俺は情報屋と名乗る男に会った。
情報屋と言うもんだから、
路地裏のごろつきに秘密の合言葉か何かを伝えると、
「へへ、ついてきな」と悪そうな顔をしながら通されるような厳重セキュリティ。
……だと思っていたんだが。
「あんた。うちにあの忌み家を調べさせようとしているのかい」
思ったより簡単に見つかった。
と言うかこれでいいのか情報屋は。
俺の昔の記憶を頼りに行ったら簡単に会えたぞ。どうなってるんだ。
この国にも情報屋のような裏組織的なのがあるのは噂程度だが知っているつもりだ。
……その情報屋が飲み屋で普通に飲んでいるとは、それでいいのか情報屋。
「頼む。あんたらしか頼めないんだ」
俺は出来る限り真剣にそう頼んだ。
男の見た目はみすぼろしかった。
汚れた学生帽子っぽいのを被っており。
目が帽子で隠れていたので口元が良く見えた。
ギザ歯と言うのだろうか。
喋るたびに見えるギザ歯はどこか恐ろしく感じた。
だが案外喋ってみると。
「そう言われてもなぁ……いつも貰ってる依頼料の倍を貰わなきゃ、俺はやらねぇぞ」
「なんでだよ。いつも貰ってる依頼料でやってくれよ」
「うっせー。休みの日に朝っぱらから飲みに来たら依頼をしに来たと言うジジイが目の前に現れやがる。慰謝料を貰わなきゃやってられないね」
そう溜息を吐きながら男は言った。
ジジイって誰の事だゴラ。
「この際何でもいい。で、依頼料はいくらくらいだ?」
「100,000Gだな」
「邪魔したな」
「え?」
俺は音速を超えるスピードで席を離れた。
流石に無理だ。
いや、無理無理無理。
100,000Gは無理!
だって家より高いじゃん。
サヤカより高いじゃん!
俺には払えねぇよ。
てかそんな金額はねぇよ!!
「あぁ! 待ちな。今回は兄ちゃんが急いでそうだから、特別に値切ってやるよ」
流石に俺の離席に焦ったのか男はそう止めてくる。
特別に値切るぅ?
「いくらくらいだ」
「……特別に、10,000Gでいいぞ」
「買った」
と言う事で、俺は話に乗った。
即決よ即決。
もう一度ここで集合と口約束をし、明日お金は払う事になった。
お金はトラブル防止の為に情報を渡す前に払ってもらうらしい。
案外トラブルを気にしているんだなと心の中で思ってみる。
「………」
信じていいのだろうかと一瞬不安になったが。
今は色々切羽詰まっている。信じた方が今のメンタルに良い。
で、後々後悔した。
最初に多額の額を提示して後々安くするというあるあるのやり方に引っかかってしまったと遅れて気づいた。
とんでもなく恥ずかしくて死にたい気分だ。ほっといても死ぬのにな。
はあ、あの男策士だな。
これはやられたぜ。
つう事で情報屋との邂逅を終え、俺は仕事へ向かう。
どんなに切羽詰まっていても仕事へは行くのだ。
それが社会人と言う者さ。
キリッ。
「モーリー食堂、開店だよ」
そんな宣言から数時間後。
すでに日は落ち、大人な客がお酒を飲みに来ている時間になった。
この時間になると子供の客は殆ど居なくなり。
来るのは疲れ切った大人たちだ。
ボロボロの工場勤めの男や正装をし上品な格好をしている男も来店してくる。
食堂。とはいうが夜になるとここはバーみたいな品を出す。
お酒は勿論、おつまみまで常備している。
ここはとにかくロンドンの料理の幅を評価しておこう。
「おいケニー! 1番と5番だ!」
「あい」
朝は朝で忙しいが、夜は夜で別の忙しさが待っている。
接客は楽しい事ばかりではない。
相手が大人になればなるほど、難しくなる。
これは初めての経験だったが、思ったよりおかしな人と言うのは身近にいるらしい。
よぼよぼのおじいさんから難癖付けられるのも日課になっているし。
忙しさから注文を間違え客から怒られたりする。
一応街から少し離れた食堂なんだが、団体客が来る程度には繁盛していた。
恐ろしいぜ、これ、三人で回してるんだぜ。
「あんたも、この時間帯の忙しさに慣れてきたね」
と、モーリーさんは食器をせっせと片付けながら言う。
そうなのだろうか。
いいや、客観的にみたらそうなのかもしれない。
最初の俺がこの重労働をこなせるかと言われれば自信がない。
「まぁここではもうお世話になりっぱなしだからな。給料分の仕事はするさ」
「男前だね」
何が男前だ。
お前の男の好みだろ。
そんなツッコミを入れながら俺はお皿をしまう。
「やっとこの時間を乗り越えたね」
「いやぁ、流石の忙しさだな」
そう息を零すと共にタオルで汗を拭く。
時刻は既に9時半。
繁盛し、一番部屋の温度がハイな時間は過ぎ、落ち着きを思い出してきた頃だ。
俺でもモーリーでも汗だくで疲れ切っている。
思わず呼吸を忘れる時間を乗り越え食堂に残ったのは。
遅くまでお酒を飲んでいる酔っぱらい連中だ。
「ぱーてっやろおおぜえ!!」
「がははは! 飲みすぎっすよせんぱぁい!」
「ほいほい。おっとと!!あはは!」
安定の馬鹿騒ぎだがすでに店に残っているお客さんは彼らだけだから許している。
なぜそんな事が許されているかと言うと、
こいつらはある程度立場が上の人間らしい。
社長、会長、上司とかそういう類のまあまあストレスが溜まり忙しい職種の人間たちだ。
モーリーはそういう忙しく精神的に来るお仕事の人に対して楽しめる場所作りをしているらしい。何とも優しい政策だと少し感心する。
俺はストレスが溜まる仕事を経験した事がない。
だからだろうか。
遅い時間に疲れ切った様に来店しお酒を飲みながらみんなで楽しそうにワイワイしている光景を見ていると、「これが普通か」と何だか新鮮と複雑が両立した気持ちになる。
ちなみに、うるさく騒いでいるが他のお客がいるときは流石に静かにしてもらっているぞ。
迷惑だからな。
「まったく、バカばっかりださね」
あんまりお酒を飲まないらしいモーリーはそう笑顔で言う。
軽蔑などは含まれていない。あくまで羨ましそうな口調だ。
「…………」
俺も一度でいいから同年代の人と騒ぎたい。と言う欲が生まれてきた。
まずまず同年代の友人が居ないのが問題だがな。
モールスは同年代のようなものだが、あいつは一応年下なんだ。
36歳だっけ。
ああ、思えば最近その年下に年上の俺が迷惑ばかりかけている気がする。
申し訳ないな。
今度お礼をしよう。
「あ、そう言えばケニー」
「ん?」
「あの酔っぱらいにも噂を聞いてみたらどうだい? あの人ら、あれでもどっかのお偉方らしいよ」
ああ、確かにお偉い方ならジャック家の噂を知っていたりするのだろうか。
考えてみればそうか。
ジャック家は魔法大国グラネイシャに位置するここ『北の街』の産業と深い関わりがあったと聞く。
俺はあんまり知らないが。
親父は昔、良くそれが理由で外出していた。
「ちょっくら聞いてくる」
ここらへんの人で結構立場が上の人なら。
少なからず、ジャック家の噂については聞いているのだろう。
有力な情報を得られれば。親父にも近づける。
「あいよ、あんたも巻き込まれちゃいかんからね」
俺が前に歩くと、そうモーリーは言い聞かせるように言ってきた。
「え、何にです?」
「あのバカ騒ぎにだ」
「あー。はい」
何を言っているのだか。
俺は確かに酒豪と言われていたが今の俺は違う。
俺はもう殆どお酒を飲まなくなったのだ。
酒は飲んでも吞まれるな、俺は酒に操られるなんて事は決して、断じてない。
数分後――。
「うめぇ! うめぇよこの酒! モーリー、酒をもう一杯だァ!」
「ちゃんと巻き込まれてるじゃないか!!」
ああ、顔が熱い。
モーリーの強烈なツッコミが頭に響くぜ。
少しの時間だけと思い高を括っていたが。
連中が「どうぞどうぞ」してくる酒を一口飲んでしまったらこのざまだ。
なんて野郎だ。いいや、俺にしては良い前振りだったかもしれない。
「――――」
とは言ってもモーリーの冷たい目線は無視できなかった。
反省します……。
「あの、聞きたいことがあるんですけど」
それから数分、俺は酒の酔いを完全に覚ましてから改めて話を聞いた。
相手の人数は4人。それぞれに聞いていこうと思う。
「あぁ? なんだぁ、酒以外の話か? 聞いてやろうじゃないか」
どうやらさっきの流れで気に入れられていたらしい。
これは好都合。だが。
俺よ、嬉しいのか恥ずかしいのかどっちかにしたかったよ。
「じゃあ遠慮なく、ジャック家の噂は知っていますか?」
「――――」
その瞬間、わかりやすく雰囲気が変わった。
連中の呼吸がすぅーと引いていき。
と言っても堂々としていた。
目も泳いでいるわけでもなく冷静な目だった。
「知っているさ。だが、それがどうしたんだい」
と、メガネを掛けた連中の一人が言う。
何だか聞いてはいけない事を聞いたようで少し気まずい。
だがここまで来たんだ。聞くしかない。
「……俺はグラルさんに借りがあって。その噂を聞いて、本当かなって」
あえて息子と言うのは隠して行こうと思う。
なんというか、これは自己防衛だ。
勘当されたケニーはもしかしたら噂になっているかもしれない。
「お前があの噂の」とは言われたくなかったのだ。
俺も、丸くなったな。
「そうか、まぁ別に話した所であれだがね。色々あったらしいじゃないか」
色々。とは俺の事も含まれているのだろう。
俺が追い出された件もそうだしそれ以外のことももしかしたらあったのかもしれない。
俺が昔犯罪に手を染めた事も含めたら、案外知らないところで悪い噂が飛び交っているのかもしれないし。
はあ、我慢だケニー。
覚悟はしていただろうケニー。
俺は親孝行をするんだ。
「グラルさん、ご病気らしいじゃないか」
「……え?」
「あぁ、確か病名までは知らねぇが。
深刻な病で、もうベットで寝たきりってうちの商人会では噂だよ」
と、補足をするように。小太りのおじさんが言う。
俺が鳩に豆鉄砲を食らったような顔をしている横で話が進んでいった。
まて、でも、違うかもしれない。
そうだ。噂に元々病気はあったんだ。
「病気……ですか。病名まではわからないんですよね」
「少なくとも、俺達にはわからねぇ。
だが、あの人が、俺たち商人会にやってくれた事を大きい。
取引が出来なくなると、我々も困る」
本気そうな顔だ。
今まであんまり信憑性のない話だと思っていたが。こうなってくると話は別だ。
まさか、病気……?
そんな様子は無かったぞ。
一切無かったぞ。
どうしてそんな事になっているんだ。
いつから親父は病気だったんだ。
でも、俺も魔病で、それを親父が追い出して。
は?
どういうことだ。
「もっと、詳し――」
「残念だがこれ以上は我々も知らないんだ。すまない。役に立てなくて」
俺がもっと情報を求めると、男には申し訳なさそうにそう言われた。
ああ、もしかしたら俺の反応とか見て。
同じようにグラル、親父に恩がある人物だと、思われているのか?
ああ、うん。
「……あぁ、そうか。わかった。ありがとう」
「いいんだ。あんたも、グラルさんに恩があるなら。思うくらいはやってやらなきゃいけねぇ」
「…………」
「忌み家忌み家とは言われているが。四十年前、あの人がここらへんの産業を盛んにさせ、色んな施設を作ったんだ。仕事人の俺たちには、びっくりするくらい大きな恩があるんだ」
男はそう力強く語った。
……そう、だったのか。
俺が生まれる前の親父は、そんなに色々やってたのか。
知らなかった。
本当に、知らなかった。
病気の事も、親父が尊敬されていることも。
俺は、親父の事を、何も知らなかったのか。
「………」
今じゃないな。
こうして話を聞いているんだ。
色々頭の中の整理をつけるのは後にしよう。
とにかく今は、
「ありがとうございました」
何故だか分からないが。俺は頭をいつもより長く下げていた気がする。
「おっ。どうした畏まって。頭を下げるな、もう酒を飲んだ仲なんだ」
その商人会の会長と名乗る男連中は笑った。
なんだろうか、この湧いてくる感情は。
ロンドンに言われた忌み家の時に湧いた感情とは、毛色が違う。
嬉しいんだ。
親父が尊敬されているのが嬉しいんだ。
俺って結構、親父が好きなのかもしれない。
「確か、ケニーと言ったね」
俺が話を終え、商人会の連中が食堂を出ようとしたところだった。
最初に話を聞いてくれた。
メガネを掛けた細身の男性が話しかけてきた。
「はい。そうですが、どうしましたか?」
一応酒を飲んだ仲とは言ったが。
俺もモーリー食堂の従業員。礼儀は忘れちゃいけない。
だがそんな気遣いも、すぐに消え失せた。
「話がしたい。グラルさんの事を、もっと知りたいのだろ」
男は連中の中の一人、メガネの男だった。
話がしたい。そう言うメガネの男は真剣な眼差しをしていた。
酒の席と言うのはあくまではめを外す場ではあるが、同時に真面目な話をする場所ではない。
だからこそ、帰る時、外でそう話しかけてくれるこの人は。
何か相応の話を。情報を持っている気がした。
「仕事終わりに、モルス通りにあるギルドに隣接している洋服工場まで来てくれ」
「……わかり、ました」
食堂の仕事はすぐ終わった。
だって連中が最後のお客だったんだ。あとは片付けだけだ。
いつもならさっさと終わらせて家に帰るのだが。
今日はどこかふわふわしたような感覚だった。
何せまだ頭の整理が出来ていないからだ。
片付けを終え、俺は食堂を後にした。
だが今日の俺はいつもと違う。向かう先はサヤカがいる家じゃない。
「――――」
驚いたのだが、その場所はサヤカを買った奴隷オークションがあった場所のすぐ隣だった。
ギルドの隣と言うことで察すべきだが。
俺に記憶力が無かったって事だ。
男は洋服工場の前に立っていた。
「よく来てくれた」
「どうしてこんな所まで呼んだんだ」
この男が何者かは知らない。
だが、親父と何かしらの関係があった人物な訳だ。
年齢は多分俺と同じくらい。どこで働いているかは知らない。
だがメガネをしている男は、その瞬間、メガネを外し。
「単刀直入に聞こう。ケニー・ジャックであってるよね」
「……」
驚いた。
俺は引きこもりだったから、ジャック家の人間として表舞台に立ったことは小さなときしか無い。
小さな時と言っても、本当に十代とかそこらだ。
だから、ジャック家の人間とはあまり知られていない方だとてっきり思っていた。
一体いつからバレていたのだろうか。
いいや、俺を元から知っていたのか?
「なぁに、私は数十年前、ジャック家にお邪魔したことがあってね」
「…………」
「その時、君にあった事があるんだよ。まぁ君も私も小さかったから曖昧な記憶だ。
最近家から追い出されたと聞いた。君なんだろうケニー」
ジャック家にお邪魔したことがある?
数十年前。そして俺と会ったことがあるなら、俺が引きこもる前か。
覚えてないな。
「……良く俺だとわかりましたね」
「昔の君と大分雰囲気は違うが、敬語の使い方が昔と変わっていない。
敬語、苦手なままだろう。敬語を喋っている時、君は必ず顔が引きつるんだ」
男は淡々と解説してくれた。
ほぇ、そんな癖があったとは俺自身知らなかった。
「……….」
いいやそんなことよりこの人は誰なんだ。
何者なんだ。
そんな細かいところを覚えているなんて、一体。
何を知っているんだ。
「始めまして、私はカロスと言う者だ」
メガネをクイッとし、細身の男性は貴族の挨拶をした。
貴族の挨拶はぱっとみで分かる物ばかりだ。
つまり彼は結構な家の出って事か?
「……そのカロスさんが、俺に一体どんな用事ですか?」
「君があの親父さんに何をしたいのかは何となく察せる。聞きたいのは、勝算があるのかと言うのだ」
「勝算?」
「あの屋敷に忍び込むんだろう?」
「……お見通しってわけですか」
あの屋敷。
俺の慣れ親しんだ、あの家だ。
あの、実家だ。
言われた通り、そこに俺は忍び込むつもりだ。
正直勝算はない。
無いがなんとかなると思っている。
「勝算はありません」
「そうか、なら出たとこ勝負ってわけだね」
「はい」
そう言うと、カロスさんは薄く笑った。
「成功の糸道なら私が張れる。
だから、全てケニーくんに賭けてもいいと言うなら。
伝言をあの人に伝えるという条件で協力してやっても良い」
酷く上から目線だと一瞬思ったけど。
考えてみれば条件は良かった。
今まで出たとこ勝負、成功の確率は神次第って言う方針だったが。
糸道でもいい。少しでも成功するなら協力しよう。
「頼んでもいいか?」
「あぁ、勿論だ。じゃあ話すか。糸道と言う道を」
――――。
翌日。
言っておこう。
あのカロスと言う人間を完全に信用したわけじゃない。
何なら俺はまだ病気というのを疑っている。
あの元気な親父が、病気になったなんていまだに信じられないからだ。
予兆は無かった。
でも、周りの情報がどんどんと病気の線へ向かっている事が。
とても気がかりだ。
「――――」
なんでか分からない。
でもどこか胸がモヤモヤする気がする。
それをちゃんと、言語化出来るかと言われれば今は出来ない。
「よぉ、待ったかい」
俺はあの場所、情報屋と邂逅した飲み屋に向かった。
その入口の前に男は立っていた。
相変わらずの古い学生帽。分かりやすかった。
「さぁ、情報を買わせてもらうよ」
情報屋の男は名前は明かさない主義なんだそうだ。
仕事柄隠したほうが色々楽なのだろう。
「ジャック家を洗ったんだが、色々出てきたぞ。先にお代を貰おうか」
開口一番そう教えてくれた。
『色々出てきた』実に気になる文章だ。
やはり裏があったのか?
血縁の俺ですら知らないのは少しおかしいがな。
あいや、引きこもっていたからかもしれないな。
いないような物だったし……。
金を払うと、やつは仕事をする顔になった。
へらへらとした態度は消えて真剣な顔になった。
「まず、ジャック家の豪邸。あそこで先日、使用人が怪我をしたそうだ。幸い使用人の怪我は浅いが、その噂が出回っていた」
「使用人が怪我? 理由は分かるか?」
「そこまではわからねぇ。ただ、出回っていた噂だ」
……まさか、使用人の怪我が広まり。
大きくなった結果がクーデターとかではないだろうな。
だとしたら話が広がりすぎだ。
と言ってもそこまで広がるのが噂の厄介なところか。
一旦、これでクーデターの線が潰れたと考えておこう。
「あと、ジャック家の終わりで洗ったんだが。最近あの豪邸に医者が出入りしていると言われている」
「医者か」
医者か。
やっぱり、そうか……。
「そしてジャック家当主、グラル・ジャックの情報なんだが」
来た、本題だ。
あの父親の事だ。
平気な顔をしてピンピンしている可能性もある。
昨日のカロスさんの話を信用しないわけではない。が、あの父親だからだ。
気難しくって不器用で親バカな父親だから、案外元気にしているんじゃないかと。
……元気にしているんじゃないかと。
俺を追い出せてスッキリしているのではないかと。
「バーモク病と言う難病で。
ここ数日は寝込んでいるそうだ。
医者にも余命宣告をされているらしい」
「……は?」
「バーモク病ってのがわからなかったんだが、そこはお前が調べてくれ」
情報屋の男はそう資料をペラペラと捲りながら呟いた。
「………」
バーモク病?
寝込んでいる?
…………。
……余命宣告?
何が何やら意味がわからないだろ。
どうして、そんな病気に……?
あの、気難しくって親ばかな……はぁ?
そこからの事はよく覚えていない。
なんだか色々小さい情報を教えられたが、全く頭に入ってこなかった。
情報屋は全ての情報を俺に教えると男はそのまま街の渦に消えて行った。
俺は、残された飲み屋で、思わず止まっていた。
数分立っていたと思う。
顔面蒼白で、真っ白になりながら。
そして唐突に、
「……バーモク病」
俺はその足で、財布に入っていたお金を使い馬車を借りた。
殆ど衝動的だったから。詳しい感情の詳細を、今ここで話すことは出来ない。
少し遠く、厳密に言えば、『魔法大国グラネイシャ 王都』に存在する建物へ向かった。
王都までは半日ほどで行ける。
値段もそこまで掛からない距離だ。
北の街は一番王都から近く、同時に海が近い。
行った事は無いが、人生で一度くらい海に行きたいなとここで隙間語りだ。
俺は『大魔法図書館』と言う場所に駆け込んだ。
天井が高く開放感がある室内。数々の魔法学に関する本がある中を俺は走り抜ける。
一応だが来るのは初めてだった。
初めて見る光景に目移りすることもなく。
サヤカと来れば、サヤカは喜んだであろう景色を無視し。
俺はバーモク病について記述してある本を握った。
案外本棚の奥底にあった。
【世界の病気】と言うタイトルだった。
この大魔法図書館は広く、二十階も高さがある場所だ。
そこの深く地下三階、『難病コーナー』にある本だった。
「はぁ、はぁ、はあ」
俺は本を手にした時点で思わず息が出来なくなる。
ここまで何も考えず無我夢中だったからだろう。
とにかく目の前が真っ白になりそうなくらい。酸欠だった。
「…………」
少し深呼吸をしていれば案外何とかなった。
自分の体力のなさを呪いながら、俺は近くにあった椅子に腰を下ろす。
「……っ」
本を開いた。
もくじでバーモク病のページを見つけ。
三百四十五ページを開いた。
記述をそのまま読む。
バーモク病。
『東部サザル
数千年前、その感染力でサザル王国を脅かしたが、特効薬の開発により集団的に免疫が生まれる結果となり。流行りは消えた。
だが特効薬は一度感染したバーモク病患者は治せず、またその命を救う事は出来ない。一度感染した後、十五年と言う長い年月を無自覚で過ごし他人に感染させる。
症状は最初の十年間は無症状であり。十年後、発症。そこから、じわじわと全身の自由が効かなくなる。
原因は不明。数千年前、様々な薬草や魔法を調合し半世紀掛けて特効薬が作られた。
特効薬により免疫を持ったことで流行りは消えたが。既に感染した人、魔族の中で十五年のタイムリミットを超えた者は存在していないとされる。
歴史上では『魔王の進行』の次にサザル王国最悪の犠牲者数として『無罪の血』と異名を付けられ言い伝えられる。
俺は読み進めて行った中で、ある部分を、気が付いたら何度も読んでいた。
感染した場合の余命。
十五年。
「十五年……?」
そのワードを聞いて思い出した事があったのだ。
「そう言えば十五年前。俺たち兄妹と、使用人は健康に良いと言う理由で、注射を打たれた……」
当時は不思議だった。
だが殆ど無理やり打たせられたあの注射を、もし、もし。
……特効薬だったとしたら。
線と線が繋がった気がした。
頭の中に存在した妄想が崩れて、父親の像が全部壊れて。
そしてやっと自覚した
親父は本当に死ぬんだと。
余命まで【残り329日】