「さて、始めるぞサヤカ」
「はい!」
思えばサヤカと出会ってからまだそこまで時間は経っていない。
三日か四日一緒に居るだけなのだが。
それでも俺は、自分自身の変化に気が付くことが出来た。
俺がここまで本気で色んな事を学ぼうとしたのは。
人生で初めてかもしれない。
「まずはほうきの場所だが、風車を出てシャワー室の横に立てかけてある」
「はい!」
「ほうきを使い終わったら、必ずここのシャワー室の横に立てかけること。
雨が降りそうだったらそこの壁の取っ手を引っ張ると出てくるスペースに入れること」
「はい!」
ほうきが濡れてしまったら大変だと、サーラさんが教えてくれた。
理由はほうきが水に濡れてしまうと使いづらいのと、素材が木の場合腐ってしまうらしい。
確かにその通りだと頷ける。
いい勉強だ。
そのままサヤカと家のリビングに移動する。
「使った食器は石鹸とスポンジを使い優しく磨く。スポンジは一ヶ月で買い換えること」
スポンジの原材料は特別な薬草を加工しているらしい。
そしてその薬草は、一ヶ月で寿命を迎えるとサーラさんは言っていた。
俺はこの事を知らなかったので、昨日新しいスポンジを買っておいた。
スポンジは安いのだと寿命が少ないらしい。
だからちゃんとした物を購入した。
お金が無いのは重々承知だが、初動の勉強でお金のことを考え始めたら色々後で狂いそうだ。
と言う事でまずはお金のことを一旦忘れ、取り組もうと言う事になった。
「あと、洗っている間は食器が滑って落とさないように気をつける。
最初の方は俺も食器を洗うから、一緒に覚えていこう」
洗い物と言うのは初めてだとぎこちないものだ。
だから先に教わった俺が一緒にそのやり方を覚えていけば。
不器用なサヤカでも少しずつ覚えられるのだろう。
サヤカもうんうんと頷きながら実践していく。
天性の何とかと言ったが訂正しよう。
やはり教え方が全て、教え方次第ではそれが得意分野になる。
今回のは殆どサーラ師匠の技術だが、こうして教わった物を人に教えるのも中々楽しい。
「次はほうきを持って2階に上がるぞ」
「はい!」
一気に叩き込むのはあまり良くない。
だから、少しずつ仕事を増やし。
出来ることを覚えてもらおうと言う作戦だ。
だから細かい仕事、主に魔石の取り換えや料理などの癖がある作業に関しては俺がやることになった。
追々教え、サヤカにも出来るようにさせる。
これが一番ベストだと考えた。
階段を駆け上がり。
俺はほうきを構えた。
「ここの階段は段差が急だから気をつけること」
「はい!」
「あと、もし何かがあって、ほうきが天井に突き刺さった場合だけど」
「……はい」
「このほうきに、小さな紐を括り付けておいた。それを引っ張れば刺さっても手元に戻すことが出来る」
「え! そんなことが出来るのですか?」
いやぁ、本当によかったよ。
え? 何がって?
サーラさんもほうきを天井に刺したことがあってだよ。
なぜだか理解は出来ないが、あるあるらしい。
もしかしたらサーラさんも元々ドジっ子だったのかもしれない。
そう思うと見る目が変わってきそうだ。
「これで階段上から段ごと順番にホコリを落としていく、そしてホコリはそこの箱の中に集めて」
「ふむふむ」
「これをこうして、こうすると良いらしい」
言葉の説明が疎かなのは許してほしい。
ちゃんと実践して見せているから、想像に任せるよ。
「なるほど、そうすればホコリが散らかることも無いですもんね!」
「あぁ!そうゆうことだ!」
今初めて芽生えた感覚なのだが、
人に物事を教えるのはなんだか楽しい。
そして新事実なのだが、サヤカは異常に物覚えがいい。
物覚えも勿論だが、物事の理解も早い。
だからこそ、教えがいがあった。
下手したら、こいつは俺より優秀だ。
だって、最初俺もサーラさんに教えてもらったんだが。
理解できない事が多々あった。
だが、俺が理解していなかったことまでサヤカは理解し覚えていく。
その日、俺のお掃除スキル伝授の会は半日で終わった。
なぜなら、サヤカの理解力が尋常ではなかったからだ。
一度教えればちゃんと理解する。
俺の場合、お掃除スキルをサーラさんに教わった時。
丸一日かけて今回の事を教わった。
それをたった半日で済ましてしまうとは、サヤカ、恐ろしい子だわ。
「皿洗いどうだ?」
「なんか変な感じですね。手がブクブクしてて」
「あはは、そうだな」
二人でキッチンに並び、ゴシゴシと泡で食器を磨く。
思えば、俺も初めて皿洗いというのをやるが。
案外楽しかったりした。
汚かったものがどんどんキレイになる快感。
どうしてもっと早く知らなかったんだろうか。
そんな風にまで思い始めた。
そしてふと、こんな言葉が飛び出した。
「今日は贅沢するか」
「贅沢ですか?」
「あぁ、奮発していい肉でも買ってくるよ」
「お肉ですか!! やった!」
肉の調理方法もついでに教えてもらった。
サーラ師匠は本当に素晴らしいお方だ。
大昔焦がした経験から肉料理だけはさせない方がいいと釘を打ってきた俺だが、
師匠の完璧な指導のお陰で俺はその苦手意識を完全に払しょくできる程成長した。
ん、待てよ。
そう言えばサヤカは。
今まで奴隷だったからだろうか、あまり贅沢な食事を食べたこと無かったのだろう。
そうなると、お肉とか食べた時の反応が楽しみでもある。
飛び上がりながら叫んで泣いて喜ぶだろうか。
……そう言えば俺も、肉はいつぶりだろうか。
あの家にいるときも肉はあまり食べなかったし。
この家に来てからも、簡単な料理しか食っていない。
と言うか、料理のレパートリーも増やしたいな。
手間をかけるが、サーラさんに頼むとするか。
さてさて、結果から話そう。
家の家事のうち、洗い物、草取り、掃除はサヤカの仕事となった。
他の事にも後々手を出すが、今はこれだけで上出来だろう。
最初に比べたら目まぐるしい程の進化を遂げている。
今後どうなるか分からないが、今は花丸をサヤカに付けるべきだな。
この家もまだ買ったばかり、掃除が行き届いていない場所もあれば。
まだ俺の知らない部屋もあるのかもしれない。
最近までシャワー室の横にある壁にちょっとした掃除道具入れがあるなんて知らなかったんだ。
そしてこれは嬉しい事だが。
少しずつだけど、サヤカが笑うようになった。
心を開いたのだろうか。
それとも自分が売られないと言う安心感があるのだろうか。
どちらにせよ笑ってくれれば俺は満足だ。
可愛いしな。
「…………」
だが、俺達の前には、次なる壁が生まれた。
「どうしたのですか? ご主人さま」
日が落ちて来た。
数日前に半壊したリビングは新品同様にリフォームされ、最後の割れた食器を片付け終えた場面だった。
俺はある事に気が付き、静止していた。
そんな俺にサヤカは階段から降りながら話しかけてきたのだ。
恐る恐る俺は振り返り、サヤカと目が合った所で。
「いやぁ、実はな」
「はい?」
「金がやばい」
「……え?」
そう。
ここ数日、色々買い物をしすぎたのだ。
元々は200,000Gと言う、まぁまぁな量のお金を貰っていた。
だが、新しい家と台所用品で約100,000Gを使い切り。
お酒とか飯でその内30,000G が飛んでいった。
ケニー最初期の豪遊と奢りの結果だ。
そしてサヤカで50,000G……。
それからありとあらゆる物が二人分必要になり。
現在の所持金――10,000G……。
「……肉は、贅沢しすぎたな」
そう言う俺の目の前には買われた肉が鎮座していた。
にくにくしく、そこにドッと座っている姿はまさに黄金。なのだが。
今の俺からしたらそれは絶望の象徴でしかなかった。
しまった。
そう言えば俺はこうゆう、金銭面の整理は大の苦手なのだ。
気づいたら散財している。
元々お金は家のお金を使っていたからだろう。
自分で稼ぐと言う事をしたことがないからだろう。
なんてことだろうか。
これは俺の大失態だ。
「えっと、どうするんですか?」
「肉屋は閉まった。返品とかは出来ないから食うしか無い」
「そうではなく、今後のお金とかは……」
「……そう、だな……今ではなんとも言えないが」
「…………」
「俺が、なんとかしてみるよ」
そう言うしか無かった。
というか、俺が働けばいい話なのだろう。
そう、働けば……頭が痛い。
俺は過去に、働こうとして大失敗をしたことがある。
それが原因で、超が付くほどのろくでなしになった。
それを話したところで、サヤカはどうすることも出来ないだろう。
子供にお金を稼がせるわけに行かない。
「とりあえず、肉を食おう」
現実逃避ではない。
ただ、目の前の黄金に集中することにしただけだ。
………。
今は少しだけ幸せそうなサヤカを見ていたい。
それが本音だ。
本当なら今すぐお金の事を考えなきゃいけないのだろうが。
次から次へと悪い内容を話しては家の雰囲気も良くないのだろう。
今日の所はもう頑張った。
「え、お肉、買ってきたんですか?」
すると、そう疑問の顔をしながらサヤカは頭をかしげた。
……ん?
なんか俺変なことを言ったのだろうか。
お肉はほら目の前に。
「こ、これだけど」
目の前の肉に向けて指を指す。
するとサヤカさんの瞳がうるうると震えて。
「これが……お肉と言うのですかっ……!」
涙をこぼしそうになりながら机にへばりつく。
そこで俺は初めて知ったのだが。
サヤカは肉と言う物質を初めて目にしたらしい。
サヤカの今までの人生は、
なんて過酷だったのだろうか……。
――――。
「ほら、これがステーキだ」
そう言い、俺はフライパンで焼いたステーキを皿に移す。
我ながらうまく調理できたと思う。
自信作だ。
師匠は偉大だ。モールスにも感謝をしなければな。
「ご主人さま」
「ん? なんだ」
「お肉って黒いんですね」
「そうだ、焼いたら黒いんだぞ。だが中を切り開けば。ほら、良い色してるだろ」
「ほぉ――!!」
目をとろりとさせながら。
口から垂れてきたのはサヤカのよだれだった。
どんなけ美味しそうに見えているのだろうか。
サヤカさんフィルターで黄金がプラチナ並みに輝いてそうだ。
はて、俺も肉を初めて食べた時、こうゆう風だったのだろうか。
「サヤカよだれ」
「あ、すみません」
サヤカはお肉から目を離さず。
服の袖でよだれを拭いた。
プラチナよりも追いかけたくなる蝶の方が近いのかもしれない。
「食べて良いのでしょうかご主人さま」
「いいやまだだ」
「えぇ……」
サヤカを見ると、今にも皿ごとかぶり付きそうな雰囲気を出している。
こら、どんどん前のめりになるな。
「サヤカよ」
「はい」
すっ、と切り替えるように俺に振り返る。
おいおい。
黄金でプラチナな蝶よりも俺の言葉に耳を傾けてくれるなんて、なんて健気でかわいい子なんだ。
と、心の中の溺愛はここまでにして。
「この状態ではまだ味がついていない」
「味? 味って元からついているんじゃないんですか?」
「まぁ、素材の味を楽しむのも結構だが。そこに一手間加えるのが人間なんだよ」
と、肉を買ってきた時に。
ついでで買ってきた塩を取り出し。
さっさっと。
「……!!」
おお、良いリアクションをするじゃないか。
やはり新しいことを知っていくサヤカは可愛いな。
目の保養、いや、脳の保養だ。
これは健康に良さそうだ。
「これで完成だ」
「完成ですか!!!」
犬がしっぽ振るようにサヤカもワクワクキャッキャしている。
だが早まるなサヤカよ、犬の様に「はぁはぁ」しても肉は食えないさ。
「ナイフで切らなきゃ食えないんだ」
「ナイフですか! これどうするんですか? こうです……かあああああ!!」
「バカ! もっと落ち着け!」
何という慌て様なんだ。
ナイフの刃の方を持ち手だと勘違いしちゃだめだろ。
あぁ、ほら血が。
なんてこった。出血だ。これはグロテスクすぎる。
「い、痛いですぅ!」
「落ち着け!! 早く手を貸しなさい!!」
サヤカよ、
その程度で涙目になっちゃだめだぞ。
この世界で傷無しに生きていくのは難しいからな。
By引きこもり。
「ほら、手を貸せ」
全力で顔を横に振っている。
何をすると思っているんだサヤカさんよ。
「痛いことはしないから、治してやるよ」
「……な、治せるのですか?」
と言うと恐る恐る小さな手が伸びてきた。
よし、その調子だ。あんよが上手あんよが上手。
俺は胸を張り、片腕を前に出した。
さて、出来るかな。
「――世界のマナよ、人の痛みを癒やし、清らかな加護を宿らせろ」
感覚がした。
魔力が集まっていく感覚だ。
そのまま俺の右腕は光を帯びて、淡い光はサヤカの腕を癒やした。
その次の瞬間、俺は詠唱を言い終えた。
「――【魔法】ヒール」
「……あれ」
「ほら、これで傷は塞がったぞ」
傷から出血した血を紙で拭き取る。
すると、そこには先程の痛々しい傷は消えていた。
俺はこれでも中級までの魔法は使えるんだからな。
あいや、使えたが正しいな。
今使えるかどうかは知らない。数年前から魔法は使っていないからな。
「これ、なんですか……?」
「魔法だよ。いつかサヤカも使えるさ」
魔法。
世界に広がっている不思議なエネルギー『魔力』がもたらす力の事だ。
魔力は人が扱える最強の武器だと俺は思っている。
鍛錬をすれば、初級から始まり、中級、上級、そして神級とランクが上がっていく。
俺も小さい頃は少しだけ神級に憧れを抱いていた時代があったが。
でも古い話だ。
魔力を使うには『魔力開花』を行わなければいけない。
魔力開花とは『空気中に飛んでいる魔力を取り込み、吐き口から排出する』
と言う魔法を使う上で当たり前の行為が出来る状態になる事。
それを魔力開花と言う。
大体、平均的な魔力開花は10歳程だがそれは人によって差が出やすいらしい。
俺は一応、9歳からの魔力開花だ。
とりあえず、ここで長々と魔力と魔法の仕組みを説明する暇はない。
「さぁ、肉を食うぞ」
「はい!」
魔法が使えるからなんだ。
この世界では当たり前の事だ。
使えない人間の方が珍しいくらい。
「いただきます」
と俺は手を合わせた。
するとサヤカは不思議そうな顔をしながら。
「いた……だきます?」
「生き物の命を食べるときは、ちゃんと感謝をするんだ」
奴隷商人はそれすら出来ないのか。
ろくでなしも良いところだ。
俺が言えた事がどうかは知らねぇけどな。
ろくでなしにも種類があると俺は思う。俺はあくまでマシな方だ。
と、自分で自分を棚に上げる。
哀れだと後々虚しくなるのも知らずに。
「いただきます」
「いただきます」
ナイフで小さく切り分けられたステーキをサヤカが口に含む。
大きく口を開き、それを口に入れた瞬間。
サヤカの顔面は切り抜いたように時間が止まった。
「どうだ、サヤカ」
「…………」
「さ、さやか?」
静止。静止画だった。
真顔のまま、口にフォークを加えたまま。
サヤカは音もなくこちらに小さく振り返り。
――ごっくん。
そんな大きな音がリビングに響いた。
まてサヤカ。お前今、肉を噛んだか?
「……しい」
「え?」
「……おいしい」
人は、ある感情が許容を超えると。無になると言われている。
サヤカの顔は、無の境地、仏顔だ。
「あれ、サヤカさん?
なんか頭の上からサヤカさんがふわふわと上に上昇していくのですが……え?
大丈夫ですかサヤカさん。息してますか?
していませんねこれはやばい――ッ!!!」
その日、世界で初めて美味しすぎて死にかけた少女が。
魔法大国グラネイシャにて、確認されたと言う。
そして、ケニーと言う男は、この年から千年後まで語り継がれた。
余命まで【残り359日】