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22:―2002年6月7日 1時35分―

 皆疲れているのか、深夜の職員室はとても静かだ。女性二人は布団に入り、じっと動かない。もう眠ってしまったのかもしれない。

 池中さんはソファーに横たわり、最初は眠ろうとしていたようだが、上手く寝付けなかったのか、今はデジタルカメラを構っている。僕のデジタルカメラ、よほど気に入られてしまったようだ。このまま帰る時に、うっかり彼が持ったまま――なんてことにならないように、気を付けなくては。

 堀さんは横になっていると眠気に負けてしまいそうになるのか、起き出して七不思議の調査ノートに再び目を通していた。他に読む物がある訳でも無い。時間を潰せるような物と言えば、他には無いのだ。重ね重ね、図書室の本が無かったことが残念だ。本さえあれば、どれだけでも時間を潰せるのにな。

 堀さんはノートを読み進めては、眉間に皺を寄せている。

 菜摘さんは、頬と喉元を刃物のような物で切られていた。死因は喉の傷だろう。とすれば、残る七不思議の謎は、開かずの間。これだけは、直接の死因に繋がるような内容が、全く想像が付かない。


「ひいぃぃっ」


 突然、池中さんが悲鳴を上げた。驚いた堀さんが手からノートを滑らせて、ばさりと床に落ちる。


「ど、どうしたんですか、一体」


 池中さんの視線は、デジタルカメラのモニターに向けられていた。


「何よ、うるさいわねぇ」


 舞子さんの不機嫌そうな声が近付いてくる。顔を上げれば、舞子さんと成美さんが何かあったのかと、こちらに近付いて来ていた。二人とも、眠そうな顔をしている。寝入り端に悲鳴を聞いて、目が覚めてしまったのだろう。


「こ、こ、これ……」


 池中さんは真っ青な顔で、僕にデジタルカメラを手渡した。何だろうと受け取ったカメラの液晶モニターに映し出されたデータを見た瞬間、


「ひっ」


 僕も小さく叫んでしまった。




 そこに映し出されたのは、おそらく職員室の窓の外に誰かの気配を感じた時の映像だろう。ずっとデジタルカメラを構っていた池中さんが、驚いた拍子にシャッターを押してしまったに違いない。

 稲光を背景に、窓の外に映し出された人物。その顔は――三谷校長の物だ。彼の顔は、真っ直ぐに職員室の中――僕達の居る場所に向けられている。しかし、その表情はとても尋常とは言い難い物だった。雷光を背に、逆光になっているからだろうか、三谷先生の目はまるで白目を剥いているかのようだ。あの温和な教育者の面影は消えて、窓から顔だけを出すようにして、無表情に職員室の中を見つめている。


「い、今確認したら、こんな写真が残っていて……」

「あの時、ずっとデジタルカメラを構っていましたからね。驚いて、シャッターを押してしまったのでしょう」


 僕の言葉に、池中さんがこくこくと頷く。モニターを覗き込んだ堀さん、舞子さん、成美さんも、小さな液晶画面に映し出された映像に、目を見開いた。


「あんの野郎……」


 堀さんが、低く呟いた。


「これでハッキリした。あの女は、校長が殺したんだ!」

「菜摘が……菜摘を殺したのは、校長先生なのね?」

「だって、そうだろうが! あの女はすぐそこで倒れていたんだぞ?」


 そうだ。菜摘さんの姿が発見されたのは、校長室の窓の外。校長が居た職員室の外とは、そう離れていない場所だ。窓の外から職員室を覗き込んでいたならば、校長室の外に菜摘さんが居たことに、気付かなかったはずは無い。そもそも、彼は校長室に居ると言っていた。校長室の外で異変が起きたなら、真っ先に気付いたはずだ。

 もっとも、それは僕達も同じだ。少し離れているとはいえ、窓の外で菜摘さんが襲われていることにも気付かなかった。あるいは、別の場所で襲われて、運ばれてきた可能性もあるのだろうか。どちらにせよ、僕達は気付けなかったのだ。鳴り止むこと無く続く雨音と、時折それに混じる雷鳴。その二つに掻き消され、菜摘さんの死も、職員室の外から覗いていた三谷先生の気配も、すぐ近くに居たのに何も知ることなく、暢気に過ごしていた。

 堀さんが突然立ち上がり、職員室の一番後ろ、掃除用具の入ったロッカーを開ける。中から柄の長い箒を何本か取り出すと、皆に手渡した。


「こんなんでも、有った方がいいだろ」


 なるほど。三谷先生と出くわした時の為に、武器として使うつもりなのだろう。


「こ、こんなので大丈夫かな……」


 池中さんの箒を持つ手は震えている。なんとも頼りないものだ。


「別にお前にゃ期待しちゃいねぇよ。無いよりはマシって程度だ」


 女性二人に期待しているとも思えないから、ひょっとして期待されているのは僕なのだろうか。腕に覚えは無いって、ちゃんと言ったんだけどなぁ。


「どうする、バリケードでも張っておく?」


 池中さんが職員室の入り口を見遣る。職員室には前方と後方、二カ所の扉がある。


「そうですね……女性陣が寝ている方の扉を塞いでおくのは、有りかもしれません」

「夜中にトイレに行きたくなった時は、どうすればいいの?」

「その時は、こちら側の扉から出てください」


 舞子さんは、渋々頷いた。

 本当は、片方の扉を塞いでしまうのも考え物だ。開いている扉から侵入されて暴れられた時に、もう片方の扉から脱出するという選択肢を選べなくなってしまう。でも、女性陣が眠っている方の扉から侵入されてしまった場合、いくら僕達が起きていたとしても、対処が遅れてしまう可能性がある。これは苦肉の策だ。


「少なくとも、刃物は持っていると考えた方が良いでしょうね」


 僕の言葉に、堀さんが頷く。菜摘さんのあの様子を思い出せば、三谷先生が刃物を所持していることは明らかだ。


「俺達も、調理室あたりで包丁でも調達してきたいところだが」


 堀さんが腕を組んで唸る。


「流石に刃物が放置されているとは考えづらくないですか?」

「棚の中には、無かったの?」

「僕達は割り箸を探していただけですよ。包丁なんて見ていません」


 あの時は、調理室の後方にある棚を開けたら割り箸や紙皿、プラスチックのコップ等が入っていた。見つけるのにも、そう時間はかからなかった。それに、割り箸を見つけたのは僕だが、ほとんど菜摘さんの指示で動いたようなものだ。彼女が居なければ、もっと探すのに時間がかかっていただろう。


「探しに行きますか?」

「いや、それよりは事務室にカッターか何か無かったか? それくらいなら、置いてあるかもしれない」

「そんなの、無かったわよ」


 事務室に居た舞子さんが、すかさず答える。


「こっちの方が人数は多いんだから、待ち構えてボコボコにしてやればいいのに」

「いつ入ってくるのか分かってりゃ、苦労はしねぇよ」


 舞子さんの挑発的な言葉に、堀さんがため息混じりに返した。


「犯人が三谷先生と分かった今、やっぱり僕と堀さんとで起きているのが一番良さそうですね」

「あんた達、徹夜するつもり?」

「ええ。朝になったら皆さんを起こしますので、そこで少し交代してもらえると助かります」

「……そうね。それが良さそう」


 舞子さんが頷く。

 とりあえず僕達は職員室の机と椅子を全て動かし、前方の入り口を内側から塞いだ。塞いだと言っても、学校の扉は横にスライドするタイプだから、開閉自体は簡単に出来てしまう。とはいえ、物理的な障害にはなるだろう。バリケードを乗り越える間に、こちらで対処する時間が稼げれば良いのだ。

 机と椅子を一カ所に集めた職員室は、中途半端にガランとしていた。まるで三階の、あの空き教室のようだ。舞子さんと成美さんは、寝る場所が広くなったなんて喜んでいる。暢気なものだ。

 職員室後方の応接セットは、そのまま僕達三人が使っている。結局バリケードを張った今も、女性陣と男性陣は二手に分かれて陣取っているのだった。


 ……そういえば、池中さん、結局舞子さんに謝っていないな。まぁ、いいか。今更な気もしてきた。

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