あと少しでゴールデンウィークだ。新聞部の活動は、最低でも年二回。毎年夏と冬には学校新聞を発行している。内容が怪談だけに、どうしても夏の学校新聞に間に合わせたい。その為にも、今のうちに少しでも調査を進めて、執筆に取りかからなければ。
本当は、ゴールデンウィークの間も休まずに学校に来たいくらいなのだけれど。担任の越野先生に言ったら、止めておきなさいと怒られてしまった。ここ最近毎日遅くまで残って、あれこれ調べているのを知っているからだろう。ゴールデンウィークの間くらいは、家族と一緒に過ごしたらどうかと説教されてしまった。いや、お説教というより、心配されていたのかもしれない。私が調査に夢中になるあまりに、家族仲が悪いのではないかと誤解を与えてしまったようだ。ごめんなさい、越野先生。弟は生意気だけれど、家族仲は良好です。ただ私が楽しくてやっているだけです。こんな話を職員室でしていたら、越野先生の隣の席に座る谷本先生に笑われてしまった。谷本先生、若くて格好良くて、うちのクラスの女子にも人気があるんだよね。七不思議の調査ではあまり頼りにならなさそうだけれど、今度別の記事を書く時に取材させてもらおう。
越野先生に怒られたので、たまには珍しく早く家に帰るかーと、久しぶりに明るいうちに学校を出た。近道でグラウンドを横切った時に、近所のお婆ちゃんに出会った。グラウンドすぐ横の土地で、いつも農作業をしているお婆ちゃん。今日も農作業の合間に一休みしているのか、校庭にあるあの大きな木で、下涼みをしていた。
こんにちはって声をかけたら、ちょいちょいと、お婆ちゃんに手招きされた。どうしたのだろうと近付いてみたら、おまんじゅうを差し出されたんだ。手作りのではなくって、温泉まんじゅうみたいなやつ。一つずつビニールに包まれている、餡子の入ったおまんじゅう。そんなの差し出されたら、もらっちゃうよね。私、おまんじゅう大好きだもの。本当は粒あん派なのだけれど、贅沢は言わない。こしあんのおまんじゅうも、美味しくいただきます。
おまんじゅうをいただきながら、大きな木の下でお婆ちゃんとのんびりお話してたんだ。サッカー部や陸上部の連中が走り回る声を聞きながら、木陰でのんびりお婆ちゃんとお話なんて、ちょっと良い雰囲気。
私はお婆ちゃんに、学校の七不思議について調べているのだと話した。へぇと言いながら、お婆ちゃんは大きな木を見上げた。私もつられるようにして、春の日差しを遮る青々とした大きな木を見上げる。
「この木はねぇ、あたしが物心ついた頃にはもうここにあったんだ。あたしより長生きな、お爺ちゃんなんだよ。いや、お婆ちゃんかもしれないけどねぇ」
「そうなんですね」
ほんわかと木について話すお婆ちゃんに相槌を打ちながら、おまんじゅうを頬張る。
「あたしの親に聞いた話では、いつ植えられたかもわからない……それこそ、親が物心ついた頃にも、有ったのかもしれないねぇ。ずっとこの村を見守ってきた木なんだ」
お婆ちゃんの口調はゆったりとしていて、まるで絵本を読み聞かせてくれているようで、とても落ち着く。
「今でこそ田舎の小さな村だが、昔は蚕でそれなりに栄えていたそうでねぇ。出入りする人も多かったって話だ。機織りの音が一晩中鳴り響く、常夜野村ってね」
「へぇ。村の名前は、そんなところから来ていたんですか」
「通説だけどねぇ。でも、栄えれば栄えるだけ、問題も起きてしまう。こんな小さな村でも、昔は蚕の利権を巡って争いが絶えなかったそうだ。血族の中でも、血を流す争いが起きる。そうして、政治的な争いに負けちまった哀れな犠牲者は、どうなったと思う?」
「え……?」
お婆ちゃんの視線は、相変わらず上に向けられたまま。木の葉から零れる日差しに、目を細めている。
「ぜぇんぶ、埋められたのさ。この木の根元にね。だから、この木はこんなに立派に育ったんだよ。犠牲になった村人達を養分にして、ね」
思わずゾッとした。そんな話を柔和な笑顔で話すお婆ちゃんが、少し……ううん、凄く怖かった。
「戦時中、ここら辺は田舎で交通の便が悪かったからねぇ。配給が遅れて、皆食べる物にも困っていたんだ。そりゃ、あの頃は日本中どこも大変だったけど、この村も例に漏れず大騒ぎでねぇ。物資は届かない、配給も行われない、空襲から逃れる為に避難する人間だけはやってくる。可哀想にこの村の村長は、そりゃもう責められてねぇ。この木で首を吊っちまったんだ」
怖い。怖い怖い怖い。穏やかな語り口調だからこそ、滲み出る恐怖がある。
「それからだよ。この木で首を吊る人間が続いたのは。皆は村長の怨念だと、噂したもんだ」
しみじみと語るお婆ちゃんは、昔を懐かしむようでもあった。
「今は子供達が賑やかにしてくれているから、そんなことも無くなったけどねぇ。やっぱり、子供ってのは良いもんだね。嫌な噂も、暗い雰囲気も、全部吹き飛ばしてくれるんだから」
「あの……お婆ちゃんは、この木が怖くは無いんですか?」
「怖い? 怖いもんかね。長くずっと一緒に居るお隣さん、ご近所さんみたいなもんだよ」
首吊りのメッカになるようなお隣さん、私なら嫌だけれどな……お婆ちゃんは気にしていないようだ。
「あたしらくらいの年になると、仲の良い友達も、連れ合いも、一人、また一人と死んでしまう。話し相手が次々と居なくなるもんだから、こうして昔馴染みのこの木に向かって、語りかけているのさ」
「そ、そうなんですか」
お婆ちゃんがいつもこの木の下で涼んでいる理由が、分かった気がした。長年この村を見守り続けてきた木は、親しい相手を亡くしてきたお婆ちゃんにとって、大事な話し相手なのだ。
「お婆ちゃん、有難う。もし良かったらさ、他にもこの学校の昔話を知っていたら、今度教えてよ」
「いいよぉ。いつでもおいで」
木が話し相手だなんて、寂しすぎるもんね。私が話し相手になることで、お婆ちゃんの寂しさが少しでも紛れるなら、そんな良いことは無い。勿論、七不思議のネタが入手出来れば、こちらも願ったり叶ったりだ。
「じゃ、お婆ちゃん、またね!」
「気をつけて帰るんだよぉ」
お婆ちゃんに手を振って、家路を急ぐ。明るいうちに学校を出たのに、いつの間にか空は赤と黄色のグラデーションに染まっていた。
結局その日以降、お婆ちゃんに話を聞くことは出来無かった。大きな木の下でも、グラウンド脇の小さな畑でも、お婆ちゃんの姿はとんと見なくなってしまった。
お婆ちゃんが帰らぬ人になったと知ったのは、お葬式の垂れ幕を見た時だった。