
そして、
【英剣】エクスカリバー。
それぞれ『氷鬼の姫』が『カルベージュ』。
『とある国の王が』が『ナイトエッジ』。
『異世界の勇者』が『エクスカリバー』と決まっていた。
この三人が冒険をし、魔王グルドラベルを封印する物語。
それが童話『三神剣』の全容だ。
そのうちの一つ、エクスカリバーを持っているのは異世界から来た勇者と言われている。
異世界。そう、異世界だ。
俺は一つの可能性に辿り着いた。
【 ヘルク・クラク = 1300年前の勇者説だ 】
異世界と言うワード、ヘルクは本を書いていた、そしてエクスカリバーを持っていた。
これから考えるにだな。
「………」
小説『エレメントス』の名前非公開の著者はヘルク・クラクであり。
1300年前の記憶を失った異世界の勇者である。と。
エレメントスと言う小説が流行り出したのは大体10年前、
流行ったのがそのくらいだが、本自体は俺が子供の頃から存在した。
サリーがヘルクから聞いていた年齢は25歳らしいけど。
もし1300年前の勇者なら、言ってしまえば不老となる。年齢を信じてはいけない。
あのエレメントスは1300年前の勇者ヘルクが実際に体験した物語であり。
夢に出てきた異世界を元に書いた話であると考えれば。
「……ヘルクはどうして死んでしまったんだ」
小さくサリーに聞こえないように呟いた。
あの場でヘルクは戦死した。
1300年前、魔王を倒し封印したとされるヘルクが、魔物に倒された。
その死の真相も気になる。
魔王を本当に倒したのがヘルクなら、どうして普通の魔物に負けたのか。
いや、そんな事はどうでもいい。
つまりだ。死神の発言にある。
『勇者は殺した。氷鬼もこの世に居ない。後はお前だけだ』
と言う言葉にも当てはまる。
氷鬼は知らないが、勇者を殺したと言う部分はヘルクなのではないだろうか?
勇者は殺した=ヘルクは始末した。
実際ヘルクが戦死した戦いは、死神の最初の襲撃だ。
もし、もし。
死神の最初の襲撃の目的が、1300年前の『復讐』なら。
……そうか。とある国の王って、まさか。
「グラネイシャって確かアルフレッドで23代目なんだよな?」
「……その筈だが、どうした?」
23代目。もし23代全員が60歳は生きていたとするなら。
23×60=……1380。
もちろん23代全員が60歳まで生きた訳じゃない。
どれかしらは何らかの理由で早く死んでしまったりするはずだ。
だから、それを考慮すると。
「それを差し引いたら、1300年前になるのかもしれない」
つまり。とある国の王と言うのは。
「……死神の目的が分かったかもしれない」
「なに?」
勇者と氷鬼はもういない。
死神の目的が最初から復讐だとしたら、次に狙うのはとある国の王。
『初代グラネイシャ王がとある国の王だったんだ』
「サリー、頼みがある」
――――。
アーロン視点。
「………」
なんて返せばいいか分からなかった。
でも、何となく、僕を毛嫌いしていた理由は分かった。
「私は愚かでした。こういうのを、投げた剣が還ると言うのでしょうか」
投げた剣が還る。
自分の思っていたこと、行った事が全て自分に返ってくること。
「人間のどうしようもない感情で人を傷つけるのは、見ていられなかったと言いましたが。
それをしていたのは、私でした」
時間が経つ事で冷静になる事もあると僕は思う。
それに気づけるか気づけないかで人はまた変わると思うが。
マチルダさんはきっと、それに気づける人だったんだと感じた。
マチルダさんは深々と頭を下げた。
謝罪。初めての、謝罪だった。
僕が何かをしたと言う訳でもない。心地は良くなかった。
でも、何だか安心できた。
「僕は許します。もう頭を上げてください」
「………」
「どうせ明日には居なくなるんです。わざわざ謝る事も無かったんじゃないですか?」
「いえ、謝るべきです。神の信仰に私は背きました。これは、贖罪です」
「……なら、僕の話を聞いてくれますか?」
「……なんでしょうか」
そうだな。今この人に謝ってほしい訳じゃない。
と言うか、もうどうでもいい。
謝ってもらったんだから。
改心してもらったんだから。
もう、積もっていた物はどうでもよくなった。
だから今は、彼女に、少女に。
ふと、隙間風が僕の髪の毛に当たった。
月光が窓から差し、暗い教会の中で淡い光が灯された。
そして僕は、言った。
「僕の夢は困っている人を助ける事です。助けて回って、世界を旅する。それが僕の夢です」
と言うと、マチルダさんは豆鉄砲を食らったような顔をして。
でもすぐに真剣な顔になって。
「……それまた、飛んでもない夢をお持ちですね」
「なれると思う?」
「何とも言えません。
ですが、それは果てしない努力と鍛錬、
そして隅から隅まで汚れを落とす細かい努力が無ければ、成立しない役だと思います」
「うーん」
修道女としての仕事であるのは知っている。
人の悩みを聞き、人を導く。
それが修道女が主として崇めている人の役目だった。
でも、その言葉を聞いて少しだけ引っかかった。
何となくだけど、引っかかってしまったのだ。
「綺麗事失くして言うと、どうなります?」
「……良いのですか?」
「うん。いいよ、遠慮しないで」
そう僕が言うと、マチルダさんは考えるように瞳を閉じた。
数秒後、瞳を開いたマチルダさんは大きく口を開いた。
「それは果てしない自己犠牲と精神の戦い。
そして皆が出来る癖にやらない事を、当たり前の様に笑顔でこなす。
光を齎す人間とはそう言う者です。
時に厳しく、時に優しく、時に弱さを封じ込める。
あなたが行こうとしているのは紛れもない修羅の道。
その先に『幸せな世界』があったとしても『未来』はありません」
「……そ、ありがとうね」
僕はそう言い。出口へ向かった。
素っ気なかったからか分からないけど、マチルダさんは戸惑いながら。
「こ、これで良いのですか? アーロン」
そう恐る恐ると行ってくる。
そんなマチルダさんに対して、
「うん、これで大丈夫だよ」
「ほ、本当に?」
「ただ意見を聞きたかっただけだからいいよ。
僕は肯定も否定もどっちでも良かったし。
でも、修道女のマチルダさんだからこそ言えた事だから、感謝してる。聞いてくれてありがとう」
「……はぁ」
釈然としていない感じだけど、別にいいや。
これは僕の問題。これは僕の話。
全部、自己満足のお話だから。
「お世話になりました。またご縁がありましたら会いましょう」
最後にそうお辞儀をすると、マチルダさんは少しだけ笑った。
――――。
教会を出ると、そこには知っている顔が門にもたれていた。
顔を見た瞬間僕は口を開いた。
「待たせましたね」
と言うと、ご主人様は満面の笑みをしながら。
「いや、俺も今ここに来たんだ」
「お話は通せましたか?」
「勿論だよ」
ご主人様の方でも順調みたいだ。
良かったと胸を撫でおろす。
「それで話したい事ってなんでしたっけ?」
実は、ここに来る前にご主人様に呼び出されていた。
でもその話を遮ってまで教会に来てしまったから、申し訳ない気持ちと共に要件を聞いた。
「まあ大丈夫だよ。さて、本題なんだが」
歩き始めながら、夜更けた路地を進んだ。
そこで僕は、衝撃を受けたのだった――。
「数日前、死神と話したんだ」
余命まで【残り●▲■日】