「ご主人さま? どうしたんですか」
帰宅するやいなや、サヤカにそう聞かれたが。
俺はなんとも返せなかった。
俺は疲れていた。
疲れ切っていた。
胸にある無力感と、ショックの大きさもだし。
その足で王城近くまで行ってしまったからだろう。
流石に肉体的に疲れてしまった。
「えっ」
家の扉を開けて、サヤカに心配されるとは。
俺も中々、ボロボロなんだろうな。
俺は力が抜けるようにサヤカに寄りかかった。
サヤカは抱えようとしてくれるけど、全体重かけると流石のサヤカさんも潰れるので俺は両足で出来るだけ自重を支える。
そんな中、俺の目の前にはふさふさの白髪が揺れていた。
やっと喉に力を入れれて。俺は言葉を吐く。
「すまないサヤカ、俺の部屋……はだめか」
あの部屋の有様をサヤカに見せるわけに行かなかった。
自分の部屋は自分で片付けると言って俺はサヤカに自室への立ち入りを禁止している。
その理由は、俺が親父の事を調べているのを知られたくなかったからだ。
知られたくないから、
知られたくないから、俺はいま、サヤカを頼ってあの部屋に運んでもらえない。
墓穴を掘ったな。
「うっ」
「大丈夫ですか!?」
おっと、気を抜いて両足の力が抜けてしまった。
ダメだな。
もっとちゃんとしないと。
にしても……。
「あぁ、お前、意外と力あるのな」
そう言えば、サヤカは買った時より体が細くない。
つうか腕もわりと太くなっている。
ちゃんと体に肉がある、筋肉がついているのか?
ははっ、掃除と言うのはあまり過酷ではないと思うけど。
サヤカめ、筋トレでもしているのだろうか……。
そんな冗談を言っている暇も無いか。
「ソファに寝かせてくれ、そこで少し眠る。
飯は肉を適当に焼いてくれ、戸棚が二重底になってるから、箸を使って持ち上げれば肉がある」
サヤカでも最近は自分で肉を焼くくらい、出来るようになっていた。
だから秘密にしていた隠し場所を教え、俺はサヤカの心配をまぎわらそうとする。
肉で子供を釣るのは初めての事だけど、肉料理が好きなサヤカならかかってくれるんじゃないかって信じてた。
でもどうやら俺は、メンタルボロボロの影響か思考能力も落ちているらしい。
サヤカは俯きながら言ったのだ。
「ご主人さまの部屋を見ました」
と。
「……え?」
「ごめんなさい。たまたま風で開いてしまい中が見えてしまいました」
……風で開いた?
なんて腑抜けた言葉を頭で呟く。
確かに俺の部屋にある窓はいつも開いている。
だけど、そんなことあるのだろうか。
考えていると。サヤカは矢継ぎ早に口を動かした。
「って言うのが建前で、随分前からボクは知っていましたよ」
「……はっ。ご主人さまの命令を、破ったのか?」
どうやらサヤカは随分前から俺の部屋の有様を知っていたらしい。
まずまず俺があの部屋の有様を見てほしくない理由は二つある。
まず一つに、俺は過去の俺を嫌っている。
一ヶ月前のサヤカと出会う前の俺の事を、無意識の中で嫌っているのだ。
別に理由がない訳じゃない。出そうと思えばいくらでも嫌いな理由が出てくるけど。
それよりも意識的ではなく、無意識に過去の俺が嫌いなんだ。
だから俺は隠そうとしたのだ。
サヤカに過去の俺を。
そしてもう一つ、サヤカを心配させたくなかったんだ。
もう手遅れの話だが、サヤカもやっとこの生活に慣れて来たばかりだ。
きっと俺の個人的な問題なんてこの子は聞きたくないだろうし。
あんまり興味もわかないのだろう。
そう、思ってたんだがな。
「はい、破りました。これも、あなたのためだと思っています」
俺が思っていたよりも強い言葉でサヤカは呟いた。
……子供でも意志がある子はあるんだな。
忘れていたよ。
子供も人だ。
「………」
どうやらサヤカは、随分前から俺の部屋の有様を知っていたらしい。
だけど、俺が隠している物をわざわざ本人に聞くわけにも行かずにいたのだろうか。
でも今日で潮時ってわけか。
流石のサヤカも、俺がボロボロで帰ってきたら問いただすよな。
「……サヤカ、肉は良いのか。俺が、動けないんだ。肉を独り占めして――」
「肉なんていりません。ボクが望むのは、ご主人さまと一緒に食べる時のお肉です」
ふっ……。
思わず、力が抜けるような息が出た。
あの肉好きなサヤカがそこまで言うのか。
そうか、俺は何も知らなかったのか、サヤカの事を。
ずっと子供は無関心で幼稚な存在だと思っていた。
どうして忘れていたんだ。俺は。
流石、親不孝者だな、俺は。
「……ははっ」
これは父親失格だな。
「ちち、おや……」
「え? なんて言いました?」
流石に、意識が朦朧としてきた。
言葉も上手く発せられない。
体も上手く動かせれない。
でも妙に頭だけは良く回る。
酒を飲んだ時の逆みたいだ。
父親失格か。
俺が言うか、それを。
俺が、父親か。
……。
なぁ親父。
子供を知らないって、なかなかきついもんだな。
でも、知らないうちに子供が成長してるってのも、なんか、いいな。
こんな気持ちだったのか、父親ってのは。
俺は自分の朦朧としている意識に鞭を打つ。
足を強く地面につきだし、サヤカの支えを振り切り立ち上がった。
そしてリビングのソファまで歩き、倒れるように座った。
まだ体が重い。
まだフラフラしている。
でもこれだけは伝えなきゃいけなかったんだ。
だから俺は口を動かし、覚悟の言葉を紡いだ。
「目が覚めたら説明する。必ずだ。だから、今は少し休ませてくれ」
「……わかりました。信じていますよ」
俺はそのまま目を閉じた。
――――。
「おい! 出てこいケニー!」
「…………嫌だ」
ドンドン、ドンドン。
そうやって聞こえてくるうるさい音に嫌気が差していた。
何度も何度も叩いてくる親父を、時には恨んだり憎んだりした。
俺は引きこもって、時々部屋から抜け出して、悪いことをしていたのだから。
親父が怒るのは当然だと理解していた。
詐欺とか、盗みとかしていたけど、幸い俺だってバレていなかったから。
親父は俺を追い出さないんだと思っていた。
もう俺に更生の余地なんて無いのを、まだこのクソ親父が気づいていない。
俺自身も更生する気なんてサラサラ無かった。
簡単に人を殺す貴族を俺は好きになれなかった。
少しでいい。親父に謝ってほしかったんだ。
人を殺して悪かったって。
それだけで良かったんだ。
でも現実は違った。
すれ違いのほつれは、どんどん大きくなった。
「開かない、開かない開かない開かないアカナイ!! ケニイいいいいぃぃ!!」
「ちっ!! だまれよクソ爺ィ!!」
時には声を荒げた。
父親はどんどんとおかしくなった。
どんどんと、扉を叩くほどに、おかしくなっていった。
何度も使用人が止めていた。
だけど遂には、使用人に手を出したりした。
そんな親父を見て、俺はまた軽蔑した。
俺が悪いのに、俺は父を軽蔑していた。
どんどんと状況は悪い方へ進んだ。
気づいたら俺は、30歳を超えていた。
別に部屋で何もしていなかったわけではない。
本を読んだり、抜け出して酒を飲んだり、散歩したり。
だけど、最後にはあの家に戻ってきた。
そこしか帰る場所がなかったからだ。
孤独の俺には、それしかなかったのだ。
また今日もドンドンと扉がなった。
その音に俺は立ち上がった。
ゆっくりと本が積み重なった道を歩いて。
そのドアを開けたのだ。
「よぉ」
はっ、この男ひでぇ顔してやがる。
酒臭い部屋から出て来たその顔を見て、俺は心の中で自分に幻滅をした。
「……おめぇ、誰だ」
「お前だよ。お前の十年後だ」
そう言えば、これは俺の夢なのか。
サヤカに寝かせてもらって見ている夢なんだ。
俺の目の前にいるのは十年前の俺で、夢だけど鮮明なこの光景は懐かしの胸苦しさを感じた。
この頃の俺は、
まだ俺が腐ってて。
まだ俺が終わってる時で。
俺は何となく、目の前の俺に視線を向けた。
何だか分からないけど、『チャンス』だって思ったのだ。
「なぁ、ケニー」
『もし、昔の自分に一言だけ言えるなら。人間はなんと言うか』
これはこの世界で有名な著者が残した言葉だ。
そんなの色々あるから正解なんて無い。
だけど、今なら、今の俺なら。
何となく分かる気がするのだ。
「程々に疲れて、程々に泣いて、たまに笑えばいいんだぜ。
それだけで、てめぇの親父は幸せなんだから」
そして俺の意識は覚醒したのだ。
――――。
「……突然どうしたんだよケニー」
金髪の男がそう頭を掻きながらめんどくさそうに言う。
彼、モールスは不貞腐れながらこんな昼間になぜ来たんだと聞いて来た。
元々今日、俺はこいつの家に来る予定はなかった。
いきなり来てしまって申し訳ないと思っている。
でも今日はちゃんと目的があってやってきたのだ。
「モールス、紹介するよ。この子がサヤカだ」
俺の後ろに立っていた白髪の子を、俺は右手で引っ張りだす。
緊張しているのだろうか。
そこは子供っぽいんだな。
「おっ、その子がか!」
モールスが嬉しそうに笑った。
確か、モールスはサヤカに会いたがっていた。
モールスからしてもサヤカと会えるのは嬉しいのだろう。
ほら、サヤカよ。
挨拶しなさいな。
「こ、こんにちは……ボクの名前は、サヤカって言います! よっ、よろしくおねがいします」
少しあざとく言う挨拶に、モールスは嬉しそうに頬を染めた。
分かるよ。子供の健気な挨拶を見たらそんな顔をするよな。
「おうおうよろしくなぁサヤカちゃん。俺はモールス、モールス・ダリックだ。名前は長いからモールスでいいぜ」
「はい! よろしくおねがいしますモールスさん!」
掴みは抜群のようだ。
サヤカの可愛さに心が射抜かれたのだろうか。
まあそんな事はさておきだ。
そのまま俺たちはモールスに連れられ、いつもの部屋に招き入れられた。
相変わらず部屋は掃除が行き届いており。
とても綺麗な印象を受ける。
流石、とここはサーラ師匠の腕前に敬意を払っておこう。
とここまでは順調だ。
次の問題は、さっきも話題に出た師匠がいるかどうか。
「あらケニー様、今日はどんな御用で?」
やはり居ない訳が無いか。
「いやな、突然押しかけてすまない。どうしてもお前に教えてほしかったことがあるんだ」
「はい。なんでも仰ってくださいね」
相変わらずの笑みを返されて、少しだけ心苦しくなった。
そして同時に、懐かしいなと。
俺はサヤカにモールスと話すように伝える。
すると案外モールスがノリノリで王都のお菓子を持ってきたため、サヤカが仕掛ける間もなく会話がスタート。
サヤカも嬉しそうにお菓子をほうばっていた。
嬉しそうで何よりだ。
それを横目に、俺はサーラ師匠と台所へ向かう。
「実はですね、トイレ掃除でわからない部分がありまして」
俺がそう言うとサーラ師匠は背中越しに受け答えする。
「トイレ掃除ですか、わかりました」
「あ、あと」
「はい? なんでしょうか」
サーラ師匠と喋りながら、俺は息を呑む。
まず最初にだ。
――これは俺の希望的観測でしか無いのかもしれない。
だけど、もしそうなら。
もし親父があの馬鹿な親父が。
俺にとことん甘いなら。
俺をとことん心配している父親ならば。
「サーラ、お前は親父の従者だな?」
「…………」
空気が固まった。
サーラは音もなく、ピタッと止まった。
世界の時間が止まるとはこのことなのだろう。
俺も彼女も、何も言えなくなって、ただただ空気が固まった。
正直な所、当てずっぽではある。
だが、一応根拠もあるのだ。
まずはタイミングだ。
サーラがモールスに雇われたのは一ヶ月前。
俺が家から追い出されたタイミングである事。
これで確定は出来ないが可能性としてはあると思った。
そして親父の噂の中で、唯一の病気を本気にしていたのもサーラだけだったし。
思い返すと色々と繋がりそうな部分が多い。
それに何より、決定的な根拠がある。
……あいや、もしかしたら俺の思い違いなのかもしれないけど。
俺が昨日、夢で見た光景の中で、親父を止めようとして殴られた使用人が居た。
そして思い出した。
その使用人の顔が、サーラに似ていたのだ。
それですべて思い出した。
「あの親父が、俺に監視を付けないわけない。
養豚場の時もそんな事をしていたからな。正直証拠は無いけど……確信がある」
「…………」
「なぁメルセラ、お前の主人は何人いるんだ?」
ここで俺のターンは終了だ。
さぁ、お前の番だよ。サーラ・メルセラ。
それが本当のお前の名前だだろう?
「……」
「………」
「よく覚えていらしましたね。坊ちゃま」
懐かしい呼ばれ方をされた気がする。
いや、実際その呼び方は懐かしい物だった。
俺が引きこもってからいつの間にか言われなくなった言葉。
それをお前が俺に対し言うと言う事は。
「……お前が、親父の従者か」
「如何にも」
メルセラはポケットから取り出した髪留めで茶髪の前髪を止める。
オデコが剥き出しになったその髪型は、俺の記憶と完全に一致していた。
そして彼女は言葉を続ける。
「約三十年前、あなたがあの養豚場で殴られているのを当主様に報告し、
あなたの状態を経過的に報告していた従者……。
私がジャック家使用人……いいえ、元使用人。サーラ・メルセラでございます」
――――。
告げられた真実。
やはりあの父親の事だ、今回俺に監視を付けないのはおかしいと思っていたんだ。
よし、そうと決まれば話が早い。
「単刀直入に頼み事がある」
「……内容次第によりますが、聞くだけ聞きましょう」
安心してくれメルセラ。そんな難しい事は言わないよ。
「じゃあ先に聞くが、親父はあとどのくらいでくたばる?」
「……知っているのですか?」
メルセラは驚いたように目を見開かせる。
知らないと思っていたのだろうか?
「バーモク病、だろ?」
「……まだ病の情報は出回っていないはず。なら、どうして?」
「俺だって噂を聞いて何もしていなかったわけじゃねぇ。色々調べてたんだよ。お前から隠れながらな」
「隠れながら?」
「最初からお前は怪しかったんだよ。タイミング的にな」
「……不覚、ですね」
悔しそうに、メルセラは口を噛む。
だが、そんな悠長なことも言ってられないのが現状だ。
俺は今、過去に向き合わなければいけない。
過去に、家族に向き合う必要があるんだ。
時間がない。
サヤカがモールスを引きつけている間、俺はメルセラに『協力』を申し出たいのだ。
「メルセラ、頼みがある」
「……はい」
「親父に会うために、俺は屋敷に忍び込む」
「っ!? 正気でございますか?」
「あぁ正気だ! 正気で正気で! 正気だから親父に会いてぇんだよ!!」
気持ちの焦りが、時間の無さが、俺の気持ちにリンクする。
言葉を荒げたつもりはないけど。
俺は少しおかしくなったかのように、言葉を伝えた。
まずまず、今の俺はジャック家じゃない。
それは親父から言い出した事だ。
今更頼んだところでそれは変えられないし、親父は家には入れてくれないだろう。
だから俺は自分で、親父に示す必要があるんだ。
その成長を、その汗を。
だから、こうしてメルセラに協力を申し出ている。
親孝行したいんだ。
「……」
メルセラはだんまりしている。
何か、心のなかで葛藤でもしているのだろうか。
そうだろうな。
だって俺は、クソ野郎だったんだから。
「……坊ちゃまが、そこまでしたい理由がわかりません」
「そんなもん、あれでも父親だからだよ」
「だからって、あの坊ちゃまが!」
……メルセラがそう言いたくなるのも分かる。
分かりたくもないが。
分かってしまうのだ。
つい最近まで、サーラ・メルセラなんて人物忘れていた俺だ。
つい最近まで全く改心せず怠惰を満喫していた俺だ。
だから、今更どうして家のことが気になったのかなんてわかりっこないし理解できないだろう。
でも俺は、これだけは言えた。
「メルセラ、俺は変わったんだ」
「……変わった?」
「俺は家から追い出されてから、変わったんだよ。それはお前も肌で感じてるんじゃないのか?」
「それは……」
最近の俺をこいつに知らないとは言わせない。
俺は変わったんだ。
サヤカを買ってしまったあの日から。
そんなの、都合のいいことだってわかっている。
今更戻れるはずないなんてわかっている。
だから、示すんだ。
俺はここにいる、俺は変わったんだって。
親父の予想を飛び越えてやる。
あいつにぎゃふんと言わせてやるんだ。
わざわざ忍び込まなくてもいいんじゃないかと思うかもしれんが。
親父に今の俺を知ってもらうためには、そうするしか無いと思う。
わかってくれサーラ、ただ俺は、親父に謝りたいんだ。
「……いいでしょう、協力します」
固唾を飲み込んで、メルセラはそう言う。
「そうか……ありがとう」
「ですが、あくまで私が出来るのは当主様の体調をあなたに知らせる程度です。
私はあなたの監視の任を受けていますが、今はモールスさまに使えている使用人なんです。
だから、私の耳に入ってくるジャック家からの情報を。あなたに伝えることしか出来ません」
「それで十分だよ」
今、噂と言う不透明なものでしか俺は家の事を理解できない。
そういう俺にとって正確な情報の筋があるだけで、どれだけ動きやすいか。
この協力関係は俺のこの計画に必要不可欠だし。
「改めてありがとう。そしてよろしく」
そう言い、俺は手を伸ばした。
これは協力関係の印と言うか、まぁお約束と言うか。
でもこれにも意味のある事だった。
「はぁ……坊ちゃまも、変わりましたね。いいでしょう」
変化の示し。
俺は俺を知る人に、今の俺を知ってほしい。
たった一ヶ月で変わった気になっているだけなのかもしれないが。
俺は今の俺を、少しだけ誇らしく思っているんだ。
過去の俺を知っている人からしたら。
今の俺がどれだけ変化したかで、色々思う所があるだろうから。
俺はこれを恩返しのつもりでやっている。
迷惑をかけて、傷つけて、沢山人を悲しませた。
それに気づけて俺は良かったと心から思う。
それを理解できてよかったと本当に思うよ。
俺は握手をした。
同盟関係の出来上がりだ。
さて、これで大きく進歩する。
あの親父の元まで大きくだ。
親父まで、あともう少しだ。
余命まで【残り328日】