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21:―2002年6月7日 1時05分―

 職員室に戻ってからも、僕達はしばらく無言のままだった。すっかり定位置となった、応接セット。一人掛けのソファーで向かい合うように僕と堀さんが座り、三人掛けソファーの片方に池中さんが、もう片方は舞子さんと成美さんが二人並んで座っている。誰も何も口にしない。何か言うような雰囲気でも無い。皆、先ほど見た光景が、忘れられないのだ。僕だって、目を閉じれば菜摘さんの虚ろな瞳が脳裏に浮かんでくるようだった。

 はぁ……と、誰かのため息が聞こえた。皆それぞれに、思うことは有るのだろう。しかし、思考が纏まらない。頭の中は、ぐちゃぐちゃだ。話さなきゃとは思うのに、疲れ切った僕の脳では、言葉を選ぶことさえままならなかった。


「……とにかく、今日はここで皆で一緒に居ましょう」


 ようやく、それだけを絞り出した。皆もこくりと頷く。

 この廃校には、殺人鬼が居る。それだけは、間違いないのだ。三谷先生かもしれないし、他の誰かがこの廃校に皆をおびき出し、潜んでいるのかもしれないが……とにかく、菜摘さんをあんな目に遭わせた奴が、この廃校周辺に居ることだけは確かなのだ。


「校長の奴……」


 堀さんの言葉は、吐き捨てるようだった。彼はすっかり、この場に居ない三谷先生が犯人だと考えているようだ。確かにその可能性は一番に考えるけれど、そうと言い切れる訳でも無い。


「彼がもし犯人では無いのなら、危険だと伝えなければいけない……けど」

「じゃ、なんであいつは姿を眩ましたままなんだよ!」

「それは……あくまで〝もし〟と言う話だから」


 堀さんの剣幕に、僕まで気圧されてしまった。


「……悪ぃ。怒鳴っちまって」

「いや、僕こそごめん」


 頭を下げてくる堀さんに、ゆるりと首を振る。こんな時だ、気が立つのも当然だろう。堀さんの感情は、至極人間的と言える。それよりも、僕は――冷めた様子の成美さんの方が、怖かった。


 気まずい沈黙が流れる。皆それぞれに思うところは有るのだろうが、誰も口には出さない。


「これ、何かしら」


 ふと、舞子さんの手がテーブルの上のノートに伸びた。先ほど成美さんが読んで、そのままテーブルに置かれていた、七不思議の調査ノートだ。


「ああ、それですか。新聞部の子が纏めた、七不思議の調査ノートですよ」

「ふぅん。ここに七不思議が書かれているの?」

「そうですね。七不思議について調査した内容が綴られています」


 舞子さんはノートを手に取り、ページを捲った。静かな職員室に、舞子さんがノートを読み進める音が、小気味よく響く。彼女にとっても興味深い物なのだろう、一文字一文字を目で追っている。

 やがて、紙を捲る音も止まった。ああ、最後のページに辿り着いたのだなと思いながら、舞子さんの顔に視線を移したら――彼女の表情が、酷く強張っていた。


「舞子さん?」

「あ……ああ。有難う、興味深かったわ」


 彼女は慌てたようにノートを閉じて、テーブルに戻した。


 不思議だ。同じノートを読んだというのに、成美さんは読み終えた後に涙を零し、舞子さんはまるで般若のように目を見開いていた。二人はこのノートを見て何を思い、何を感じたのだろう。聞いて見たい気もするが、同時に聞くのが怖くもある。ノートを閉じた後の舞子さんは再び黙ってしまい、何かを考えているようだった。




「遺体、撮影しといた方が良かったかなぁ」


 池中さんがデジタルカメラを構いながら、ぽつりと呟く。


「えっ」


 突然何を言い出すのかと、僕は一瞬呆気に取られてしまった。


「あんた、それ本気で言っているの?」


 舞子さんは低く凄味のある声で言うと、池中さんを睨み付けた。


「え、だって現場写真とか、色々必要かなって……」

「そんなの、素人の私達がどうこうするような話じゃないでしょうに」


 池中さんの言葉は、舞子さんの逆鱗に触れたようだ。無理も無い、デジタルカメラを構う彼の様子に、カメラ好きが興味本位で友人の遺体を写真に収めようとしていると感じたのだろう。きっと池中さんは池中さんで、自分に何か出来ることは無いかと考えてのことだったのでは無いかと思いはする。舞子さんよりも池中さんと過ごした時間の方が長い分、僕が彼を好意的に見過ぎているのかもしれない。それに甘いと言われる僕であっても、彼の言葉はデリカシーが無さ過ぎて、庇いようが無い。


「あんた、最低ね」


 舞子さんは吐き捨てるように言って、ソファーから立ち上がった。そのまますたすたと歩き、職員室の前方、応接セットのある場所とは正反対に位置するデスクに腰を下ろす。

 怒ってこの部屋を出て行くのでは無いかと思って、一瞬肝を冷やしかけたが、そうでは無いと分かり、僕はほっと胸を撫で下ろした。いや、こんな時に仲違いは決して良いことでは無いが、それ以上に一人になるのは危険だ。ちゃんと同じ部屋に居てくれる、それだけでも安心出来た。


 成美さんは少し逡巡した後、立ち上がって舞子さんの所へと走った。やはり女性は女性同士、僕達と居るよりも落ち着くのだろう。職員室の端と端。二手に分かれる形になってしまった。


「てめぇ」


 堀さんが、ジト目で池中さんを睨む。


「ごめん」


 池中さんは素直に謝った。


「謝る相手は、堀さんじゃないと思いますが」


 流石に僕も一言、言ってしまった。


「分かっているけどさぁ、怖いんだもん、あの人」


 声を潜め、大きな身体を小さくして話す池中さん。ああ、なんて情けない。


「今は感情的になっているかもしれませんが、しばらくすれば落ち着くでしょう」

「そ、そうかな」

「多分、ですが」


 僕の言葉に池中さんは情けない表情でこちらを見つめたが、僕だって確信は持てない。僕は舞子さんでは無いのだ。池中さんは僕より年上の立派な大人なのだから、自分の尻拭いは自分でしていただきたい。


「分かった……後で、ちゃんと謝る」

「そうしてください」


 やれやれとばかりに息を吐き、ソファーにもたれかかる。三人になると、応接セットが少し広く感じられた。先ほどまではここにもう二人居たのだから、それも当然だろう。


「堀さん、大きいソファー使っていいですよ」

「おう、有難うな」


 僕の言葉を受けて、堀さんは三人掛けのソファーにごろりと寝転がった。と同時に、彼の口元に小さな欠伸が零れる。皆疲れも溜まっているし、そうで無くともこの時間だ、眠気も訪れるだろう。

 ふと見れば、女性二人はデスクから移動していた。職員室端の、ぽっかりと空いたスペースだ。成美さんが持って来た布団を床に敷いた後、小さく首を傾げ、二人で職員室の扉に向かう。


「ちょっと、待ってください!」


 僕は慌てて声をかけた。職員室の端と端、少し声を張り上げた後に、急いで彼女達の元へと駆け寄る。


「どこに行くんですか? 二人だけで他の部屋というのは……」

「分かっているわよ。保健室に置いてきた私の分の布団を取りに行くの」

「それでしたら、僕もご一緒します」

「別にいいわよ、そんなたいした距離では無いのだし」

「いえ、布団を運ぶなら人手があった方が良いでしょう」


 布団を運ぶと言っても、彼女達が使う布団は二人分。それほどの大荷物では無い。だがやはり、菜摘さんがあんなことになった以上は、女性を二人きりにさせておくのも気が引けた。ちらりとソファーに視線を向ければ、堀さんが頷いているのが見えた。


「そう? なら、運ぶのを手伝ってもらおうかしら」


 僕は女性二人と一緒に職員室を出て、保健室までやってきた。保健室には彼女達が運んでおいた毛布が積まれていた。成美さんは自分が使う布団を既に運んでいたから、ここに残っているのは舞子さんと菜摘さんの分だ。

 布団を運ぶと言っても、保健室のベッドにある布団を使うのでは無く、倉庫から持ってきたこの毛布を敷いて寝るつもりらしい。それはそうか、何年も前から放置されていた保健室の布団よりも、倉庫の中にあった新品の毛布の方が、ずっと清潔だ。


「貴方はどうするの? あのソファーで座ったまま寝る気?」

「僕ですか? ええ、まぁ一応そのつもりです」


 舞子さんに問われ、素直に頷く。彼女の目には、信じられないと言った表情がありありと浮かんでいる。


「一日くらいは寝なくても平気ですし……それに、寝付けるかも分かりませんしね」

「これ、何枚か持っていきなさいよ」


 そう言って、舞子さんが毛布の山から何層か、僕に手渡した。残りは彼女がよいしょと抱え上げる。


「え、いいんですか?」

「菜摘の分も、多めに持って来ていたのよ。二人じゃこんなに使わないわ」

「それなら、遠慮無く」


 職員室に戻ると、女性陣は床に毛布を敷いて、本格的に寝る態勢に入っていた。

 僕は渡された毛布が三枚あったので、堀さんと池中さんに一枚ずつ渡し、自分の膝にも毛布を掛けた。先ほど校舎から出た際に、雨に濡れて少し身体が冷えていたところだった。毛布の存在は、正直有難い。


「どうする、交代で見張りでもするか?」

「そうですね。交代しなくても、起きているかもしれませんが」


 堀さんの言葉に、苦笑い混じりに答える。


「体力は大丈夫なのか?」

「疲れてはいるんですが、あまり眠れる気がしなくって」


 僕の言葉に、堀さんはそれもそうかと頷く。


「俺も今夜はなるべく起きているようにしよう。朝になれば少しは状況も変わるかもしれないし、何も進展は無くとも、三人も起きていれば俺達二人が交代で休めるかもしれないしな」

「そうですね」


 頷きはしたものの、ソファーに寝そべる堀さんは明らかに眠たそうな顔をしていた。彼は僕が起きていると言ったものだから、無理して付き合おうとしてくれているのでは無いだろうか。


「眠くなったら、無理せずに寝てくださいね」

「分かっている」


 そう言いながら、堀さんは眠そうに欠伸を噛み殺していた。

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